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「……あの、マーサさん。今日は何か特別なイベントでもあるのでしょうか?」
私は鏡の中に映る自分を見て、おずおずと尋ねた。
今日の私は、いつも以上に気合を入れて磨き上げられている。
ドレスは公爵家の瞳の色と同じ、深いミッドナイトブルーのシルク。
首元には大粒のサファイア。
髪は複雑に編み込まれ、真珠の髪飾りが散りばめられている。
侍女長のマーサさんは、仕上げに香水をひと吹きしながら、意味深に微笑んだ。
「ええ、とても特別な日でございますとも。公爵家の歴史が変わる日かもしれませんわ」
「歴史……?」
「さあ、準備は整いました。旦那様が中庭でお待ちです」
背中を押され、私は廊下へと出た。
使用人たちが廊下の脇に整列し、無言で、しかし満面の笑みで私を見送ってくれる。
なんだろう、この「行ってらっしゃい(嫁入り)」感は。
心臓がトクトクと鳴るのを感じながら、私は中庭への扉を開けた。
そこは、幻想的な光に包まれていた。
普段は太陽の光が降り注ぐローズガーデンが、今は無数の魔石ランプによってライトアップされている。
青白い光がバラの花弁を照らし、まるで宝石の海のようだ。
その中央にあるガゼボ(西洋風東屋)に、彼が立っていた。
アレクセイ様だ。
いつものラフな格好ではない。
公爵家の正装である、白と銀を基調とした軍服風の礼服に身を包んでいる。
銀色の髪は整えられ、月光の下で神々しいまでに輝いていた。
(かっ、かっこいい……!)
私は息を呑んだ。
普段から美しい人だが、今日の破壊力は桁違いだ。
直視したら目が潰れそうである。
「……来たか、ラミリア」
私が近づくと、アレクセイ様が振り返った。
その表情は硬い。
いつもの余裕たっぷりの笑みはなく、どこか緊張しているように見える。
『氷の公爵』が緊張?
まさか。
「アレクセイ様、そのお召し物は……?」
「ああ。……今日はお前に、きちんとした話をしなければならないと思ってな」
彼は私の手を取り、ガゼボの中へとエスコートした。
そこには、私たち二人だけの空間が広がっていた。
「昨日、ジェラルドからの命令書を見て、私は痛感したのだ」
アレクセイ様は私の目を見つめ、静かに語り始めた。
「私とお前の関係は、あくまで『保護』という名目だった。元婚約者に捨てられた令嬢を、親切な叔父が匿っている……世間的にはそう見られている」
「はい、その通りです」
「だが、それでは弱い。あのような理不尽な権力を振りかざされた時、お前を守りきれない可能性がある。……いや、違うな」
彼は首を振り、自嘲気味に笑った。
「これは建前だ。理屈などどうでもいい。……私はただ、怖かったのだ」
「怖い、ですか?」
「お前が『公爵家の食客』という立場のままでいることが、だ。食客はいずれ出ていく。お前の傷が癒え、ほとぼりが冷めれば、お前はこの屋敷を出て、自立してしまうかもしれない」
アレクセイ様の手が、私の手を強く握り締める。
その震えが、彼の本心を伝えていた。
「私はそれが耐えられない。お前がいない朝も、お前の淹れた茶がない午後も、お前と語り合えない夜も……もう考えられないのだ」
「アレクセイ様……」
胸が熱くなる。
私も同じだ。
ここでの生活が心地よすぎて、アレクセイ様の不器用な優しさが愛おしくて、もう他の場所なんて考えられない。
「だから、ラミリア。……聞いてくれ」
アレクセイ様は、一度深呼吸をした。
そして、私の前でゆっくりと片膝をついた。
騎士が姫に忠誠を誓うように。
あるいは、男が愛する女に乞うように。
彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。
パカッ、と蓋が開かれる。
中には、見たこともないほど巨大な、氷のような透明度を持つブルーダイヤモンドの指輪が収められていた。
「これは……!」
「我がルークス公爵家に代々伝わる、『真実の愛』の指輪だ。……歴代の当主は、これを政略結婚の相手には決して渡さなかったという」
アレクセイ様は、真剣な眼差しで私を見上げた。
「ラミリア・バーンスタイン嬢。……私と、結婚してくれないか?」
「!」
「これは契約ではない。私の対面のためでも、お前を保護するためでもない。……私が、お前という一人の女性を愛しているからだ」
ストレートな言葉。
飾らない、ありのままの想い。
涙が、じわりと瞳の奥から溢れてきた。
「……私で、いいんですか?」
私は震える声で問いかけた。
「私には魔力がありません。剣も使えません。派手な美人でもないし、ただ事務処理が得意なだけの、つまらない女ですよ?」
「お前以外にいらない」
彼は即答した。
「魔力など、私が国一番持っている。剣など、騎士団ごと守ってやる。……私に必要なのは、隣で笑ってくれる『お前』という存在だけだ。……それとも、こんな冷たい男は嫌か?」
「嫌なわけ……ありませんっ!」
私は首を激しく横に振った。
「冷たくなんてないです。アレクセイ様は、誰よりも温かい人です。猫に優しくて、使用人を大事にして、私のことを一番に考えてくれて……」
涙が頬を伝う。
「私なんかで良ければ……いえ、私を、どうかあなたのお嫁さんにしてください!」
「……っ! ああ……!」
アレクセイ様の表情が、一気に華やいだ。
まるで冬が終わり、春が一斉に来たかのような、眩しい笑顔。
彼は指輪を取り出し、私の左手の薬指にそっと嵌めた。
サイズは、あつらえたようにぴったりだった。
「ありがとう、ラミリア。……愛している」
彼は立ち上がると、私を強く抱きしめた。
私も背伸びをして、彼の首に腕を回す。
重なる唇。
優しくて、甘くて、少ししょっぱい涙の味がする、誓いのキス。
バラの香りと、魔石ランプの光に包まれて、私たちはしばらく動けなかった。
「……おめでとうございますーっ!!!」
突然、パーン!という破裂音と共に、色とりどりの紙吹雪が舞った。
「ひゃっ!?」
驚いて離れると、中庭の植え込みの影から、わらわらと人が出てきた。
セバスチャンさん、マーサさん、料理長のガストン、庭師たち、そしてメイド隊。
全員がハンカチで目元を拭いながら、拍手喝采している。
「よかったですなぁ、旦那様! 長かった……!」
「ラミリア様、おめでとうございます! これで正式に『奥様』ですね!」
「結婚式の料理は俺に任せろ! 徹夜でフルコース考えるぞ!」
「お前たち……いつから見ていた?」
アレクセイ様が顔を赤くして睨むが、誰も怖がっていない。
むしろ「ヒューヒュー!」と囃し立てている。
「最初からでございますとも。プロポーズが失敗したら、我々が全力でフォローに入る予定でした」
セバスチャンさんが、してやったりの顔で言った。
足元には、なぜかスノーもいて、私に向かって「にゃーん(よかったな)」と鳴いている。
「……まったく。お前たちには敵わんな」
アレクセイ様は呆れつつも、嬉しそうに私の肩を抱いた。
「聞いた通りだ、ラミリア。これで逃げ場はないぞ。お前はもう、公爵家の、そして私のものだ」
「はい。……覚悟はできています、あなた」
私が少し照れながら「あなた」と呼ぶと、アレクセイ様は一瞬動きを止め、それから顔を覆って悶絶した。
「……その呼び方は破壊力がありすぎる。心臓が持たん」
「あら、慣れていただかないと。これから一生続くんですから」
私は悪戯っぽく微笑んだ。
幸せだ。
断罪されたあの日、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。
けれど、私たちの幸せな時間を邪魔するものが、まだ一つだけ残っていた。
ジェラルド殿下と、その背後にいる「本当の悪」だ。
アレクセイ様は、私の肩を抱く手に力を込めた。
「さて、ラミリア。婚約が成立した以上、やるべきことは一つだ」
「はい?」
「明日、王城へ行くぞ」
彼の瞳が、鋭く光った。
「国王陛下も帰国されたようだ。……ジェラルドと、あの性悪女に、本当の『断罪』をプレゼントしに行こう」
「ふふ。それは楽しみですね。資料なら、完璧に揃っていますよ」
私はニッコリと笑った。
かつて王子のために使っていた私の事務能力は、今や彼を追い詰めるための最強の武器となる。
反撃の狼煙は上がった。
ここからは、私たち夫婦(予定)のターンである。
私は鏡の中に映る自分を見て、おずおずと尋ねた。
今日の私は、いつも以上に気合を入れて磨き上げられている。
ドレスは公爵家の瞳の色と同じ、深いミッドナイトブルーのシルク。
首元には大粒のサファイア。
髪は複雑に編み込まれ、真珠の髪飾りが散りばめられている。
侍女長のマーサさんは、仕上げに香水をひと吹きしながら、意味深に微笑んだ。
「ええ、とても特別な日でございますとも。公爵家の歴史が変わる日かもしれませんわ」
「歴史……?」
「さあ、準備は整いました。旦那様が中庭でお待ちです」
背中を押され、私は廊下へと出た。
使用人たちが廊下の脇に整列し、無言で、しかし満面の笑みで私を見送ってくれる。
なんだろう、この「行ってらっしゃい(嫁入り)」感は。
心臓がトクトクと鳴るのを感じながら、私は中庭への扉を開けた。
そこは、幻想的な光に包まれていた。
普段は太陽の光が降り注ぐローズガーデンが、今は無数の魔石ランプによってライトアップされている。
青白い光がバラの花弁を照らし、まるで宝石の海のようだ。
その中央にあるガゼボ(西洋風東屋)に、彼が立っていた。
アレクセイ様だ。
いつものラフな格好ではない。
公爵家の正装である、白と銀を基調とした軍服風の礼服に身を包んでいる。
銀色の髪は整えられ、月光の下で神々しいまでに輝いていた。
(かっ、かっこいい……!)
私は息を呑んだ。
普段から美しい人だが、今日の破壊力は桁違いだ。
直視したら目が潰れそうである。
「……来たか、ラミリア」
私が近づくと、アレクセイ様が振り返った。
その表情は硬い。
いつもの余裕たっぷりの笑みはなく、どこか緊張しているように見える。
『氷の公爵』が緊張?
まさか。
「アレクセイ様、そのお召し物は……?」
「ああ。……今日はお前に、きちんとした話をしなければならないと思ってな」
彼は私の手を取り、ガゼボの中へとエスコートした。
そこには、私たち二人だけの空間が広がっていた。
「昨日、ジェラルドからの命令書を見て、私は痛感したのだ」
アレクセイ様は私の目を見つめ、静かに語り始めた。
「私とお前の関係は、あくまで『保護』という名目だった。元婚約者に捨てられた令嬢を、親切な叔父が匿っている……世間的にはそう見られている」
「はい、その通りです」
「だが、それでは弱い。あのような理不尽な権力を振りかざされた時、お前を守りきれない可能性がある。……いや、違うな」
彼は首を振り、自嘲気味に笑った。
「これは建前だ。理屈などどうでもいい。……私はただ、怖かったのだ」
「怖い、ですか?」
「お前が『公爵家の食客』という立場のままでいることが、だ。食客はいずれ出ていく。お前の傷が癒え、ほとぼりが冷めれば、お前はこの屋敷を出て、自立してしまうかもしれない」
アレクセイ様の手が、私の手を強く握り締める。
その震えが、彼の本心を伝えていた。
「私はそれが耐えられない。お前がいない朝も、お前の淹れた茶がない午後も、お前と語り合えない夜も……もう考えられないのだ」
「アレクセイ様……」
胸が熱くなる。
私も同じだ。
ここでの生活が心地よすぎて、アレクセイ様の不器用な優しさが愛おしくて、もう他の場所なんて考えられない。
「だから、ラミリア。……聞いてくれ」
アレクセイ様は、一度深呼吸をした。
そして、私の前でゆっくりと片膝をついた。
騎士が姫に忠誠を誓うように。
あるいは、男が愛する女に乞うように。
彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。
パカッ、と蓋が開かれる。
中には、見たこともないほど巨大な、氷のような透明度を持つブルーダイヤモンドの指輪が収められていた。
「これは……!」
「我がルークス公爵家に代々伝わる、『真実の愛』の指輪だ。……歴代の当主は、これを政略結婚の相手には決して渡さなかったという」
アレクセイ様は、真剣な眼差しで私を見上げた。
「ラミリア・バーンスタイン嬢。……私と、結婚してくれないか?」
「!」
「これは契約ではない。私の対面のためでも、お前を保護するためでもない。……私が、お前という一人の女性を愛しているからだ」
ストレートな言葉。
飾らない、ありのままの想い。
涙が、じわりと瞳の奥から溢れてきた。
「……私で、いいんですか?」
私は震える声で問いかけた。
「私には魔力がありません。剣も使えません。派手な美人でもないし、ただ事務処理が得意なだけの、つまらない女ですよ?」
「お前以外にいらない」
彼は即答した。
「魔力など、私が国一番持っている。剣など、騎士団ごと守ってやる。……私に必要なのは、隣で笑ってくれる『お前』という存在だけだ。……それとも、こんな冷たい男は嫌か?」
「嫌なわけ……ありませんっ!」
私は首を激しく横に振った。
「冷たくなんてないです。アレクセイ様は、誰よりも温かい人です。猫に優しくて、使用人を大事にして、私のことを一番に考えてくれて……」
涙が頬を伝う。
「私なんかで良ければ……いえ、私を、どうかあなたのお嫁さんにしてください!」
「……っ! ああ……!」
アレクセイ様の表情が、一気に華やいだ。
まるで冬が終わり、春が一斉に来たかのような、眩しい笑顔。
彼は指輪を取り出し、私の左手の薬指にそっと嵌めた。
サイズは、あつらえたようにぴったりだった。
「ありがとう、ラミリア。……愛している」
彼は立ち上がると、私を強く抱きしめた。
私も背伸びをして、彼の首に腕を回す。
重なる唇。
優しくて、甘くて、少ししょっぱい涙の味がする、誓いのキス。
バラの香りと、魔石ランプの光に包まれて、私たちはしばらく動けなかった。
「……おめでとうございますーっ!!!」
突然、パーン!という破裂音と共に、色とりどりの紙吹雪が舞った。
「ひゃっ!?」
驚いて離れると、中庭の植え込みの影から、わらわらと人が出てきた。
セバスチャンさん、マーサさん、料理長のガストン、庭師たち、そしてメイド隊。
全員がハンカチで目元を拭いながら、拍手喝采している。
「よかったですなぁ、旦那様! 長かった……!」
「ラミリア様、おめでとうございます! これで正式に『奥様』ですね!」
「結婚式の料理は俺に任せろ! 徹夜でフルコース考えるぞ!」
「お前たち……いつから見ていた?」
アレクセイ様が顔を赤くして睨むが、誰も怖がっていない。
むしろ「ヒューヒュー!」と囃し立てている。
「最初からでございますとも。プロポーズが失敗したら、我々が全力でフォローに入る予定でした」
セバスチャンさんが、してやったりの顔で言った。
足元には、なぜかスノーもいて、私に向かって「にゃーん(よかったな)」と鳴いている。
「……まったく。お前たちには敵わんな」
アレクセイ様は呆れつつも、嬉しそうに私の肩を抱いた。
「聞いた通りだ、ラミリア。これで逃げ場はないぞ。お前はもう、公爵家の、そして私のものだ」
「はい。……覚悟はできています、あなた」
私が少し照れながら「あなた」と呼ぶと、アレクセイ様は一瞬動きを止め、それから顔を覆って悶絶した。
「……その呼び方は破壊力がありすぎる。心臓が持たん」
「あら、慣れていただかないと。これから一生続くんですから」
私は悪戯っぽく微笑んだ。
幸せだ。
断罪されたあの日、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。
けれど、私たちの幸せな時間を邪魔するものが、まだ一つだけ残っていた。
ジェラルド殿下と、その背後にいる「本当の悪」だ。
アレクセイ様は、私の肩を抱く手に力を込めた。
「さて、ラミリア。婚約が成立した以上、やるべきことは一つだ」
「はい?」
「明日、王城へ行くぞ」
彼の瞳が、鋭く光った。
「国王陛下も帰国されたようだ。……ジェラルドと、あの性悪女に、本当の『断罪』をプレゼントしに行こう」
「ふふ。それは楽しみですね。資料なら、完璧に揃っていますよ」
私はニッコリと笑った。
かつて王子のために使っていた私の事務能力は、今や彼を追い詰めるための最強の武器となる。
反撃の狼煙は上がった。
ここからは、私たち夫婦(予定)のターンである。
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