婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

藤原遊

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第三章 陰謀の影と再会

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夜の王宮は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
石壁に囲まれた客室には、重厚な帳が垂れ下がり、厚い絨毯が足音を吸い込んでいる。
窓から差し込む月明かりは銀糸のように床を照らし、机上の燭台がわずかな炎を揺らしていた。

ラファエル・リュクサリア王子は、その机に腰を下ろしていた。
葡萄酒の入った杯を手にしては口をつけず、ただ赤い液面を見つめ続けていた。
炎に照らされた酒は、血のように濃く、彼の心のざわめきをそのまま映しているかのようだった。

昼間の謁見が脳裏に焼きついていた。
広間に立つセラフィーナの姿。
凛と背筋を伸ばし、冷静に言葉を訳す声。
一度は涙に濡れ、自らが切り捨てたはずの令嬢が、今や誇りと責務を背負ってそこに立っていた。

彼女の瞳に、かつての従順さは微塵もなかった。
あの眼差しは、自らの意思を持ち、職務を果たす者のもの。
その変貌が、ラファエルの胸を鋭く抉った。

「……私は、間違えたのか」

低く掠れた声が、静寂に溶ける。
自ら口にした言葉に、心臓が跳ねる。
だがすぐに首を振った。
情に流されることは、王子に許されぬ弱さだからだ。

「王族としては……正しい選択だった」

己に言い聞かせるように、もう一度呟く。

リュクサリアとこの国を繋ぐ婚姻は、王国にとって重大な意味を持つ。
国内での安定を図るには、長きにわたり地盤を築き、他国からも認められる伝統ある家門――ベルナール公爵家との結びつきが不可欠だった。
新興の娘であるセラフィーナを娶ることは、甘美な選択であったとしても、国益を考えれば到底許されるものではなかった。

あの日、自分は感情を切り捨て、正しさを選んだ。
そう信じてきた。

だが、広間で見た彼女の毅然とした姿が、その理屈を揺るがせる。
まるで、彼女の変貌が「お前の決断は誤りだった」と告げているかのように。

杯を置き、両手で顔を覆った。
胸の奥に後悔が渦巻く。
「もしも」という思考が幾度も頭をもたげ、彼を苛む。
もしも彼女を捨てなければ。
もしも共に歩む未来を選んでいたら。

だが、その想像に耽ることは許されない。
王族としての道は、常に重責と共にある。
情に流されれば、国を危うくする。

「……いや。あれは正しい選択だ」

再び杯を手に取り、葡萄酒を喉へ流し込む。
赤が炎に揺らめき、苦みが口に広がった。
その痛みでしか、揺らぐ心を縛りとめられなかった。

窓の外には月が浮かんでいた。
冷たい光が石壁を照らし、影を深く落とす。
その月を見上げながら、ラファエルは静かに呟いた。

「……王族は、国を選ばねばならない」

声は夜の闇に吸い込まれた。
心に疼く後悔を押し込め、理を盾に己を守るしかなかった。

燭台の炎がかすかに揺れた。
ラファエルの横顔は硬く、仮面のように整っていたが、その奥に沈む影は誰にも見えなかった。
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