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【番外編】静寂のち、微熱
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じりじりと夏の気配が忍び寄る、六月の終わり。
期末テストを一週間後に控え、学校全体がどこか浮足立ち、そしてピリついた空気に包まれていた。
「なあ悠真、放課後、俺に勉強教えてくれよ」
昼休み、俺がいつものように教室の隅で本を読んでいると、蓮がクラスの中心からわざわざやって来て、机に手をつきながらそう言った。
その、太陽みたいな笑顔。
でも、数日前の、あの橋の上での出来事が頭をよぎり、俺は素直にその笑顔を見ることができなかった。
あいつが時折見せる、儚げな表情の裏に、一体何が隠されているのか。
俺は、それを知りたいと思ってしまっていた。
「……なんで俺が」
「えー、だって俺たち、恋人だろ?」
悪戯っぽく笑いながら、蓮は小声で囁く。
その言葉に、周りのクラスメイトたちが
「お、神谷が白石に教えを請うてるぞ」
「珍しいな!」
と、ニヤニヤしながら囃し立てる。
うるさい。
俺は心の中で毒づきながらも、結局、断ることはできなかった。
◇◇◇
放課後の図書館は、シン、と静まり返っていた。
高い天井、ずらりと並んだ本棚、そして、古紙とインクの匂い。
それは、俺にとって一番落ち着く、聖域のような場所だった。
そこに、神谷蓮という、太陽みたいに騒がしくて明るい男がいる。
その事実だけで、なんだかひどく、そわそわした。
長テーブルの、窓際の席。
俺たちは隣同士に座り、蓮が持ってきた問題集を開く。
案の定、彼の解答欄は、赤ペンで引かれたバツ印だらけだった。
「……ひどいな、これ」
「うるせえ。わかんねえから聞いてんだろ」
ふてくされたように、蓮が唇を尖らせる。
その、自信に満ち溢れた普段の姿からは想像もつかない、子供みたいな表情。
俺は、あの橋の上で見た、儚げな横顔を思い出していた。
こいつは、本当はどっちなんだろう。強いのか、弱いのか。
「いいか、この問題は、まずこの公式を使うんだ。お前、公式を覚えてないから、応用が利かないんだよ」
「うわ、悠真、教え方スパルタすぎ……」
「嫌ならやめるか?」
「やめません!お願いします、先生!」
蓮が、わざとらしく両手を合わせて頭を下げる。
その、ふざけた態度に呆れながらも、俺はペンを取り、蓮のノートに解法を書き込んでいく。
指先が、ノートを介して、ほんの少しだけ蓮の指に触れた。
びくり、と肩が震える。
蓮は気づいていないのか、俺が書く数式を、真剣な顔でじっと見つめていた。
その真剣な眼差しは、あの日の「後悔しないようにしてんだ」と呟いた時の目に、少しだけ似ている気がした。
静かな空間に、カリカリ、と俺のシャープペンシルが走る音だけが響く。
隣にいる蓮の体温が、息遣いが、すぐそばで感じられる。
そのことが、俺の心を、少しずつ、でも確実に乱していった。
「――で、この値をここに代入すれば、答えが出る。わかったか?」
「……なるほど。そういうことか。すげえ、悠真!なんでそんなにスラスラ解けるんだよ」
「お前が勉強してないだけだろ」
「ひでえ!」
俺たちの小声でのやり取りに、近くの席に座っていた生徒が、くすくすと笑ったのがわかった。
まずい、と思って口をつぐむと、蓮は、俺の顔を覗き込むようにして、悪戯っぽく笑った。
「なあ、悠真。顔、赤いぞ」
「……気のせいだ」
「へえ、そうかなあ?」
その、からかうような視線に耐えきれず、俺は顔を背けた。
窓の外では、夕日が空を茜色に染め始めている。
あの日の橋の上と、同じ色の空だ。
「……悪かったって。でも、マジで助かった。ありがとうな、悠真」
不意に、蓮の声が、いつものおちゃらけたものではなく、真剣なトーンに変わった。
驚いて隣を見ると、彼は、少しだけ照れくさそうに、でも、真っ直ぐに俺の目を見ていた。
「お前のおかげで、少しだけ、数学が面白いと思えたかも」
その、不意打ちのような素直な言葉に、今度こそ、俺の心臓は大きく跳ねた。
顔に、じわりと熱が集まるのがわかる。
「……そうか」
たったそれだけを返すのが、俺の精一杯だった。
でも、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。
誰かに頼られること。
誰かの役に立つこと。
そんな、今まで知らなかった感情が、俺の中に芽生え始めている。
そして、この太陽みたいな男の、誰も知らない一面を、俺だけが知っているのかもしれない、という、微かな優越感。
「なあ、蓮」
「ん?」
「……また、わからないところがあったら、聞いていいから」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
俺の言葉に、蓮は一瞬だけ、きょとんと目を丸くして、それから、今まで見た中で一番、太陽みたいな笑顔で、破顔した。
「マジで!?やった!さすが俺の恋人!」
「……声がでかい、馬鹿」
俺は、慌てて彼の口を手で塞いだ。
図書館中に響き渡るんじゃないかという声量に、周りの視線が一斉に突き刺さる。
それでも、俺の手のひらの下で「ありがとな、悠真」と、くぐもった声で笑う蓮の顔を見ていたら。
まあ、たまには、こういうのも悪くないのかもしれないな、なんて。
らしくないことを、少しだけ、思ってしまったんだ。
テスト期間が終わったら、夏休みが来る。
この、ぎこちない「恋人ごっこ」の、初めての夏。
俺は、この男の、あの儚げな表情の理由を、知ることができるのだろうか。
俺は、夕焼けに染まる蓮の横顔を盗み見ながら、そんなことを、ぼんやりと考えていた。
期末テストを一週間後に控え、学校全体がどこか浮足立ち、そしてピリついた空気に包まれていた。
「なあ悠真、放課後、俺に勉強教えてくれよ」
昼休み、俺がいつものように教室の隅で本を読んでいると、蓮がクラスの中心からわざわざやって来て、机に手をつきながらそう言った。
その、太陽みたいな笑顔。
でも、数日前の、あの橋の上での出来事が頭をよぎり、俺は素直にその笑顔を見ることができなかった。
あいつが時折見せる、儚げな表情の裏に、一体何が隠されているのか。
俺は、それを知りたいと思ってしまっていた。
「……なんで俺が」
「えー、だって俺たち、恋人だろ?」
悪戯っぽく笑いながら、蓮は小声で囁く。
その言葉に、周りのクラスメイトたちが
「お、神谷が白石に教えを請うてるぞ」
「珍しいな!」
と、ニヤニヤしながら囃し立てる。
うるさい。
俺は心の中で毒づきながらも、結局、断ることはできなかった。
◇◇◇
放課後の図書館は、シン、と静まり返っていた。
高い天井、ずらりと並んだ本棚、そして、古紙とインクの匂い。
それは、俺にとって一番落ち着く、聖域のような場所だった。
そこに、神谷蓮という、太陽みたいに騒がしくて明るい男がいる。
その事実だけで、なんだかひどく、そわそわした。
長テーブルの、窓際の席。
俺たちは隣同士に座り、蓮が持ってきた問題集を開く。
案の定、彼の解答欄は、赤ペンで引かれたバツ印だらけだった。
「……ひどいな、これ」
「うるせえ。わかんねえから聞いてんだろ」
ふてくされたように、蓮が唇を尖らせる。
その、自信に満ち溢れた普段の姿からは想像もつかない、子供みたいな表情。
俺は、あの橋の上で見た、儚げな横顔を思い出していた。
こいつは、本当はどっちなんだろう。強いのか、弱いのか。
「いいか、この問題は、まずこの公式を使うんだ。お前、公式を覚えてないから、応用が利かないんだよ」
「うわ、悠真、教え方スパルタすぎ……」
「嫌ならやめるか?」
「やめません!お願いします、先生!」
蓮が、わざとらしく両手を合わせて頭を下げる。
その、ふざけた態度に呆れながらも、俺はペンを取り、蓮のノートに解法を書き込んでいく。
指先が、ノートを介して、ほんの少しだけ蓮の指に触れた。
びくり、と肩が震える。
蓮は気づいていないのか、俺が書く数式を、真剣な顔でじっと見つめていた。
その真剣な眼差しは、あの日の「後悔しないようにしてんだ」と呟いた時の目に、少しだけ似ている気がした。
静かな空間に、カリカリ、と俺のシャープペンシルが走る音だけが響く。
隣にいる蓮の体温が、息遣いが、すぐそばで感じられる。
そのことが、俺の心を、少しずつ、でも確実に乱していった。
「――で、この値をここに代入すれば、答えが出る。わかったか?」
「……なるほど。そういうことか。すげえ、悠真!なんでそんなにスラスラ解けるんだよ」
「お前が勉強してないだけだろ」
「ひでえ!」
俺たちの小声でのやり取りに、近くの席に座っていた生徒が、くすくすと笑ったのがわかった。
まずい、と思って口をつぐむと、蓮は、俺の顔を覗き込むようにして、悪戯っぽく笑った。
「なあ、悠真。顔、赤いぞ」
「……気のせいだ」
「へえ、そうかなあ?」
その、からかうような視線に耐えきれず、俺は顔を背けた。
窓の外では、夕日が空を茜色に染め始めている。
あの日の橋の上と、同じ色の空だ。
「……悪かったって。でも、マジで助かった。ありがとうな、悠真」
不意に、蓮の声が、いつものおちゃらけたものではなく、真剣なトーンに変わった。
驚いて隣を見ると、彼は、少しだけ照れくさそうに、でも、真っ直ぐに俺の目を見ていた。
「お前のおかげで、少しだけ、数学が面白いと思えたかも」
その、不意打ちのような素直な言葉に、今度こそ、俺の心臓は大きく跳ねた。
顔に、じわりと熱が集まるのがわかる。
「……そうか」
たったそれだけを返すのが、俺の精一杯だった。
でも、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。
誰かに頼られること。
誰かの役に立つこと。
そんな、今まで知らなかった感情が、俺の中に芽生え始めている。
そして、この太陽みたいな男の、誰も知らない一面を、俺だけが知っているのかもしれない、という、微かな優越感。
「なあ、蓮」
「ん?」
「……また、わからないところがあったら、聞いていいから」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
俺の言葉に、蓮は一瞬だけ、きょとんと目を丸くして、それから、今まで見た中で一番、太陽みたいな笑顔で、破顔した。
「マジで!?やった!さすが俺の恋人!」
「……声がでかい、馬鹿」
俺は、慌てて彼の口を手で塞いだ。
図書館中に響き渡るんじゃないかという声量に、周りの視線が一斉に突き刺さる。
それでも、俺の手のひらの下で「ありがとな、悠真」と、くぐもった声で笑う蓮の顔を見ていたら。
まあ、たまには、こういうのも悪くないのかもしれないな、なんて。
らしくないことを、少しだけ、思ってしまったんだ。
テスト期間が終わったら、夏休みが来る。
この、ぎこちない「恋人ごっこ」の、初めての夏。
俺は、この男の、あの儚げな表情の理由を、知ることができるのだろうか。
俺は、夕焼けに染まる蓮の横顔を盗み見ながら、そんなことを、ぼんやりと考えていた。
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