天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~ 6

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「あの…、種姫たねひめ定姫さだひめがのう…」

 家治は感慨かんがいぶかげにそう言った。かつて、この江戸城本丸ほんまるの大奥にてらしていた萬壽ますひめの遊び相手あいてつとめてくれた種姫たねひめ定姫さだひめ姉妹しまいのうち、いずれかを家基いえもとよめにと、向坂さきさかよりそうすすめられたわけだから、家治は感慨かんがいぶかげにそう言うのも当然であった。

「して、種姫たねひめは8歳、定姫さだひめは6歳とのことであったな?」

 家治は向坂さきさかに対して確かめるようにそう尋ねた。

御意ぎょいにござりまする…」

「ふむ…、されば姉の種姫たねひめ家基いえもとしつ相応ふさわしいであろうぞ…」

 家基いえもとはこの時…、倫子ともこに続いて萬壽ますひめまでがくなった安永2(1773)年には11歳をむかえ、そうであれば8歳の種姫たねひめの方が6歳の定姫さだひめよりも家基いえもとうというものである。

 向坂さきさかもそう思っていたらしく、

「それがおよろしいかと…」

 そうこたえたのであった。

「して、如何いかにして、種姫たねひめ家基いえもとが妻にむかえ入れようぞ…」

 種姫たねひめは今…、安永2(1773)年の時点では兄の賢丸まさまると妹の定姫さだひめ共々ともども田安たやす邸にてらしていた。

 その種姫たねひめ家基いえもとよめむかえようと思えば、田安たやす家に、すなわち、田安たやす家の今の当主にして、種姫たねひめたちの親代わりでもある治察はるさとに「縁談えんだん」を持ち込むのがすじであろう。

 家治もそれは分かっていたが、しかし、この手の「縁談えんだん」は、

水面すいめんでの工作…」

 つまりは「した準備じゅんび」が必要となり、そしてこの手の「した準備じゅんび」ともなると、家治では無理であり、いや、家治に限らず、男では無理であろう。

 何しろ縁談えんだん…、結婚の話であり、しかもそれが、まだ8歳と、

年端としはもいかない…」

 少女を次期将軍たる家基いえもともとへととつがせようと言うのである。当人とうにんとも言うべき種姫たねひめは元より、種姫たねひめの親代わりでもある田安たやす家当主の治察はるさとの不安はまさに、

「ひとかたならぬ…」

 ものがあろう。例え、次期将軍のもととつぐことが出来るとしてもだ。

 そこでそのような不安を取りのぞいてやる意味でも女の力を、畢竟ひっきょう、大奥の力を借りねばならない。

 何しろ次期将軍たる家基いえもとよめ…、御台所みだいどころとしてむかえられる以上は当然、大奥入りを、それも家基いえもとまう西之丸にしのまるの大奥へとむかえられることになるからだ。

 種姫たねひめはかつては萬壽ますひめの「あそ相手あいて」をつとめてくれた。

 と言っても、種姫たねひめにとって実兄じっけいに当たる、定國さだくに賢丸まさまる兄弟が萬壽ますひめと、それにはらちがいの弟の家基いえもとの「あそ相手あいて」をつとめていた時分じぶんすなわち、宝暦13(1763)年から明和5(1768)年までの5年間ではない。

 種姫たねひめ萬壽ますひめの「あそ相手あいて」を務《つと》めたのは明和8(1771)年のそれも8月20日以降…、萬壽ますひめの実母であった、つまりは将軍・家治の御台所みだいどころ倫子ともこくなって以降いこうであった。

 種姫たねひめはその頃…、明和8(1771)年には6歳をむかえ、同じ年に10歳をむかえた萬壽ますひめの「あそ相手あいて」としてはちょうどう。

 だが、種姫たねひめ萬壽ますひめの「あそ相手あいて」をつとめるようになったのは、それだけが…、年齢ねんれいだけが理由ではなかった。

 それではまことの理由は何かと言うと、ズバリ、

萬壽ますひめさびしい想いをしていたから…」

 それにきた。

 この頃…、明和8(1771)年にはすでに、倫子ともこ萬壽ますひめ母子ぼしと共にらしていた家基いえもとはその実母じつぼである千穂ちほと共に、本丸ほんまるの大奥から西之丸にしのまるの大奥へと引き移っており、それゆえ本丸ほんまるの大奥には倫子みちこ萬壽ますひめ母子ぼしが取りのこされた。

 いや、倫子ともこにしろ萬壽ますひめにしろ、各々おのおのおく女中じょちゅう附属ふぞくしており、そうであれば、

「取りのこされた…」

 という表現は正しくないだろうが、それでも倫子みちこ萬壽ますひめ、とりわけ萬壽ますひめはらちがいの弟の家基いえもと可愛かわいがっていたので、そして家基いえもともまた、はらちがいいのその姉である萬壽ますひめしたってくれていたので、明和6(1769)年に家基いえもと実母じつぼ千穂ちほと共に、本丸ほんまるの大奥から西之丸にしのまるの大奥へと引き移った時には萬壽ますひめは大いにさびしい想いにおそわれたものである。喪失感そうしつかんおそわれたと言っても過言かごんではないだろう。

 いや、喪失感そうしつかんおそわれたのは何も萬壽ますひめ一人ではない。萬壽ますひめ実母じつぼ倫子ともこにしてもそうで、倫子ともこもまた家基いえもとじつの子として可愛かわいがり、そして育ててきたので、その家基いえもと実母じつぼ千穂ちほと共に本丸ほんまるの大奥から西之丸にしのまるの大奥へと引き移る時分じぶんには喪失感そうしつかんおそわれたものだ。

 だが倫子みちこ萬壽ますひめも、家基いえもとに去られたと言ってもたがいに、

はらいためし我が子がおるではないか…」

母上ははうえがおられるではあるまいか…」

 ということで、たがいの存在そんざいがそのさびしさをまぎらわした。

 だがそれが明和8(1771)年の8月20日に倫子ともこくなったことで、萬壽ますひめついに、

「一人になってしまった…」

 そんな孤独こどくかんさいなまれるようになり、そうと察した萬壽ますひめづきおく女中じょちゅうが、それも年寄としより花島はなしまかせ、

「同じ年頃としごろの、それも将軍家の子女しじょ萬壽ますひめ様のあそ相手あいてとしてこの本丸ほんまる大奥へとあがらせれば、萬壽ますひめ様のその孤独こどくかんすこしくはやわらぐのではあるまいか…」

 そう考えた花島はなしまは将軍・家治づき年寄としより松島まつしま高岳たかおかとも相談の上、田安たやす家の息女そくじょ種姫たねひめ萬壽ますひめあそ相手あいてとすることとし、将軍・家治にもそのむね、伝え、すると家治も萬壽ますひめのことが気懸きがかりであったらしく、花島はなしまのその「アイディア」にそれこそ、

「一も二もなく…」

 飛びついたのであった。

 こうして将軍・家治の同意をも得られた花島はなしま田安たやす家に「コンタクト」を取り、そして、

萬壽ますひめ実母じつぼ倫子ともこうしない、非常にさびしい想いをしているので、萬壽ますひめさびしさを少しでもまぎらわせるべく、ついては田安たやす家の息女そくじょ種姫たねひめには萬壽ますひめあそ相手あいてになってもらいた。毎日でなくとも良いので、萬壽ます姫がまう江戸城本丸ほんまるの大奥へとあがってもらい、そして萬壽ますひめと遊んでやってはもらえまいか…」

 大意たいい、そのような意向いこう田安たやす家に伝えたのであった。

 もっとも、実際に動いたのは御客おきゃく会釈あしらい向坂さきさかであった。

 向坂さきさか御客おきゃく会釈あしらいとして御三家や御三卿ごさんきょう、それに諸大名の女使おんなづかい所謂いわゆる

公儀こうぎおく女使おんなづかい

 その女使おんなづかい接遇せつぐうになっていただけに、御三卿ごさんきょうである田安たやす家のおく女中じょちゅう、それも、

公儀こうぎおく女使おんなづかい

 をつとめる、と言うよりはそれに選ばれるおく女中じょちゅうとは親しく付き合っていた。

 田安たやす家においては廣瀬ひろせがそれで、田安たやす家のおく女中じょちゅうである廣瀬ひろせは、「公儀こうぎおく女使おんなづかい」に選ばれ、度々たびたび本丸ほんまるの大奥へとあがっては、御客おきゃく会釈あしらい向坂さきさか接遇せつぐうを受け、それゆえ向坂さきさか廣瀬ひろせは自然と親しくなり、そこで花島はなしまより依頼いらいを受けた向坂さきさかがそのむね…、

種姫たねひめには萬壽ますひめあそ相手あいてになってやって欲しい…」

 その意向いこう廣瀬ひろせに伝えたのであった。

 御三卿ごさんきょうは将軍家の家族として、江戸城とは正に、

「目と鼻の先…」

 そこに屋敷やしきを与えられており、御三卿ごさんきょう田安たやす家も勿論もちろんそうであり、それゆえ田安たやす家では…、そしてそれは他の御三卿ごさんきょうである一橋ひとつばし家や清水家にも共通することだが、

「将軍家との関係をさらみつにするべく…」

 そのため、屋敷やしきつかえるおく女中じょちゅうを、

公儀こうぎおく女使おんなづかい

 それに選んでは、女使おんなづかいとして本丸ほんまるの大奥へと度々たびたび、あがらせていたのだ。

 それゆえ向坂さきさか花島はなしまよりその「依頼いらい」を受けたその当日もまた、廣瀬ひろせ田安たやす家よりの「公儀こうぎおく女使おんなづかい」として本丸ほんまる大奥に姿を見せたので、向坂さきさか廣瀬ひろせにそのむねじかに伝えたというわけだ。

 こうして田安たやす家のおく女中じょちゅうである廣瀬ひろせへとその意向いこうが伝わるや、廣瀬ひろせ田安たやす家へと「そのむね」を持ち帰り、そして番頭ばんがしらつとめる竹本たけもと要人かなめ正美まさよし常見つねみ文左衛門ぶんざえもん直與なおともの二人にさきに伝えたのであった。

 田安たやす家には他にも多数たすう家臣かしんつかえており、にもかかわらず、廣瀬ひろせはその中でも竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんの二人を選んだのは…、

さきに報告すべき相手…」

 として選んだのは、それは田安たやす邸においてはこの竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんの二人がもっとも力を持っていたからだ。

 無論むろん田安たやす家の番頭ばんがしらの上には家老かろうが…、御三卿ごさんきょう家老が存在し、明和8(1771)年の時点じてんでは山木やまき筑前守ちくぜんのかみ正信まさのぶ大屋おおや遠江守とおとうみのかみ正富まさとみの二人がそうで、しかし、この二人はあくまで、

「おかざり…」

 それに過ぎなかった。いや、家老かろうが…、御三卿ごさんきょう家老がおかざりに過ぎないと言うのは何も、田安たやす家に限らないだろう。一橋ひとつばし家や清水家にしてもそうだろう。

 だが田安たやす家は特にそれが顕著けんちょであり、実権じっけん竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんの二人がにぎっていた。

 それと言うのも、まず常見つねみ文左衛門ぶんざえもんだが、文左衛門ぶんざえもんが父・常見つねみ文左衛門ぶんざえもん氏連うじつら田安たやす徳川家の始祖しそ宗武むねたけがまだ、その幼名ようみょうである、

小次郎こじろう…」

 その名を名乗っていた頃より、小次郎こじろう、後の宗武むねたけつかえ、そうであれば常見つねみ家はさしずめ、

田安たやす譜代ふだいの臣」

 と言えた。それゆえその常見つねみ家の今の当主とうしゅ文左衛門ぶんざえもん大層たいそう羽振はぶりが良かった。

 いや、「羽振はぶりの良さ」という点においては竹本たけもと要人かなめの方が上かも知れない。

 それと言うのも竹本たけもと要人かなめにとっては本家ほんけすじ竹本たけもと大膳亮だいぜんのすけ正綱まさつななる御仁ごじんがおり、この正綱まさつな実妹じつまいこそがだれあろう、田安たやす徳川家の始祖しそ宗武むねたけ母堂ぼどう…、実母じつぼ古牟こんこと本徳院ほんとくいんなのであった。

 そうであれば、竹本たけもと家はさしずめ、

田安たやす家の御家門ごかもん…」

 とでも呼べようか、それゆえ竹本たけもと家の分家ぶんけすじとしてつらなる要人かなめ威勢いせいたるや、家老かろうは元より、常見つねみ文左衛門ぶんざえもんをもしのぐものがあった。

 かる事情があって、廣瀬ひろせさきにこの竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんの二人に「そのむね」を伝えたというわけだ。

 それに対して竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもん廣瀬ひろせの話を興味深げに聞き、そして話を聞き終えるや、

「この話、是非ぜひとも受けるべし…」

 二人共、そう口をそろえた。

 その意図いとあきらかであり、

「我が家…、田安たやす家の息女そくじょである種姫たねひめが将軍・家治の息女そくじょ萬壽ますひめあそ相手あいてつとめることで、将軍家との紐帯ちゅうたい益々ますますもって深められる絶好ぜっこう機会きかい…」

 それこそが竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんが賛成した理由であった。

 いや、竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんに限らず、田安たやす家につかえる者なれば必ずやそう考えたであろう。

 だがそれはあくまで、

大人おとな論理ろんり…」

 それに過ぎず、その「大人おとな論理ろんり」とは別に、

子供こども論理ろんり…」

 それがあった。他ならぬ、種姫たねひめ自身じしん意思いしである。

 如何いか種姫たねひめが将軍・家治の息女そくじょ萬壽ますひめあそ相手あいてつとめることで、田安たやす家のためになるとは言っても…、将軍家との紐帯ちゅうたいふかめられるとは言っても、種姫たねひめ自身じしん意向いこうはまた別のところにあるやも知れなかった。

 すなわち、種姫たねひめ自身じしん萬壽ますひめあそ相手あいてになりたくないと、そう考えるおそれも十二分じゅうにぶんにあり得た。

 そのことは竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんも、そして誰よりも廣瀬ひろせが良く承知しょうちしているところであったので、

「されば…、簾中れんじゅう様にご出馬しゅつばを願い申し上げましては…」

 廣瀬ひろせは女性の視点からそう提案し、これには竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんも大賛成した。

 廣瀬ひろせが口にした「簾中れんじゅう様」とは誰あろう、田安たやす宗武むねたけ夫人ふじん通子みちこのことである。

 いや、この頃…、将軍・家治の御台所みだいどころ倫子ともこ薨去こうきょした明和8(1771)年の8月20日の時点じてんではすでに、通子みちこは、

簾中れんじゅう様」

 ではなかった。それと言うのもそれ以前…、二月ふたつき以上前の6月4日に田安たやす宗武むねたけ倫子ともこよりも先にまかっていたからだ。行年ぎょうねん57。

 それゆえ通子みちこの今の立場はさしずめ「亡人ぼうじん」であり、実際、通子みちこ落飾らくしょく…、かみをおろして、

宝蓮院ほうれんいん

 そう名乗なのっていた。

 それでも廣瀬ひろせたちはいまだに、通子みちこ改め宝蓮院ほうれんいんのことを、

簾中れんじゅう様…」

 そう呼んでいた。それはついくせちがえた…、というようなものではなく、

簾中れんじゅう様…」

 そう呼んだ方が宝蓮院ほうれんいんが喜ぶであろうと、廣瀬ひろせたちはそう思えばこそ、すでに、

亡人ぼうじん…」

 となった宝蓮院ほうれんいんのことをあえて、

簾中れんじゅう様…」

 廣瀬ひろせたちはあえてそうんでいたのだ。そう呼んでやることで、今でも、

簾中れんじゅう様…」

 すなわち、御三卿ごさんきょう筆頭ひっとう田安たやす家の当主とうしゅ正室せいしつであるとの意識いしきけ切れないでいるに違いない通子みちこもとい宝蓮院ほうれんいん自尊じそんしんを、

くすぐってやる…」

 それができるにちがいないと思えばこそであった。

 もっとも、通子みちこもとい宝蓮院ほうれんいんが今でも、

御三卿ごさんきょう筆頭ひっとう田安たやす家の当主とうしゅ正室せいしつであるとの意識いしきけ切れないでいるに違いない…」

 というのはあくまで廣瀬ひろせたちの「勝手かっておもみ」というやつで、実際には宝蓮院ほうれんいんは夫・宗武むねたけさきたれた時点じてんでそのような意識いしきとはそれこそ、

綺麗きれいサッパリと…」

 別れを告げたのであり、そうであれば、廣瀬ひろせたちの「配慮はいりょ」たるや、廣瀬ひろせたちの勝手かっておもみから、ということになる。

 ともあれ廣瀬ひろせ種姫たねひめ萬壽ますひめあそ相手あいてつとめてもらう件につき、「簾中れんじゅう様」こと宝蓮院ほうれんいんたよろうとしたのは他でもない、宝蓮院ほうれんいん種姫たねひめの、いや、種姫たねひめばかりではない、賢丸まさまる種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだいの母親…、母親代わりをつとめていたからだ。

 そうであれば、その宝蓮院ほうれんいんたよることは、すなわち、宝蓮院ほうれんいん種姫たねひめへの説得せっとくたのむことはもっとも「ベター」ではあるものの、「効果的」と言えた。

 何しろ種姫たねひめ宝蓮院ほうれんいんを「実の母親」のようにしたっていたからだ。いや、種姫たねひめばかりではない。賢丸まさまる定姫さだひめもまた、、宝蓮院ほうれんいんを「実の母親」のようにしたっていた。いや、この時点で…、明和8(1771)年の時点ですで伊予いよ松山まつやま藩主はんしゅ松平まつだいら隠岐守おきのかみ定静さだきよ養嗣子ようししとしてむかえられ、田安たやす邸を出た長兄ちょうけい定國さだくににしてもまた、実の母親ではないこの宝蓮院ほうれんいんを実の母親のようにしたっていた。

 それはやはり宝蓮院ほうれんいん定國さだくに賢丸まさまる兄妹、種姫たねひめ定姫さだひめ姉妹しまいをそれこそ、「実の子」のようにいつくしんできたからだ。

 その甲斐かいあって、定國さだくにたちも…、定國さだくに賢丸まさまる兄妹も、種姫たねひめ定姫さだひめ姉妹しまいも、この実の母親ではない宝蓮院ほうれんいんのことを、

「実の母親のよう…」

 そうしたうようになり、そしてそのことはその「様子ようす」を間近まぢかで見てきた廣瀬ひろせたちも良く承知しょうちしているところであり、そうであればその宝蓮院ほうれんいんより種姫たねひめへと、

萬壽ますひめあそ相手あいてとして毎日でなくとも良い、時々ときどきで良いので、本丸ほんまるの大奥へとあがり、萬壽ますひめあそ相手あいてつとめてはくれまいか…」

 そう説得してくれれば、種姫たねひめも「実の母親」とした宝蓮院ほうれんいんよりの、

たのみとあらば…」

 ということで、萬壽ますひめあそ相手あいてつとめてくれるに相違そういないと、廣瀬ひろせはそう考え、それに対して竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもん廣瀬ひろせのこの考えに賛同さんどうしたというわけだ。

 そこで廣瀬ひろせたちは宝蓮院ほうれんいんもとへと、それこそ、

「いきなり…」

 訪れて、たのごとをするような、そのような「作法さほう」もとい危険をおかすようなおろかな真似まねはしなかった。

 それと言うのも宝蓮院ほうれんいんには、

簾中れんじゅうつきしゅう

 として、

毛利もうり斎宮さいぐう元卓もとなり

杉浦すぎうら猪兵衛いへえ良昭よしあき

 この二人が用人ようにんとして附属ふぞくしていたからだ。

 いや、宗武むねたけき後、宝蓮院ほうれんいんすでに、

簾中れんじゅう様…」

 ではないので、それゆえこの二人にしても、

簾中れんじゅうつきしゅう

 それから、

廣敷ひろしきつき用人ようにん

 それへと役名やくめいを改めていた。

 田安たやす邸にも、いや、田安たやす邸にかぎらず、一橋ひとつばし邸にも、清水邸にも、つまりはすべての御三卿ごさんきょう屋敷やしきにも大奥に相当そうとうする、

廣敷ひろしき

 があり、そこに「簾中れんじゅう様」なり、あるいは息女そくじょなりがんでいた。

 宝蓮院ほうれんいんの夫、宗武むねたけ存命ぞんめいの頃も宝蓮院ほうれんいんは、

簾中れんじゅう様」

 として種姫たねひめ定姫さだひめ、そして二人の実兄じっけいに当たる賢丸まさまるたちと共に廣敷ひろしきにてらしており、そのおりには、通子みちこ名乗なのっていた宝蓮院ほうれんいん用人ようにん、要は「お世話せわがかり」として毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえの二人が、

簾中れんじゅうつきしゅう

 として附属ふぞくし、一方、賢丸まさまるとそれに種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだいの「お世話せわがかり」は小姓こしょうがしらねる番頭ばんがしら竹本たけもと要人かなめが彼ら兄妹きょうだい附属ふぞくし、その「お世話せわがかり」をつとめていた。

 無論むろん賢丸まさまると、それに種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだいたちは養母ようぼである通子みちここと宝蓮院ほうれんいんが責任をもって育てていたが、それでも三人ものそだてともなると、通子みちここと宝蓮院ほうれんいんの手にあまるだろう。

 そこで田安たやす邸にて番頭ばんがしらとしてつかえていた竹本たけもと要人かなめ小姓こしょうがしらねて、廣敷ひろしきへと出向でむき、彼ら兄妹きょうだいの「お世話せわ」をつとめたのであった。

 竹本たけもと要人かなめ賢丸まさまるや、それに種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだいたちの「お世話せわがかり」に選ばれたのは他でもない、宗武むねたけ母堂ぼどう…、実母じつぼである古牟こんの実家である竹本たけもと家につらなる人間だからだ。

 そうであれば、親類しんるいよしみにより、賢丸まさまるやそれに種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだい世話せわを、

「安心してまかせられる…」

 というものであり、そしてそれは宗武むねたけまかった後も…、毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえが、

廣敷ひろしきつき用人ようにん

 そう役名やくめいを改めた今でも変わらない。

 そうであれば、賢丸まさまるやそれに種姫たねひめ定姫さだひめ兄妹きょうだい世話せわがかりである竹本たけもと要人かなめがその、

世話せわがかり

 としての「職権しょっけん」、いや、「ご威光いこう」をりかざして、種姫たねひめに対して、

萬壽ますひめあそ相手あいてになってやって欲しい…」

 そうたのむことも十分じゅうぶんに出来たが、しかし、それでは…、それをしてしまっては最悪さいあく種姫たねひめ養母ようぼである宝蓮院ほうれんいんが、

「へそをげる…」

 その恐れがあり、それ以上に宝蓮院ほうれんいん附属ふぞくする毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえの二人が、

竹本たけもと要人かなめ影響えいきょうりょく絶好ぜっこうのチャンス…」

 そうとらえる恐れがありた。いや、可能性としてはこちらの方が高いだろう。

 何しろ田安たやす邸における竹本たけもと一族いちぞく威勢いせいこころよく思わない者は数多あまたおり、竹本たけもと要人かなめと共に、廣瀬ひろせの話を神妙しんみょうに聞いていた、竹本たけもと要人かなめと同じく番頭ばんがしらのお役にある常見つねみ文左衛門ぶんざえもんでさえ、

すきあらば…」

 と、竹本たけもと一族いちぞくの「地盤じばん沈下ちんか」、要は失脚しっきゃくひろかに望んでいたほどであった。

 かる事情があって、竹本たけもと要人かなめは直接に種姫たねひめを「口説くどく」ことはせず、多少たしょう、回りくどいとしても、宝蓮院ほうれんいんに対して、

廣敷ひろしきつき用人ようにん

 としてつかえる毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえを通じて、宝蓮院ほうれんいんへと事情を打ち明けた上で、

種姫たねひめの説得を…」

 そう「迂回うかい」する方が、結果的には「近道ちかみち」となる。

 ともあれ、廣瀬ひろせと、それに竹本たけもと要人かなめ常見つねみ文左衛門ぶんざえもんはまず、毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえの二人のもとへと足を運ぶと、廣瀬ひろせよりこの二人に対して萬壽ますひめの件を打ち明けた上で、宝蓮院ほうれんいんに取り次いでくれるよう頼んだのであった。何だか御側おそば御用ごよう取次とりつぎに近かった。

 それはそうと、話を聞いた毛利もうり斎宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえの二人は、
それはもっともであると、そこで改めて廣瀬ひろせたちから宝蓮院ほうれんいんに対して、

「直接にたのまれるが良かろう…」

 そう決断をくだすと、廣瀬ひろせたちを宝蓮院ほうれんいんもとへと案内し、やはり廣瀬ひろせ宝蓮院ほうれんいんに対して萬壽ますひめの件…、

種姫たねひめには萬壽ますひめあそ相手あいてになってやって欲しい…」

 その件を打ち明けた上で、宝蓮院ほうれんいんより種姫たねひめ説得せっとくして欲しいと、そうたのんだのであった。

 すると宝蓮院ほうれんいんはこれを快諾かいだくし、宝蓮院ほうれんいん種姫たねひめに対して、廣瀬ひろせより打ち明けられた通り、まずは萬壽ますひめの置かれた状況…、

なかの良かったはらちがいの弟の家基いえもと西之丸にしのまるへと移り、その上、実母じつぼ倫子ともこうしない、それゆえ今の萬壽ますひめは非常にさびしい想いをしている…」

 その状況を説明した上で、

「そうであればそのような孤独こどくな状況に置かれている萬壽ますひめを少しくでもなぐさめるべく、萬壽ますひめあそ相手あいてになってやって欲しい…」

 種姫たねひめにそうたのんだのであった。

 一方、養母ようぼである宝蓮院ほうれんいんよりその話を聞いた種姫たねひめ流石さすがに驚いたものの、しかし、日頃ひごろより世話せわになりっぱなしの、養母ようぼ宝蓮院ほうれんいんからのたのみとあらばということで、種姫たねひめ萬壽ますひめあそ相手あいてつとめることをそれこそ、

即座そくざに…」

 諒承りょうしょうしたのであった。
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開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

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