転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!

木風

文字の大きさ
19 / 32

第19話「見上げた紋章、届かぬ手」

しおりを挟む
そのころ、アリエルが通っていた学園内では、物陰で会話する二つの影が。

「……これ以上、危ない橋は渡りたくないんだけど」

普段の愛らしい仕草や笑顔とは裏腹に、リリアナは指先で髪を弄びながら吐き捨てるように答えた。

「目的を遂行できたら、報酬は当初とは別に十倍出そう」

「十倍……」

甘い響きに、心臓が跳ねる。
あたしは元はただの一庶民だった。
その日の食事すらままならない家に生まれ、明日がどうなるかもわからない暮らし。

そんなあたしの前に、名も明かさぬ誰かが現れた。
アリエル・クローバーとルシアン・ド・ヴェルナーの婚約を壊すこと。
それさえやれば、伯爵の地位と莫大な金銭を与える、と。
目の前に積まれた金貨の輝きは、夢とも幻とも思えぬほどで……気づけば頷いていた。

正直に言えば、ルシアンを篭絡するのは造作もなかった。
本当ならどう転んでもアリエルには敵わない。
でも、あの男は違った。彼の中に渦巻く劣等感と欲望。
アリエルが決して与えられないものを、あたしが差し出してやるだけ。
それだけで、侯爵家嫡男は簡単にあたしの手に落ちた。

周囲も同じ。
公爵家に対する羨望や妬み嫉み、鬱憤。
それらをちょっと煽れば、燃料に火をつけるように勝手に広がっていく。
本来なら口にすれば不敬罪になりかねない噂話も、学園という箱庭の中では黙認され、あたしが撒く言葉に面白いほど飛びついた。

……アリエルが気丈に振舞えば振舞うほど、皆は彼女の転落を望み、涙を待ち望んでいた。

けれど、思ったよりも彼女はしぶとかった。
だからあたしは、自分の身体を差し出した。
そうしてやっと、ルシアンの心を完全にこちらへと引き寄せ、婚約破棄へと追い込んだのだ。

「リリィ、考え事かい?」

腕を絡めてもたれかかると、ルシアンはいつもの甘い声であたしに囁いた。
あぁ、本当に愚かしい男。
彼の軽率さを思えば思うほど、安心なんてできない。
昨日アリエルを切り捨てた彼が、明日あたしを切り捨てない保証なんてどこにもないのだから。

「ルシアン様……あたし、やっぱり一度アリエル様のお見舞いに伺いたいんです」
「アリエルの……?」
「はい。あたしのせいでたくさん誤解させてしまい……追い詰めてしまったことが、今でも心残りで……」

声を震わせ、涙を指先で拭う仕草を見せる。
演技だ。こんなものは、全部。
それでも彼は、いとも容易く信じ込む。

「リリィ……君は本当に優しいだけでなく、心まで清らかだね」

心の中で冷たく嘲笑う。
清らか?あたしほど汚れている女もそういない。
でも、彼にはこのくらいがちょうどいい。

「明日にでも二人で公爵邸に伺おう。僕も……ちょうど話をしたいと思っていたんだ」

やっぱりバカな男。
けれど、利用するには都合のいいバカだ。
彼の腕に絡めたまま、あたしは伏し目がちに口元を歪めた。



まだ薄暗い内から侍女に揺り起こされ、意識が浮上する。

「お嬢様!ドレスのお着替えの時間です」
「……え?え?」

ドレス?今日なんか予定あったっけ??

「本日は、旦那様から厳しく申しつかっておりますので!失礼いたします!!」

返事をする間もなく、あっという間に布団を剥がされる。
昨晩は買った本に夢中になり過ぎて、気づけば朝日が差す寸前までページをめくっていた。
ほとんど徹夜明けの頭には、侍女たちの甲高い声がやけに響いて痛い。

ぼんやりした目で部屋を見渡せば、普段の倍以上の侍女たちが動いている。
着替えの手が次々と差し伸べられ、否応なしに支度が始まった。
相変わらずコルセットは内臓を潰しにかかってくるし、ひとつ結び上げられるたびに『ギュンッ』と体力ゲージが減る。
……もうこの段階でネグリジェに戻りたくて仕方ない。

『なんとか逃げられないかなぁ……』と心の中で悪あがきしていると、鮮やかな海のような青色のドレスが運び込まれてきた。
光を受けてきらめくその布地は、見ているだけなら確かに美しい。

「……あれ?こんなドレス、私のクローゼットにあったっけ?」
「こちら、ご指定のドレスでございます」

……指定?した覚えなんて一度も無いんですけど??
寝惚けた勢いで注文なんて……いや、そんなことある?

疑問を抱えたまま、着付けは容赦なく進む。
完成した頃にはHP残りわずか。ソファに横たわり、ただ天井を見上げるしかなかった。

「お嬢様。その、非常に申し上げにくいのですが……」
「……なーにー?」

ワンチャン『着替えは手違いでした』って展開を期待しつつ、気の抜けた声で返す。

「ルシアン様とリリアナ様が……お嬢様への面会を求めて、お屋敷にいらしてます」

ルシアン……リリアナ……!?

「はぁあああ!?なんで!?まさかこの着替えも、その二人に会わせるため!?」
「いえ!どうやら予告もなく訪ねてこられたようで……旦那様はお嬢様のお好きにと」

はぁ……
古今東西、元カレが元カノに会いに来る理由なんて、大概ろくでもない。
医者時代だってそうだった。学生時代ろくに口もきかなかった相手から、唐突に『久しぶり、元気?』なんて連絡が来たと思えば、ほとんどが『ちょっとお金貸して』とか『水買わない』みたいな、くだらないお願いばかりだった。
『医者になった』と知れ渡った瞬間、無料診療所扱いされたこともある。

……なぁ、アリエル。おまえはどうしたい?

きっと、生真面目で律儀なアリエルなら『顔を合わせるのも礼儀』とか思って、わざわざ茶番に付き合うんだろう。
わかっていても馬鹿正直に会って、結局ちゃっかり傷付くんだろうな……



初めて踏み入れたクローバー公爵邸は、ルシアンのヴェルナー侯爵邸とは門の造りからして格が違った。
彫刻の施された石柱、延々と続く庭園、敷き詰められた白い石畳……どれもが『別格』であると嫌でも思い知らされる。
たかが侯爵邸を一度踏み入れたくらいで舞い上がっていた自分を、今さらながら笑いたくなる。

通された応接間ひとつとっても、比べるのも烏滸がましいほどの差。
重厚なシャンデリアの光が磨き上げられた床に反射し、壁に掛けられた絵画はどれも王宮に飾られていても不思議じゃないような逸品。
こんな空間に、あたしみたいな成り上がりの娘が腰掛けていていいのか……息苦しさで喉がひりつく。

重苦しい扉が音を立てて開く。
アリエルの父、クローバー公爵が姿を現した瞬間、空気が変わった。

一目でわかった。
……あ、ダメだ。あたしの要望なんて、微塵も通る気がしない。

あたしに依頼を持ちかけてきた誰かも、それなりの地位ある人間に違いない。
けど、この人に比べたらただの小物。
足元にも及ばない、圧倒的な威厳と威圧感が部屋を支配していた。

「アリエルは手が離せなくてね。手短に用件を伺おう」

低く重い声に、背筋に冷たいものが走る。

「……」
「……」

ルシアンは侯爵家の嫡男であり、元婚約者で面識もあるくせに、言葉を失って口を閉ざしている。
信じられなくて彼を見やったが、彼の視線は泳ぎ、声を発する気配すらない。
仕方なく、自分から口を開くしかなかった。

「あ、あの!アリエル様のお見舞いを……」
「必要ない」

ピシャリと切り捨てられた。
言葉を言い切る前に。
背中に冷や汗がつうっと伝う。

「以上なら、お引き取り願おうか」

空気が張り詰め、心臓が鷲掴みにされるような感覚。
その緊張を破ったのは、隣のルシアンだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

婚約破棄を望む伯爵令嬢と逃がしたくない宰相閣下との攻防戦~最短で破棄したいので、悪役令嬢乗っ取ります~

甘寧
恋愛
この世界が前世で読んだ事のある小説『恋の花紡』だと気付いたリリー・エーヴェルト。 その瞬間から婚約破棄を望んでいるが、宰相を務める美麗秀麗な婚約者ルーファス・クライナートはそれを受け入れてくれない。 そんな折、気がついた。 「悪役令嬢になればいいじゃない?」 悪役令嬢になれば断罪は必然だが、幸運な事に原作では処刑されない事になってる。 貴族社会に思い残すことも無いし、断罪後は僻地でのんびり暮らすのもよかろう。 よしっ、悪役令嬢乗っ取ろう。 これで万事解決。 ……て思ってたのに、あれ?何で貴方が断罪されてるの? ※全12話で完結です。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます

なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。 過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。 魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。 そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。 これはシナリオなのかバグなのか? その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。 【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】

【完結】悪役令嬢はおねぇ執事の溺愛に気付かない

As-me.com
恋愛
完結しました。 自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと気付いたセリィナは悪役令嬢の悲惨なエンディングを思い出し、絶望して人間不信に陥った。 そんな中で、家族すらも信じられなくなっていたセリィナが唯一信じられるのは専属執事のライルだけだった。 ゲームには存在しないはずのライルは“おねぇ”だけど優しくて強くて……いつしかセリィナの特別な人になるのだった。 そしてセリィナは、いつしかライルに振り向いて欲しいと想いを募らせるようになるのだが……。 周りから見れば一目瞭然でも、セリィナだけが気付かないのである。 ※こちらは「悪役令嬢とおねぇ執事」のリメイク版になります。基本の話はほとんど同じですが、所々変える予定です。 こちらが完結したら前の作品は消すかもしれませんのでご注意下さい。 ゆっくり亀更新です。

ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です

山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」 ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。

【完結】ど近眼悪役令嬢に転生しました。言っておきますが、眼鏡は顔の一部ですから!

As-me.com
恋愛
 完結しました。 説明しよう。私ことアリアーティア・ローランスは超絶ど近眼の悪役令嬢である……。  気が付いたらファンタジー系ライトノベル≪君の瞳に恋したボク≫の悪役令嬢に転生していたアリアーティア。  原作悪役令嬢には、超絶ど近眼なのにそれを隠して奮闘していたがあらゆることが裏目に出てしまい最後はお約束のように酷い断罪をされる結末が待っていた。  えぇぇぇっ?!それって私の未来なの?!  腹黒最低王子の婚約者になるのも、訳ありヒロインをいじめた罪で死刑になるのも、絶体に嫌だ!  私の視力と明るい未来を守るため、瓶底眼鏡を離さないんだから!  眼鏡は顔の一部です! ※この話は短編≪ど近眼悪役令嬢に転生したので意地でも眼鏡を離さない!≫の連載版です。 基本のストーリーはそのままですが、後半が他サイトに掲載しているのとは少し違うバージョンになりますのでタイトルも変えてあります。 途中まで恋愛タグは迷子です。

[完結]7回も人生やってたら無双になるって

紅月
恋愛
「またですか」 アリッサは望まないのに7回目の人生の巻き戻りにため息を吐いた。 驚く事に今までの人生で身に付けた技術、知識はそのままだから有能だけど、いつ巻き戻るか分からないから結婚とかはすっかり諦めていた。 だけど今回は違う。 強力な仲間が居る。 アリッサは今度こそ自分の人生をまっとうしようと前を向く事にした。

処理中です...