病弱を装う王女ですが、弟の未来のためならどんな手でも使います【完結】

藤原遊

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夏が来ると、王都には熱と共に疫が入り込み、郊外の貧民街では発熱と咳を訴える者が相次いだ。
王宮付属の施療院は連日あふれ返り、医師も薬師も手が足りない。そんな混乱の中心で、リリーナは白衣の袖を濡らしながら、癒しの魔法を注いでいた。

白魔法は術者の体力を犠牲にして他者を癒す――誰もが知る理だが、彼女はそれを止めようとしなかった。
むしろ求められるたびに、さらに深く魔力を注ぎ込み、患者の痛みを吸い取るたびに頬の血の気を失わせた。

最初はわずかな眩暈だった。
二日目には声が掠れ、三日目には白布に淡い血が滲んだ。
第四日目、兄ヴァルセリオスが視察の途中で施療院を訪れたとき、リリーナは数人の子どもを治癒し終えた直後で、膝を折りその場に手を突いた。

銀色の鎧の足音に気づいた医師が「殿下!」と叫ぶ間もなく、兄は妹を抱き起こし、真っ青な顔で震える肩を支えた。

「もう十分だ、帰るぞ」
「大丈夫……です。まだ、待っている人が……」
「このまま続ければ、お前が先に倒れる」

騎士としての彼は強い。けれどその腕に抱かれる彼女の身体はあまりにも軽く、薄い。
ヴァルセリオスは無理やり馬車を手配し、王宮へ連れ帰った。
だが翌朝、リリーナは侍女の制止を振り払って、再び施療院へ向かった。

噂は瞬く間に広がり、「白い聖女が己の命を削って民を救っている」と語られるようになる。

弟ユリアンが駆けつけたのはその翌日だった。
稽古着のまま汗に濡れた手で姉の腕を掴み、泣き出しそうな声で言う。

「姉上、どうしてそこまで……僕に言ってください。僕が何でもしますから!」
「あなたには、あなたの務めがあります。私は――私にできることをしているだけ」
「違う。これはあなたの務めじゃない。あなたは、僕の……」

言葉の続きは喉に絡み、ユリアンは唇を噛んだ。
胸元のダイヤモンドが震え、彼の鼓動を映すように淡く光る。

リリーナは微笑み、血を滲ませたハンカチをこっそり袖に隠した。

施療院の外壁を一歩出れば、その微笑は冷やかな光に変わる。
彼女が振り向く先には、監査で締め上げられた貴族の使者が、汗を拭いながら帳簿を差し出していた。

白魔法で倒れかけた聖女の姿は衆目に焼きつき、同情と献金が雪崩れ込んでくる。
その資金は迂回して奨学基金へ流れ、ユリアン支持の若手官吏をさらに育て上げる――仕組みは、すでに完成していた。

夜、侍医の薬湯に口をつけ、ほとんど味のしない粥をすすりながら、リリーナは帳面に目を落とす。
体の芯が氷のように冷えているのに、胸だけが熱い。毒でも病でもない。
己が選んだ“刃”が内側から刻む痛みだ。

けれどページをめくる指には迷いがない。
次に追い詰める貴族名に赤い印をつけると、ドアの向こうで兄と弟の声が重なった。

「姉上を止めないと」
「姉を信じてやれ」

――互いに譲らぬ口調が低く響き、やがて遠ざかる。

兄は妹を守るため、弟は姉を護るため。
二人が同じ願いでぶつかり合うほど、リリーナは胸の奥で小さく笑う。

(――これでいい。私が病に伏せば伏すほど、ふたりは私を中心に結びつく。
貴族の目は表の“聖女”に向かい、裏で動く刃には誰も気づかない)

窓の外では夏の雷が遠くで鳴った。
厚い雲の向こうに稲光が走り、次の嵐の到来を告げる。

肉体は削れても構わない。
弟に王冠を――兄に無垢の剣を――それだけが、彼女の祈りだった。
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