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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~ 6
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「あの…、種姫と定姫がのう…」
家治は感慨深げにそう言った。かつて、この江戸城本丸の大奥にて暮らしていた萬壽姫の遊び相手を務めてくれた種姫と定姫の姉妹のうち、いずれかを家基の嫁にと、向坂よりそうすすめられたわけだから、家治は感慨深げにそう言うのも当然であった。
「して、種姫は8歳、定姫は6歳とのことであったな?」
家治は向坂に対して確かめるようにそう尋ねた。
「御意にござりまする…」
「ふむ…、されば姉の種姫が家基の室に相応しいであろうぞ…」
家基はこの時…、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった安永2(1773)年には11歳を迎え、そうであれば8歳の種姫の方が6歳の定姫よりも家基に釣り合うというものである。
向坂もそう思っていたらしく、
「それがお宜しいかと…」
そう応えたのであった。
「して、如何にして、種姫を家基が妻に迎え入れようぞ…」
種姫は今…、安永2(1773)年の時点では兄の賢丸と妹の定姫共々、田安邸にて暮らしていた。
その種姫を家基の嫁に迎えようと思えば、田安家に、即ち、田安家の今の当主にして、種姫たちの親代わりでもある治察に「縁談」を持ち込むのが筋であろう。
家治もそれは分かっていたが、しかし、この手の「縁談」は、
「水面下での工作…」
つまりは「下準備」が必要となり、そしてこの手の「下準備」ともなると、家治では無理であり、いや、家治に限らず、男では無理であろう。
何しろ縁談…、結婚の話であり、しかもそれが、まだ8歳と、
「年端もいかない…」
少女を次期将軍たる家基の許へと嫁がせようと言うのである。当人とも言うべき種姫は元より、種姫の親代わりでもある田安家当主の治察の不安は正に、
「ひとかたならぬ…」
ものがあろう。例え、次期将軍の許に嫁ぐことが出来るとしてもだ。
そこでそのような不安を取り除いてやる意味でも女の力を、畢竟、大奥の力を借りねばならない。
何しろ次期将軍たる家基の嫁…、御台所として迎えられる以上は当然、大奥入りを、それも家基が住まう西之丸の大奥へと迎えられることになるからだ。
種姫はかつては萬壽姫の「遊び相手」を務めてくれた。
と言っても、種姫にとって実兄に当たる、定國と賢丸兄弟が萬壽姫と、それに腹違いの弟の家基の「遊び相手」を務めていた時分、即ち、宝暦13(1763)年から明和5(1768)年までの5年間ではない。
種姫が萬壽姫の「遊び相手」を務《つと》めたのは明和8(1771)年のそれも8月20日以降…、萬壽姫の実母であった、つまりは将軍・家治の御台所の倫子が亡くなって以降であった。
種姫はその頃…、明和8(1771)年には6歳を迎え、同じ年に10歳を迎えた萬壽姫の「遊び相手」としてはちょうど釣り合う。
だが、種姫が萬壽姫の「遊び相手」を務めるようになったのは、それだけが…、年齢だけが理由ではなかった。
それでは真の理由は何かと言うと、ズバリ、
「萬壽姫が淋しい想いをしていたから…」
それに尽きた。
この頃…、明和8(1771)年には既に、倫子・萬壽姫母子と共に暮らしていた家基はその実母である千穂と共に、本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移っており、それゆえ本丸の大奥には倫子と萬壽姫母子が取り残された。
いや、倫子にしろ萬壽姫にしろ、各々、奥女中が附属しており、そうであれば、
「取り残された…」
という表現は正しくないだろうが、それでも倫子と萬壽姫、とりわけ萬壽姫は腹違いの弟の家基を可愛がっていたので、そして家基もまた、腹違いのその姉である萬壽姫を慕ってくれていたので、明和6(1769)年に家基が実母の千穂と共に、本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移った時には萬壽姫は大いに淋しい想いに襲われたものである。喪失感に襲われたと言っても過言ではないだろう。
いや、喪失感に襲われたのは何も萬壽姫一人ではない。萬壽姫の実母の倫子にしてもそうで、倫子もまた家基を実の子として可愛がり、そして育ててきたので、その家基が実母の千穂と共に本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移る時分には喪失感に襲われたものだ。
だが倫子も萬壽姫も、家基に去られたと言っても互いに、
「腹を痛めし我が子がおるではないか…」
「母上がおられるではあるまいか…」
ということで、互いの存在がその淋しさを紛らわした。
だがそれが明和8(1771)年の8月20日に倫子が亡くなったことで、萬壽姫は遂に、
「一人になってしまった…」
そんな孤独感に苛まれるようになり、そうと察した萬壽姫附の奥女中が、それも年寄の花島が気を利かせ、
「同じ年頃の、それも将軍家の子女を萬壽姫様の遊び相手としてこの本丸大奥へとあがらせれば、萬壽姫様のその孤独感も少しくは和らぐのではあるまいか…」
そう考えた花島は将軍・家治附の年寄の松島や高岳とも相談の上、田安家の息女・種姫を萬壽姫の遊び相手とすることとし、将軍・家治にもその旨、伝え、すると家治も萬壽姫のことが気懸かりであったらしく、花島のその「アイディア」にそれこそ、
「一も二もなく…」
飛びついたのであった。
こうして将軍・家治の同意をも得られた花島は田安家に「コンタクト」を取り、そして、
「萬壽姫が実母の倫子を喪い、非常に淋しい想いをしているので、萬壽姫の淋しさを少しでも紛らわせるべく、ついては田安家の息女の種姫には萬壽姫の遊び相手になって貰いた。毎日でなくとも良いので、萬壽姫が住まう江戸城本丸の大奥へとあがってもらい、そして萬壽姫と遊んでやっては貰えまいか…」
大意、そのような意向を田安家に伝えたのであった。
尤も、実際に動いたのは御客会釈の向坂であった。
向坂は御客会釈として御三家や御三卿、それに諸大名の女使、所謂、
「公儀奥女使」
その女使の接遇を担っていただけに、御三卿である田安家の奥女中、それも、
「公儀奥女使」
を務める、と言うよりはそれに選ばれる奥女中とは親しく付き合っていた。
田安家においては廣瀬がそれで、田安家の奥女中である廣瀬は、「公儀奥女使」に選ばれ、度々、本丸の大奥へとあがっては、御客会釈の向坂の接遇を受け、それゆえ向坂と廣瀬は自然と親しくなり、そこで花島より依頼を受けた向坂がその旨…、
「種姫には萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
その意向を廣瀬に伝えたのであった。
御三卿は将軍家の家族として、江戸城とは正に、
「目と鼻の先…」
そこに屋敷を与えられており、御三卿の田安家も勿論そうであり、それゆえ田安家では…、そしてそれは他の御三卿である一橋家や清水家にも共通することだが、
「将軍家との関係を更に密にするべく…」
そのため、屋敷に仕える奥女中を、
「公儀奥女使」
それに選んでは、女使として本丸の大奥へと度々、あがらせていたのだ。
それゆえ向坂が花島よりその「依頼」を受けたその当日もまた、廣瀬が田安家よりの「公儀奥女使」として本丸大奥に姿を見せたので、向坂は廣瀬にその旨、直に伝えたというわけだ。
こうして田安家の奥女中である廣瀬へとその意向が伝わるや、廣瀬は田安家へと「その旨」を持ち帰り、そして番頭を勤める竹本要人正美と常見文左衛門直與の二人に真っ先に伝えたのであった。
田安家には他にも多数の家臣が仕えており、にもかかわらず、廣瀬はその中でも竹本要人と常見文左衛門の二人を選んだのは…、
「真っ先に報告すべき相手…」
として選んだのは、それは田安邸においてはこの竹本要人と常見文左衛門の二人が最も力を持っていたからだ。
無論、田安家の番頭の上には家老が…、御三卿家老が存在し、明和8(1771)年の時点では山木筑前守正信と大屋遠江守正富の二人がそうで、しかし、この二人はあくまで、
「お飾り…」
それに過ぎなかった。いや、家老が…、御三卿家老がお飾りに過ぎないと言うのは何も、田安家に限らないだろう。一橋家や清水家にしてもそうだろう。
だが田安家は特にそれが顕著であり、実権は竹本要人と常見文左衛門の二人が握っていた。
それと言うのも、まず常見文左衛門だが、文左衛門が父・常見文左衛門氏連は田安徳川家の始祖・宗武がまだ、その幼名である、
「小次郎…」
その名を名乗っていた頃より、小次郎、後の宗武に仕え、そうであれば常見家はさしずめ、
「田安家譜代の臣」
と言えた。それゆえその常見家の今の当主の文左衛門も大層、羽振りが良かった。
いや、「羽振りの良さ」という点においては竹本要人の方が上かも知れない。
それと言うのも竹本要人にとっては本家筋の竹本大膳亮正綱なる御仁がおり、この正綱の実妹こそが誰あろう、田安徳川家の始祖・宗武の母堂…、実母の古牟こと本徳院なのであった。
そうであれば、竹本家はさしずめ、
「田安家の御家門…」
とでも呼べようか、それゆえ竹本家の分家筋として列なる要人の威勢たるや、家老は元より、常見文左衛門をも凌ぐものがあった。
斯かる事情があって、廣瀬は真っ先にこの竹本要人と常見文左衛門の二人に「その旨」を伝えたというわけだ。
それに対して竹本要人も常見文左衛門も廣瀬の話を興味深げに聞き、そして話を聞き終えるや、
「この話、是非とも受けるべし…」
二人共、そう口を揃えた。
その意図は明らかであり、
「我が家…、田安家の息女である種姫が将軍・家治の息女の萬壽姫の遊び相手を務めることで、将軍家との紐帯を益々もって深められる絶好の機会…」
それこそが竹本要人と常見文左衛門が賛成した理由であった。
いや、竹本要人や常見文左衛門に限らず、田安家に仕える者なれば必ずやそう考えたであろう。
だがそれはあくまで、
「大人の論理…」
それに過ぎず、その「大人の論理」とは別に、
「子供の論理…」
それがあった。他ならぬ、種姫自身の意思である。
如何に種姫が将軍・家治の息女の萬壽姫の遊び相手を務めることで、田安家の為になるとは言っても…、将軍家との紐帯を深められるとは言っても、種姫自身の意向はまた別のところにあるやも知れなかった。
即ち、種姫自身は萬壽姫の遊び相手になりたくないと、そう考える恐れも十二分にあり得た。
そのことは竹本要人も常見文左衛門も、そして誰よりも廣瀬が良く承知しているところであったので、
「されば…、御簾中様にご出馬を願い申し上げましては…」
廣瀬は女性の視点からそう提案し、これには竹本要人も常見文左衛門も大賛成した。
廣瀬が口にした「御簾中様」とは誰あろう、田安宗武夫人の通子のことである。
いや、この頃…、将軍・家治の御台所の倫子が薨去した明和8(1771)年の8月20日の時点では既に、通子は、
「御簾中様」
ではなかった。それと言うのもそれ以前…、二月以上前の6月4日に田安宗武が倫子よりも先に身罷っていたからだ。行年57。
それゆえ通子の今の立場はさしずめ「未亡人」であり、実際、通子は落飾…、髪をおろして、
「宝蓮院」
そう名乗っていた。
それでも廣瀬たちは未だに、通子改め宝蓮院のことを、
「御簾中様…」
そう呼んでいた。それはつい癖で間違えた…、というようなものではなく、
「御簾中様…」
そう呼んだ方が宝蓮院が喜ぶであろうと、廣瀬たちはそう思えばこそ、既に、
「未亡人…」
となった宝蓮院のことをあえて、
「御簾中様…」
廣瀬たちはあえてそう呼んでいたのだ。そう呼んでやることで、今でも、
「御簾中様…」
即ち、御三卿筆頭の田安家の当主の正室であるとの意識が抜け切れないでいるに違いない通子もとい宝蓮院の自尊心を、
「擽ってやる…」
それができるに違いないと思えばこそであった。
尤も、通子もとい宝蓮院が今でも、
「御三卿筆頭の田安家の当主の正室であるとの意識が抜け切れないでいるに違いない…」
というのはあくまで廣瀬たちの「勝手な思い込み」というやつで、実際には宝蓮院は夫・宗武に先立たれた時点でそのような意識とはそれこそ、
「綺麗サッパリと…」
別れを告げたのであり、そうであれば、廣瀬たちの「配慮」たるや、廣瀬たちの勝手な思い込みから、ということになる。
ともあれ廣瀬が種姫に萬壽姫の遊び相手を務めて貰う件につき、「御簾中様」こと宝蓮院を頼ろうとしたのは他でもない、宝蓮院が種姫の、いや、種姫ばかりではない、賢丸・種姫・定姫の兄妹の母親…、母親代わりを務めていたからだ。
そうであれば、その宝蓮院を頼ることは、即ち、宝蓮院に種姫への説得を頼むことは最も「ベター」ではあるものの、「効果的」と言えた。
何しろ種姫は宝蓮院を「実の母親」のように慕っていたからだ。いや、種姫ばかりではない。賢丸や定姫もまた、、宝蓮院を「実の母親」のように慕っていた。いや、この時点で…、明和8(1771)年の時点で既に伊予松山藩主の松平隠岐守定静の養嗣子として迎えられ、田安邸を出た長兄の定國にしてもまた、実の母親ではないこの宝蓮院を実の母親のように慕っていた。
それはやはり宝蓮院が定國・賢丸兄妹、種姫・定姫姉妹をそれこそ、「実の子」のように慈しんできたからだ。
その甲斐あって、定國たちも…、定國・賢丸兄妹も、種姫・定姫姉妹も、この実の母親ではない宝蓮院のことを、
「実の母親のよう…」
そう慕うようになり、そしてそのことはその「様子」を間近で見てきた廣瀬たちも良く承知しているところであり、そうであればその宝蓮院より種姫へと、
「萬壽姫の遊び相手として毎日でなくとも良い、時々で良いので、本丸の大奥へとあがり、萬壽姫の遊び相手を務めてはくれまいか…」
そう説得してくれれば、種姫も「実の母親」と慕う宝蓮院よりの、
「頼みとあらば…」
ということで、萬壽姫の遊び相手を務めてくれるに相違ないと、廣瀬はそう考え、それに対して竹本要人も常見文左衛門も廣瀬のこの考えに賛同したというわけだ。
そこで廣瀬たちは宝蓮院の許へと、それこそ、
「いきなり…」
訪れて、頼み事をするような、そのような「無作法」もとい危険を冒すような愚かな真似はしなかった。
それと言うのも宝蓮院には、
「御簾中様御附衆」
として、
「毛利斎宮元卓」
「杉浦猪兵衛良昭」
この二人が用人として附属していたからだ。
いや、宗武亡き後、宝蓮院は既に、
「御簾中様…」
ではないので、それゆえこの二人にしても、
「御簾中様御附衆」
それから、
「御廣敷御附御用人」
それへと役名を改めていた。
田安邸にも、いや、田安邸に限らず、一橋邸にも、清水邸にも、つまりは全ての御三卿の屋敷にも大奥に相当する、
「廣敷」
があり、そこに「御簾中様」なり、或いは息女なりが住んでいた。
宝蓮院の夫、宗武が存命の頃も宝蓮院は、
「御簾中様」
として種姫や定姫、そして二人の実兄に当たる賢丸たちと共に廣敷にて暮らしており、その折には、通子と名乗っていた宝蓮院の用人、要は「お世話係」として毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人が、
「御簾中様御附衆」
として附属し、一方、賢丸とそれに種姫・定姫の兄妹の「お世話係」は小姓頭を兼ねる番頭の竹本要人が彼ら兄妹に附属し、その「お世話係」を務めていた。
無論、賢丸と、それに種姫・定姫の兄妹たちは養母である通子こと宝蓮院が責任をもって育てていたが、それでも三人もの子育てともなると、通子こと宝蓮院の手に余るだろう。
そこで田安邸にて番頭として仕えていた竹本要人が小姓頭を兼ねて、廣敷へと出向き、彼ら兄妹の「お世話」を務めたのであった。
竹本要人が賢丸や、それに種姫・定姫の兄妹たちの「お世話係」に選ばれたのは他でもない、宗武の母堂…、実母である古牟の実家である竹本家に列なる人間だからだ。
そうであれば、親類の誼により、賢丸やそれに種姫・定姫の兄妹の世話を、
「安心して任せられる…」
というものであり、そしてそれは宗武が身罷った後も…、毛利斎宮と杉浦猪兵衛が、
「御廣敷御附御用人」
そう役名を改めた今でも変わらない。
そうであれば、賢丸やそれに種姫・定姫の兄妹の世話係である竹本要人がその、
「世話係」
としての「職権」、いや、「ご威光」を振りかざして、種姫に対して、
「萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
そう頼むことも十分に出来たが、しかし、それでは…、それをしてしまっては最悪、種姫の養母である宝蓮院が、
「へそを曲げる…」
その恐れがあり得、それ以上に宝蓮院に附属する毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人が、
「竹本要人の影響力を殺ぐ絶好のチャンス…」
そう捉える恐れがあり得た。いや、可能性としてはこちらの方が高いだろう。
何しろ田安邸における竹本一族の威勢を快く思わない者は数多おり、竹本要人と共に、廣瀬の話を神妙に聞いていた、竹本要人と同じく番頭のお役にある常見文左衛門でさえ、
「隙あらば…」
と、竹本一族の「地盤沈下」、要は失脚を秘かに望んでいた程であった。
斯かる事情があって、竹本要人は直接に種姫を「口説く」ことはせず、多少、回りくどいとしても、宝蓮院に対して、
「御廣敷御附御用人」
として仕える毛利斎宮と杉浦猪兵衛を通じて、宝蓮院へと事情を打ち明けた上で、
「種姫の説得を…」
そう「迂回」する方が、結果的には「近道」となる。
ともあれ、廣瀬と、それに竹本要人と常見文左衛門はまず、毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人の許へと足を運ぶと、廣瀬よりこの二人に対して萬壽姫の件を打ち明けた上で、宝蓮院に取り次いでくれるよう頼んだのであった。何だか御側御用取次に近かった。
それはそうと、話を聞いた毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人は、
それは尤もであると、そこで改めて廣瀬たちから宝蓮院に対して、
「直接に頼まれるが良かろう…」
そう決断を下すと、廣瀬たちを宝蓮院の許へと案内し、やはり廣瀬が宝蓮院に対して萬壽姫の件…、
「種姫には萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
その件を打ち明けた上で、宝蓮院より種姫を説得して欲しいと、そう頼んだのであった。
すると宝蓮院はこれを快諾し、宝蓮院は種姫に対して、廣瀬より打ち明けられた通り、まずは萬壽姫の置かれた状況…、
「仲の良かった腹違いの弟の家基は西之丸へと移り、その上、実母の倫子を喪い、それゆえ今の萬壽姫は非常に淋しい想いをしている…」
その状況を説明した上で、
「そうであればそのような孤独な状況に置かれている萬壽姫を少しくでも慰めるべく、萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
種姫にそう頼んだのであった。
一方、養母である宝蓮院よりその話を聞いた種姫は流石に驚いたものの、しかし、日頃より世話になりっ放しの、養母の宝蓮院からの頼みとあらばということで、種姫は萬壽姫の遊び相手を務めることをそれこそ、
「即座に…」
諒承したのであった。
家治は感慨深げにそう言った。かつて、この江戸城本丸の大奥にて暮らしていた萬壽姫の遊び相手を務めてくれた種姫と定姫の姉妹のうち、いずれかを家基の嫁にと、向坂よりそうすすめられたわけだから、家治は感慨深げにそう言うのも当然であった。
「して、種姫は8歳、定姫は6歳とのことであったな?」
家治は向坂に対して確かめるようにそう尋ねた。
「御意にござりまする…」
「ふむ…、されば姉の種姫が家基の室に相応しいであろうぞ…」
家基はこの時…、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった安永2(1773)年には11歳を迎え、そうであれば8歳の種姫の方が6歳の定姫よりも家基に釣り合うというものである。
向坂もそう思っていたらしく、
「それがお宜しいかと…」
そう応えたのであった。
「して、如何にして、種姫を家基が妻に迎え入れようぞ…」
種姫は今…、安永2(1773)年の時点では兄の賢丸と妹の定姫共々、田安邸にて暮らしていた。
その種姫を家基の嫁に迎えようと思えば、田安家に、即ち、田安家の今の当主にして、種姫たちの親代わりでもある治察に「縁談」を持ち込むのが筋であろう。
家治もそれは分かっていたが、しかし、この手の「縁談」は、
「水面下での工作…」
つまりは「下準備」が必要となり、そしてこの手の「下準備」ともなると、家治では無理であり、いや、家治に限らず、男では無理であろう。
何しろ縁談…、結婚の話であり、しかもそれが、まだ8歳と、
「年端もいかない…」
少女を次期将軍たる家基の許へと嫁がせようと言うのである。当人とも言うべき種姫は元より、種姫の親代わりでもある田安家当主の治察の不安は正に、
「ひとかたならぬ…」
ものがあろう。例え、次期将軍の許に嫁ぐことが出来るとしてもだ。
そこでそのような不安を取り除いてやる意味でも女の力を、畢竟、大奥の力を借りねばならない。
何しろ次期将軍たる家基の嫁…、御台所として迎えられる以上は当然、大奥入りを、それも家基が住まう西之丸の大奥へと迎えられることになるからだ。
種姫はかつては萬壽姫の「遊び相手」を務めてくれた。
と言っても、種姫にとって実兄に当たる、定國と賢丸兄弟が萬壽姫と、それに腹違いの弟の家基の「遊び相手」を務めていた時分、即ち、宝暦13(1763)年から明和5(1768)年までの5年間ではない。
種姫が萬壽姫の「遊び相手」を務《つと》めたのは明和8(1771)年のそれも8月20日以降…、萬壽姫の実母であった、つまりは将軍・家治の御台所の倫子が亡くなって以降であった。
種姫はその頃…、明和8(1771)年には6歳を迎え、同じ年に10歳を迎えた萬壽姫の「遊び相手」としてはちょうど釣り合う。
だが、種姫が萬壽姫の「遊び相手」を務めるようになったのは、それだけが…、年齢だけが理由ではなかった。
それでは真の理由は何かと言うと、ズバリ、
「萬壽姫が淋しい想いをしていたから…」
それに尽きた。
この頃…、明和8(1771)年には既に、倫子・萬壽姫母子と共に暮らしていた家基はその実母である千穂と共に、本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移っており、それゆえ本丸の大奥には倫子と萬壽姫母子が取り残された。
いや、倫子にしろ萬壽姫にしろ、各々、奥女中が附属しており、そうであれば、
「取り残された…」
という表現は正しくないだろうが、それでも倫子と萬壽姫、とりわけ萬壽姫は腹違いの弟の家基を可愛がっていたので、そして家基もまた、腹違いのその姉である萬壽姫を慕ってくれていたので、明和6(1769)年に家基が実母の千穂と共に、本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移った時には萬壽姫は大いに淋しい想いに襲われたものである。喪失感に襲われたと言っても過言ではないだろう。
いや、喪失感に襲われたのは何も萬壽姫一人ではない。萬壽姫の実母の倫子にしてもそうで、倫子もまた家基を実の子として可愛がり、そして育ててきたので、その家基が実母の千穂と共に本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移る時分には喪失感に襲われたものだ。
だが倫子も萬壽姫も、家基に去られたと言っても互いに、
「腹を痛めし我が子がおるではないか…」
「母上がおられるではあるまいか…」
ということで、互いの存在がその淋しさを紛らわした。
だがそれが明和8(1771)年の8月20日に倫子が亡くなったことで、萬壽姫は遂に、
「一人になってしまった…」
そんな孤独感に苛まれるようになり、そうと察した萬壽姫附の奥女中が、それも年寄の花島が気を利かせ、
「同じ年頃の、それも将軍家の子女を萬壽姫様の遊び相手としてこの本丸大奥へとあがらせれば、萬壽姫様のその孤独感も少しくは和らぐのではあるまいか…」
そう考えた花島は将軍・家治附の年寄の松島や高岳とも相談の上、田安家の息女・種姫を萬壽姫の遊び相手とすることとし、将軍・家治にもその旨、伝え、すると家治も萬壽姫のことが気懸かりであったらしく、花島のその「アイディア」にそれこそ、
「一も二もなく…」
飛びついたのであった。
こうして将軍・家治の同意をも得られた花島は田安家に「コンタクト」を取り、そして、
「萬壽姫が実母の倫子を喪い、非常に淋しい想いをしているので、萬壽姫の淋しさを少しでも紛らわせるべく、ついては田安家の息女の種姫には萬壽姫の遊び相手になって貰いた。毎日でなくとも良いので、萬壽姫が住まう江戸城本丸の大奥へとあがってもらい、そして萬壽姫と遊んでやっては貰えまいか…」
大意、そのような意向を田安家に伝えたのであった。
尤も、実際に動いたのは御客会釈の向坂であった。
向坂は御客会釈として御三家や御三卿、それに諸大名の女使、所謂、
「公儀奥女使」
その女使の接遇を担っていただけに、御三卿である田安家の奥女中、それも、
「公儀奥女使」
を務める、と言うよりはそれに選ばれる奥女中とは親しく付き合っていた。
田安家においては廣瀬がそれで、田安家の奥女中である廣瀬は、「公儀奥女使」に選ばれ、度々、本丸の大奥へとあがっては、御客会釈の向坂の接遇を受け、それゆえ向坂と廣瀬は自然と親しくなり、そこで花島より依頼を受けた向坂がその旨…、
「種姫には萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
その意向を廣瀬に伝えたのであった。
御三卿は将軍家の家族として、江戸城とは正に、
「目と鼻の先…」
そこに屋敷を与えられており、御三卿の田安家も勿論そうであり、それゆえ田安家では…、そしてそれは他の御三卿である一橋家や清水家にも共通することだが、
「将軍家との関係を更に密にするべく…」
そのため、屋敷に仕える奥女中を、
「公儀奥女使」
それに選んでは、女使として本丸の大奥へと度々、あがらせていたのだ。
それゆえ向坂が花島よりその「依頼」を受けたその当日もまた、廣瀬が田安家よりの「公儀奥女使」として本丸大奥に姿を見せたので、向坂は廣瀬にその旨、直に伝えたというわけだ。
こうして田安家の奥女中である廣瀬へとその意向が伝わるや、廣瀬は田安家へと「その旨」を持ち帰り、そして番頭を勤める竹本要人正美と常見文左衛門直與の二人に真っ先に伝えたのであった。
田安家には他にも多数の家臣が仕えており、にもかかわらず、廣瀬はその中でも竹本要人と常見文左衛門の二人を選んだのは…、
「真っ先に報告すべき相手…」
として選んだのは、それは田安邸においてはこの竹本要人と常見文左衛門の二人が最も力を持っていたからだ。
無論、田安家の番頭の上には家老が…、御三卿家老が存在し、明和8(1771)年の時点では山木筑前守正信と大屋遠江守正富の二人がそうで、しかし、この二人はあくまで、
「お飾り…」
それに過ぎなかった。いや、家老が…、御三卿家老がお飾りに過ぎないと言うのは何も、田安家に限らないだろう。一橋家や清水家にしてもそうだろう。
だが田安家は特にそれが顕著であり、実権は竹本要人と常見文左衛門の二人が握っていた。
それと言うのも、まず常見文左衛門だが、文左衛門が父・常見文左衛門氏連は田安徳川家の始祖・宗武がまだ、その幼名である、
「小次郎…」
その名を名乗っていた頃より、小次郎、後の宗武に仕え、そうであれば常見家はさしずめ、
「田安家譜代の臣」
と言えた。それゆえその常見家の今の当主の文左衛門も大層、羽振りが良かった。
いや、「羽振りの良さ」という点においては竹本要人の方が上かも知れない。
それと言うのも竹本要人にとっては本家筋の竹本大膳亮正綱なる御仁がおり、この正綱の実妹こそが誰あろう、田安徳川家の始祖・宗武の母堂…、実母の古牟こと本徳院なのであった。
そうであれば、竹本家はさしずめ、
「田安家の御家門…」
とでも呼べようか、それゆえ竹本家の分家筋として列なる要人の威勢たるや、家老は元より、常見文左衛門をも凌ぐものがあった。
斯かる事情があって、廣瀬は真っ先にこの竹本要人と常見文左衛門の二人に「その旨」を伝えたというわけだ。
それに対して竹本要人も常見文左衛門も廣瀬の話を興味深げに聞き、そして話を聞き終えるや、
「この話、是非とも受けるべし…」
二人共、そう口を揃えた。
その意図は明らかであり、
「我が家…、田安家の息女である種姫が将軍・家治の息女の萬壽姫の遊び相手を務めることで、将軍家との紐帯を益々もって深められる絶好の機会…」
それこそが竹本要人と常見文左衛門が賛成した理由であった。
いや、竹本要人や常見文左衛門に限らず、田安家に仕える者なれば必ずやそう考えたであろう。
だがそれはあくまで、
「大人の論理…」
それに過ぎず、その「大人の論理」とは別に、
「子供の論理…」
それがあった。他ならぬ、種姫自身の意思である。
如何に種姫が将軍・家治の息女の萬壽姫の遊び相手を務めることで、田安家の為になるとは言っても…、将軍家との紐帯を深められるとは言っても、種姫自身の意向はまた別のところにあるやも知れなかった。
即ち、種姫自身は萬壽姫の遊び相手になりたくないと、そう考える恐れも十二分にあり得た。
そのことは竹本要人も常見文左衛門も、そして誰よりも廣瀬が良く承知しているところであったので、
「されば…、御簾中様にご出馬を願い申し上げましては…」
廣瀬は女性の視点からそう提案し、これには竹本要人も常見文左衛門も大賛成した。
廣瀬が口にした「御簾中様」とは誰あろう、田安宗武夫人の通子のことである。
いや、この頃…、将軍・家治の御台所の倫子が薨去した明和8(1771)年の8月20日の時点では既に、通子は、
「御簾中様」
ではなかった。それと言うのもそれ以前…、二月以上前の6月4日に田安宗武が倫子よりも先に身罷っていたからだ。行年57。
それゆえ通子の今の立場はさしずめ「未亡人」であり、実際、通子は落飾…、髪をおろして、
「宝蓮院」
そう名乗っていた。
それでも廣瀬たちは未だに、通子改め宝蓮院のことを、
「御簾中様…」
そう呼んでいた。それはつい癖で間違えた…、というようなものではなく、
「御簾中様…」
そう呼んだ方が宝蓮院が喜ぶであろうと、廣瀬たちはそう思えばこそ、既に、
「未亡人…」
となった宝蓮院のことをあえて、
「御簾中様…」
廣瀬たちはあえてそう呼んでいたのだ。そう呼んでやることで、今でも、
「御簾中様…」
即ち、御三卿筆頭の田安家の当主の正室であるとの意識が抜け切れないでいるに違いない通子もとい宝蓮院の自尊心を、
「擽ってやる…」
それができるに違いないと思えばこそであった。
尤も、通子もとい宝蓮院が今でも、
「御三卿筆頭の田安家の当主の正室であるとの意識が抜け切れないでいるに違いない…」
というのはあくまで廣瀬たちの「勝手な思い込み」というやつで、実際には宝蓮院は夫・宗武に先立たれた時点でそのような意識とはそれこそ、
「綺麗サッパリと…」
別れを告げたのであり、そうであれば、廣瀬たちの「配慮」たるや、廣瀬たちの勝手な思い込みから、ということになる。
ともあれ廣瀬が種姫に萬壽姫の遊び相手を務めて貰う件につき、「御簾中様」こと宝蓮院を頼ろうとしたのは他でもない、宝蓮院が種姫の、いや、種姫ばかりではない、賢丸・種姫・定姫の兄妹の母親…、母親代わりを務めていたからだ。
そうであれば、その宝蓮院を頼ることは、即ち、宝蓮院に種姫への説得を頼むことは最も「ベター」ではあるものの、「効果的」と言えた。
何しろ種姫は宝蓮院を「実の母親」のように慕っていたからだ。いや、種姫ばかりではない。賢丸や定姫もまた、、宝蓮院を「実の母親」のように慕っていた。いや、この時点で…、明和8(1771)年の時点で既に伊予松山藩主の松平隠岐守定静の養嗣子として迎えられ、田安邸を出た長兄の定國にしてもまた、実の母親ではないこの宝蓮院を実の母親のように慕っていた。
それはやはり宝蓮院が定國・賢丸兄妹、種姫・定姫姉妹をそれこそ、「実の子」のように慈しんできたからだ。
その甲斐あって、定國たちも…、定國・賢丸兄妹も、種姫・定姫姉妹も、この実の母親ではない宝蓮院のことを、
「実の母親のよう…」
そう慕うようになり、そしてそのことはその「様子」を間近で見てきた廣瀬たちも良く承知しているところであり、そうであればその宝蓮院より種姫へと、
「萬壽姫の遊び相手として毎日でなくとも良い、時々で良いので、本丸の大奥へとあがり、萬壽姫の遊び相手を務めてはくれまいか…」
そう説得してくれれば、種姫も「実の母親」と慕う宝蓮院よりの、
「頼みとあらば…」
ということで、萬壽姫の遊び相手を務めてくれるに相違ないと、廣瀬はそう考え、それに対して竹本要人も常見文左衛門も廣瀬のこの考えに賛同したというわけだ。
そこで廣瀬たちは宝蓮院の許へと、それこそ、
「いきなり…」
訪れて、頼み事をするような、そのような「無作法」もとい危険を冒すような愚かな真似はしなかった。
それと言うのも宝蓮院には、
「御簾中様御附衆」
として、
「毛利斎宮元卓」
「杉浦猪兵衛良昭」
この二人が用人として附属していたからだ。
いや、宗武亡き後、宝蓮院は既に、
「御簾中様…」
ではないので、それゆえこの二人にしても、
「御簾中様御附衆」
それから、
「御廣敷御附御用人」
それへと役名を改めていた。
田安邸にも、いや、田安邸に限らず、一橋邸にも、清水邸にも、つまりは全ての御三卿の屋敷にも大奥に相当する、
「廣敷」
があり、そこに「御簾中様」なり、或いは息女なりが住んでいた。
宝蓮院の夫、宗武が存命の頃も宝蓮院は、
「御簾中様」
として種姫や定姫、そして二人の実兄に当たる賢丸たちと共に廣敷にて暮らしており、その折には、通子と名乗っていた宝蓮院の用人、要は「お世話係」として毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人が、
「御簾中様御附衆」
として附属し、一方、賢丸とそれに種姫・定姫の兄妹の「お世話係」は小姓頭を兼ねる番頭の竹本要人が彼ら兄妹に附属し、その「お世話係」を務めていた。
無論、賢丸と、それに種姫・定姫の兄妹たちは養母である通子こと宝蓮院が責任をもって育てていたが、それでも三人もの子育てともなると、通子こと宝蓮院の手に余るだろう。
そこで田安邸にて番頭として仕えていた竹本要人が小姓頭を兼ねて、廣敷へと出向き、彼ら兄妹の「お世話」を務めたのであった。
竹本要人が賢丸や、それに種姫・定姫の兄妹たちの「お世話係」に選ばれたのは他でもない、宗武の母堂…、実母である古牟の実家である竹本家に列なる人間だからだ。
そうであれば、親類の誼により、賢丸やそれに種姫・定姫の兄妹の世話を、
「安心して任せられる…」
というものであり、そしてそれは宗武が身罷った後も…、毛利斎宮と杉浦猪兵衛が、
「御廣敷御附御用人」
そう役名を改めた今でも変わらない。
そうであれば、賢丸やそれに種姫・定姫の兄妹の世話係である竹本要人がその、
「世話係」
としての「職権」、いや、「ご威光」を振りかざして、種姫に対して、
「萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
そう頼むことも十分に出来たが、しかし、それでは…、それをしてしまっては最悪、種姫の養母である宝蓮院が、
「へそを曲げる…」
その恐れがあり得、それ以上に宝蓮院に附属する毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人が、
「竹本要人の影響力を殺ぐ絶好のチャンス…」
そう捉える恐れがあり得た。いや、可能性としてはこちらの方が高いだろう。
何しろ田安邸における竹本一族の威勢を快く思わない者は数多おり、竹本要人と共に、廣瀬の話を神妙に聞いていた、竹本要人と同じく番頭のお役にある常見文左衛門でさえ、
「隙あらば…」
と、竹本一族の「地盤沈下」、要は失脚を秘かに望んでいた程であった。
斯かる事情があって、竹本要人は直接に種姫を「口説く」ことはせず、多少、回りくどいとしても、宝蓮院に対して、
「御廣敷御附御用人」
として仕える毛利斎宮と杉浦猪兵衛を通じて、宝蓮院へと事情を打ち明けた上で、
「種姫の説得を…」
そう「迂回」する方が、結果的には「近道」となる。
ともあれ、廣瀬と、それに竹本要人と常見文左衛門はまず、毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人の許へと足を運ぶと、廣瀬よりこの二人に対して萬壽姫の件を打ち明けた上で、宝蓮院に取り次いでくれるよう頼んだのであった。何だか御側御用取次に近かった。
それはそうと、話を聞いた毛利斎宮と杉浦猪兵衛の二人は、
それは尤もであると、そこで改めて廣瀬たちから宝蓮院に対して、
「直接に頼まれるが良かろう…」
そう決断を下すと、廣瀬たちを宝蓮院の許へと案内し、やはり廣瀬が宝蓮院に対して萬壽姫の件…、
「種姫には萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
その件を打ち明けた上で、宝蓮院より種姫を説得して欲しいと、そう頼んだのであった。
すると宝蓮院はこれを快諾し、宝蓮院は種姫に対して、廣瀬より打ち明けられた通り、まずは萬壽姫の置かれた状況…、
「仲の良かった腹違いの弟の家基は西之丸へと移り、その上、実母の倫子を喪い、それゆえ今の萬壽姫は非常に淋しい想いをしている…」
その状況を説明した上で、
「そうであればそのような孤独な状況に置かれている萬壽姫を少しくでも慰めるべく、萬壽姫の遊び相手になってやって欲しい…」
種姫にそう頼んだのであった。
一方、養母である宝蓮院よりその話を聞いた種姫は流石に驚いたものの、しかし、日頃より世話になりっ放しの、養母の宝蓮院からの頼みとあらばということで、種姫は萬壽姫の遊び相手を務めることをそれこそ、
「即座に…」
諒承したのであった。
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