握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

文字の大きさ
15 / 43
芽生えたものは

しおりを挟む

 翌週の水曜日は、鮭ときのこのガーリック炒めとオニオンスープ、それからポテトサラダを振る舞った。魚を使ってはいるけれど洋風の味付けであり、骨も皮も取り除かれている料理ならばきっと涼も食べやすいだろうと考えたのだ。
 実際、涼は美味しいと言って平らげてくれた。淀みなく箸を動かす様子に、安堵と歓喜で胸がじんわりとあたたかくなった。
 恒例となった二人での片付けも終えて人心地ついたとき、康介は「そうだ」と山積みになった本の一番上からある物を取り出した。
「来週食べたいもの、ここから選んでくれる? 何でも作るからさ」
 取り出した物──レシピ本を手渡す。それは先週の水曜日の一件をきっかけに買ったものだった。
 本を参考にすることで、あまり家庭料理の種類に詳しくない様子の涼でも簡単に自分の食べてみたい料理、興味のある料理を見つけられるのではと思ったのだ。表紙に大きく「時短で簡単!」と書かれているものを選んだのは、涼に遠慮を感じさせないようにするためである。
 レシピ本を受け取った涼がパラパラとページをめくる。
「……わざわざ買ってくれたんだろ、これ」
 ページに目を落としたまま涼が呟く。図星を突かれた康介はビクッと微かに肩を跳ねさせた。
「いや、えーと……」
 答えに窮していると、ふいに涼が顔を上げた。
「じゃあさ、次はこれ食べてみたい」
 開かれていたのは、ブリの照り焼きのページだった。
「この前作ってくれた和食、すげぇ美味しかったから」
 そう言った涼は、はにかむようにふわりと笑っていた。




 金曜日は一週間の中で最もしんどい曜日だ。板書に勤しむ教授の背中を確認して、康介はちらりと腕時計に目をやる。時計の針はさっき確認したときからほとんど変わっていない。こぼれそうになるため息をなんとか噛み殺す。
 金曜日は、一限に学科の、二限に初修外国語の必修授業があるし、三、四限にも授業が詰まっている上に五限と六限には司書課程の授業がある。ほとんど丸一日を大学で過ごさなければならないのは精神的にきついし、空きコマが一つも無いのは体力的にしんどい。
 とは言え、同じ司書課程を履修しながらバイトに励んでいる人もいるし、教職課程を履修している友人はもっと大変そうだし、これくらいで根を上げるわけにはいかない。ぐっと腹に力を込めて、丸まっていた背中を無理やり伸ばす。
 意識的に授業に集中しているうちに遅々として進まなかった時計の針もなんとか半円を描いて、ようやく四限の授業が終わった。伸びをすると肩のあたりからゴキッと不気味な音が鳴った。隣で机に突っ伏していた友人、嶋田と菅田を揺り起こし、寝ぼけまなこの二人を急かしながら講義室を後にする。
「二人はこの後も授業だっけ?」
 あくび交じりに嶋田が尋ねる。康介はこくんと頷いた。
「うん、司書課程のが入ってる。嶋田はバイトだろ?」
 近所の学生街にある居酒屋チェーンでバイトをしているという嶋田は、たしか金曜日はこれからシフトが入っていたはずだ。康介が言うと、今度は嶋田が頷いた。
「おう。金曜日は混むからダルいんだよな」
「んーファイトぉ」
 寝起きだから微妙に呂律が回っていない菅田がへらへらとガッツポーズを繰り出す。あまりにも気持ちのこもっていない応援に、康介と嶋田は「お前、思ってないだろ」「適当にもほどがある」と呆れたように目を細めた。
 嶋田と別れた後、いまだにふにゃふにゃとしている菅田を引っ張りながら次の授業の講義室へと急ぐ。少し離れたところにある棟に移動しなければならないから、いつも講義室に着くのが授業開始時間ギリギリになってしまうのだ。
 歩みの遅い菅田をせっついていると、ふと前から向かってくる学生の波の中に涼の顔を見つけた。あっ、と思い声をかけようとしたとき、向こうもこちらに気づいたようでバチリと視線が交わった。
「康介」
 名前を呼んだ涼が、花がほころぶように微笑む。彼のまとう空気が一瞬でふわりと軽くなったように感じた。まるで風でも起きたように、周りの人たちが一斉にふっと顔を上げて涼を見た。その例に漏れず康介も、彼の表情に目を奪われる。
「お疲れ。康介はまだ授業?」
 側まで寄ってきた彼が小さく首を傾げる。我に帰り、康介は慌てて頷く。
「う、うん。涼はこれからバイト?」
「おう。授業、頑張れ」
「涼もバイト頑張って」
 お互いひらひらと手を振って別れる。
 少し歩いてから、菅田が涼の歩いて行った方を振り返った。
「ひゃー、やっぱりイケメンの笑顔は破壊力がすげえな。みんな釘付けだったじゃん」
 さっきまでのふにゃふにゃした態度が嘘みたいに、菅田は大げさなほどに目を丸くして騒ぎ出す。
「つーか芝崎、高倉と仲良いの?」
「うん」
 家が隣であることは伏せて、康介は頷く。嶋田や菅田とはよく連んでいるのでいずれ家に招くこともあるかもしれない。そのとき、芋づる式に涼の家までバレてしまうのを防ぐためだ。
「そっかぁ、なんか意外」
「そう?」
「だってあい……高倉、あんまり人と連んでるところ見ねーもん。話しかけられてるところはよく見るけどさ」
 おそらく『あいつ』と言おうとしながらも康介を気にして『高倉』と呼び直した律儀さに、思わず苦笑をもらす。
「まあたしかにね」
「だろ? 高倉が自分から誰かに話しかけてるところ、初めて見たかもしんねーわ」
 菅田が頭の後ろで手を組みながら笑った。
 そこで、はた、と気づく。言われてみれば初めてだ、涼から声をかけてくれたのは。康介は思わず後ろを振り返った。もちろんすでに涼の姿などないけれど、それでも人混みの中に彼を探そうとするみたいに目を凝らす。
「一匹狼気取りとかじゃなくて本当に一人でも大丈夫なヤツなんだと思ってたけど、普通に友達いたんだなぁ」
 さも意外そうに呟かれた菅田の声が、やけにはっきりと聞こえた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する幼少中高大院までの一貫校だ。しかし学校の規模に見合わず生徒数は一学年300人程の少人数の学院で、他とは少し違う校風の学院でもある。 そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

フードコートの天使

美浪
BL
西山暁には本気の片思いをして告白をする事も出来ずに音信不通になってしまった相手がいる。 あれから5年。 大手ファストフードチェーン店SSSバーガーに就職した。今は店長でブルーローズショッピングモール店に勤務中。 そんなある日・・・。あの日の君がフードコートに居た。 それは間違いなく俺の大好きで忘れられないジュンだった。 ・・・・・・・・・・・・ 大濠純、食品会社勤務。 5年前に犯した過ちから自ら疎遠にしてしまった片思いの相手。 ずっと忘れない人。アキラさん。 左遷先はブルーローズショッピングモール。そこに彼は居た。 まだ怒っているかもしれない彼に俺は意を決して挨拶をした・・・。 ・・・・・・・・・・・・ 両片思いを2人の視点でそれぞれ展開して行こうと思っています。

オレに触らないでくれ

mahiro
BL
見た目は可愛くて綺麗なのに動作が男っぽい、宮永煌成(みやなが こうせい)という男に一目惚れした。 見た目に反して声は低いし、細い手足なのかと思いきや筋肉がしっかりとついていた。 宮永の側には幼なじみだという宗方大雅(むなかた たいが)という男が常におり、第三者が近寄りがたい雰囲気が漂っていた。 高校に入学して環境が変わってもそれは変わらなくて。 『漫画みたいな恋がしたい!』という執筆中の作品の登場人物目線のお話です。所々リンクするところが出てくると思います。

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

漫画みたいな恋がしたい!

mahiro
BL
僕の名前は杉本葵。少女漫画が大好きでクラスの女の子たちと一緒にその話をしたり、可愛い小物やメイク、洋服の話をするのが大好きな男の子だよ。 そんな僕の夢は少女漫画の主人公みたいな素敵な恋をすること! そんな僕が高校の入学式を迎えたときに漫画に出てくるような男の子が登場して…。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

処理中です...