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仮の番の、その先で
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半年の猶予が過ぎてからも劇的には変わらなかった。
翌朝も出社し、株価は上がったり下がったりし、社内メールは容赦なく届く。ニュースは相変わらず騒がしくて、街は今日も忙しなく動いている。
ただ、一つだけ確かな違いがあるとしたら――
「翔太、そろそろ出ないと会議に間に合わない」
「わかってるって。ネクタイを直してるから待ってて」
リビングの大きな窓から朝日が差し込む中、翔太は鏡の前でネクタイに悪戦苦闘していた。その背後から伸びてきた怜司の手が、慣れた所作で布を整える。
「……はい、完成だ」
「ありがと。……なんかさ、最初の頃もこうやってやってもらった気がする」
「最初の頃は、君はもっと文句を言っていた。近い。自分でできると」
「……今も近いけど?でも、もう文句は言わない」
鏡越しに目が合い、ふっと笑いあう。その自然さが、胸にじんわりと広がった。
***
会社では、少しずつ周囲の態度も変わり始めていた。
「朝倉さん、この前のアンケート、すごく助かりました。あれで現場の不満、やっと本社に伝わったんですよ」
「社長、今日はいつもより機嫌いいですね」
「番さんと一緒に来てる日だからな」
最初は好奇の視線と噂話ばかりだった。それでも怜司が何度も「これが自分の番だ」と公然と言い切り、翔太を同席させ続けたことで、徐々に「そこにいるのが当たり前」になっていく。
「ねえ怜司。俺、本当にここにいていいんだよね?」
エレベーターの中、ふと不安が顔を出す。
「当然だ。……君が、一緒にいたいと言ったんだろう」
「言ったっけ、そんなこと」
「言った。あなたと一緒に立っていたいと」
「うわ、やめて、なんかすごい過去の自分に直撃する」
照れ隠しに顔を覆う翔太の手を、怜司はそっと外した。
「今も同じだろう?」
「……うん。今も、これからも」
***
週末。
久しぶりに休みが合った二人は、あの「空星図書館」に足を運んでいた。
「相変わらず、静かだね」
「ここは、変わらない。その代わり……俺の隣にいる人間だけが変わった」
怜司がぽつりと言う。
「ここで、昔の俺は偽りの王子に憧れていた。仮面を被って、本物の王子のふりをして、誰にも本当の顔を見せないまま国を守る男に」
「うん。覚えてる」
「あのときは、それでいいと思っていた。自分の本音などどうでもよかった。家を守るためなら、全部飲み込んで生きていくつもりだった」
怜司は本棚から、あの童話集を手に取る。
「でも今は違う。仮面を被った王子なんかより、隣で泣いたり笑ったりしてくれる、ただの一人がいい」
本を閉じて、翔太の方へ向き直る。
「翔太。俺の人生は、多分これからも面倒ごとだらけだ。家も会社も、きれいごとだけでは済まない世界だ」
「うん、知ってる。ちょっとはね」
「それでも君が一緒に来てくれるなら、俺は何度でも選ぶ。……君だけを」
静かな図書館に、告白とも誓いともつかない言葉が落ちる。
翔太は、少しだけ目を細めた。
「ずるいなぁ。そういうこと言うとさ、また好きになるじゃん」
「それは困るな。既に限界まで好かれていると思っているが?」
「自分で言うな、バカ」
言いながら、翔太は怜司の胸に額を預けた。
「俺もさ。たぶん、これからも迷ったり不安になったりすると思う。劣勢オメガだって言われるのも、多分ぜんぶなくなるわけじゃないし」
「なくならないだろうな」
「うん。でも、そのたびに思い出すよ。あの日、俺を見つけてくれて、仮の番じゃなくて、俺自身を選んでくれたこと」
怜司の腕が、そっと翔太の背中を抱き寄せる。
「その選択は、一度も間違いだったと思ったことはない」
「……俺も。あんたの隣に戻るって決めたあの日から、一度も後悔してない」
図書館の窓から射し込む光が、二人の影を足元で重ねる。
「ねえ怜司。これから先、もしさ。本当にどうしようもなくなったら……」
「どうしようもなくなったら?」
「二人で、どっかに逃げよっか。家も会社も全部捨ててさ。ちっちゃいアパートで、コンビニ弁当食べながら、くだらないドラマ見てさ」
「劣悪な生活環境だな」
「じゃあせめて、アパートじゃなくてマンションにしてもらっていい?」
「考えておこう。そのときは、君が好きな高級スイーツも用意する」
「……やめて。あれはやけ食いの味だから、あんまり思い出したくない」
二人で笑う。その笑い声が、長い年月を経て静まり返った図書館に、ゆっくりと溶けていく。
***
帰り道、夕焼けに染まる街を歩きながら、翔太はふと空を見上げた。
「仮の番、だった頃の俺ってさ。今の俺を見たら、どう思うかな」
「羨ましがるだろうな。そんな未来、想像できなかった。と」
「だよね。……でも、あのときの俺がいたから、今の俺もいるんだよな」
「過去の君が、今の君をここまで連れてきた。だから、俺はあの頃の君にも感謝している」
「何それ。惚れ直させる気?」
「既に惚れているのでは?」
「……るよ。言わせんな」
頬を赤くしながら、翔太は怜司の手を握る。
その手は、仮の契約でも、形式だけの繋がりでもない。ただ一人の「番」として、互いを選び合った証だった。
「怜司」
「なんだ?」
「これからもさ。何回でも言ってね。君を選ぶって」
「何度でも言おう。君が、聞き飽きるくらいに」
「じゃあ俺も、何回でも言う。あんたが好きだって」
夕焼けの光の中で、二人の影がまた並んで伸びる。
仮の番から始まった関係は、いつしか誰にも揺るがせない本物になっていた。
血でも、契約でもなく、自分たちの意志で選び取った絆。
どれだけ時間が経っても、どれだけ状況が変わっても――
この手だけは、決して離さない。
それが、二人が共に選んだ未来の形だった。
翌朝も出社し、株価は上がったり下がったりし、社内メールは容赦なく届く。ニュースは相変わらず騒がしくて、街は今日も忙しなく動いている。
ただ、一つだけ確かな違いがあるとしたら――
「翔太、そろそろ出ないと会議に間に合わない」
「わかってるって。ネクタイを直してるから待ってて」
リビングの大きな窓から朝日が差し込む中、翔太は鏡の前でネクタイに悪戦苦闘していた。その背後から伸びてきた怜司の手が、慣れた所作で布を整える。
「……はい、完成だ」
「ありがと。……なんかさ、最初の頃もこうやってやってもらった気がする」
「最初の頃は、君はもっと文句を言っていた。近い。自分でできると」
「……今も近いけど?でも、もう文句は言わない」
鏡越しに目が合い、ふっと笑いあう。その自然さが、胸にじんわりと広がった。
***
会社では、少しずつ周囲の態度も変わり始めていた。
「朝倉さん、この前のアンケート、すごく助かりました。あれで現場の不満、やっと本社に伝わったんですよ」
「社長、今日はいつもより機嫌いいですね」
「番さんと一緒に来てる日だからな」
最初は好奇の視線と噂話ばかりだった。それでも怜司が何度も「これが自分の番だ」と公然と言い切り、翔太を同席させ続けたことで、徐々に「そこにいるのが当たり前」になっていく。
「ねえ怜司。俺、本当にここにいていいんだよね?」
エレベーターの中、ふと不安が顔を出す。
「当然だ。……君が、一緒にいたいと言ったんだろう」
「言ったっけ、そんなこと」
「言った。あなたと一緒に立っていたいと」
「うわ、やめて、なんかすごい過去の自分に直撃する」
照れ隠しに顔を覆う翔太の手を、怜司はそっと外した。
「今も同じだろう?」
「……うん。今も、これからも」
***
週末。
久しぶりに休みが合った二人は、あの「空星図書館」に足を運んでいた。
「相変わらず、静かだね」
「ここは、変わらない。その代わり……俺の隣にいる人間だけが変わった」
怜司がぽつりと言う。
「ここで、昔の俺は偽りの王子に憧れていた。仮面を被って、本物の王子のふりをして、誰にも本当の顔を見せないまま国を守る男に」
「うん。覚えてる」
「あのときは、それでいいと思っていた。自分の本音などどうでもよかった。家を守るためなら、全部飲み込んで生きていくつもりだった」
怜司は本棚から、あの童話集を手に取る。
「でも今は違う。仮面を被った王子なんかより、隣で泣いたり笑ったりしてくれる、ただの一人がいい」
本を閉じて、翔太の方へ向き直る。
「翔太。俺の人生は、多分これからも面倒ごとだらけだ。家も会社も、きれいごとだけでは済まない世界だ」
「うん、知ってる。ちょっとはね」
「それでも君が一緒に来てくれるなら、俺は何度でも選ぶ。……君だけを」
静かな図書館に、告白とも誓いともつかない言葉が落ちる。
翔太は、少しだけ目を細めた。
「ずるいなぁ。そういうこと言うとさ、また好きになるじゃん」
「それは困るな。既に限界まで好かれていると思っているが?」
「自分で言うな、バカ」
言いながら、翔太は怜司の胸に額を預けた。
「俺もさ。たぶん、これからも迷ったり不安になったりすると思う。劣勢オメガだって言われるのも、多分ぜんぶなくなるわけじゃないし」
「なくならないだろうな」
「うん。でも、そのたびに思い出すよ。あの日、俺を見つけてくれて、仮の番じゃなくて、俺自身を選んでくれたこと」
怜司の腕が、そっと翔太の背中を抱き寄せる。
「その選択は、一度も間違いだったと思ったことはない」
「……俺も。あんたの隣に戻るって決めたあの日から、一度も後悔してない」
図書館の窓から射し込む光が、二人の影を足元で重ねる。
「ねえ怜司。これから先、もしさ。本当にどうしようもなくなったら……」
「どうしようもなくなったら?」
「二人で、どっかに逃げよっか。家も会社も全部捨ててさ。ちっちゃいアパートで、コンビニ弁当食べながら、くだらないドラマ見てさ」
「劣悪な生活環境だな」
「じゃあせめて、アパートじゃなくてマンションにしてもらっていい?」
「考えておこう。そのときは、君が好きな高級スイーツも用意する」
「……やめて。あれはやけ食いの味だから、あんまり思い出したくない」
二人で笑う。その笑い声が、長い年月を経て静まり返った図書館に、ゆっくりと溶けていく。
***
帰り道、夕焼けに染まる街を歩きながら、翔太はふと空を見上げた。
「仮の番、だった頃の俺ってさ。今の俺を見たら、どう思うかな」
「羨ましがるだろうな。そんな未来、想像できなかった。と」
「だよね。……でも、あのときの俺がいたから、今の俺もいるんだよな」
「過去の君が、今の君をここまで連れてきた。だから、俺はあの頃の君にも感謝している」
「何それ。惚れ直させる気?」
「既に惚れているのでは?」
「……るよ。言わせんな」
頬を赤くしながら、翔太は怜司の手を握る。
その手は、仮の契約でも、形式だけの繋がりでもない。ただ一人の「番」として、互いを選び合った証だった。
「怜司」
「なんだ?」
「これからもさ。何回でも言ってね。君を選ぶって」
「何度でも言おう。君が、聞き飽きるくらいに」
「じゃあ俺も、何回でも言う。あんたが好きだって」
夕焼けの光の中で、二人の影がまた並んで伸びる。
仮の番から始まった関係は、いつしか誰にも揺るがせない本物になっていた。
血でも、契約でもなく、自分たちの意志で選び取った絆。
どれだけ時間が経っても、どれだけ状況が変わっても――
この手だけは、決して離さない。
それが、二人が共に選んだ未来の形だった。
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