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リリーナ・アリステリアは十四歳になった。
弟のユリアンは八歳。まだ声変わりもしていない、素直で、よく笑う子どもだ。
彼が無邪気に笑っているのを見るたびに、リリーナは心の底から安心する。
──この世界を、彼の未来を、間違いなく変えられていると。
午前の陽が射し込む窓辺に、リリーナは静かに座っていた。
手には湯気の立つカップと、香草の香りがふわりと漂うお茶。
季節の変わり目にあわせて、侍女が配合してくれたものだ。
透明な白い肌に、光を受けてきらきらと輝く銀髪。
まるでこの世のものではないような美しさと、儚さ。
「姫様、本日もお変わりありませんか?」
窓の傍に寄った侍女が、そっと声をかける。
彼女の名はレイナ。かつてリリーナの乳母に仕えていた娘で、今は専属の侍女兼付き人だ。
「ええ、ありがとう。喉の調子もいいわ。今日は市場が立つ日かしら? 少し賑やかね」
「そうです。今日は市場と、教会の施療院の視察日でございます」
リリーナは、少しだけ目を伏せる。
視察には行けない。もちろん、病弱を装っているからではない。本当に体調が悪いのだ。
──昨日、魔石の充填に使った白魔法で、また軽く血を吐いた。
白魔法は回復の力ではあるが、過剰な使用は術者自身の命を削る。
それを知りながら、リリーナは使い続けている。
「……施療院に薬が足りていないって、先月の報告にあったわね。代金は私の今月分のドレス代から出しておいて。新しいものは必要ないわ。去年のドレスを直せば十分よ」
「姫様……!」
レイナが一歩踏み出す。が、口元を引き結び、それ以上言わなかった。
もう何度も繰り返されているやり取り。咎めることも、止めることもできない。
リリーナは、ただ優しく笑うだけだった。
「私、踊りに行くわけでもないし……ドレスは派手でなくてもいいもの」
その言葉に、レイナは小さくうなずく。
この姫様は、いつもそうだ。自分のことには無頓着で、他人のために金を使う。
それを当然だと信じて疑わない。
けれど、それを見て感動する人間は多い。
リリーナの“聖女”としての評判は、王都の民にまで広がっていた。
棚の上には、小さな銀鎖と、曇りかけた白い宝石が飾られている。
これは、かつてユリアンに贈った魔石と同じ型で作られた試作品。
あの子に渡す前、何度も練習して、調整して、そのうちのひとつをそっと残しておいた。
今では魔力が抜け、ただの石と変わらないが──リリーナにとっては大切な記憶の欠片だ。
(あの子、今も胸に下げてくれているかしら)
胸の奥がふっと温かくなる。
リリーナが初めてこの世界の真実を思い出したのは、ユリアンが生まれて間もない頃。
あの子は、将来王位を狙う兄によって政争に巻き込まれ、捨て駒のように戦場に送られ、無残に死ぬ運命だった。
そんな未来、許せるわけがない。
自分が死んでまで異世界転生した理由は、たったひとつ──彼の最期を変えるため。
もっと言えば、この目で見届けたいのだ。
ユリアンが、どんな王になるのか。
私が愛してやまない“推し”の、人生のクライマックスを。
そしてそれは、彼が“王”になるという形でしか叶わない。
だから私は病弱を装った。
嫁がされないように。
遠い国に行かずに、弟のそばにいるために。
そして、誰にも怪しまれずに、根を張り、人を見定め、次代の地盤を築くために。
誰もが私を“儚い聖女”と見なしている。
けれど、本当は違う。
私が可哀想で優しい姫だと思っているなら、それは都合がいい。
その印象のまま、死ぬまで騙されてくれればいい。
私の“慈善”は、私の“謀略”でもあるのだから。
リリーナは、そっと手帳を開いた。
真っ白な表紙。中には、整った文字でびっしりと人名と記録が書き込まれている。
「今年、優秀な成績を収めた孤児院の子に、推薦状を……王宮の事務方に入れられるように根回しが必要ね。後でカミラ様に報告を……」
誰に聞かれるわけでもない独り言。
けれどその声には、微笑も、柔らかさもなかった。
リリーナ・アリステリア──
この国の未来を裏で支える“姫”は、今日も、ただ静かに微笑んでいた。
弟のユリアンは八歳。まだ声変わりもしていない、素直で、よく笑う子どもだ。
彼が無邪気に笑っているのを見るたびに、リリーナは心の底から安心する。
──この世界を、彼の未来を、間違いなく変えられていると。
午前の陽が射し込む窓辺に、リリーナは静かに座っていた。
手には湯気の立つカップと、香草の香りがふわりと漂うお茶。
季節の変わり目にあわせて、侍女が配合してくれたものだ。
透明な白い肌に、光を受けてきらきらと輝く銀髪。
まるでこの世のものではないような美しさと、儚さ。
「姫様、本日もお変わりありませんか?」
窓の傍に寄った侍女が、そっと声をかける。
彼女の名はレイナ。かつてリリーナの乳母に仕えていた娘で、今は専属の侍女兼付き人だ。
「ええ、ありがとう。喉の調子もいいわ。今日は市場が立つ日かしら? 少し賑やかね」
「そうです。今日は市場と、教会の施療院の視察日でございます」
リリーナは、少しだけ目を伏せる。
視察には行けない。もちろん、病弱を装っているからではない。本当に体調が悪いのだ。
──昨日、魔石の充填に使った白魔法で、また軽く血を吐いた。
白魔法は回復の力ではあるが、過剰な使用は術者自身の命を削る。
それを知りながら、リリーナは使い続けている。
「……施療院に薬が足りていないって、先月の報告にあったわね。代金は私の今月分のドレス代から出しておいて。新しいものは必要ないわ。去年のドレスを直せば十分よ」
「姫様……!」
レイナが一歩踏み出す。が、口元を引き結び、それ以上言わなかった。
もう何度も繰り返されているやり取り。咎めることも、止めることもできない。
リリーナは、ただ優しく笑うだけだった。
「私、踊りに行くわけでもないし……ドレスは派手でなくてもいいもの」
その言葉に、レイナは小さくうなずく。
この姫様は、いつもそうだ。自分のことには無頓着で、他人のために金を使う。
それを当然だと信じて疑わない。
けれど、それを見て感動する人間は多い。
リリーナの“聖女”としての評判は、王都の民にまで広がっていた。
棚の上には、小さな銀鎖と、曇りかけた白い宝石が飾られている。
これは、かつてユリアンに贈った魔石と同じ型で作られた試作品。
あの子に渡す前、何度も練習して、調整して、そのうちのひとつをそっと残しておいた。
今では魔力が抜け、ただの石と変わらないが──リリーナにとっては大切な記憶の欠片だ。
(あの子、今も胸に下げてくれているかしら)
胸の奥がふっと温かくなる。
リリーナが初めてこの世界の真実を思い出したのは、ユリアンが生まれて間もない頃。
あの子は、将来王位を狙う兄によって政争に巻き込まれ、捨て駒のように戦場に送られ、無残に死ぬ運命だった。
そんな未来、許せるわけがない。
自分が死んでまで異世界転生した理由は、たったひとつ──彼の最期を変えるため。
もっと言えば、この目で見届けたいのだ。
ユリアンが、どんな王になるのか。
私が愛してやまない“推し”の、人生のクライマックスを。
そしてそれは、彼が“王”になるという形でしか叶わない。
だから私は病弱を装った。
嫁がされないように。
遠い国に行かずに、弟のそばにいるために。
そして、誰にも怪しまれずに、根を張り、人を見定め、次代の地盤を築くために。
誰もが私を“儚い聖女”と見なしている。
けれど、本当は違う。
私が可哀想で優しい姫だと思っているなら、それは都合がいい。
その印象のまま、死ぬまで騙されてくれればいい。
私の“慈善”は、私の“謀略”でもあるのだから。
リリーナは、そっと手帳を開いた。
真っ白な表紙。中には、整った文字でびっしりと人名と記録が書き込まれている。
「今年、優秀な成績を収めた孤児院の子に、推薦状を……王宮の事務方に入れられるように根回しが必要ね。後でカミラ様に報告を……」
誰に聞かれるわけでもない独り言。
けれどその声には、微笑も、柔らかさもなかった。
リリーナ・アリステリア──
この国の未来を裏で支える“姫”は、今日も、ただ静かに微笑んでいた。
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