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第一章 婚約破棄と新たな決意
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王宮の奥、政務棟にある宰相執務室は、ひときわ重苦しい空気を漂わせていた。
厚い扉を抜けた先の部屋には、古びた書架が壁一面に並び、各国から持ち込まれた文献や地図が積まれている。
机の上には整然と積み上げられた法令集と外交記録。
重いインクと羊皮紙の匂いが鼻を刺し、この部屋が王国の頭脳であることを否応なく告げていた。
部屋の中央に立つのは、宰相ヴォルフガング。
銀糸のような髪を後ろで束ね、深い皺の刻まれた顔には威厳が宿っている。
歳を重ねても衰えぬ眼光は鋭く、まるで全てを見透かすかのようだった。
「エルンスト家の娘か」
低く響く声が室内を支配する。
セラフィーナは裾をつまみ、深く一礼した。
「はい、セラフィーナ・エルンストにございます」
宰相は机の上の一枚の羊皮紙を手に取り、無造作に差し出した。
「これは東方の商人が記した契約文だ。解いてみせよ」
羊皮紙に並ぶのは、彼女が学び続けてきた東方語の古い筆記体。
翻訳すれば――布地取引の規約。利率を定め、不正を戒める内容だった。
セラフィーナは息を整え、言葉を選びながら口にした。
「……布地の取引に関する契約です。不当な利を防ぐため、利率に上限を設けています」
ヴォルフガングの目がわずかに細まる。
「その末尾の比喩は?」
「『風に舞う布のように』。利益とは移ろいやすく、永遠に留めることはできない……そう記されています」
短い沈黙が流れた。
蝋燭の炎が揺れ、重苦しい空気が部屋を満たす。
やがて宰相は頷き、次の文書を示した。
「ならば、これだ。西方諸国の外交儀礼に関する覚書。婚礼の使節において、最初に杯を掲げるのは誰か」
セラフィーナは思い出す。夜更けまで学んだ古文書、母と共に口ずさんだ慣習の歌。
「……新婦の父です。血統を示すため、家の権威を最初に明かすのが習わし」
ヴォルフガングの口元に、ようやく僅かな笑みが浮かんだ。
「よい。知識は見せかけではなく、血肉になっているようだ」
彼は椅子に深く腰を下ろし、重く言葉を続けた。
「婚約を失い、笑い者になったと聞いている。
だが、政は情に流されぬ。必要なのは血筋ではなく才覚だ。
お前の知識と胆力、確かに見た。補佐部署に入れ。外交の補佐官として務めよ」
胸の奥に熱が込み上げる。
ただの同情や形式的な抜擢ではない。
自分の力を認められたのだ。
セラフィーナは深く一礼し、震える声で答えた。
「……ありがとうございます。必ずお役に立ちます」
宰相の眼差しは厳しくも揺るぎなかった。
「覚えておけ。宮廷に居場所を得たからといって安堵するな。
その立場を守れるのは、己の才と覚悟だけだ」
その言葉の重みは、セラフィーナの胸に深く刻まれた。
新興の娘に託された役目。
それは彼女の決意をさらに強固なものにした。
厚い扉を抜けた先の部屋には、古びた書架が壁一面に並び、各国から持ち込まれた文献や地図が積まれている。
机の上には整然と積み上げられた法令集と外交記録。
重いインクと羊皮紙の匂いが鼻を刺し、この部屋が王国の頭脳であることを否応なく告げていた。
部屋の中央に立つのは、宰相ヴォルフガング。
銀糸のような髪を後ろで束ね、深い皺の刻まれた顔には威厳が宿っている。
歳を重ねても衰えぬ眼光は鋭く、まるで全てを見透かすかのようだった。
「エルンスト家の娘か」
低く響く声が室内を支配する。
セラフィーナは裾をつまみ、深く一礼した。
「はい、セラフィーナ・エルンストにございます」
宰相は机の上の一枚の羊皮紙を手に取り、無造作に差し出した。
「これは東方の商人が記した契約文だ。解いてみせよ」
羊皮紙に並ぶのは、彼女が学び続けてきた東方語の古い筆記体。
翻訳すれば――布地取引の規約。利率を定め、不正を戒める内容だった。
セラフィーナは息を整え、言葉を選びながら口にした。
「……布地の取引に関する契約です。不当な利を防ぐため、利率に上限を設けています」
ヴォルフガングの目がわずかに細まる。
「その末尾の比喩は?」
「『風に舞う布のように』。利益とは移ろいやすく、永遠に留めることはできない……そう記されています」
短い沈黙が流れた。
蝋燭の炎が揺れ、重苦しい空気が部屋を満たす。
やがて宰相は頷き、次の文書を示した。
「ならば、これだ。西方諸国の外交儀礼に関する覚書。婚礼の使節において、最初に杯を掲げるのは誰か」
セラフィーナは思い出す。夜更けまで学んだ古文書、母と共に口ずさんだ慣習の歌。
「……新婦の父です。血統を示すため、家の権威を最初に明かすのが習わし」
ヴォルフガングの口元に、ようやく僅かな笑みが浮かんだ。
「よい。知識は見せかけではなく、血肉になっているようだ」
彼は椅子に深く腰を下ろし、重く言葉を続けた。
「婚約を失い、笑い者になったと聞いている。
だが、政は情に流されぬ。必要なのは血筋ではなく才覚だ。
お前の知識と胆力、確かに見た。補佐部署に入れ。外交の補佐官として務めよ」
胸の奥に熱が込み上げる。
ただの同情や形式的な抜擢ではない。
自分の力を認められたのだ。
セラフィーナは深く一礼し、震える声で答えた。
「……ありがとうございます。必ずお役に立ちます」
宰相の眼差しは厳しくも揺るぎなかった。
「覚えておけ。宮廷に居場所を得たからといって安堵するな。
その立場を守れるのは、己の才と覚悟だけだ」
その言葉の重みは、セラフィーナの胸に深く刻まれた。
新興の娘に託された役目。
それは彼女の決意をさらに強固なものにした。
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