婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

藤原遊

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第三章 陰謀の影と再会

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翌日の協議は、王宮の会議室にて執り行われた。
高い天井に掲げられた紋章旗が揺れ、長机の上には膨大な書簡と羊皮紙が並べられている。
リュクサリアの高官たちと宰相ヴォルフガングを中心とする一行が向かい合い、通訳としてセラフィーナが控えていた。

議題は文化交流。
通商や軍備ほどの重さはないが、両国の親善を象徴する大切な案件だった。
舞台の緊張は依然として高く、些細な言葉尻の誤りすら、国益を損なう危険がある。

セラフィーナは羽根ペンを握り、真剣に耳を傾けていた。
相手国の高官が発した言葉を即座に訳し、文意を整えて宰相に伝える。
彼女の声は澄み、抑揚は冷静で、無駄なく正確。
その度胸と的確さに、同席していた文官たちは小さく感嘆の息を漏らした。

「……やはり、新興の娘と侮るべきではなかった」
背後から小声が飛ぶ。
しかしセラフィーナは振り向かず、淡々と訳を続けた。
この場で示せるのは、能力だけ。

一方で、王子の隣に座すリュシアンナは、扇を口元に当てながら周囲を窺っていた。
華やかな衣装に身を包み、婚約者としての立場を誇示するように微笑んでいたが、内心は穏やかではなかった。

――なぜ、あの娘ばかりが賞賛されるの。

彼女の耳にも「見事な訳だ」「補佐官にふさわしい」という囁きが届いていた。
それは、セラフィーナを軽んじてきた者たちの間でさえ口にされている。
屈辱に頬が熱くなる。

婚約者として王子の隣にいるのは自分。
それなのに、この場を支配しているのはセラフィーナだった。
焦りが心を締めつけ、やがて一つの考えが頭をもたげる。

――失墜させなければ。

協議の合間、リュシアンナはさりげなくリュクサリアの高官の一人に囁いた。
「翻訳に不備があるようですわ。……彼女は信頼に足りません」

男の表情が揺らぐ。
やがて議題に戻ったとき、その一節が問いただされた。
「この部分、表現が曖昧だ。誤解を招きかねない」

場が一瞬静まり返る。
視線がセラフィーナに集まった。

彼女は落ち着いた手つきで書簡を繰り、余白に記した注記を示す。
「こちらは原文においても二義的表現を含みます。しかし補足条文に照らせば、意図は明確です」
簡潔な説明。

しかし高官は譲らない。
「それでも曖昧さが残る。国際文書としては不十分だ」

リュシアンナの胸が高鳴った。
――これで彼女は失脚する。
そう思った瞬間、淡い笑みが扇の奥で広がる。

だが。

「確認済みだ」
宰相ヴォルフガングの低い声が、会議室を圧した。
「補佐官の訳は誤りではない。むしろ正確で、疑義を挟む余地はない」

続けざまに、クリストファーが前に出る。
いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、淡々とした声で告げた。
「こちらで照合した原文とも完全に一致しております。重複文書による裏付けも確認済みです」

一切の隙を与えぬ調子。
その冷静さに、場の空気が一気に収束していく。
リュクサリアの高官は口を閉ざし、やがて小さく頭を下げた。
「……失礼した」

会議室に安堵の息が広がる。
セラフィーナは表情を変えず、再び訳を続けた。
まるで何事もなかったかのように。

リュシアンナの手から扇が滑り落ちそうになった。
震える指先で必死に握り直す。
仕掛けた策が、あっけなく瓦解したのだ。

それどころか、周囲の視線は彼女に注がれていた。
「なぜ王子妃が余計な口を挟むのか」と。
王子の隣で軽々しく動いたその行為こそ、外交の場においては愚かだった。

ラファエルが険しい表情で彼女を見やった。
「リュシアンナ」
その一言に、彼女は唇を震わせ、声を失った。

――どうして。どうして私ばかりが。

焦燥と屈辱が胸を焼き、扇の奥で歯を食いしばる。
だが、もはや言い訳を許す空気ではなかった。

会議は滞りなく続き、セラフィーナの名はさらに評価を高めていく。
リュシアンナの影は、その分だけ薄く沈んでいった。
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