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【番外編】君と笑う、今だから
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窓の外には、淡い夕陽が街をオレンジ色に染めている。
俺たちはリビングのソファに並んで座り、悠真は足元に置いた文庫本をひょいと弄っていた。
「なあ、悠真」
「ん?」
「覚えてるか、俺がお前に告ったときのこと」
「……忘れるわけないだろ。『恋人になってくれ、期間は一年』って、今思い出しても変な告白だった」
蓮は少し苦笑いを浮かべる。
「……だよな。あのとき、俺、本当に緊張しててさ」
「緊張してたようには見えなかったけど」
「内心ボロボロだったんだよ。だって……時間がない、って思ってたから」
悠真は黙って少し目を細める。
その瞳の奥には、言葉にしなくても伝わる理解があった。
「でも、そんなめちゃくちゃな告白でも……受けてよかったと思ってる」
「俺もだ。あのときがあったから、今こうして一緒に笑えてる」
二人の間に、静かだけどあたたかい空気が流れる。
過去の不安も、恐怖も、全部溶けて、今だけが残る──そんな感覚だった。
◇◇◇
思い返せば、あの頃の俺は、それなりに楽しくて、それなりに充実していた──少なくとも表面上は。
クラスの中心にいて、サッカー部の仲間と馬鹿な話で笑い、放課後はボールを追いかけて……
そんな、どこにでもいる、ありふれた高校生の日常。
でも、俺の心の奥には、誰にも言えない秘密があった。
いつ、この「当たり前」がすべて終わってしまうかわからない、という爆弾を、俺はたった一人で抱えていた。
医者から、自分の体に残された時間が、そう長くないかもしれないと告げられたあの日から、
俺の世界は、どこか薄い膜に覆われたように、現実味を失っていた。
そんな俺の目に、いつからか、一人の男が映るようになった。
白石悠真。
教室の一番後ろの、窓際の席。
休み時間も、昼休みも、誰と話すでもなく、ただ静かに、分厚い文庫本の世界に没頭している男。
クラスの誰とも交わろうとしない、まるで自分だけの結界を張っているかのような、孤高の存在。
最初は何とも思わなかった。
俺とは住む世界が違う、ただのクラスメイト。それだけだった。
でも、ある日の放課後、俺は偶然見てしまったのだ。
夕暮れの図書室で、本棚の間に差し込むオレンジ色の光を浴びながら、本を読む悠真の横顔を。
その、息を呑むほど美しい、静謐な光景。
物語の世界に深く入り込み、その瞳をきらきらと輝かせている、その無防備な姿に。
俺は、一瞬で心を奪われた。
ああ、こいつは、俺の知らない、豊かで美しい世界を持っている。
俺が失いつつある「時間」というものを、誰よりも大切に、深く味わって生きている。
その日から、俺の目は、無意識に悠真を追うようになった。
休み時間に、本を読む横顔を。
移動教室の時に、少しだけ猫背で歩く、その背中を。
体育の授業で、誰とも組まずに、一人で黙々とストレッチをしている姿を。
知れば知るほど、俺の心はかき乱された。
もっと、こいつのことを知りたい。
こいつの、あの静かな世界に、少しでもいいから触れてみたい。
でも、俺にそんな資格があるのか?
クラスの人気者で、いつも誰かに囲まれている俺と、孤独を愛する悠真。
太陽と月みたいに、俺たちはあまりにも違いすぎた。
それに、俺には時間がない。
中途半端な気持ちでこいつの世界をかき乱して、途中でいなくなってしまうなんて、そんな無責任なこと、できるはずがなかった。
(……やめとけ、蓮。お前じゃ、ダメだ)
何度も、自分にそう言い聞かせた。
でも、想いは募るばかりだった。
そんな葛藤の中で、俺の病状は、静かに、でも着実に進行していた。
時々、めまいで視界がぐらつく。
練習中に、急に息が上がって、胸が苦しくなる。
そのたびに、俺の心には、焦りと恐怖が黒い影を落とした。
(時間がない。本当に、もう時間がないのかもしれない)
その恐怖が、俺の背中を押した。
後悔だけはしたくない。
たとえ、傷つけることになったとしても。
たとえ、これが俺の身勝手なエゴだったとしても。
俺は、白石悠真という男に、触れたい。
そして、俺は、一つの「めちゃくちゃな計画」を思いついた。
「恋人になってくれ。期間は、一年」
これなら、どうだろう。
「恋人」という、特別な関係になれる口実。
そして、「一年」という、残酷だけど、誠実な期限。
この期限があれば、もし俺に何かあっても、あいつを永遠に縛り付けることにはならない。
一年後、俺は綺麗さっぱり、あいつの前から消えてやればいい。
なんて、自己満足で最低なシナリオだろう。
でも、それしか思いつかなかった。
決行の日の昼休み。
仲間たちとバカ話をしながらも、俺の視線は、ずっと教室の隅の悠真に注がれていた。
心臓が、喉から飛び出しそうなくらい、うるさく鳴っていた。
今だ。今しかない。
俺は仲間たちの輪を抜け、一直線に、あいつの机に向かった。
教室中の視線が集まるのを感じる。
でも、もうどうでもよかった。
「なあ、白石」
俺が声をかけると、悠真はゆっくりと本から顔を上げた。
その、静かで、何もかもを見透かすような瞳に、俺の心臓は大きく跳ねた。
緊張で、喉がカラカラに乾く。
それでも、俺は、人生を懸けた一言を、絞り出した。
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」
悠真は、驚いたように目を丸くして、しばらく固まっていた。
教室が爆笑に包まれても、あいつはただ、俺をじっと見つめていた。
その視線に、俺は「罰ゲームだ」と嘘をつくことすらできなかった。
「冗談じゃねーよ。俺は本気」
これは、俺の、本気の願いだ。
あいつの読んでいた本を、少し強引に取り上げる。
指先が触れただけで、全身に電気が走ったみたいだった。
「じゃあ、そういうことで。よろしくな、悠真」
もう、逃げられないように有無を言わせず、下の名前で呼んで、俺は背を向けた。
友人たちの、からかうような声が、やけに遠くに聞こえる。
振り返ることは、できなかった。
自分の席に戻っても、心臓の音は、まだ鳴り止まなかった。
握りしめた拳が、汗でじっとりと濡れていた。
こうして、俺たちの、歪で、切なくて、そしてかけがえのない「恋人ごっこ」は、始まったんだ。
俺たちはリビングのソファに並んで座り、悠真は足元に置いた文庫本をひょいと弄っていた。
「なあ、悠真」
「ん?」
「覚えてるか、俺がお前に告ったときのこと」
「……忘れるわけないだろ。『恋人になってくれ、期間は一年』って、今思い出しても変な告白だった」
蓮は少し苦笑いを浮かべる。
「……だよな。あのとき、俺、本当に緊張しててさ」
「緊張してたようには見えなかったけど」
「内心ボロボロだったんだよ。だって……時間がない、って思ってたから」
悠真は黙って少し目を細める。
その瞳の奥には、言葉にしなくても伝わる理解があった。
「でも、そんなめちゃくちゃな告白でも……受けてよかったと思ってる」
「俺もだ。あのときがあったから、今こうして一緒に笑えてる」
二人の間に、静かだけどあたたかい空気が流れる。
過去の不安も、恐怖も、全部溶けて、今だけが残る──そんな感覚だった。
◇◇◇
思い返せば、あの頃の俺は、それなりに楽しくて、それなりに充実していた──少なくとも表面上は。
クラスの中心にいて、サッカー部の仲間と馬鹿な話で笑い、放課後はボールを追いかけて……
そんな、どこにでもいる、ありふれた高校生の日常。
でも、俺の心の奥には、誰にも言えない秘密があった。
いつ、この「当たり前」がすべて終わってしまうかわからない、という爆弾を、俺はたった一人で抱えていた。
医者から、自分の体に残された時間が、そう長くないかもしれないと告げられたあの日から、
俺の世界は、どこか薄い膜に覆われたように、現実味を失っていた。
そんな俺の目に、いつからか、一人の男が映るようになった。
白石悠真。
教室の一番後ろの、窓際の席。
休み時間も、昼休みも、誰と話すでもなく、ただ静かに、分厚い文庫本の世界に没頭している男。
クラスの誰とも交わろうとしない、まるで自分だけの結界を張っているかのような、孤高の存在。
最初は何とも思わなかった。
俺とは住む世界が違う、ただのクラスメイト。それだけだった。
でも、ある日の放課後、俺は偶然見てしまったのだ。
夕暮れの図書室で、本棚の間に差し込むオレンジ色の光を浴びながら、本を読む悠真の横顔を。
その、息を呑むほど美しい、静謐な光景。
物語の世界に深く入り込み、その瞳をきらきらと輝かせている、その無防備な姿に。
俺は、一瞬で心を奪われた。
ああ、こいつは、俺の知らない、豊かで美しい世界を持っている。
俺が失いつつある「時間」というものを、誰よりも大切に、深く味わって生きている。
その日から、俺の目は、無意識に悠真を追うようになった。
休み時間に、本を読む横顔を。
移動教室の時に、少しだけ猫背で歩く、その背中を。
体育の授業で、誰とも組まずに、一人で黙々とストレッチをしている姿を。
知れば知るほど、俺の心はかき乱された。
もっと、こいつのことを知りたい。
こいつの、あの静かな世界に、少しでもいいから触れてみたい。
でも、俺にそんな資格があるのか?
クラスの人気者で、いつも誰かに囲まれている俺と、孤独を愛する悠真。
太陽と月みたいに、俺たちはあまりにも違いすぎた。
それに、俺には時間がない。
中途半端な気持ちでこいつの世界をかき乱して、途中でいなくなってしまうなんて、そんな無責任なこと、できるはずがなかった。
(……やめとけ、蓮。お前じゃ、ダメだ)
何度も、自分にそう言い聞かせた。
でも、想いは募るばかりだった。
そんな葛藤の中で、俺の病状は、静かに、でも着実に進行していた。
時々、めまいで視界がぐらつく。
練習中に、急に息が上がって、胸が苦しくなる。
そのたびに、俺の心には、焦りと恐怖が黒い影を落とした。
(時間がない。本当に、もう時間がないのかもしれない)
その恐怖が、俺の背中を押した。
後悔だけはしたくない。
たとえ、傷つけることになったとしても。
たとえ、これが俺の身勝手なエゴだったとしても。
俺は、白石悠真という男に、触れたい。
そして、俺は、一つの「めちゃくちゃな計画」を思いついた。
「恋人になってくれ。期間は、一年」
これなら、どうだろう。
「恋人」という、特別な関係になれる口実。
そして、「一年」という、残酷だけど、誠実な期限。
この期限があれば、もし俺に何かあっても、あいつを永遠に縛り付けることにはならない。
一年後、俺は綺麗さっぱり、あいつの前から消えてやればいい。
なんて、自己満足で最低なシナリオだろう。
でも、それしか思いつかなかった。
決行の日の昼休み。
仲間たちとバカ話をしながらも、俺の視線は、ずっと教室の隅の悠真に注がれていた。
心臓が、喉から飛び出しそうなくらい、うるさく鳴っていた。
今だ。今しかない。
俺は仲間たちの輪を抜け、一直線に、あいつの机に向かった。
教室中の視線が集まるのを感じる。
でも、もうどうでもよかった。
「なあ、白石」
俺が声をかけると、悠真はゆっくりと本から顔を上げた。
その、静かで、何もかもを見透かすような瞳に、俺の心臓は大きく跳ねた。
緊張で、喉がカラカラに乾く。
それでも、俺は、人生を懸けた一言を、絞り出した。
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」
悠真は、驚いたように目を丸くして、しばらく固まっていた。
教室が爆笑に包まれても、あいつはただ、俺をじっと見つめていた。
その視線に、俺は「罰ゲームだ」と嘘をつくことすらできなかった。
「冗談じゃねーよ。俺は本気」
これは、俺の、本気の願いだ。
あいつの読んでいた本を、少し強引に取り上げる。
指先が触れただけで、全身に電気が走ったみたいだった。
「じゃあ、そういうことで。よろしくな、悠真」
もう、逃げられないように有無を言わせず、下の名前で呼んで、俺は背を向けた。
友人たちの、からかうような声が、やけに遠くに聞こえる。
振り返ることは、できなかった。
自分の席に戻っても、心臓の音は、まだ鳴り止まなかった。
握りしめた拳が、汗でじっとりと濡れていた。
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