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第四章:心の揺らぎ
第十五話:金色の鳥籠
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その日を境に、ユリアンの生活は一変した。
北塔の陽の当たらない牢獄のような部屋から、獣王の私室へと。それは、物理的な移動以上の、二人の関係性の決定的な変化を意味していた。
ライオネルの宣言通り、ユリアンは彼の目の届く範囲から一歩も出ることが許されなくなった。
広大な王の私室は、快適で、何一つ不自由はなかった。豪華な寝台、肌触りの良い衣服、そして望めばどんな書物でも侍従が運んでくる。それはまるで、金色の鳥籠に囚われた鳥のようだと、ユリアンは思った。
食事も、ライオネルと共に摂るようになった。
広いテーブルの向かいに座る絶対的な王。
最初のうちは、緊張で食事の味など全く分からなかった。カトラリーの触れ合う音だけが、気まずく響く。
しかし、そんな日々が数日続いたある夜、ライオネルがぽつりと呟いた。
「……昼間、宰相が来ていた。隣国との交易路について、新たな提案があった」
それは、政務に関する、他愛のない話だった。
だが、ユリアンにとっては、ライオネルが初めて自らの内側を見せた瞬間のように感じられた。
「……それは、どのような?」
「北の山脈を越える、新たなルートを開拓したいらしい。だが、そこは古くから雪豹の獣人たちが住む聖域だ。交渉は難航するだろう」
ユリアンは、書庫で読んだ知識を思い出しながら答えた。
「雪豹の氏族(しぞく)は、月の女神を信仰していると聞きました。彼らにとって神聖な薬草である『月光草』を、王国の薬草園で栽培し、それを友好の証として贈ることはできないでしょうか」
その言葉に、ライオネルは目を見張った。
ユリアンの聡明さ豊富な知識。それは、政略の駒として育てられた故のものなのか、あるいは彼自身の資質なのか。
「……面白い。グレンに検討させてみよう」
ライオネルの口元に、初めて笑みと呼べるものが浮かんだのを、ユリアンは見逃さなかった。それはまだ、氷の彫刻に刻まれたような、硬い笑みだったが、確かな変化の兆しだった。
その夜から、二人の食事の時間は、少しずつ変わっていった。
ライオネルは、その日の政務について語り、ユリアンは自らの知識をもって、それに意見を述べる。
それはまるで、王と、その最も信頼する参謀との対話のようだった。
ユリアンは、自分がただの飾りではなく、彼の役に立てているという事実に静かな喜びを感じていた。
しかし、夜になると、二人の関係はまた別の顔を見せる。
同じ部屋で眠るようになってから、ライオネルは毎晩のようにユリアンの体を求めた。それは、まだ愛と呼ぶにはあまりにも一方的で、所有欲に満ちた行為だった。
番であると宣言し、唇を奪ったあの夜のように、彼はユリアンの体を貪るように抱きしめ、その香りを吸い込み、そして何度も所有印を刻みつけるかのように肌を合わせた。
ユリアンは、恐怖と、そして抗いがたい快感の中で、ただ彼を受け入れることしかできない。
αのフェロモンに煽られ、Ωとしての本能が、彼の支配を喜んで受け入れてしまう。悔しいのに体は正直に反応し、熱を帯びていく。
行為が終わった後、ライオネルは決まってユリアンに背を向け、すぐに眠りについた。その背中からは、己の欲望を満たした後の深い自己嫌悪のような空気が感じられた。
彼は、ユリアンを求めてしまう自分自身を、まだ許せずにいるのだ。
ユリアンは、彼の広い背中を見つめながら、静かに涙を流す。
昼間は、まるで対等なパートナーのように言葉を交わすのに、夜はただ欲望の捌け口にされる。その歪な関係が、ユリアンの心を少しずつ蝕んでいた。
それでも、ユリアンは彼を拒むことができなかった。
なぜなら、彼の腕の中にいる時だけ、ユリアンは自分が確かに彼の「番」なのだと、実感することができたからだ。
――たとえそれが、愛のない行為だったとしても。
ある朝、ユリアンが目を覚ますと、隣にライオネルの姿はなかった。彼はいつも、夜明け前に起き出して鍛錬に向かう。
寝台の上に、ぽつんと置かれた一輪の花。それは、薬草園に咲いていた、小さな白い花だった。
ノアが、「ユリアンみたいだね」と言って笑っていた、あの花。
ライオネルが、これを?
なぜ?
ユリアンは、その花をそっと手に取った。
そこには、何の言葉も添えられていない。だが、それは、どんな言葉よりも雄弁に、彼の不器用な心を物語っているように思えた。
昼間の知的なパートナー、夜の欲望の対象、そして、朝にそっと花を置く謎めいた男。
ライオネルという人間の多面性に、ユリアンはますます惹きつけられ、そして混乱していく。
金色の鳥籠の中で、ユリアンの心は、喜びと悲しみの間を、激しく揺れ動いていた。
北塔の陽の当たらない牢獄のような部屋から、獣王の私室へと。それは、物理的な移動以上の、二人の関係性の決定的な変化を意味していた。
ライオネルの宣言通り、ユリアンは彼の目の届く範囲から一歩も出ることが許されなくなった。
広大な王の私室は、快適で、何一つ不自由はなかった。豪華な寝台、肌触りの良い衣服、そして望めばどんな書物でも侍従が運んでくる。それはまるで、金色の鳥籠に囚われた鳥のようだと、ユリアンは思った。
食事も、ライオネルと共に摂るようになった。
広いテーブルの向かいに座る絶対的な王。
最初のうちは、緊張で食事の味など全く分からなかった。カトラリーの触れ合う音だけが、気まずく響く。
しかし、そんな日々が数日続いたある夜、ライオネルがぽつりと呟いた。
「……昼間、宰相が来ていた。隣国との交易路について、新たな提案があった」
それは、政務に関する、他愛のない話だった。
だが、ユリアンにとっては、ライオネルが初めて自らの内側を見せた瞬間のように感じられた。
「……それは、どのような?」
「北の山脈を越える、新たなルートを開拓したいらしい。だが、そこは古くから雪豹の獣人たちが住む聖域だ。交渉は難航するだろう」
ユリアンは、書庫で読んだ知識を思い出しながら答えた。
「雪豹の氏族(しぞく)は、月の女神を信仰していると聞きました。彼らにとって神聖な薬草である『月光草』を、王国の薬草園で栽培し、それを友好の証として贈ることはできないでしょうか」
その言葉に、ライオネルは目を見張った。
ユリアンの聡明さ豊富な知識。それは、政略の駒として育てられた故のものなのか、あるいは彼自身の資質なのか。
「……面白い。グレンに検討させてみよう」
ライオネルの口元に、初めて笑みと呼べるものが浮かんだのを、ユリアンは見逃さなかった。それはまだ、氷の彫刻に刻まれたような、硬い笑みだったが、確かな変化の兆しだった。
その夜から、二人の食事の時間は、少しずつ変わっていった。
ライオネルは、その日の政務について語り、ユリアンは自らの知識をもって、それに意見を述べる。
それはまるで、王と、その最も信頼する参謀との対話のようだった。
ユリアンは、自分がただの飾りではなく、彼の役に立てているという事実に静かな喜びを感じていた。
しかし、夜になると、二人の関係はまた別の顔を見せる。
同じ部屋で眠るようになってから、ライオネルは毎晩のようにユリアンの体を求めた。それは、まだ愛と呼ぶにはあまりにも一方的で、所有欲に満ちた行為だった。
番であると宣言し、唇を奪ったあの夜のように、彼はユリアンの体を貪るように抱きしめ、その香りを吸い込み、そして何度も所有印を刻みつけるかのように肌を合わせた。
ユリアンは、恐怖と、そして抗いがたい快感の中で、ただ彼を受け入れることしかできない。
αのフェロモンに煽られ、Ωとしての本能が、彼の支配を喜んで受け入れてしまう。悔しいのに体は正直に反応し、熱を帯びていく。
行為が終わった後、ライオネルは決まってユリアンに背を向け、すぐに眠りについた。その背中からは、己の欲望を満たした後の深い自己嫌悪のような空気が感じられた。
彼は、ユリアンを求めてしまう自分自身を、まだ許せずにいるのだ。
ユリアンは、彼の広い背中を見つめながら、静かに涙を流す。
昼間は、まるで対等なパートナーのように言葉を交わすのに、夜はただ欲望の捌け口にされる。その歪な関係が、ユリアンの心を少しずつ蝕んでいた。
それでも、ユリアンは彼を拒むことができなかった。
なぜなら、彼の腕の中にいる時だけ、ユリアンは自分が確かに彼の「番」なのだと、実感することができたからだ。
――たとえそれが、愛のない行為だったとしても。
ある朝、ユリアンが目を覚ますと、隣にライオネルの姿はなかった。彼はいつも、夜明け前に起き出して鍛錬に向かう。
寝台の上に、ぽつんと置かれた一輪の花。それは、薬草園に咲いていた、小さな白い花だった。
ノアが、「ユリアンみたいだね」と言って笑っていた、あの花。
ライオネルが、これを?
なぜ?
ユリアンは、その花をそっと手に取った。
そこには、何の言葉も添えられていない。だが、それは、どんな言葉よりも雄弁に、彼の不器用な心を物語っているように思えた。
昼間の知的なパートナー、夜の欲望の対象、そして、朝にそっと花を置く謎めいた男。
ライオネルという人間の多面性に、ユリアンはますます惹きつけられ、そして混乱していく。
金色の鳥籠の中で、ユリアンの心は、喜びと悲しみの間を、激しく揺れ動いていた。
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