【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの

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家を捨てても、守りたい

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だが、偽りの平穏は、あまりにも脆く崩れ去った。
あれから数日。珍しく怜司は終日自宅におり、翔太はどこか浮き足立ったような、それでいて心地よい時間を過ごしていた。だが、その穏やかな時間は、無機質なインターホンの音によって無慈悲に断ち切られた。

「怜司様、本家より、伯父様と叔母様が……」

使用人がリビングの入口で、声を潜めて報告するのが聞こえた瞬間、怜司の表情が氷のように固くなったのを、翔太は見逃さなかった。

「……応接室を使う。翔太は、部屋に戻っていてくれ」

その一言に、胸がざわりと冷えた。穏やかな言葉とは裏腹に、それは翔太をこの場から遠ざけようとする、明確な壁だった。

「……なんで?俺がいたら、まずいの?」

「そういう話になる可能性がある。君に、余計な心労はかけさせたくない」

怜司の目は、有無を言わせぬ力を持っていた。翔太は黙って頷き、自室へと引き返した。……けれど、閉じた扉一枚を隔てたすぐ外から、くぐもった声が漏れ聞こえてきてしまう。好奇心と恐怖心に苛まれながら、翔太は壁に耳を当てた。

「怜司、お前は冷静で聡明な子だと思っていたが……落胆したぞ。なぜ、あのような出自も知れぬオメガを身近に置く?お前の今の立場を考えれば、それは一時の気の迷いにすぎない。
鷹城の血を残すならば、それにふさわしい家柄のオメガか、あるいは優秀なアルファを番に迎えるのが筋道というものだろう」

「その判断は、俺がします。伯父上が口を挟むことではありません」

怜司の低く、静かな声に、空気がピリリと張り詰めるのが伝わってくる。

「……お前が、それほどまでに感情に振り回される人間だったとはな」

「感情ではありません。俺は、彼を必要としているのです」

「お前のためを思って忠告しているのだ!鷹城の信用は、お前の気まぐれ一つで揺らぐような軽いものではない!お前の立場は、もはや鷹城の未来そのものなのだぞ!」

そこまで聞いたところで、翔太は両手で強く耳を塞いだ。……やっぱり、そうだ。俺なんかじゃ、ダメなんだ。
心の奥底に、氷のように冷たい水がじわじわと流し込まれていく感覚。怜司がどんなに強い言葉で庇ってくれても、俺の存在そのものが、彼の足を引っ張るものでしかない。名家の空気なんて、息が詰まるだけだ。

しばらくして、玄関の方から複数の足音が遠ざかっていく。リビングに戻ってきた怜司は、部屋の隅で膝を抱えていた俺の顔を見るなり、すぐに全てを察したようだった。

「……聞いていたな」

「……うん」

「言いたいことがあるなら、言え」

「……ないよ。だって、あの人たちの言ったこと、全部正論だったから。俺がいたら、あんたの立場が危うくなるって。俺、あんたの邪魔だよな」

自分で口にした言葉が、鋭い刃となって自分の胸に突き刺さった。怜司は数秒、沈黙した後、静かに俺の正面に腰を下ろした。

「翔太。君は、俺の人生に必要だ。これは感情論じゃない。俺の、選択だ」

「でも、あんたの家は、それを許さない」

「許させる。それが無理なら……この家を捨てる覚悟も、俺にはある」

その言葉に、息が止まりそうになった。鷹城という、巨大な看板を捨てる。それは、この男が今まで築き上げてきた全てを捨てることと同義だ。

「……ほんとに、バカだな、あんた」

「君がそう言うのなら、それでも構わない」

怜司の目は、どこまでもまっすぐだった。その揺るぎない視線に、恐怖と、ほんの少しだけ芽生えた希望が混じり合って……俺は、返す言葉を見失った。「家を捨てる覚悟もある」。その言葉が、重い錨のように胸の奥にずっと残り続けた。
でも、そんなの、現実的じゃない。あの重圧を間近で感じてしまった今ならわかる。怜司は、あまりにも多くのものを背負っている。鷹城の未来、従業員たちの生活。それを、俺一人のために投げ捨てることなんて、できるはずがない。

「……無理だよ。俺を、守るなんて。あんな人たちを敵に回してまで。あんたは、そんなことしちゃいけない人間なんだ」

「それは、君が決めることではない。俺の人生は、俺が選ぶ」

「でも!」

思わず声を荒げた瞬間、怜司がそっと手を伸ばしてきた。
俺の頬に触れた指先は、信じられないくらい優しくて、張り詰めていた身体の力が、ふっと抜けた。

「君が俺の傍からいなくなるほうが、ずっと無理だ」

ぽつりと、零れ落ちるように紡がれたその言葉に、胸がどうしようもなく熱くなった。

「……俺は、まだ、信じられないよ。番とか、運命とか……親父が家を出ていったのも、全部、運命ってやつのせいにされて、俺たちには何も残らなかった。あんたがそう言ってくれるのは、すごく嬉しい。嬉しいけど……俺には、あんたに返せるものなんて、何もないんだ。ただの契約相手でしかない。体も、心も不完全で、役立たずで……」

「違う」

その声は、今まで聞いた中で一番強く、はっきりとしていて、俺の卑屈な自己否定を、根こそぎ打ち消した。

「君は、俺にとって、たった一人の必要な人間だ。仮初めだろうが、契約だろうが、そんなものは理由にならない。俺が君を選んだ。それだけが、俺にとっての真実だ」

俺は、もう何も返せなかった。言葉が出なかった。けど、たったひとつだけ、できたことがあった。
吸い寄せられるように、怜司の胸に額を寄せた。目を閉じると、彼の心臓の音が、静かに、力強く聞こえた。どこまでも穏やかで、まっすぐな音。

「……信じたいって、思っても、いいのかな」

か細い声で尋ねると、頭上から、確かな声が降ってきた。

「もちろんだ」

その声を聞いた瞬間、堪えていた涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちた。ようやく、誰かの「選択」に、自分の名前を呼ばれた気がした。
そして初めて、「この人と一緒に未来を見てもいいのかもしれない」と、心の底から思えた。

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