【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩

文字の大きさ
45 / 49

45.奪いに来た理由

しおりを挟む
 扉が閉まる。ぱたり、と音が消えた瞬間、応接室は不自然なほど静かになった。

 私は深く息を吐く。


「ジェフリー、片付けをお願い」

「かしこまりました」

「アクセサリー選びは、また今度にするわ。商会長にそう伝えて」

 気持ちが、どうにも落ち着かない。

「そちらも、かしこまりました」

 私はそのまま部屋へ戻り、日記の入っている箱を開けた。取り出した日記を手に取る。

 ページをめくる指が、止まらない。






 ラルを妊娠し、白い結婚が認められる三年、伯爵夫人になる夢を、指折り数えていたララ。

『やっとよ。ここまで我慢したんだから。三年よ、三年』


 だが、元妻の妊娠を知った途端、彼女の筆致は一変する。レオナール様への非難が、紙面を埋め尽くしていった。

『ちょっと待って。何それ。今さら妊娠? 聞いてないんだけど。それじゃ、私どうなるの? 伯爵夫人になれないってこと?』


『妻が失踪ってどういうこと。最低でも、あと三年なんてふざけないで!』

 その一文の下には、殴り書きのような文字が重なっている。

「ありえない。計画が全部狂う。こんなの聞いてないし。ちゃんと約束守ってよ』

 文字は次第に荒れ、感情のままに叩きつけられていく。

 元妻への罵倒。そして、クラリスへの露骨な悪意。

『邪魔。ほんと邪魔。あの女とあの子さえいなかったら、全部うまくいったのに。どうして私が、他人のせいで我慢しなきゃいけないの』


 筆跡は乱れ、インクが紙に滲んでいる。

 そこに並ぶ言葉のすべてが、「予定通りに進まなかった」ことへの不満と逆恨みだった。

 私は間違ってない。
 悪いのは、全部そっち。

 ページは、その自己正当化で埋め尽くされていた。



 まだ使うには早い暖炉に日記を投げ入れ火を放つ。

 日記を読み返しても、直接的にマリセラと接触した記録は見当たらなかった。少なくとも、文字の上では。こっそり見に行ったのだろうか。

 マリセラ自身、白い結婚を目指していたとはいえ、私の存在が社交界で彼女の立場を悪くしていたのは事実だろう。


 ……気に入らなかったのでしょうね。

 思わず、乾いた苦笑がこぼれる。だが、マリセラは自分のことは棚に上げている。

 幼なじみの庭師と結婚式を挙げたくせに。

 その事実から目を逸らし、責任をすべて他人に押しつけている。ならば彼女が今さらクラリスを求める理由は、母性などではない。

 重たい思考を断ち切ろうとしていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。

 ノックの音とほぼ同時に、扉が開く。

 息を切らしたまま、レオナール様が姿を現した。


 ジェフリーがすぐに使いを出したのだろう。普段の落ち着いた様子は影を潜め、顔には明らかな焦りが浮かんでいた。



「アイラ、大丈夫だったかい?」

「ええ」

 私は短く答える。



「……その、申し訳なかった」

「なぜ、あなたが謝るのです?」

 問い返すと、彼は言葉に詰まった。



「いや、でも……」

「座りましょう」

 それ以上のやり取りを遮り、向かい合う椅子を示す。

 二人で腰を下ろした途端、張り詰めていた気が抜け、思わずため息が漏れた。



「マリセラのこと、どのくらいご存知でした?」

 問いかけると、レオナール様は少し考えてから答える。


「隣国へ駆け落ちし、とある貴族の家でメイド長をしていることは知っていた」

 視線を伏せ、続ける。


「夫は同じ貴族の家で庭師として働いているとも……。もう、この国に戻ってくることはないと思っていた」


 メイド長。

 出自を考えれば、侍女長として迎えられても不思議ではない。だが、姓を持たぬ平民である以上、メイド長という立場は、むしろ恵まれている部類だ。



「……クラリスを渡せ、と言われました」

「クラリスを?」

 その言葉に、レオナール様は眉を寄せ、深く考え込む。


「……心当たりが、ある。マリセラの父が、何度も“引き取る”と言ってきた」

 低く、重い声だった。言葉に、わずかな苦味が混じる。


「娘の代わりに、政略結婚をさせるつもりだったんだろう。自分のための駒として」

「……当然、断ったのですね」

「もちろんだ」

 即答だった。私は静かに頷く。


「それなら、なぜ、本人が来たのでしょう」

 その問いには、答えがない。リズを守るため――そうであってほしい。けれど、不安は、どうしても拭えなかった。

 重い沈黙が、ようやく落ち着きかけた、そのときだった。

 再び、廊下を急ぐ足音。

 そして、執事のジェフリーが慌ただしく姿を現す。


「……旦那様、奥様。また、来ました」

「また?」

 レオナール様が顔を上げる。


「マリセラか?」

 返事を待つ間もなく扉が、乱暴に開いた。

  無理やり押し入ってきたのは先ほど追い返したはずの、マリセラだった。

 どこから入り込んだのか。正規の来客用通路ではないことは、その乱れた息と、焦燥に歪んだ表情が物語っている。


「レオナールが帰ってきたのでしょう! なら話は早いわ!」

 甲高い声が応接室に響き渡る。


「……っ、部屋に無断で入るなんて、常識がありませんわ」

「マリセラ、君は一体――」

 レオナール様の制止を遮るように、彼女は叫んだ。


「クラリスはどこ!? クラリスを返して!」

「“返して”とはどういうことだ」

 レオナール様の声が、低く沈む。


「置いていったのは、君じゃないか」

「だから迎えに来たのよ!」

 詰め寄り、指を突きつける。


「……ウォルターはどうした」

 レオナール様の鋭い問いが飛ぶ。


「クラリスを引き取ろうとしていることを、知っているのか?」

 ウォルター。駆け落ちした相手であり、今は庭師として働いている男の名であろう。。

 その名を出された途端、マリセラは言葉を失った。視線を逸らし、唇を噛みしめる。


「あなた、リズを引き取ってどうするつもりなの?」

 私は一歩前に出る。


「そのウォルターと、三人で親子ごっこをするの? その人との間に、子どもはいるの?」

「……子どもはいないわ」

 吐き捨てるように言う。


「だから、リズが必要なの」

「……“必要”?」


「いいじゃない。あなたには息子がいるでしょう? クラリスは肩身の狭い思いをしているはずよ。だったら、私の実家で育ったほうが幸せじゃない」

 睨みつけるように言い放つ。


「……実家?」

 思わず、レオナール様を見る。

「実家に戻って、暮らすということかい?」

「いいえ」

 マリセラはきっぱりと首を振る。


「クラリスだけ、私の実家に行くの。私たちは、これまで通り隣国で暮らすわ」

 あまりにも身勝手な言葉に、言葉を失いかけた、その瞬間だった。

 再び扉が開き、ジェフリーが入ってくる。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

さようなら、わたくしの騎士様

夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。 その時を待っていたのだ。 クリスは知っていた。 騎士ローウェルは裏切ると。 だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。

処理中です...