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17.鯉の末路
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ーsideオレリアー
想い人って……何?
喉がひゅっと狭まり、胸の奥から嫌なざわめきがこみ上げる。
「探しましたのよ、私」
セレナ様が、勝ち誇ったように微笑む。
ランプの光がその瞳に反射し、いやに輝いて見えた。
探した? え……どういうこと?
背後に控えていた男が、一歩だけおずおずと前に出た。
十五は年上だろうか。派手さのない、どこか冴えない佇まい。整ってはいるのに印象の薄い顔立ちで、髪もくすんだ栗色に無造作な癖がついている。
それなのに、私の方を見た途端、抑えきれない喜びが滲むように頬が少し赤くなった。落ち着いた雰囲気を装おうとしているのに、声音だけは興奮を隠しきれず震えている。
「ああ、あなたが私のことを慕ってくださっていたなんて。ホフマン伯爵令嬢様から話を聞いた時は、天にも昇る気分でした!」
……だから、誰?
「あなたの社交界デビューの際に身に付ける宝石のデザインを何度も打ち合わせていく中、駄目だと言い聞かせても、あなたに惹かれていくのを止められなかった。まさか、あなたも同じ想いだったなんて……」
その言葉に、思い出した。
――ああ!! あの時の宝石商。
その様子を、セレナ様はまるで戯れを眺めるようにニコニコと微笑みながら聞いていた。そして、待っていたとばかりに口を開く。
「彼、今は商人だけど、元々他国の侯爵家の次男なの。成人してからはお母さまの御実家の子爵家の爵位を譲り受けたわ。よかったわね、平民じゃないの!!」
よかった?
……はっ!!
身分違いの恋!!
セレナ様の声が重ねられる。
「ヴィクター様と同じような髪の色。同じ位の背丈。みんなが間違えるのもしょうがないわね。 それに、私も前、宝石のデザインを相談するために何度か会っていたから、あなた勘違いしたのよね」
知らないわよ、そんなこと!!
私が憧れていたのは、ヴィクター様よ!!
心の中で叫んでも、声にならない。喉がふるえて、言葉が形になってくれない。
男――いや、ダリル様と呼ばれた彼が静かに膝をつき、私を見上げる。
「オレリア伯爵令嬢、あなたに苦労はかけない。想いが一緒ならば、私の婚約者になってはくれないだろうか」
空気が一瞬止まる。
お父様が、刺すような視線でこちらを見ている。この人が私の想い人でないことなど、誰よりもお父様が知っているはず。それなのに、その目の意味はただ一つ――
“申し出を受けろ”
……駄目だ。逃げられない。
唇が震え、言葉がこぼれる。
「……光栄です。よろしくお願いいたしますわ……」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
*****
翌日。
学院を退学し、婚約期間を省略して婚姻することをお父様が決定した。
ダリル様の商会の拠点は、この国から二つ隣のエルドリア国。
商会の規模を拡大するため、今後しばらくはその地に腰を落ち着けるらしい。
「ならば……早々に醜聞を消すため国を出ろ。なに、今時、婚姻のための退学など珍しくない」
お父様はまるで荷物を片付けるかのように淡々と告げた。
冬の気配が王都を包み始めた冷たい朝。
私は、霜の降りた石畳を踏みしめながら、邸を後にした。
胸の奥で、お父様のたった一つの言葉だけが冷たく響く。
――真実は墓場まで持っていけ――
旅立つ娘にかける言葉ではない――そう頭では分かっていても、私は何も言えなかった。
急に白髪が増えたお父様の姿が脳裏に焼きついていたから。お姉様もお母様も泣きじゃくってはいたが……
それでも、王太子の婚約者であるお姉さまと伯爵家の名誉を守るため、“私を見捨てる”という決定は覆らなかった。
家族の涙は、後ろめたさの証だろうか。
それとも、ただの同情か。
どちらにせよ……私がここに居場所を持てない事実に変わりはない。
エルドリア国へ行けば、セレナ様と顔を合わせることは二度とない。でも、その結果、ヴィクター様とも二度と会えないのだと、今さら胸が締めつけられる。
「オレリア、寒くないかい? 」
ふと、横から控えめで優しい声が落ちてきた。
振り返ると、ダリル様がやや不器用な手つきで、温かいブランケットをそっとかけてくれた。彼の動きはどこかぎこちなく、貴族の洗練とは程遠い。
けれど、ダリル様は、本当に……私のことを慕ってくれていたらしい。
その想いは、見返りを求めない、静かでまっすぐなものだった。
私の心が別の誰かを向いていたことなど疑いもしない――いや、もしかしたら……気付いていて、それでも何も言わず、ただ優しくしてくれているのだろうか。
――誰よりも慕ってくれる人と共にいることがヴィクター様の幸せだと――
そうね。
ならば……私も、誰よりも私を大切にしてくれるこの人と共にあることが、きっと“幸せ”なのだろう。
ええ、そうでなければならない……そう思わなければ。
馬車の窓の外で、見慣れた建物や通りがひとつずつ遠ざかっていく。何度も見た景色なのに、今日だけはやけに冷たく、ひどく寂しい。
誰も味方をしてくれないこんな国なんて……二度と戻らないわ。
そう胸の奥で固く呟いた。馬車は静かに王都を離れていった。
想い人って……何?
喉がひゅっと狭まり、胸の奥から嫌なざわめきがこみ上げる。
「探しましたのよ、私」
セレナ様が、勝ち誇ったように微笑む。
ランプの光がその瞳に反射し、いやに輝いて見えた。
探した? え……どういうこと?
背後に控えていた男が、一歩だけおずおずと前に出た。
十五は年上だろうか。派手さのない、どこか冴えない佇まい。整ってはいるのに印象の薄い顔立ちで、髪もくすんだ栗色に無造作な癖がついている。
それなのに、私の方を見た途端、抑えきれない喜びが滲むように頬が少し赤くなった。落ち着いた雰囲気を装おうとしているのに、声音だけは興奮を隠しきれず震えている。
「ああ、あなたが私のことを慕ってくださっていたなんて。ホフマン伯爵令嬢様から話を聞いた時は、天にも昇る気分でした!」
……だから、誰?
「あなたの社交界デビューの際に身に付ける宝石のデザインを何度も打ち合わせていく中、駄目だと言い聞かせても、あなたに惹かれていくのを止められなかった。まさか、あなたも同じ想いだったなんて……」
その言葉に、思い出した。
――ああ!! あの時の宝石商。
その様子を、セレナ様はまるで戯れを眺めるようにニコニコと微笑みながら聞いていた。そして、待っていたとばかりに口を開く。
「彼、今は商人だけど、元々他国の侯爵家の次男なの。成人してからはお母さまの御実家の子爵家の爵位を譲り受けたわ。よかったわね、平民じゃないの!!」
よかった?
……はっ!!
身分違いの恋!!
セレナ様の声が重ねられる。
「ヴィクター様と同じような髪の色。同じ位の背丈。みんなが間違えるのもしょうがないわね。 それに、私も前、宝石のデザインを相談するために何度か会っていたから、あなた勘違いしたのよね」
知らないわよ、そんなこと!!
私が憧れていたのは、ヴィクター様よ!!
心の中で叫んでも、声にならない。喉がふるえて、言葉が形になってくれない。
男――いや、ダリル様と呼ばれた彼が静かに膝をつき、私を見上げる。
「オレリア伯爵令嬢、あなたに苦労はかけない。想いが一緒ならば、私の婚約者になってはくれないだろうか」
空気が一瞬止まる。
お父様が、刺すような視線でこちらを見ている。この人が私の想い人でないことなど、誰よりもお父様が知っているはず。それなのに、その目の意味はただ一つ――
“申し出を受けろ”
……駄目だ。逃げられない。
唇が震え、言葉がこぼれる。
「……光栄です。よろしくお願いいたしますわ……」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
*****
翌日。
学院を退学し、婚約期間を省略して婚姻することをお父様が決定した。
ダリル様の商会の拠点は、この国から二つ隣のエルドリア国。
商会の規模を拡大するため、今後しばらくはその地に腰を落ち着けるらしい。
「ならば……早々に醜聞を消すため国を出ろ。なに、今時、婚姻のための退学など珍しくない」
お父様はまるで荷物を片付けるかのように淡々と告げた。
冬の気配が王都を包み始めた冷たい朝。
私は、霜の降りた石畳を踏みしめながら、邸を後にした。
胸の奥で、お父様のたった一つの言葉だけが冷たく響く。
――真実は墓場まで持っていけ――
旅立つ娘にかける言葉ではない――そう頭では分かっていても、私は何も言えなかった。
急に白髪が増えたお父様の姿が脳裏に焼きついていたから。お姉様もお母様も泣きじゃくってはいたが……
それでも、王太子の婚約者であるお姉さまと伯爵家の名誉を守るため、“私を見捨てる”という決定は覆らなかった。
家族の涙は、後ろめたさの証だろうか。
それとも、ただの同情か。
どちらにせよ……私がここに居場所を持てない事実に変わりはない。
エルドリア国へ行けば、セレナ様と顔を合わせることは二度とない。でも、その結果、ヴィクター様とも二度と会えないのだと、今さら胸が締めつけられる。
「オレリア、寒くないかい? 」
ふと、横から控えめで優しい声が落ちてきた。
振り返ると、ダリル様がやや不器用な手つきで、温かいブランケットをそっとかけてくれた。彼の動きはどこかぎこちなく、貴族の洗練とは程遠い。
けれど、ダリル様は、本当に……私のことを慕ってくれていたらしい。
その想いは、見返りを求めない、静かでまっすぐなものだった。
私の心が別の誰かを向いていたことなど疑いもしない――いや、もしかしたら……気付いていて、それでも何も言わず、ただ優しくしてくれているのだろうか。
――誰よりも慕ってくれる人と共にいることがヴィクター様の幸せだと――
そうね。
ならば……私も、誰よりも私を大切にしてくれるこの人と共にあることが、きっと“幸せ”なのだろう。
ええ、そうでなければならない……そう思わなければ。
馬車の窓の外で、見慣れた建物や通りがひとつずつ遠ざかっていく。何度も見た景色なのに、今日だけはやけに冷たく、ひどく寂しい。
誰も味方をしてくれないこんな国なんて……二度と戻らないわ。
そう胸の奥で固く呟いた。馬車は静かに王都を離れていった。
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