握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

文字の大きさ
17 / 43
芽生えたものは

しおりを挟む

 おしゃれな木製のドアを開ければ軽やかなカウベルの音が迎えてくれた。
「いらっしゃい。どうぞ好きなところに座ってちょうだい」
 優しく微笑むお店のおばさんの言葉に従い、端の方の二人掛けの席に腰を下ろす。さりげなく店内を見回すと、カウンター席を含めて二十席くらいあるうちの半分が埋まっていた。周囲から聞こえるさざめきのような話し声が心地良い。
 ふと目の前に座る涼を見れば、彼は物珍しそうにきょろきょろと視線をさまよわせていた。思わず頬を緩めながら、「なに食べる?」とテーブルの上にメニューを広げる。
 手作り感溢れるメニューにはカレーやハンバーグ、スパゲティーなどの写真が載っていて、その横に「当店イチバン人気!」などのおそらくお店のおばさんの手書きであろうコメントが書かれている。なんとなく『清水屋』を想起してしまい、じんわりとした温もりが胸に広がった。
「えっと……、康介は何にした?」
「俺はハンバーグセットにしようかな。すっげぇお腹減っちゃっててさ」
 お腹をさすりながら言うと、涼はクスッと笑った。
「じゃあ俺もそれにしようかな」
「りょーかい」
 二人分のオーダーをした後、涼が「康介も外で食べたりするんだな」と呟いた。
「うん、まあね。今日みたいに帰るのが遅くなる日は作る気力なんて湧かないから」
「そっか」
「涼は?」
「俺もバイト終わりに食って帰ることも多いかな。けど、ファストフードとかチェーン店とかがほとんど……って言ったら康介に怒られるかな」
 上目遣いでこちらを窺う涼に、康介は思わず笑ってしまった。
「俺もときどき食べてるよ、ファストフード」
「本当? すげぇ意外かも」
「ときどき無性に食べたくなっちゃうんだよなぁ。セットでサラダとか付けておけば大丈夫だろって自己弁護してる」
 おどけたように言ってみせると、涼は肩を揺らして笑ってくれた。
「でも、やっぱりそういうとこに気を配ってるんだ? 偉いな」
「そうかな」
 くすくすと笑いながら褒められて、胸のあたりがむず痒くなる。康介はおしぼりの端っこをイジイジと指先でもてあそんだ。
 大学のことやバイトのことを話しているうちに、香ばしいソースの匂いとともにハンバーグが運ばれてきた。
「うわ、美味しそう」
 思わず康介が感嘆をもらすと、運んできてくれたおばさんが「ウフフ、ありがとうね」と目尻の皺を深くした。
「学生さんでしょう? たくさん食べてお勉強頑張ってね」
「ありがとうございます」
 穏やかな笑顔とともにかけられた言葉に、康介も同じように笑顔で応える。
 厨房へと引っ込んでいくおばさんの背中を見送っていると、涼が「なあ」と呟いた。
「康介、ここの店よく来るの?」
「いや? 前に一回来たことがあるだけだよ」
「ふうん?」
 涼は納得いかないような表情のまま不思議そうに首を傾げている。康介は笑いながらひらひらと手を振った。
「個人経営のお店だと結構店員さんが話しかけてくれること多いよ」
「そうなんだ」
「うん。実家の近くに定食屋があるんだけど、そこの女将さんも話し好きでさ」
 話しながらハンバーグに箸を入れる。じゅわっと溢れ出した肉汁がソースと混ざり合い、キラキラと光る。ふわりと立ちのぼる湯気の匂いに食欲が刺激され、ごくりと唾を飲み込む。
「この前のゴールデンウィークに帰省してたときもその定食屋に行ったんだけど、一緒に料理作ってる最中もずっと女将さん話しっぱなしでさあ。本当機関銃みたいだったよ」
 一口サイズに分けたハンバーグを箸で掴み、パクリと口に放り込む。途端に肉の旨味とデミグラスソースのフルーティーな香ばしさが口いっぱいに広がった。疲れているときの肉ってなんでこんなに染み渡るのだろう。ふわふわと幸せな気分になり、うんうんと頷く。
 ちらりと涼を窺えば、彼もちょうどハンバーグを口に運んだところだった。やけに神妙だったその表情がホロッと綻ぶのを見て、康介も頬を緩める。
「ん、一緒に料理って?」
 セットのコーンスープのカップに手を伸ばしながら涼が尋ねる。
「新しい料理を教えてもらってた。俺、料理はほとんどその女将さんに教わったんだ」
 パクパクとハンバーグを頬張りながら康介が言うと、涼がわずかに目を見開いた。おや?と康介が訝しく思うと同時に、涼はふっと眉を下げて笑った。
「やっぱりそうだったんだな」
「え?」
 静かに、まるでひとり言のように呟かれた言葉。康介はまじまじと目の前の涼の顔を見た。
 彼の涼やかな黒い瞳はコーンスープのカップも康介も通り越して、どこか遠くを見つめている。穏やかで柔らかな眼差しだが、……けれどどこか、ちらりと微かに切なさの影が浮かんでいる気がする。
 かける言葉が見つからないまま涼を見つめていると、その視線に気づいた涼がハッとした表情になった。取り繕うようにさりげなく微笑んでみせた彼は、さっき飲んだばかりのカップに再び口をつけている。
 康介も何も言えないまま、少し冷たくなったハンバーグに箸を刺し入れた。ドクリ、ドクリと高鳴る心臓の音が、やけにうるさく聞こえていた。

 店を出ると、夜空にはいつのまにか鈍色の雲が薄くかかっていた。欠けた月の明かりを頼りに、すぐそばのアパートまでの道のりをのんびりと二人で辿る。
「いやー、お腹いっぱいになったな」
「結構な量あったもんな」
 少し後ろを歩く涼を振り返ると、お腹を撫でながら涼が苦笑をもらした。もともと少食気味な涼には少し量が多すぎただろうか、と康介は思わずじっと涼を見つめる。
 そんな心配を見透かしたように、涼はにこっと笑ってみせた。
「でも、美味しかったよ」
「ほんと? よかった」
「康介の誘いについてくといつも美味しいもん食えるな」
 ふざけるように軽口を叩いて笑う涼と同じように笑おうとして、──ふと疑問が頭をよぎる。
 初めて涼を部屋に招いた、あの日。作りすぎたカレーを一緒に食べてくれた涼は、どうしてあの突然の誘いに乗ってくれたのだろう。
 あの時点ではまだ仲良くなれていたとは言い難いし、お互いのことなんてほとんど何も知らなかったのに。なぜ、自ら人との距離をつめようとはしない涼がわざわざ部屋に来てくれたのだろう。
 いやもっと前の、引っ越した初日だってそうだ。挨拶に行っただけの康介に「仲良くしてくれる?」と尋ねた涼は、どうして距離をつめて仲良くなろうとしてくれたのだろう。康介はふっと地面に視線を落とす。ゆるゆると歩く二人の足元には、雲の影がゆらりと漂っていた。
考え込むうちに、いつのまにか自室の前にたどり着いていた。
「じゃ、おやすみ。水曜日も楽しみにしてる」
 ひらりと手を振った涼が、ドアの向こうへと消えていく。康介はぼんやりとしたままそれを見送った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

君の紡ぐ言葉が聴きたい

月内結芽斗
BL
宮本奏は自分に自信がない。人前に出ると赤くなったり、吃音がひどくなってしまう。そんな奏はクラスメイトの宮瀬颯人に憧れを抱いていた。文武両道で顔もいい宮瀬は学校の人気者で、奏が自分を保つために考えた「人間平等説」に当てはまらないすごい人。人格者の宮瀬は、奏なんかにも構ってくれる優しい人だ。そんなふうに思っていた奏だったが、宮瀬は宮瀬で、奏のことが気になっていた。席が前後の二人は知らず知らずにお互いの想いを募らせていって……。/BL。ピュアな感じを目指して描いています。/小説家になろう様でも公開しております。

恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで

中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。 かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。 監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。 だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。 「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」 「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」 生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし… しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…? 冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。 そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。 ──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。 堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

処理中です...