【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩

文字の大きさ
13 / 49

13.早々に謝罪を

しおりを挟む
 扉が静かに開いた。

 立っているのはお兄様。時間が一瞬止まったかのように微動だにしない。その視線は下を向いたまま、私の顔を見ようとはしない。

 息を呑むような静けさの中で、つい額のあたりに視線がいく。

 髪の生え際。

 ああ、よかった。薄くなってはいない。



「ア、アイラ? 一体どこを見て――」

 視線の気配に気付いたお兄様の慌てた様子が声ににじむ。



「申し訳ありません!! お兄様!!」

 勢いよく頭を下げる。心臓の鼓動が耳の奥で跳ねる。何を言えばいいのか、何から謝ればいいのか。

 思考がぐるぐる回ると、言葉は口から出ることなく固まってしまう。

 お兄様が戸惑っているのが、顔を見なくてもわかった。少し息をのむ音まで聞こえる。

 どうしても頭を上げられない。


「知っていることと知らないこと、全部まとめて謝ります。何か背負わなければいけない責任があるなら、おっしゃってください。謝罪でも贖罪でも何でも」


 言葉が転がるように次々と口からこぼれ、喉がかすかに震えた。

 しばし、空気が張りつめたような沈黙が落ちた。

 お兄様の喉がわずかに動き、信じられないものといった声音でつぶやく。



「アイラ……本当に、お前なのか?」

「はい。お兄様にそっくりの妹、アイラです」


 まだ顔は上げられない。

 目を合わせる勇気が、どうしても出ないのだ。深くて重いのに、どこかほっとした気配を含んだため息が、頭上からそっと落ちてくる。



「アイラ、顔を上げなさい」

 ゆっくりとした優しい呼びかけ。そっと、顔を上げる。

 大人になった、お兄様。

 お兄様の顔立ちは、相変わらず凛としている。懐かしい香りがふわりと流れてくる。



「お兄様、洗練された紳士のお兄様も素敵ですね」

「アイラに褒められるなんて何年ぶりか。はは、調子が狂うな」

 肩の力が抜けたように笑うお兄様。その声に、少しだけ私のこわばりも解ける。



「あなたもアイラも座りましょう」

 横からティアナがくすくす笑いながら促す。サロンの柔らかな椅子が、緊張で強ばった体をそっと受け止めてくれた。



「お兄様、先ほど、ティアナに日記の話をしていたのです。実は、私の記憶がなくなっている間の10年分の日記があるのです。全て読み切ってはいませんが……、ご迷惑をおかけしたのですよね」

 お兄様がこちらを見る気配がする。私は手をぎゅっと握った。


「隠していてもいずれ分かる、ということか。ああ、その通りだ。何度も忠告しても聞かず、周りからも白い目で見られ……」

 苦々しい声がこぼれる。その影に、どれほどの孤立を味わったのかが見える気がした。


 お父様も似たようなことを言っていたわ。

 お兄様は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。



「一番こたえたのは……お前からの無視だ。な、ティアナ」

「ええ、そうね」


 思わず息を呑んだ。


「何を言っても存在しないように扱われ、そのうちアイラに関わることを諦めてしまったんだ。その、日記とやらにも、私たちはそのうち出てこなくなるだろう」

 お兄様の声は淡々としているのに、どこか悲しさが滲んでいた。



「私たちは、どうしてよいか分からなくって、見ているだけしかなかったわ」

 ティアナの言葉はかすかに震えていた。



「お気になさらずーー」

 反射的にそう返すと、お兄様は首を横に振る。

「いや、そうはいかない。お前が愛人になり、肩身の狭い思いをしたのも全部、途中で諦めた私の力不足だ」

「そんな! お兄様は悪くありません。私がーー」


 慌てて言うと、ティアナがふっと笑った。


「まあ、そっくりな兄妹ね。どっちも悪くないわ」

 少し恥ずかしくなって、お兄様と目を合わせる。



「私たちは家族だ。アイラ、お前がアイラとして戻ってきてくれたのなら、ああ、それでいいんだ。記憶のないお前に謝ってもらうわけにはいかない。だが――」

 だが?

 私は息をのむ。

 お兄様は言葉を探すように、ティアナへ視線を向けた。


「……ええ、そうね」

 ええ、そうね?


 ティアナまで含みのある返事をするものだから、余計に胸がざわつく。

 やがて、お兄様が覚悟を決めたように口を開いた。



「アイラ、一刻も早く、王太子と王太子妃が書かれている日記を見るのだ」

「が、概要は?」

「概要が、その……大変言いにくい」

 お兄様が珍しく言い淀む。その横でティアナが補う。


「そうね。人に聞くより、日記があるなら……何があったのか見た方が早いわ。そして、わかったら、王太子妃殿下の機嫌は、早々に取った方がいいもの」

 機嫌を、早々に?

 背中に冷たいものが走る。だが、逃げているわけにもいかない。


「わ、分かりました。今日、徹夜してでも必ず読みます」

 その言葉に、お兄様とティアナが同時に、深く、無言で頷いた。

 重たく、どこか不穏な気配を含んだ頷きだった。


 ……何をしたの、“ララ”は。疑問だけが残る。


 その時だった。

 コン、と控えめな音を立てて、そっと扉が開く。



「お母様? もうお話終わった?」

 顔だけひょこっとのぞかせたのはラル。

 続くように、その隣からリズが現れた。彼女は大きな目に涙をため、今にもこぼれ落ちそうなほど潤ませていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

さようなら、わたくしの騎士様

夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。 その時を待っていたのだ。 クリスは知っていた。 騎士ローウェルは裏切ると。 だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。

処理中です...