婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

藤原遊

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第三章 陰謀の影と再会

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会合を終えたあと、私たちは宰相府の事務室に戻った。

分厚い扉が閉ざされると、外のざわめきは遠ざかり、厚い石壁に囲まれた静けさが満ちる。
燭台の炎が机上の書簡を照らし、長い影を壁に揺らめかせていた。
墨の匂いが鼻を刺し、まだ緊張が解けきらない胸に、現実の重みを押し込む。

「宰相閣下……先ほどは、本当にありがとうございました」

私は深く頭を下げた。

ヴォルフガングは椅子に沈み、老獪な眼差しで唇を歪めた。

「気にすることはない」

落ち着き払った声。

「あの程度の妨害は想定済みだ。政治の舞台では日常茶飯事だ。重要なのは、最後にどう着地させるかだよ」

私は頷きながらも、背筋に冷たいものを覚えた。
まるで人の策謀すら計算の内に収め、盤上の駒として数えているように聞こえたからだ。

「副官殿も……」

礼を言おうとしたとき。

「……宰相閣下」

クリストファーの声が、低く響いた。

私は顔を上げ、彼を見た。

そこには、いつもの柔らかな笑みを浮かべる美しい横顔があった。
彼は常に誰にでも礼を欠かさぬ、端正で隙のない笑みを湛えている。
だが私は知っていた。
その笑みは強固な仮面だ、と。

以前、何気ない会話の折に伝えたことがある。
――無理をして笑わなくてもいい、と。
あのとき、彼は驚いたように目を瞬かせた。
けれど微笑を崩さなかった。
その姿が、ずっと心に残っている。

「貴族同士の面子をかけた妨害は結構です。いつものことですから」

彼の口からこぼれたのは、穏やかな声。
けれども、その奥に張り詰めた硬さがあった。

「しかし――外交で不手際があれば、その代償を払うのは誰か。民です」

「職を失い、飢えに苦しむのは彼らだ。どうして、それが分からないのでしょうね」

最後の言葉は、刃のようだった。

私は息を呑んだ。

そのとき確かに見たのだ。
彼の笑みが音もなく剥がれ落ちていくのを。

口元にはまだ柔らかな曲線があった。
けれど瞳が――違った。

深い青が氷のように冷たく澄み、光を宿して鋭さを増していた。
激情と悲哀を抱え込みながら、それを氷壁の奥に閉じ込めている。
その美しさは、冷酷であるがゆえに、見る者を息苦しくさせるほどだった。

「……副官らしい意見だな」

ヴォルフガングは短く答えた。
慣れているような声音だった。
このやり取りが初めてではないかのように。

クリストファーはそれ以上は語らず、視線を宙に漂わせた。
一瞬だけ、遠いものを見ているように。
そして再び微笑を整えた。

けれど、私はもう見てしまった。
仮面の下に潜む冷たい瞳を。

――ああ、この人は。

直感が胸を刺す。
あの笑顔が強固であればあるほど、その裏には深い影がある。
大切な何かを喪ったからこそ、彼は誰にでも美しい仮面を向け、決して素顔を見せようとしない。

燭台の炎が揺れ、氷のような青を照らした。
凍てつく瞳の奥に眠る影は、触れれば砕けてしまいそうに脆くも見えた。

「……ありがとうございます」

震える声で、私はやっと礼を告げた。

彼はにっこりと微笑んだ。
完璧な仮面を再び纏って。
けれど、その奥に沈む影を、私は決して忘れはしないだろう。
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