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44.その子は、私の娘
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結婚式の準備は、思っていた以上に決断の連続。
式そのものは一日限りであっても、そこに込められる意味は一生ものだ。身につけるアクセサリーひとつでさえ、家の格、祝福の意図、未来への願いが問われる。
私は商会長と向かい合い、テーブルの上に並べられた宝石箱をひとつずつ開いていった。
真珠の柔らかな光、サファイアの澄んだ青、ダイヤモンドの鋭い輝き。それぞれを手に取り、灯りにかざしては、角度を変え、反射を確かめる。
――どれも美しいわ。
話し合いは長引きそうだったので、ラルとリズは気分転換も兼ねて、ティアナの家へ遊びに行かせている。子どもたちの笑い声がない屋敷は、どこか広すぎて、静かだわ。
その時だった。
控えめなノックの音が響き、執事のジェフリーが姿を現した。
いつもなら穏やかな表情をしている彼が、今日はどこか歯切れが悪い。言葉を選びあぐねている様子が、一目でわかった。
「奥様……その……奥様にお会いしたいという方が……」
「誰かしら?」
先触れもなく訪ねてくる人物に、心当たりはない。
私は宝石を箱に戻しながら、視線だけをジェフに向けた。
「……それが、その“前の奥様”、マリセラ様です」
一瞬、空気が止まった。時が、わずかに遅れたような感覚。
リズの母。レオナール様の、元妻。
「私に、会いに?」
「はい……」
ジェフリーはこの屋敷に長く仕えている。元妻にも仕えていた。だからこそ、追い返す判断を彼自身が下せなかったのだろう。
私は小さく息を吐いた。
「わかったわ。会うわ。ご案内して」
応接室へ向かうと、そこには一人の女性が腰かけていた。
背筋は伸ばしているものの、衣服は質素で、装飾らしい装飾もない。貴族の屋敷には、あまりにも場違いな佇まいだった。
けれど、その顔立ちには覚えがある。ララの記憶だろう。記憶の中の姿より、少しやつれてはいるが間違いない。
「アイラ・ウェストレイですわ」
私は距離を保ったまま、静かに名乗る。
「私に会いに来たとか。元奥様で、よろしいですか?」
彼女は視線を伏せ、かすかに首を振った。その動きには、妙な卑屈さと、何かが混じっている。
「今は“様”をつけていただける身分ではありません」
小さく、けれどはっきりと言った。
「実家とも縁を切っていますから……マリセラ、そうお呼びください」
――つまり、平民。
そうであれば、なおさらだ。よく先触れもなく、貴族の家を訪ねてこられたわ。
彼女の第一印象は、決して良くなかった。けれど、今の一言で、はっきりと“もっと悪く”なった。
「わかったわ」
私は椅子に腰を下ろし、真正面から彼女を見る。
「用件を手短に話してもらえるかしら?」
マリセラは唇を噛みしめ、拳をぎゅっと握った。その指先が白くなるほど力が入っている。
悔しさ。焦り。追い詰められた者特有の、歪んだ必死さが、ありありと滲んでいた。
「……お願いがあります」
一拍置いてから、絞り出すように続ける。
「クラリスを……クラリスを、私に返してください!」
「リズを、返す?」
思わず眉が動いた。その言葉の選び方が、あまりにも身勝手だったから。
「私が取った覚えはないわ。置いていったのは、あなたでしょう」
胸の奥から、じわじわと怒りがこみ上げてくる。遅効性の毒のように、確実に広がっていく。
なぜ、今さら。
「あなたも、自分の子どもじゃない子を育てるのは嫌でしょう?」
マリセラは顔を上げた。その瞳には、遠慮も罪悪感もない。
「いえ、今だって邪魔に思っているはずよ。だから私が引き取ってあげるわ」
当然のように言い切る。その瞬間、はっきりとわかった。敬語は消え、声音は完全に上から目線に変わっている。
……何、この言い草は。
応接室に差し込む午後の光だけが、やけに静かで、冷たかった。
「あなた……レオナール様がいらっしゃらないと知って、来たのね」
静かに告げた言葉に、応接室の空気がわずかに張り詰めた。
マリセラは答えない。だが、その沈黙こそが、何よりの肯定だった。
「私なら、簡単にリズを渡すとでも思ったのかしら」
視線だけを彼女に向ける。
「正式な手続きも考えず……随分と安易ですわね。そもそも――クラリスは、私の娘です」
言葉を区切り、はっきりと告げた。
「物のように“返す”“渡す”などという発想自体、あり得ません。……わかって?」
噛みしめるように言い切った、その瞬間。
「私が産んだのよ!」
マリセラが、堪えきれないように声を荒らげる。
「そうよ、私の子よ! クラリスに会わせて!」
「あなたを見て、母だと思うはずがないわ」
即座に返すと、彼女は顔を歪めた。
「生まれたばかりのリズが、あなたを覚えているわけないじゃない。記憶も、時間も、あなたは自分から手放した」
「そんなの、会ってみないとわからないじゃない! 血は強いのよ! 連れてきなさいよ!」
マリセラは縋るように叫ぶ。
――話にならない。
「お客様がお帰りよ」
私は振り返り、扉のそばに控えていたジェフリーに声をかけた。合図を受けたジェフリーが、廊下で待機していた侍従たちを呼ぶ。
「連れ出して」
ジェフが近づくと、マリセラは激しく抵抗した。もう、あなたの言うことなんて、聞くわけがないじゃない。
その間際、彼女は憎しみを剥き出しにして叫ぶ。
「私のことも邪魔! クラリスも邪魔だって思ってたくせに!」
その言葉だけを残し、マリセラは引きずられるように部屋から連れ出されていった。
式そのものは一日限りであっても、そこに込められる意味は一生ものだ。身につけるアクセサリーひとつでさえ、家の格、祝福の意図、未来への願いが問われる。
私は商会長と向かい合い、テーブルの上に並べられた宝石箱をひとつずつ開いていった。
真珠の柔らかな光、サファイアの澄んだ青、ダイヤモンドの鋭い輝き。それぞれを手に取り、灯りにかざしては、角度を変え、反射を確かめる。
――どれも美しいわ。
話し合いは長引きそうだったので、ラルとリズは気分転換も兼ねて、ティアナの家へ遊びに行かせている。子どもたちの笑い声がない屋敷は、どこか広すぎて、静かだわ。
その時だった。
控えめなノックの音が響き、執事のジェフリーが姿を現した。
いつもなら穏やかな表情をしている彼が、今日はどこか歯切れが悪い。言葉を選びあぐねている様子が、一目でわかった。
「奥様……その……奥様にお会いしたいという方が……」
「誰かしら?」
先触れもなく訪ねてくる人物に、心当たりはない。
私は宝石を箱に戻しながら、視線だけをジェフに向けた。
「……それが、その“前の奥様”、マリセラ様です」
一瞬、空気が止まった。時が、わずかに遅れたような感覚。
リズの母。レオナール様の、元妻。
「私に、会いに?」
「はい……」
ジェフリーはこの屋敷に長く仕えている。元妻にも仕えていた。だからこそ、追い返す判断を彼自身が下せなかったのだろう。
私は小さく息を吐いた。
「わかったわ。会うわ。ご案内して」
応接室へ向かうと、そこには一人の女性が腰かけていた。
背筋は伸ばしているものの、衣服は質素で、装飾らしい装飾もない。貴族の屋敷には、あまりにも場違いな佇まいだった。
けれど、その顔立ちには覚えがある。ララの記憶だろう。記憶の中の姿より、少しやつれてはいるが間違いない。
「アイラ・ウェストレイですわ」
私は距離を保ったまま、静かに名乗る。
「私に会いに来たとか。元奥様で、よろしいですか?」
彼女は視線を伏せ、かすかに首を振った。その動きには、妙な卑屈さと、何かが混じっている。
「今は“様”をつけていただける身分ではありません」
小さく、けれどはっきりと言った。
「実家とも縁を切っていますから……マリセラ、そうお呼びください」
――つまり、平民。
そうであれば、なおさらだ。よく先触れもなく、貴族の家を訪ねてこられたわ。
彼女の第一印象は、決して良くなかった。けれど、今の一言で、はっきりと“もっと悪く”なった。
「わかったわ」
私は椅子に腰を下ろし、真正面から彼女を見る。
「用件を手短に話してもらえるかしら?」
マリセラは唇を噛みしめ、拳をぎゅっと握った。その指先が白くなるほど力が入っている。
悔しさ。焦り。追い詰められた者特有の、歪んだ必死さが、ありありと滲んでいた。
「……お願いがあります」
一拍置いてから、絞り出すように続ける。
「クラリスを……クラリスを、私に返してください!」
「リズを、返す?」
思わず眉が動いた。その言葉の選び方が、あまりにも身勝手だったから。
「私が取った覚えはないわ。置いていったのは、あなたでしょう」
胸の奥から、じわじわと怒りがこみ上げてくる。遅効性の毒のように、確実に広がっていく。
なぜ、今さら。
「あなたも、自分の子どもじゃない子を育てるのは嫌でしょう?」
マリセラは顔を上げた。その瞳には、遠慮も罪悪感もない。
「いえ、今だって邪魔に思っているはずよ。だから私が引き取ってあげるわ」
当然のように言い切る。その瞬間、はっきりとわかった。敬語は消え、声音は完全に上から目線に変わっている。
……何、この言い草は。
応接室に差し込む午後の光だけが、やけに静かで、冷たかった。
「あなた……レオナール様がいらっしゃらないと知って、来たのね」
静かに告げた言葉に、応接室の空気がわずかに張り詰めた。
マリセラは答えない。だが、その沈黙こそが、何よりの肯定だった。
「私なら、簡単にリズを渡すとでも思ったのかしら」
視線だけを彼女に向ける。
「正式な手続きも考えず……随分と安易ですわね。そもそも――クラリスは、私の娘です」
言葉を区切り、はっきりと告げた。
「物のように“返す”“渡す”などという発想自体、あり得ません。……わかって?」
噛みしめるように言い切った、その瞬間。
「私が産んだのよ!」
マリセラが、堪えきれないように声を荒らげる。
「そうよ、私の子よ! クラリスに会わせて!」
「あなたを見て、母だと思うはずがないわ」
即座に返すと、彼女は顔を歪めた。
「生まれたばかりのリズが、あなたを覚えているわけないじゃない。記憶も、時間も、あなたは自分から手放した」
「そんなの、会ってみないとわからないじゃない! 血は強いのよ! 連れてきなさいよ!」
マリセラは縋るように叫ぶ。
――話にならない。
「お客様がお帰りよ」
私は振り返り、扉のそばに控えていたジェフリーに声をかけた。合図を受けたジェフリーが、廊下で待機していた侍従たちを呼ぶ。
「連れ出して」
ジェフが近づくと、マリセラは激しく抵抗した。もう、あなたの言うことなんて、聞くわけがないじゃない。
その間際、彼女は憎しみを剥き出しにして叫ぶ。
「私のことも邪魔! クラリスも邪魔だって思ってたくせに!」
その言葉だけを残し、マリセラは引きずられるように部屋から連れ出されていった。
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