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15.四面楚歌
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ーsideオレリアー
「あなたは、しばらく謹慎よ!!」
母の叱責が、廊下に鋭く響いた。
学院内の掲示板には、私にまつわる噂や揶揄を載せた新聞が、誰かの手で貼られては剥がされ、また貼られ……そんな悪質な遊びのようなことが続いていた。
必死で一枚、また一枚と剥がしていくけれど――
どうして……どうして増えていくのよ?
焦れば焦るほど、私の行動そのものが「図星なのね」とでも嘲笑うように真実味を帯びてしまう。見かねた王太子殿下も姉も、ついに手伝うのをやめてしまった。
貼られた紙が風に揺れるたび、周囲からは小さな笑い声やひそひそ声が聞こえる。冷たい視線が、痛いほど突き刺さった。
学院の噂はやがて親の耳にまで届き、茶会から戻った母は烈火のごとく怒り狂った。
「こんな大恥をかかせるなんて……!」
それなのに。王太子殿下も姉も、まるで他人事のように素知らぬふりをする。母は私の言い分をひとつも聞こうとしてくれない。
なぜ……どうして誰も……誰も味方になってくれないの……?
胸の奥で、しぼんだ熱が震えていた。
*****
夜。
ひとりで質素な夕食を終えた頃、仕事から戻った父に呼ばれた。執務室の扉を叩くと、父は机に積まれた書類を前に重たげな溜息をついていた。
「……はぁ。オレリア。お前は姉が王太子の婚約者だということを忘れたのか?」
その声音は怒鳴り声ではなく、深い失望をにじませた、沈んだ声だった。
「……」
言葉が、喉に貼りついたように出てこなかった。
「公爵家令息に懸想するなど……相手はホフマン令嬢だぞ。わかっているのか?」
「わかっています!!」
耐え切れず、私は思わず声を張り上げていた。
「だからこそですわ! あんな金に物を言わせるような家の令嬢より、私の方がヴィクター様にふさわしいわ!!」
父の表情がわずかに歪む。怒りではなく……呆れ。もしくは、諦め。
「……ああ、そうか。お前が何も分かっていないことがよく分かった。いや、ミレーナもか?」
まずいな、と父が低く呟くのが聞こえた。
私は必死だった。理解されなくて、心がひどく窮屈で。だから言葉を繋ぐしかなかった。
「王太子殿下も、お姉さまも……ヴィクター様とセレナ様がご結婚なさったら、この先ずっと顔を合わせることになると嫌そうに仰っていましたのよ。あんな生意気な女、見たくないって。ヴィクター様との縁が切れていればいいのにって――だから、だから私……!」
父の視線が、氷のように冷たく落ちてきた。
「それで?」
短い一言が、背筋の奥まで刺さった。
「だから……ヴィクター様の近くから、私がいなくなればいいと。誰よりも慕ってくれる人と共にいることが、ヴィクター様の幸せ……私は、私の方がヴィクター様をお慕いしていますわ!」
思いのすべてを吐き出したのに、胸の苦しさはまるで消えてくれなかった。
父は、呆れとも怒りともつかない暗い表情で私を見つめ、静かに告げた。
「よく聞け。ホフマン令嬢は、王太子殿下の“元”婚約者候補だ」
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がひやりと凍りついた。
……そうよ。そして選ばれたのは、お姉さま。それなのに――
唇が震え、何も言い返せなかった。
「ミレーナが婚約者になった要因は、王太子が気に入ったその一点だけだ。他の二人よりもすべてが劣っているのだ。親の私が一番わかっている」
――え?
父の言葉は、私の胸に冷水を浴びせたように落ちてきた。信じられず、思わず顔を上げる。
「お前が何を聞いたかわからないが、同じ伯爵家でも資産はもちろん権力……表も裏も、我が伯爵家は足元にも及ばない。王家が本来婚約者に望んでいたのは、おそらくホフマン伯爵令嬢だ。令嬢が本心では婚約者になりたくないと王家は知っていたから、あまり強く出なかっただけだ。敵に回すからな」
父は淡々と言う。当然の現実を述べるように。だけど、私の心には荒々しく刺さった。
だって……だって私は聞いたのよ? ホフマン家は金と権力で婚約者候補にねじ込まれたって……!
その幼い理解が一瞬にして瓦解していく。
自分の思い込みが、ひどく浅はかなものだったと知らされるのは――こんなにも痛いのね。
「ああ、まずい。ミレーナも王太子殿下もこの件に加担しているとみて良さそうだ。だが、そうであっては困る……」
父が額に手を当てる。執務室の空気が重く沈み込む。
「お父様……私は、これからどうすれば……」
震える声が、勝手にこぼれた。私の中にあるのは、焦燥と恐怖だけ。
父は、そんな私を真っ直ぐ見据え、固い声で言い放つ。
「万が一、伯爵家から名誉棄損で訴えられたら……我が家の資産で慰謝料など払いきれるかどうか……そうなったらお前の姉も終わりだ。借金、汚名まみれの伯爵家の娘など、王太子の婚約者ではいられない。……決して、事実と認めるな!! なんとしてでもごまかすんだ」
息が止まりそうだった。
そ……そんな……
私の軽率な言葉が、行動が、家を、姉を、すべてを破滅させるかもしれない――?
頭では理解しているのに、胸は受け止めきれない。目の前がゆらりと歪んだ。
*****
部屋に戻ると、何も考えられなかった。ただ立ちつくしていた。心臓がどくどくと苦しく脈打つ。
私……どうなるの……? 本当に……どうすれば……
ノックの音がした瞬間、身体が跳ねた。
「……オレリア!」
父の声は、先ほどよりも緊迫していた。
「……今から、ホフマン伯爵家が親子で来るそうだ。いいか、絶対に事実を話すんじゃないぞ!!!」
その言葉は、雷のように落ちた。
息が止まり、喉の奥がきゅっと締め付けられる。
――ホフマン伯爵家が。親子で。
そんな……逃げ場なんて……ないじゃない……
胸が凍りついたまま、私は父の言葉を聞くしかなかった。
「あなたは、しばらく謹慎よ!!」
母の叱責が、廊下に鋭く響いた。
学院内の掲示板には、私にまつわる噂や揶揄を載せた新聞が、誰かの手で貼られては剥がされ、また貼られ……そんな悪質な遊びのようなことが続いていた。
必死で一枚、また一枚と剥がしていくけれど――
どうして……どうして増えていくのよ?
焦れば焦るほど、私の行動そのものが「図星なのね」とでも嘲笑うように真実味を帯びてしまう。見かねた王太子殿下も姉も、ついに手伝うのをやめてしまった。
貼られた紙が風に揺れるたび、周囲からは小さな笑い声やひそひそ声が聞こえる。冷たい視線が、痛いほど突き刺さった。
学院の噂はやがて親の耳にまで届き、茶会から戻った母は烈火のごとく怒り狂った。
「こんな大恥をかかせるなんて……!」
それなのに。王太子殿下も姉も、まるで他人事のように素知らぬふりをする。母は私の言い分をひとつも聞こうとしてくれない。
なぜ……どうして誰も……誰も味方になってくれないの……?
胸の奥で、しぼんだ熱が震えていた。
*****
夜。
ひとりで質素な夕食を終えた頃、仕事から戻った父に呼ばれた。執務室の扉を叩くと、父は机に積まれた書類を前に重たげな溜息をついていた。
「……はぁ。オレリア。お前は姉が王太子の婚約者だということを忘れたのか?」
その声音は怒鳴り声ではなく、深い失望をにじませた、沈んだ声だった。
「……」
言葉が、喉に貼りついたように出てこなかった。
「公爵家令息に懸想するなど……相手はホフマン令嬢だぞ。わかっているのか?」
「わかっています!!」
耐え切れず、私は思わず声を張り上げていた。
「だからこそですわ! あんな金に物を言わせるような家の令嬢より、私の方がヴィクター様にふさわしいわ!!」
父の表情がわずかに歪む。怒りではなく……呆れ。もしくは、諦め。
「……ああ、そうか。お前が何も分かっていないことがよく分かった。いや、ミレーナもか?」
まずいな、と父が低く呟くのが聞こえた。
私は必死だった。理解されなくて、心がひどく窮屈で。だから言葉を繋ぐしかなかった。
「王太子殿下も、お姉さまも……ヴィクター様とセレナ様がご結婚なさったら、この先ずっと顔を合わせることになると嫌そうに仰っていましたのよ。あんな生意気な女、見たくないって。ヴィクター様との縁が切れていればいいのにって――だから、だから私……!」
父の視線が、氷のように冷たく落ちてきた。
「それで?」
短い一言が、背筋の奥まで刺さった。
「だから……ヴィクター様の近くから、私がいなくなればいいと。誰よりも慕ってくれる人と共にいることが、ヴィクター様の幸せ……私は、私の方がヴィクター様をお慕いしていますわ!」
思いのすべてを吐き出したのに、胸の苦しさはまるで消えてくれなかった。
父は、呆れとも怒りともつかない暗い表情で私を見つめ、静かに告げた。
「よく聞け。ホフマン令嬢は、王太子殿下の“元”婚約者候補だ」
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がひやりと凍りついた。
……そうよ。そして選ばれたのは、お姉さま。それなのに――
唇が震え、何も言い返せなかった。
「ミレーナが婚約者になった要因は、王太子が気に入ったその一点だけだ。他の二人よりもすべてが劣っているのだ。親の私が一番わかっている」
――え?
父の言葉は、私の胸に冷水を浴びせたように落ちてきた。信じられず、思わず顔を上げる。
「お前が何を聞いたかわからないが、同じ伯爵家でも資産はもちろん権力……表も裏も、我が伯爵家は足元にも及ばない。王家が本来婚約者に望んでいたのは、おそらくホフマン伯爵令嬢だ。令嬢が本心では婚約者になりたくないと王家は知っていたから、あまり強く出なかっただけだ。敵に回すからな」
父は淡々と言う。当然の現実を述べるように。だけど、私の心には荒々しく刺さった。
だって……だって私は聞いたのよ? ホフマン家は金と権力で婚約者候補にねじ込まれたって……!
その幼い理解が一瞬にして瓦解していく。
自分の思い込みが、ひどく浅はかなものだったと知らされるのは――こんなにも痛いのね。
「ああ、まずい。ミレーナも王太子殿下もこの件に加担しているとみて良さそうだ。だが、そうであっては困る……」
父が額に手を当てる。執務室の空気が重く沈み込む。
「お父様……私は、これからどうすれば……」
震える声が、勝手にこぼれた。私の中にあるのは、焦燥と恐怖だけ。
父は、そんな私を真っ直ぐ見据え、固い声で言い放つ。
「万が一、伯爵家から名誉棄損で訴えられたら……我が家の資産で慰謝料など払いきれるかどうか……そうなったらお前の姉も終わりだ。借金、汚名まみれの伯爵家の娘など、王太子の婚約者ではいられない。……決して、事実と認めるな!! なんとしてでもごまかすんだ」
息が止まりそうだった。
そ……そんな……
私の軽率な言葉が、行動が、家を、姉を、すべてを破滅させるかもしれない――?
頭では理解しているのに、胸は受け止めきれない。目の前がゆらりと歪んだ。
*****
部屋に戻ると、何も考えられなかった。ただ立ちつくしていた。心臓がどくどくと苦しく脈打つ。
私……どうなるの……? 本当に……どうすれば……
ノックの音がした瞬間、身体が跳ねた。
「……オレリア!」
父の声は、先ほどよりも緊迫していた。
「……今から、ホフマン伯爵家が親子で来るそうだ。いいか、絶対に事実を話すんじゃないぞ!!!」
その言葉は、雷のように落ちた。
息が止まり、喉の奥がきゅっと締め付けられる。
――ホフマン伯爵家が。親子で。
そんな……逃げ場なんて……ないじゃない……
胸が凍りついたまま、私は父の言葉を聞くしかなかった。
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