握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

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芽生えたものは

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 やっと六限目の授業を終えると、外はもう暗くなっていた。五月も半ばを迎え、だんだんと日が沈むのが遅くなってきたと思っていたが、やはり七時半ともなれば夜の帳もすっかり下りてしまっている。ちらちらと星の瞬く夜空を眺めながら、康介は帰路を急いだ。
 重い足を引きずるようにしつつ頑張って歩いていると、クゥ、とお腹が情けない音を鳴らした。今にも背中とくっつきそうなお腹をさすりながら、今夜の晩ご飯について考える。
 料理をするのは好きだけれど、今日みたいに疲れ切っているときはあまりキッチンに立ちたくない。身体はクタクタだし、お腹はペコペコだし、正直一秒でも早く食事にありつきたい。よし、今日は外食の日にしよう。そう決めて、家の近所にあるお店をいくつか思い浮かべる。そう言えば、前に一度だけ訪れた小さな洋食屋は雰囲気も良かったし味も美味しかった。目的地をその洋食屋に定めて、康介は大きく頷いた。
 ふと顔を上げると、すぐ傍の民家の軒先に白い花が咲いているのが目に留まった。薄暗い夜の闇の向こうでふわりと開いた満開の花を眺めていると、不意に昼間見た涼の笑顔が脳裏に蘇った。それから、しげしげと呟かれた菅田の言葉も。
 「一人でも大丈夫なやつ」と涼を評した菅田の言葉は、たしかにその通りだと思う。
 決まった仲間と連んだりせず、一人で行動できる涼。多くの人から話しかけられながらも、自分からはあまり話しかけない涼。大学内での様子を見るに、それほど人懐っこい性格ではないのだろう。
 けれど、「毎週水曜日に晩ご飯を一緒に食べないか?」という康介の誘いは、一度も断られたことがない。毎回きちんと家を訪ねてくれるし、振る舞った料理を美味しいと言いながら食べてくれる。
 その意味を、理由を、どう受け取ればいいのだろう。目を伏せて考え込む康介の頬を、生ぬるい風が撫でていく。
 と、そのとき背後から「康介」と呼び掛けられた。驚きつつ振り返り、十数メートル向こうから足早に駆けてくる人影に目を凝らす。
「あっ、涼!」
 康介は目を見張った。たった今考えていた当人の登場にドキッと心臓が跳ね上がった。
 ほら、こうやって声をかけてくれる。あまり自分から人との距離をつめようとはしない性格だろうに、それでも暗い夜道でも姿を見つけ出して、追ってきてくれる。
「どうしたの、バイト帰り?」
 駅に通じている脇道から駆けてきた涼に尋ねると、彼はコクリと頷いた。
「今日はちょっと早めに終わったんだ」
「それはよかったね」
 康介が笑顔を向けると、涼は少し康介の目を見つめた。それから、ふっと微笑む。
「うん」
 噛み締めるようにゆっくり告げられた一言。きゅっと胸がつまり、呼吸が乱れる。なんだ、今の意味深な視線は。今の綺麗な微笑みは。
 涼は一体何を「よかった」と思ったのだろう。思わず都合の良すぎる思い込みが頭に浮かんでしまう。ドキドキとうるさい鼓動を感じながら、康介はゴクリと唾を飲み込んだ。
「あのさ」
「ん?」
「俺、今日は外食しようと思ってるんだけど、よかったら涼も一緒に行かない?」
 なるべくさりげなく言ったつもりだけれど、語尾が少し上擦ってしまった。胸の鼓動はより一層うるさく高鳴っている。ハラハラしながらそっと目の前の涼の様子を窺う。
 少し目を見開いた涼は、けれどすぐに「うん、行きたい」と微笑んだ。
「よしっ」
 思わず繕うことも忘れてグッと拳を握れば、涼がくすくすと小さく肩を揺らした。ハッと気恥ずかしさがこみ上げて、ポリポリと頬をかく。
「えっと、アパートのそばにある洋食屋に行くつもりなんだけど、いい?」
「うん」
 ごく自然に隣に並んできた涼に、またきゅんと胸がうずく。歩き出しながらそっと涼の顔を窺えば、彼の涼やかな目とバッチリ目が合った。すぐそばにある、夜空の色を溶かしたような黒い瞳がふっと細められた。慌てて前に向き直る。
 手を伸ばせばすぐに触れられる距離に胸をざわめかせながら、康介は洋食屋へと急いだ。
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