天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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一橋治済は将軍・家治のみならず、側妾の千穂や養女の種姫の命までも奪おうと画策していることが判明する

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「それにしても、今宵こよい宿直とのいで助かったぞえ…、直熙なおひろ、それに直令なおよしよ…」

 家治は平伏へいふくする直熙なおひろ直令なおよしに対してそう声をかけた。

 すると直熙なおひろ直令なおよしは同時に頭を上げたかと思うと、まず直令なおよしの方が、

偶々たまたまにて…」

 そう家治が予期よきした通りの答えを返したのに対して、続けて答えた直熙なおひろはと言うと、家治が予期よきしなかった…、いや、家治のみならず、いま平伏へいふくしている意知おきともや平蔵さえも予期よきし得なかった、それこそ完全に、

想定そうてい範囲はんいがい…」

 その答えを寄越よこしたのであった。

「されば…、本来ほんらいなれば今宵こよい宿直とのい依田よだ豊前ぶぜんにて…」

 依田よだ豊前ぶぜん…、豊前守ぶぜんのかみ政次まさつぐ…、家治の正室せいしつ倫子ともこやその娘の萬壽ますひめの死、それも毒殺どくさつ関与かんよしたとおぼしきその政次まさつぐの名が、唐突とうとつ直熙なおひろの口より発せられたことから意知おきともも平蔵も驚きのあまり、思わず頭を上げていた。

 家治にしても同様どうよう、驚きのあまり、目をまるくしつつ、

「そはまことか?」

 思わずそう聞き返していた。

まことにて…」

 直熙なおひろは家治たちの驚きぶりにまどいを覚えつつ、そう答え、そしてそこで意知おきともが口をはさんだ。

「もしや…、明日の宿直とのい依田よだ豊前ぶぜん…、明日は己が宿直とのいつとむるゆえ、今宵こよい宿直とのいわってはくれまいか…、大方おおかた左様さようたのまれたのでは?依田よだ豊前ぶぜんめは、高井たかい殿に対して…」

 意知おきともがそうかんはたらかせるや、今度は高井たかい殿こと直熙なおひろが目をまるくする番で、「左様さよう」とこたえるや、

「いや、良く分かり申したな…」

 意知おきとものそのかんばたらきに感心しきりといった様子を浮かべた。

 一方、意知おきともは思わず家治の方を見た。すると家治はそれよりも前に意知おきともの方を見ていたらしく、意知おきともは家治と視線をわせるとたがいにうなずきあった。

「あの、何か…」

 直熙なおひろたまらず、そう声を上げた。わけが分からない様子ようすであり、それこそ、

「置いてけぼり…」

 そのような感覚におそわれたのであろう。直令なおよしにしてもそれは同様どうようであった。

 するとやはり、かんいていた平蔵が、いま事情じじょうめないでいる直熙なおひろ直令なおよしに対して解説した。

「されば…、おそれ多くも上様うえさまのみならず、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様もねらわれて…、そのお命がねらわれていると…」

 平蔵がそう告げると、家治と意知おきともは同時にうなずいてみせ、一方、それとはこう対照たいしょうなのが直熙なおひろ直令なおよしの二人で、直熙なおひろ直令なおよしは家治や意知おきともおくれて目をまるくしてみせた。

「明日…、おそれ多くも上様うえさまのお命のみならず、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様のお命までねろうておると?一橋ひとつばし治済はるさだは…」

 直熙なおひろは声をふるわせつつ、そう反芻はんすうしてみせた。

無論むろん、今…、大番組おおばんぐみによる厳重げんじゅうなる監視かんしかれており申す一橋ひとつばし治済はるさだかる指図さしずを…、おそれ多くも上様うえさまと、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様のお命を同時にうばえなどと、かる指図さしず依田よだ豊前ぶぜんらにくだすは不可能と申すものにて…、さりながら、例えば今のような事態じたい…、まんいつおそれ多くも大納言だいなごん様の死につき、上様うえさまうたがいをかれようものなら、そのおりには上様うえさまのお命を…、いや、そればかりか、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様のお命をもうばえと…、一橋ひとつばし治済はるさだまえもって指図さしずしていたのではないかと…」

依田よだ豊前ぶぜんらに対してか?」

 直熙なおひろがそう尋ねたので、平蔵も「左様さよう…」と答えると、

「されば明日の宿直とのいつとめし廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは…」

 そう尋ねた。その意味するところはあきらかであり、すなわち、

依田よだ政次まさつぐ高井たかい直熙なおひろに対して、宿直とのい当番とうばんわって欲しいと…、明日の宿直とのいをやりたいとたのんだように、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらもまた同様どうように…、本来ほんらい、別の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら宿直とのいつとめるべきところ、一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある木室きむろ七左衛門しちざえもんがその明日の宿直とのいつとめたいと願い、そしてわってもらったのではあるまいか…」

 それこそが平蔵の今のいの趣旨しゅしであった。それは他でもない、仮に家治や意知おきとも、そして平蔵が想像する通り、一橋ひとつばし治済はるさだが今度は千穂ちほ種姫たねひめの命までねらっているのだとしたら、それも毒殺どくさつという手法しゅほうを取るつもりならば、千穂ちほ種姫たねひめの食事を最初に毒見どくみする廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの協力が絶対にかせないからだ。

 そしてそのような協力を…、千穂ちほ種姫たねひめ毒殺どくさつに手を貸してくれるような廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらと言えば、それは一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある木室きむろ七左衛門しちざえもん以外には、少なくとも平蔵にはそうとしか考えられなかった。

 だがそれに対して、直熙なおひろ反応はんのうはと言うと、うすいものであり、平蔵は一瞬いっしゅん直熙なおひろが己のいの意味するところを理解出来なかったのかと、そう思った、いや、誤解ごかいしたほどであった。

 だが実際には平蔵のそのような思いとは裏腹うらはらに、直熙なおひろは平蔵の今のいの意味いみするところを理解しており、そして、それゆえの「うす反応はんのう」であった。

「平蔵はもしや…、木室きむろ七左衛門しちざえもんが明日の宿直とのいつとめるのではと…、いや、もそっともうさば、おそれ多くも、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様がおし上がりになられしご夕食の毒見どくみになうのではと…、いや、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様に附属ふぞくせし…、つかたてまつりしちゅう年寄どしより毒見どくみしょうして、そのご夕食に毒物どくぶつを…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうせしを黙認もくにんするのではあるまいかと、左様さように考えておるのではあるまいの?」

 直熙なおひろよりそう問われた平蔵はと言うと、まさしくその通りであったのでうなずいた。

 直熙なおひろの言う通りであり、まず初めに廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら毒見どくみになった後、その廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの手によりちゅう年寄どしよりもとへとその、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら毒見どくみませた料理が運ばれ、そしてその廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら監視かんしもとちゅう年寄どしよりが二度目の毒見どくみになうわけで、そうであればこそ、明日の宿直とのい、それも千穂ちほ種姫たねひめの夕食の毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは、

木室きむろ七左衛門しちざえもん相違そういあるまいて…」

 平蔵にはそうとしか考えられなかったのだ。

 だが直熙なおひろはそんな平蔵の思惑おもわくを打ちくだくような答えを寄越よこした。

「それは…、ありぬな…」

 平蔵は直熙なおひろの答えが一瞬いっしゅん、理解できずに、「ありぬとは?」とかえしていた。

無論むろん木室きむろ七左衛門しちざえもんが明日の宿直とのいつとめしことが…」

「何ゆえで?」

 平蔵はいきおんで尋ねた。

「されば…、木室きむろ七左衛門しちざえもん最早もはや廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにあらず…」

 直熙なおひろ寄越よこしたその回答かいとうに、平蔵よりも先に家治が反応はんのうした。

「そはまことかっ!?」

まことにござりまする…」

 直熙なおひろはそうこたえると、木室きむろ七左衛門しちざえもんが安永8(1779)年の2月に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらのお役目をして、今は小普請こぶしんにいることを打ち明けたのであった。

「されば…、木室きむろ七左衛門しちざえもんわりし者…、一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのありし者が…」

 平蔵はそれこそ、

うめくように…」

 そう言ったのだが、しかし、平蔵のこの意見に対しても直熙なおひろは頭を振ってみせたのであった。

「されば今の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらには一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのありし者は一人もおらず…」

 直熙なおひろいわく、家治の正室せいしつ倫子ともこくなった、いや、毒殺どくさつされた明和8(1771)年の8月から、萬壽ますひめがやはり毒殺どくさつされた安永2(1773)年の2月までの間に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらつとめていた者の中で…、倫子ともこ毒殺どくさつに手を貸したとおぼしき廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら若林わかばやし平左衛門へいざえもんが安永元(1772)年の3月22日にくなった後は、その若林わかばやし平左衛門へいざえもん後任こうにん補任ほにんされずに8人体制となったその廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの中で、天明元(1781)年の4月2日現在の今でもその廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらのお役につづけているのは、

竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう嘉教よしのり

 その者、ただ一人ひとりとのことであった。

「さればそれな…、竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうめが…」

 一橋ひとつばし家と所縁ゆかりがあるのではあるまいか…、平蔵はそう示唆しさしたものの、しかし、直熙なおひろはそれに対しても頭を振ってみせた。

「されば竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうはかつて、月光院げっこういん様につかえし…、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらとしてつかたてまつりし竹村たけむら藤三郎とうざぶろう嘉豊よしとよ養嗣子ようししなれど…」

養嗣子ようししということは…」

「いや、誤解ごかいされては困る。竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうが実家は五味ごみ家にて…、されば土佐とさ山内やまのうち家の縁戚えんせき五味ごみ家…、その五味ごみ家の当主とうしゅであった頼母たのも豊成とよなりが四男にて…」

 一橋ひとつばし家とは何の関わり合いもない…、直熙なおひろにそう示唆しさされて、平蔵はかたを落とした。

 いや、それどころか直熙なおひろが続けて口にした「解説」に平蔵は目をくことになる。いや、平蔵のみならず、家治や意知おきともにしてもそうであった。

「いや、そればかりではないぞ…」

 直熙なおひろおもわせぶりにそうまえきした後、

「されば竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうが母…、実母じつぼ三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん茂次しげつぐの娘なのだ…」

 そう打ち明けたのであった。

三浦みうら…、まさか…」

 平蔵がそう応ずると、直熙なおひろはその通りだと言わんばかりにうなずいてみせた後、

「されば三浦みうら五郎左衛門ごうろうざえもん義周よしちか実父じっぷにて…」

 そうも打ち明けたので、するとこれには家治がさき反応はんのうした。

「それでは安祥あんしょういん様の…」

 家治がそう言いかけると、直熙なおひろが「御意ぎょい…」と応じてから、その先を引き取ってみせた。

「さればおそれ多くも安祥あんしょういん様がご祖父そふにて…」

 清水徳川家の当主とうしゅたる重好しげよし実母じつぼ安祥あんしょういん三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかの実の娘である。

 そうであれば、その三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちか三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん茂次しげつぐ実子じっしともなれば、安祥あんしょういんにとってはこの三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん茂次しげつぐ祖父そふに当たる。

 その三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん茂次しげつぐの娘こそが竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう実母じつぼだとしたら、その女性にょしょう…、竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう実母じつぼ安祥あんしょういんにとっては伯母おばか、叔母おば相当そうとうし、安祥あんしょういん実父じっぷ三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかにとっては姉か妹に相当そうとうする。

 平蔵が、いや、家治や意知おきともにしてもそうだが、それを考えていると、そうと察した直熙なおひろが、

「されば竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうが実母は三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかが妹にて…」

 そう補足ほそくした。つまりは、安祥あんしょういんにとっては「叔母おば」に相当そうとうする御仁ごじんということになる。

 いや、直熙なおひろ補足ほそくはこれにとどまらなかった。

「さればいまひとつ、三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん茂次しげつぐが娘…、三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかが姉は、松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる妻女さいじょにて…」

 直熙なおひろのこの「解説」にも、やはり家治がさき反応はんのうした。

松平まつだいら又十郎またじゅうろうもうさば…」

御意ぎょい…、さればおそれ多くも安祥あんしょういん様が養父ようふにて…」

 安祥あんしょういんはかつて、「遊喜ゆき」として大奥に出仕しゅっし…、つとめ始めたわけだが、その際、宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんとなってくれたのがこの、松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはるであった。

 安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」は元文元(1736)年の3月26日に16歳の若さで大奥に出仕しゅっししたわけだが、それは伯母おば…、松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはるもとへととついだ伯母おばのすすめによるものであった。

 それと言うのも、伯母おば安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の美貌びぼうに目をつけ、そこでこの伯母おば安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」に対して、西之丸にしのまるの大奥につとめるよう、熱心にすすめたのであった。

 それは他でもない、その当時とうじ西之丸にしのまるには家重いえしげが次期将軍として住んでいたからだ。その西之丸にしのまるの大奥に安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」が出仕しゅっしすれば、

「これだけの美貌びぼうであれば、必ずや、大納言だいなごん様のお目にまるに相違そういあるまいて…」

 この伯母おばはそう確信かくしんしたからこそ、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」に対して大奥づとめを、それも大納言だいなごん様こと次期将軍の家重いえしげが住まう西之丸にしのまるの大奥につとめることを強くすすめたのであった。

 その際、伯母おばは夫・松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんとしたのだ。

 大奥づとめをするには絶対に、と言っても良いほどに、宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんが必要であった。

 そしてこの時、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」はまだ、

遊郭ゆうかくの娘…」

 それに過ぎなかったのだ。

 すなわち、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の実父じっぷである三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかはその当時はまだ、吉原よしわら遊郭ゆうかくを経営しており、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」はその一人娘であった。

 ちなみに、この遊郭ゆうかくの経営には伯母おば…、三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかの姉妹も関わっており、その時、客として登楼とうろうした松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる五味ごみ頼母たのも豊成とよなりがそれぞれ姉妹しまい見初みそめ、各々おのおのよめとしてむかえた次第しだいである。

 ともあれ、遊郭ゆうかく一人ひとりむすめとあらば宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにん畢竟ひっきょう、この遊郭ゆうかくを経営する父・三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかということになる。それと言うのも宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんは実家が、それも父や、あるいは兄か弟になってもらうのがもっとも、「ポピュラー」と言えたからだ。

 しかし、身元みもと保証ほしょうにん遊郭ゆうかくの経営者では如何いかにも具合ぐあいが悪い。いや、大奥にてつとめるおく女中じょちゅうの中には町人ちょうにん身分みぶんの者もいた。大奥のおく女中じょちゅうの中でももっとしたの、

した

 要はしたばたらきとしてつとめるおく女中じょちゅうがそうで、このしたとしてはたらおく女中じょちゅうたちは百姓ひゃくしょう出身、あるいは町人出身であり、ゆえに宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんもその父親である百姓ひゃくしょうや、あるいは町人…、商家しょうかあるじなどがつとめている「ケース」が散見さんけんされた。

 だが、これが遊郭ゆうかくの経営者ともなると、たして、宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんになれるかどうか、はなはだ疑問であり、しんば、宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんになれたところで、その遊郭ゆうかくを経営する父・三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかでは、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」もまた、したとして採用さいようされることとなる。

 だが、伯母おば…、松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる妻女さいじょであるこの伯母おばとしては安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」にそれこぞ、

「水仕事など…」

 そのようなしたばたらきをさせるために、大奥づとめをすすめたわけではない。目的はあくまで、

「次期将軍・家重のお手つきになること…」

 それであり、そうである以上、宿元やどもと三浦みうら五郎左衛門ごろうざえもん義周よしちかであって良いはずはない。

 そこでこの伯母おばは夫・松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんとして立てさせることにしたのだ。

 具体的には安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」を松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる養女ようじょとしてむかえ入れ、それから養父ようふとなった松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんとして、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」に大奥づとめを始めさせたのであった。

 その「効果」たるや絶大ぜつだいであり、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」はいきなり、次期将軍・家重に附属ふぞくする中臈ちゅうろうとして取り立てられたのであった。

 中臈ちゅうろう…、将軍、あるいは次期将軍に附属ふぞくする中臈ちゅうろうと言えば、将軍や次期将軍に附属ふぞくするおく女中じょちゅうの中でも、年寄としより御客おきゃく会釈あしらい重職じゅうしょくであった。

 その中臈ちゅうろう…、次期将軍たる家重に附属ふぞくする中臈ちゅうろうに、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」がいきなり取り立てられた背景はいけいとして、まず挙げられるのは宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにん存在そんざいであろうか。

 すなわち、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の養父ようふにして宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんである松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはると言えば、十八じゅうはち松平まつだいらのひとつ、

形原かたのはら松平まつだいら

 その流れを家柄いえがら当主とうしゅであり、つまりは名門めいもんというわけで、その名門めいもんである松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」の養父ようふとして、宿元やどもと…、身元みもと保証ほしょうにんつとめたことから、安祥あんしょういんもその名門めいもん養女ようじょという点が考慮こうりょされて、いきなり次期将軍・家重づき中臈ちゅうろうに取り立てられた…、ということもあるだろうが、しかし、それ以上にやはりと言うべきか、伯母おば期待きたいした通り、安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」のその美貌びぼうが家重の目に留まったから、それに他ならなかった。

 こうして安祥あんしょういんこと「遊喜ゆき」は、家重の側室そくしつとなり、そして、家重との間に「萬次郎まんじろう」を産み、この「萬次郎まんじろう」こそが後の…、今の清水重好しげよしであった。

 かる事情から、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう一橋ひとつばし家と所縁ゆかりがあるどころか、清水家と所縁ゆかりがあると言うべきであった。

 その竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう千穂ちほ種姫たねひめ毒殺どくさつに、それも一橋ひとつばし治済はるさだの「利益」になるような殺害に手を貸すとは到底とうてい、考えられなかった。

竹村たけむら忠次郎ちゅうじろう以外の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらが…」

 その中に一橋ひとつばし家と所縁ゆかりの者がおり、かねて「打ち合わせ」にしたがい、千穂ちほ種姫たねひめ毒殺どくさつに手をそうとしているのではないか…、平蔵は直熙なおひろにそう示唆しさし、それに対して直熙なおひろも平蔵のその示唆しさんだ上で、またしても頭を振って見せた。

「されば今の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの中にはだれ一人ひとりとして、一橋ひとつばし家と所縁ゆかりの者はおらず…」

 直熙なおひろはそう決定的な言葉を口にした。平蔵にはそれが信じられず、いや、信じたくなくて、思わず、「まことで?」と聞き返した。

まことぞ」

直熙なおひろ見落みおとし、ということはあるまいか?」

 家治までがそのように尋ねるので、流石さすが直熙なおひろも、己のその、

留守居るすいとしての能力」

 それに疑問ぎもんがつけられたように感じて、ムッとしたが、それは顔には出さずに、そのわり、己のその「留守居るすいとしての能力」を証明すべく、今日…、天明元(1781)年の4月2日現在の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらそらんじてみせた。

 すなわち、竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうの他、

大塚おおつか兵九郎へいくろう英資ひですけ

松村まつむら十左衛門じゅうざえもん良尚よしなお

三河口みかわぐち雲八郎うんぱちろう吉道よしみち

喜多川きたがわ傳之丞でんのじょう正芳まさよし

岡本おかもと源兵衛げんべえ幸忠ゆきただ

小野寺おのでら傳十郎でんじゅうろう通高みちたか

齋藤さいとう平助へいすけ正富まさとみ

ばん勘七郎かんしちろう次名つぐな

渡辺わたなべ源二郎げんじろうひろし

 以上の9人が先の竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうと共に、ここ本丸ほんまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつつかさど廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらとして働いていると告げた上で、この9人の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしても、先の竹村たけむら忠次郎ちゅうじろうと同じく、一橋ひとつばし家とは何の所縁ゆかりもないことをも、あわせて説明したのであった。

 すると直令なおよしが、不意ふいに「ああ…」と声を上げた。

直令なおよし如何いかがいたした?」

 家治が首をかしげつつ、直令なおよしに尋ねた。

「ははっ。失礼しつれいをば…」

 直令なおよしはまずは叩頭こうとうして、不意に声を上げたことのびを口にしようとして、それを家治が、「かまわぬ」とせいするや、

「それより、如何いかがいたした?」

 家治はそのいをかえした。声を上げた理由を聞かせろと、家治は直令なおよしに対して求めていたのだ。

「ははっ。されば渡辺わたなべ源二郎げんじろうひろしなる者、確か…、おそれ多くも大納言だいなごん様がご存命ぞんめいおりの…、大納言だいなごん様が西之丸にしのまるにておらしあそばされましたるおりの、西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらではなかったかと…」

 直令なおよしがそう答えると、家治は咄嗟とっさ直熙なおひろの方を見た。それは最早もはや条件じょうけん反射はんしゃとも言えるだろう。

 それに対して直熙なおひろはと言うと、家治のその「条件じょうけん反射はんしゃ」とも言える行動を…、家治が己の方を見たその行動をなかば、予期よきしていたので、直熙なおひろあわてることなく、

「されば確かに、渡辺わたなべ源二郎げんじろうは今、直令なおよしもうせし通り、おそれ多くも大納言だいなごん様がご健在けんざい…、西之丸にしのまるにておらしあそばされましたるおりの、その西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにて…」

 そう答えたのであった。

「されば中村めも…」

 家治が口にした、「中村め」とは、家基いえもと毒殺どくさつに手を貸したとおぼしき廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら中村なかむら久兵衛きゅうべえ信興のぶおきであることはあきらかであったので、直熙なおひろもそうと察すると、

中村なかむら久兵衛きゅうべえでござりまするな?」

 まずは家治に確かめるようにそう尋ねて、家治をうなずかせた後、

「確かに…、おそれ多くも大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされましたる後、中村なかむら久兵衛きゅうべえ渡辺わたなべ源二郎げんじろうや、それに中山なかやま彌左衛門やざえもんと共にここ本丸ほんまるへと…」

 そう説明し始め、するとそこで家治が「待て」と直熙なおひろせいした。

 直熙なおひろは「ははっ」とおうじて、口をざした。

中山なかやま…、なにがしとは一体いった何者なにものぞ?」

 家治よりそうわれた直熙なおひろ内心ないしん、「ああ…」と思いつつ、家治の言う中山なかやまなにがしなる者が、中村なかやま彌左衛門やざえもん義陳よしのぶであることを家治に対して…、そして意知おきともや平蔵に対しても説明した。

 すると今度は元・西之丸にしのまる留守居るすいであった直令なおよしが、「ああ…」と思う、いや、声を出す番であった。

如何いかがいたした?」

 やはりと言うべきか、直令なおよしは家治よりそう声を上げた理由をわれた。

「ははっ…、さればおそれ多くも大納言だいなごん様がおわされましたるおり西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらが今、直熙なおひろが口にせし、中村なかむら久兵衛きゅうべえ渡辺わたなべ源二郎げんじろう、そして中山なかやま彌左衛門やざえもんにて…」

「その3人が、家基いえもとが元気であった頃…、西之丸にしのまるに住んでいたおり廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらであったと申すのだな?」

御意ぎょい…、もっとも、そのうちの一人…、中山なかやま彌左衛門やざえもんのみは、おそれ多くも大納言だいなごん様がお元気であらせられし頃、と申しますよりはその…、大納言だいなごん様が晩年ばんねんにんじられし者にて…」

 直令なおよしがそう告げると、家治は目をまるくして、「そはまことか?」と確かめるように尋ねていた。幕府のすべてのお役目の人事の決裁けっさい権者けんしゃは将軍たる家治にあるので、このきようは…、

「そはまことか…」

 などとそのようなきようはまるで他人たにんごとのようでもあり、おかしいように聞こえるが、しかし実際問題、将軍が決裁けっさいすべき事項じこうはそれこそ、

「山のよう…」

 誇張こちょうではなしにそうであったので、それゆえ如何いか西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの人事と言えども、もっと言うならば、中山なかやま彌左衛門やざえもんなる者を西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにんずるという人事の決裁けっさい権者けんしゃが将軍・家治であったとしても、覚えていないのも無理はなかった。

 いや、これで廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら従六位じゅろくい相当そうとう布衣ほい役であるならば、家治もあるいはその中山なかやま彌左衛門やざえもん西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにんじたことを、その人事を覚えていたやも知れぬ。

 それと言うのも、従六位じゅろくい相当そうとう布衣ほい役以上のお役目の人事、それも任命にんめいについては将軍より直々じきじきに申し渡されるのが原則であったからだ。

 そうであれば、仮に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら従六位じゅろくい相当そうとう布衣ほい役以上であれば、家治が直々じきじき中村なかむら彌左衛門やざえもんをその西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらに任じたことゆえ、それを家治も覚えていたやも知れぬというわけだ。

 だが生憎あいにく廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら本丸ほんまる西之丸にしのまるのどちらも従六位じゅろくい相当そうとうする布衣ほい役ではなかった。無論むろん、それよりも上の従五位下じゅごいのげ相当そうとうする諸大夫しょだいぶ役でもなかった。

 つまり廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら本丸ほんまる西之丸にしのまる共に、従六位じゅろくい相当そうとう布衣ほい未満みまんというわけで、その場合には将軍が直々じきじきにんずることはなく、老中よりもうわたされることになっていた。

 それゆえ家治が己が決裁けっさいした人事について覚えていなかったとしても、それは無理むりからぬことであった。

 直令なおよしもその点は良くこころており、家治が己が決裁けっさいしたその人事について覚えていなかったことに何の反応はんのうしめさずに、

まことでござりまする…」

 ただそう答えるにとどめた。

 すると家治も流石さすがにバツがわるくなったようで、赤面せきめんした様子をのぞかせた。

 直令なおよしもそのような将軍・家治の表情の変化にそうと気付くや、家治をおもんぱかって、

「されば中山なかやま彌左衛門やざえもん西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら着任ちゃくにんせしは安永7(1778)年の8月にて…」

 にんじられし、ではなく、着任ちゃくにんせしと、表現を変えてそう答えた。

「何と…、おそれ多くも大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされし、半年ほど前ではあるまいか…」

 意知おきともが驚いた様子でそう口をはさんだ。

左様さよう…、されば前任ぜんにんの者が…、椎名しいな角右衛門かくえもん朝周ともちかなる西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらが安永7(1778)年のうるう7月にまかりしために…」

 直令なおよしがそう答えた途端とたん、「死んだと申すか?」と家治が身を乗り出して尋ねた。

 家治の気持ちは誰もが容易ようい看取かんしゅた。すなわち、

「その死には、やはりまたしても一橋ひとつばし治済はるさだ関与かんよしているのではあるまいか…」

 というものであり、家治がそう考えるのも無理はなかった。家治のみならず、意知おきともや平蔵、そして直熙なおひろまでがそう考えていたからだ。

 だが直令なおよし苦笑くしょうしたいのをこらえつつ、

「されば椎名しいな角右衛門かくえもんの死はまぎれもなく病死びょうしにて…、それもそのお役目やくめ最中さなか卒中そっちゅうたおれ…、それがしもその現場にけつけましたるゆえ…、行年ぎょうねん75にて…」

 そう答えた。それで家治も西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらであった椎名しいな角右衛門かくえもんの死については病死びょうしみとめざるをなかった。

「されば…、家基いえもと存命ぞんめいであった頃…、と申すよりは家基いえもと最期さいごおり西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらつとめしは、その椎名しいななにがしなる者の後任こうにんとしての中山なかやま彌左衛門やざえもんと、それに中村なかむら久兵衛きゅうべえ渡辺わたなべ源二郎げんじろうの3人と申すのだな?」

 家治がそう議論をまとめるように尋ねたので、「御意ぎょい…」と直令なおよしもそう答えた。

「されば…、そのうちの渡辺わたなべ源二郎げんじろう家基いえもとが死により、西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらより本丸ほんまるのそれへと…、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらへと異動いどうたしたのなれば、中山なかやま彌左衛門やざえもんや、それに…、家基いえもと毒殺どくさつに手を…、その手をしたる中村なかむら久兵衛きゅうべえめもともに、本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらへと異動いどうたしたのでは…、いや、左様さよう決裁けっさいしてしまったのではあるまいか…」

 家治は必死に思い出そうとしながら、そう尋ねた。

 すると家治のそのいに対してはふたたび、直熙なおひろが…、ここ本丸ほんまるにて留守居るすいつとめし直熙なおひろが答えることにした。

「いかさま…、渡辺わたなべ源二郎げんじろうと、それに中山なかやま彌左衛門やざえもん中村なかむら久兵衛きゅうべえの3人につきましては、今、おそれ多くも上様うえさまおおせになられましたる通り、大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされましたる後…、安永8(1779)年の4月16日にここ本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらへと異動いどうたしましてござりまする…」

 家治が言う通り、家治自身、そのように決裁けっさいしたと、直熙なおひろは告げた。すると家治はそうだろうと言わんばかりにうなずいてみせた。

「さはさりながら…、中山なかやま彌左衛門やざえもん中村なかむら久兵衛きゅうべえの2人につきましては、それから7ヶ月後の11月…、同年…、安永8(1779)年の11月6日より二ノ丸にのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらへと異動いどうを…」

「何と…、左様さようなる決裁けっさいいたしたと申すか…」

 家治よりそう問われて、直熙なおひろ流石さすがまどい、それでも律儀りちぎに、「御意ぎょい…」と答えたのであった。

 恐らく、家治は家基いえもとの死の当初とうしょはそのことを…、愛息あいそくが死んだというその事実を受け止めきれず、それゆえ政務せいむもそれこそ、

うわそら…」

 まさしくそのような状態でり行っていたに違いなく、それゆえ人事案件についてもそのような、うわそらの状態で決裁けっさいしたために、覚えていないのやも知れぬ。

 ともあれ、唯一ゆいいつとも言うべき、一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある中村なかむら久兵衛きゅうべえ中山なかやま彌左衛門やざえもんとも二ノ丸にのまるへと異動いどうたしていた以上、その中村なかむら久兵衛きゅうべえ千穂ちほ種姫たねひめ毒殺どくさつにまで手を貸すことは不可能と言えた。なぜなら、千穂ちほにしろ種姫たねひめにしろ、ここ本丸ほんまるの大奥にてらしているのであって、二ノ丸にのまるの大奥にてらしているわけではなかったからだ。

「されば…、これは考え過ぎであったか…」

 一橋ひとつばし治済はるさだ千穂ちほ種姫たねひめの命をもねらっているかも知れないと、そう考えたのは杞憂きゆうであろうか…、家治はそう示唆しさした。

 するとそれを意知おきともが、「いや…」と即座そくざ否定ひていした。それと言うのも意知おきともは恐ろしい可能性に気付いてしまったからだ。

 家治も意知おきとものその尋常じんじょうならざる様子ようすからそうと察したらしく、「意知おきとも?」と声をかけてきた。

「ははっ…、されば留守居るすい高井たかい土佐とさたずねたきがござりまする…」

 意知おきともあらたまった態度たいどでそう…、留守居るすい高井たかい土佐とさこと土佐守とさのかみ直熙なおひろに質問することを許して欲しいと、将軍・家治に願ったのであった。

 それに対して家治も、「許す」と即座そくざにそう答えた。

「ははっ…、されば高井たかい土佐とさおそれ多くもお千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様、このお二人につかたてまつりしちゅう年寄どしよりにつきて尋ねたいのだが…、今のそのちゅう年寄どしよりは誰ぞ?」

 千穂ちほ中臈ちゅうろうとしてつかえていた砂野いさのみずから望んで種姫たねひめ附属ふぞくするちゅう年寄どしよりへと異動いどうたし、そして、家基いえもとが大奥…、西之丸にしのまるの大奥にて夕食をる際、西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら中村なかむら久兵衛きゅうべえの「監視かんし」、最後の毒見どくみしょうして、家基いえもとぜんにシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうした…、その砂野いさのたして今でも種姫たねひめちゅう年寄どしよりであるのか、意知おきともには疑問であったからだ。

 また、千穂ちほちゅう年寄どしよりつとめているのが誰なのかも、意知おきともにはまだ分かっておらず、それらが分からぬ、確かめられぬ限りは、千穂ちほ種姫たねひめ毒殺どくさつされる可能性を、

杞憂きゆう…」

 としててるわけにはゆかなかった。

「されば…、お千穂ちほ方様かたさまつかたてまつりしちゅう年寄どしより川崎かわさきにて…、一方、種姫たねひめ様につかたてまつりしちゅう年寄どしより廣瀬ひろせにて…」

 直熙なおひろがそう答えるや、意知おきともより先に、家治が反応はんのうした。

たねつかえしちゅう年寄どしより砂野いさのではなかったのか?」

 家治がそう尋ねるや、直熙なおひろは「御意ぎょい…」とまずはそう応じてから、

「なれどそれは、おそれ多くも大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされましたる前までにて…」

 そのように続けた。

「されば…、家基いえもとが死んだ後は、ちゅう年寄どしよりは…、たねつかえしちゅう年寄どしより砂野いさのから廣瀬ひろせへと…、田安たやす邸にてつかえしその廣瀬ひろせへと変わったということかえ?」

御意ぎょい…」

「それはつまり…、廣瀬ひろせが大奥へと上がったわけだな?」

 家治は一々いちいち、確かめるように尋ねた。それはくどいほどであったが、それでも家治の立場たちばからすればいたかたのないことであり、直熙なおひろもそれが分かっていればこそ、そのくどさにいやな顔を見せずに丁寧ていねいおうじた。

「されば砂野いさの如何いかがいたした?」

「されば…、大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされましたる後、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様が西之丸にしのまるの大奥よりここ本丸ほんまるの大奥へとおうつりあそばされましたるおりに、種姫たねひめづき中年寄ちゅうどしよりより、おそれ多くも上様うえさまづき御客おきゃく会釈あしらいへと…」

「つまり…、そのおり廣瀬ひろせ田安たやす邸よりこの本丸ほんまるの、それも大奥へとあがり、そしてちゅう年寄どしよりに…、たねづきちゅう年寄どしよりとして取り立てれたと申すのだな?」

 家治がやはりそう確かめるように尋ねたので、直熙なおひろもそれに対して、「御意ぎょい」と律儀りちぎこたえた。

 するとそこで意知おきともふたたび、「されば…」と口をひらいた。

「何だ?」

 家治よりそううながされた意知おきともは、「ははっ」と応じてから先を続けた。

「されば、かりにでござりまするが…、その川崎かわさきなる者と、廣瀬ひろせなる者が…、ことに川崎かわさきなる者が一橋ひとつばし家とは何の所縁ゆかりもなき者なれば、一つの仮説かせつが…」

 意知おきともがそこまで言うと、家治がその先を引き取った。それも意知おきともにはその先は言わせんとばかりの勢いであった。

千穂ちほたね毒殺どくさつされるやも知れぬ、一つの仮説かせつつと申すのだな?」

 家治は身を乗り出すようにして意知おきともに尋ねたので、それに対して意知おきともも「御意ぎょい…」と答えると、家治はさらに意知おきともに対して、

くわしく申せ」

 そうせっついたのであった。

「ははっ。されば…、単刀たんとう直入ちょくにゅうに申し上げまするが、一橋ひとつばし治済はるさだは、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様を毒殺どくさつせしに当たり、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらちゅう年寄どしよりをもえにするつもりではござりますまいか…」

 意知おきともがそう答えた途端とたん、家治ははじかれたような顔をした。どうやら意知おきとも真意しんいが読み取れたらしい。

「まさか…、調理ちょうり段階だんかいから毒物どくぶつを…、家基いえもとの命をうばったやも知れぬその、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうし、そしてその毒物どくぶつ入り…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうせし食事…、夕食を宿直とのい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらちゅう年寄どしより…、千穂ちほ種姫たね両名りょうめい附属ふぞくせし各々おのおのちゅう年寄どしより毒見どくみをさせし後、千穂ちほたねの前にその食事…、夕食を、とな?」

御意ぎょい…」

「それで…、治済はるさだとしてはそれなれば…、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらちゅう年寄どしよりまでもそれこそ、みちれにして、千穂ちほたね毒殺どくさつまで前もって考えていたので、家基いえもと抹殺まっさつ後は、今度はあえて、千穂ちほたね周辺しゅうへんには…、ことに千穂ちほたね毒見どくみにないしちゅう年寄どしよりや、それに廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらには一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある者をはいさなかったと言うわけだな?」

御意ぎょい…」

「なれど…、それでも絶対に一橋ひとつばし家とは所縁ゆかりのある者をはいさねばならぬ役目があるのう…」

 家治が謎かけするようにそう言ったので、意知おきともはその先を答えた。

御意ぎょい…、されば料理人にて…」

 意知おきともがそう答えた途端とたん直熙なおひろの顔色が変わった。あおめたと言っても良いだろう。

 するとその直熙なおひろの表情の変化に気付いたらしい家治が、直熙なおひろに対して、「如何いかがいたした?」といかけた。

「ははっ…、されば今の膳所ぜんどころ…、大奥の膳所ぜんどころにござりまするが、重田しげたひこ大夫だゆう師美もろよしなる者が、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様、両所りょうしょ膳所ぜんどころねておりますれば…」

重田しげたひこ大夫だゆうなる者が、千穂ちほたねの食事を作っていると言うわけだな?」

御意ぎょい…、おくぜんどころだいどころがしらとして…」

「なれど…、その者が一人で調理をするわけではなかろう?」

御意ぎょい…、さればおくぜんどころだいどころがしらたるその重田しげたひこ大夫だゆう配下はいかにはくみがしらがおりまして、さらにその下にはだいどころにんもおりますれば…」

「それな…、くみがしらだいどころにんが実際に調理ちょうりいたすわけだな?」

御意ぎょい…、無論むろん重田しげたひこ大夫だゆうだいどころあずかりし者なれば、その重田しげたひこ大夫だゆうも最後の味付けなどを…」

 最後の味付け…、今となっては「ブラックユーモア」にしか聞こえない。

「して、だいどころがしらは一人…、重田しげたひこ大夫だゆう一人かえ?」

「いえ、他に3人のおくぜんどころだいどころがしらがおりますれば…、なれどご夕食は…、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様、ご両所りょうしょがおしあがりになられしご夕食につきましては、重田しげたひこ大夫だゆうになっておりますれば…」

「つまり…、明日の夕食も…、千穂ちほたねりし夕食もまた、重田しげたひこ大夫だゆうが作ると?」

御意ぎょい…、されば重田しげたひこ大夫だゆうはそのため、毎晩が宿直とのいにて…」

成程なるほど…、してその重田しげたひこ大夫だゆうもまさかに…」

 家治が直熙なおひろにそういかけるや、直熙なおひろもそうと察して、「御意ぎょい」とまずは家治の考えていることを肯定こうていした上で、

「されば重田しげたひこ大夫だゆうには、又兵衛またべえ信征のぶゆきなる嫡男ちゃくなんがおりますれば、その又兵衛またべえ妻女さいじょこそが…」

「さしずめ…、一橋ひとつばしの臣の娘、とか?」

御意ぎょい。されば平田ひらた重右衛門じゅうえもん正好まさよしが娘にて…」

 直熙なおひろがそう答えるや、家治は「やはりそうか…」とそう思ったものである。

 するとそこで意外いがいにも、直令なおよしから異議いぎが飛んだ。

「なれど…、ぜんどころでの調理につきては…、おそれ多くも上様うえさまがおしあがりになられしぜん調理ちょうりたてまつりしぜんどころだいどころあるいは表向おもてむきにて大名やしょ役人にふるいしぜん調理ちょうりせしおもてだいどころ、そして大奥におけしおくぜんどころだいどころわず、だいどころにんまかないがたより配送はいそうされし食材しょくざい使つこうて調理ちょうりいたさば、だいどころにんみずかみし食材しょくざい…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを調理ちょうり過程かていで使うことなど不可能ふかのうと申すものにて…」

 直令なおよしの説明によると、だいどころにんは調理をするに際して、その前に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによる厳しい査検さけんを受けることになる。|

 廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによるだいどころにんへの厳しい査検さけんの目的はひとえに、

だいどころにん毒物どくぶつ所持しょじ、それもかくし持っていないかどうか…」

 それを取り調べるためであり、ひいてはだいどころにんが調理した料理を食することになる将軍や、あるいは大名やしょ役人、それに大奥、いや、この際、はっきり言えば将軍の命を守るためであった。

 そうであれば如何いかに、重田しげたひこ大夫だゆうが調理の過程かていでシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうしたくとも、調理の前に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによる徹底てっていてき査検さけん…、具体ぐたいてきには身体しんたい検査けんさを受けるので、仮に着物の下にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケをかくし持っていたとしても、調理の前に行われるその、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによる徹底てっててき査検さけんにおいて、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケをかくし持っていることが分かってしまうだろう。

「されば…、重田しげたひこ大夫だゆうがシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを持ち込んで、それを調理の過程かてい混入こんにゅうするというのはちと、無理ではあるまいか?」

 直令なおよしのそのもっともな主張に対して、直熙なおひろはしかし、あわてる素振そぶりも見せずに、それどころか如何いかにも、

余裕よゆう綽綽しゃくしゃく…」

 といった態度で応じた。

「分かっておるわ…、されば誰も、重田しげたひこ大夫だゆうにシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを持ちませようなどとは申しておらぬわ…」

 直熙なおひろがそう答えるや、「くわしく申せ」と家治が直熙なおひろうながした。

「ははっ。されば最前さいぜん永井ながい直令なおよしが申し上げましたる通り、かくだいどころにて使われまする食材につきましてはまかないがたより配送はいそうされ…、されば食材を仕入しいれしもそのまかないがたにて…」

 直熙なおひろの説明によるとこうであった。

 まずまかないくみがしら配下はいかまかないがたが食材を仕入しいれ、次にまかないがた仕入しいれたその食材をまかない調しらべ役がまず取り調べるのであった。もっとも、取り調べると言っても、まかない調しらべ役が取り調べるのは精々せいぜい、数に間違いがないかどうかなど、その程度ていどであり、食材のしといった品質について取り調べるのはその次…、まかない調しらべ役が取り調べた後に、まかない吟味ぎんみ役によって行われる取り調べがそれであった。

 そうして、まかない吟味ぎんみ役の取り調べを終えた食材はまかない吟味ぎんみ役の手により、まかないくみがしらへと送られ、そしてまかない組頭くみがしらが最後の「チェック」を行った後、まかないくみがしら配下はいかまかないがたの手によりかくだいどころへとそれら食材が配送はいそうされるのであった。

「されば…、最後に精査せいさせしまかないくみがしらか、しくは配送はいそうにないしまかないがたが…、それも大奥へと食材を配送はいそうせしまかないがたなれば、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケをその食材の中にまぎませることも可能だと?」

 家治が確かめるように尋ねた。

「それにまかないがしらも…」

 直熙なおひろおもわせぶりにそう応じたので、家治も「まかないがしらとな?」とかえした。

御意ぎょい…」

 それから直熙なおひろさらに、まかないがしらまかないくみがしらまかない調しらべ役、まかない吟味ぎんみ役の直属ちょくぞくの上司に当たり…、つまりはまかないくみがしらまかない調しらべ役、まかない吟味ぎんみ役は並列へいれつの関係にあり、そのまかないくみがしらまかない調しらべ役、まかない吟味ぎんみ役の大仰おおぎょうに言えば、

頂点ちょうてんに立つ…」

 そのまかないがしらが、まかないがたの手によってかくだいどころへと食材が配送はいそうされる途中とちゅうまかないがしらまかないがしら配送はいそう同道どうどうしてその途中とちゅう、簡単に「チェック」することもあるそうな。

「それではまかないがしらも、食材の中にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅう…、しのませることも可能と申すのだな?いや、直熙なおひろの口振りから察するに、まかないがしらこそが食材の中に…、大奥へと配送はいそうされし途次とじに食材の中にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケをしのませるに違いないと、左様さように考えておるのであろう?」

 家治がそうかんはたらかせるや、直熙なおひろは「明察めいさつ…」と応じた。

「してそのまかないがしらの中にも一橋ひとつばし家と所縁ゆかりの者が?」

 家治は直熙なおひろにズバリうた。

御意ぎょい…、されば今、まかないがしらは3人おりますれば…」

 直熙なおひろはそう切り出すや、まかないがしらの名を挙げた上で、その「シフト」を説明した。すなわち、

根本ねもと善左衛門ぜんざえもん達玄みちはる

村垣むらがき左大夫さだゆう軌文のりふみ

森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろう義立よしたつ

 以上の3名がまかないがしらであり、このうち、朝食の食材の配送はいそうつかさどる…、監督かんとくするのが根本ねもと善左衛門ぜんざえもんであり、昼食の食材の配送はいそう監督かんとくするのが村垣むらがき左大夫さだゆうであり、そして夕食の食材の配送はいそう監督かんとくするのが森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうであった。

 ゆえに森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうは毎日、宿直とのいをしなければならず、まかないがしらの中では一番激務げきむと言えた。もっともそれは、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうがこの3人のまかないがしらの中では、

「一番の若手わかて…」

 それであり、ことまかないがしらの世界においては一番若手わかてが毎日、宿直とのいつとめることになっていた。

「確か…、それがしの記憶が確かなれば、このうち森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうめが一番の若手わかてであったと…」

左様さようか…、してその森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうめが一橋ひとつばし家とかかわりがある、と?」

御意ぎょい…、されば一橋ひとつばし家にて近習きんじゅうつとめし内藤ないとう友右衛門ともえもん助政すけまさ次男じなんにて…」

 直熙なおひろの説明に家治は目をいた。いや、その森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうなる者が実は一橋ひとつばし家の家臣の内藤ないとう友右衛門ともえもん助政すけまさの次男であったという事実に驚いたから、ということも勿論もちろんあるが、それ以上に直熙なおひろがそこまでくわしい履歴りれきを…、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろう履歴りれき把握はあくしていたことに驚かされたのであった。

 するとそうと察した直熙なおひろが「実は…」と切り出すや、何ゆえに己が…、留守居るすいである己が支配しはいちがいの…、若年寄支配のまかないがしらのお役にある森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうくわしい履歴りれきについて把握はあくしているのか、その理由について語って聞かせた。

 それによると、通常、まかないがたによるかくだいどころへの食材の配送はいそうについてはまかないがしら同道どうどうすることはないそうだが、それがここ1週間ほど、大奥の台所へとまかないがたが食材を配送はいそうする際、まかないがしら森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうまでが同道どうどうするようになったそうで、それが直熙なおひろには自然しぜんきわまりないものに思え、ふと森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうなる者は一体いったい、何者なのか、それを調べようと思い立ち、その結果、一橋ひとつばし家の家臣の内藤ないとう友右衛門ともえもん助政すけまさの次男であることが分かったそうな。

「何と…、ここ1週間ずっと、大奥への食材の配送はいそうにそれな森山もりまや忠三郎ちゅうざぶろう同道どうどうしている、と?」

 家治がそうかえしたので、「御意ぎょい…」と直熙なおひろも応じた。

「それにしても…、やはりようぞんじておるのう…」

「いえ、実は3日前にもそれがし、宿直とのいつとめ申し上げまして、その折…、夕食の前…、夕食の調理が始まりしその前…、夕七つ(午後4時頃)の少し前にまかないがたの手により食材が大奥へととどけられるのでござりまするが、それがし、大奥を取りまりし留守居るすいとして、まかないがたの食材の配送はいそうに立ち会うのでござりまするが、|その折、これまで見たこともない森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうの姿があり…、いえ、その時点ではその者がまかないがしら森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうだとはそれがしもぞんぜず…、ただいつものかおれの中にらぬ顔がじっておりましたゆえ、あれは誰かと、親しくしておりまするまかないがたの一人にそっと尋ねましたるところ、くみがしら森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうだと教えてもらいまして…」

成程なるほど…」

「さればそれなまかないがたによりますと、ここ3日ほどまかないがしら森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうがどういうわけか、これまで配送はいそうには見向みむきもしなかったにもかかわらず、ここ3日ほどはずっとそれな森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろう配送はいそう同道どうどうするようになったとのこと…」

 家治は「成程なるほど…」とかえした。

「さればその時点でそれがし、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろういささ不審ふしんねんき…」

「それで森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうにつきて調べし結果、一橋ひとつばし家の家臣の内藤ないとう友右衛門ともえもんめが次男であると判明はんめいせしわけだな?」

御意ぎょい…、されば今宵こよいもそれがし宿直とのいつとめ申し上げまするゆえ、夕七つ(午後4時頃)の前にも、それがし、留守居るすいとしてやはり配送はいそうに立ち会いましたるところ…」

「やはり、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうの姿があったと?」

御意ぎょい…、これはもしや…、一週間前より、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様の毒殺どくさつを考えてのことではござりますまいか…」

 直熙なおひろのその推量すいりょうに家治はうなずいてみせると、

「されば…、一週間ほど、毎日、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうめが配送はいそうに…、そのまかないがたの手による大奥への食材の配送はいそう同道どうどうせしことにより、いざ、千穂ちほたねを…、その二人を毒殺どくさつせしその日も、まかないがたの手による大奥への食材の配送はいそう同道どうどうせしことを疑われぬようにするためだの?」

 家治は確かめるようにそう尋ね、直熙なおひろうなずかせた。

 まさしく家治の言う通りで、これで仮に、千穂ちほ種姫たねひめの命をうばうべく、そのために大奥へと配送はいそうする食材にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうすべく、普段ふだんまかないがたの手による食材の配送はいそう、それも大奥への食材の配送はいそう同道どうどうしなかったまかないがしら森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうがその日…、千穂ちほ種姫たねひめの命をうばうその日に限って、大奥への食材の配送はいそう同道どうどうしようものなら、千穂ちほ種姫たねひめが夕食を…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうした夕食を食べた後、家基いえもとと同じような症状しょうじょう辿たどって死にいたろうものなら、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろう自然しぜんな「動き」があやしまれるやも知れず、そこで森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうはそれをふせぐべく、一週間ほど前から大奥への食材の配送はいそう同道どうどうするようになったのやも知れぬ。

まかないがたの話によりますれば、森山もりやま忠三郎ちゅうざぶろうなる者、これまで配送はいそう同道どうどうするような、そのような殊勝しゅしょうなるつとめぶりではなかったにもかかわらず、それがどういうわけか、ここ1週間ほどはずっと、配送はいそう同道どうどうするようになったとのこと…」

 直熙なおひろがそう補足ほそくしたことから、家治はいよいよもって、千穂ちほ種姫たねひめまでもが毒殺どくさつの危機に立たされているのではないかと、そう確信かくしんふかめたものである。
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「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

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