婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

第二章 副官の補佐官

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夜更けの執務室は静まり返っていた。
燭台の炎がゆらめき、積み上げられた書類の影を床に落とす。
セラフィーナは与えられた分厚い報告書に没頭していた。
羽根ペンの先から文字が次々と紙面を走り、山のような訳文が机に積み重なっていく。

目は重く、肩は痛む。
それでも彼女は手を止めなかった。
失敗すれば、狙い通りに「無能」の烙印を押される。
それだけは避けねばならなかった。

夜が明ける頃、机の上には訳し終えた書類の束が整然と並んでいた。
疲労で手が震えていたが、胸には小さな誇りがあった。

――これで間に合う。

安堵の息をついた、その時だった。

「……あら、ご苦労なこと」

背後から女の声がした。
振り返ると、扇を手にしたリュシアンナが立っていた。
扇の影に隠れた口元は笑んでいるが、瞳は冷たかった。

「新興の娘がよく頑張ったわね。けれど、その努力……無駄になるかもしれなくてよ？」

不穏な言葉に眉をひそめた瞬間、別の文官が駆け込んできた。

「問題だ！翻訳文の一部に、原文にない条項が追加されている！」

室内がざわめいた。
机上の書類の中から、一枚の紙が抜き出される。
確かに、セラフィーナの筆跡によく似た文字で、不自然な一文が書き加えられていた。

「まさか……！」

セラフィーナは目を見開いた。
そんなものを書いた覚えはない。
だが状況は最悪だった。
訳文は彼女が徹夜で仕上げたもの。
筆跡も巧妙に似せられている。

「条約の不正改ざんなど、重大な背信行為だ」
「まさか新人が……？」

周囲の視線が一斉にセラフィーナへと注がれる。
疑念と侮蔑が入り混じり、空気は一気に重くなった。

背後で、リュシアンナが小さく扇を動かした。
その仕草は何事もなかったかのように優雅だったが、そこに確信めいた冷笑が潜んでいた。

セラフィーナは拳を握りしめた。
悔しさと怒りが胸を突き上げる。
だが、ここで取り乱せば本当に「罪を認めた」ことになってしまう。

――これは仕組まれた罠。
――私は狙われている。

心の奥で冷たい事実を認めながら、彼女は必死に息を整えた。

「私はやっていません」

はっきりと声に出す。
揺るがぬ意志を示すしかなかった。

だが、濡れ衣は既に彼女の肩に落ちかかっていた。