婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

藤原遊

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第六章 仮面の向こうに

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婚約の話は、驚くほど早く整えられていった。
クリストファー様が国王から伯爵位を与えられたことで身分上の障壁は消え、宰相閣下が事務方に次々と指示を飛ばすと、必要な書類や儀礼は目に見える速さで整っていった。
見事な段取りに、私は思わず小声で呟いてしまう。

「……ずいぶん手際がよろしいのですね」

隣のクリストファー様も、わずかに眉を動かして私を見やる。
その視線が「私もそう思う」と告げていた。

宰相閣下は、変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。
だが、目元に宿る光は鋭く、老獪な政治屋としての意図を隠そうともしていなかった。
最初からこの結末を見越し、すべてを仕組んでいたのだ――その確信が胸に広がる。

やはり、と二人して顔を見合わせ、言葉を交わさずに微妙な笑みを浮かべた。
自分たちの決意と想いは確かなものだが、それすら宰相の掌の上にあったのではないか――そんな気配を感じたのだ。

けれど、不思議と嫌な感情ではなかった。
政治の駆け引きに翻弄されるだけではなく、その中で自分の意思を貫き、未来を掴み取ったのだと理解していたから。

――私は、受け身ではない。
婚約破棄という辱めを乗り越え、自らの力で官吏として歩み出し、そして彼と肩を並べて未来を築くことを選んだのだ。

婚約の決定を家に伝えると、父母も兄も、心から安堵した顔を見せてくれた。
父は「セラフィーナ、お前が幸せそうで何よりだ」と言い、母は涙を拭いながら「ようやく肩の荷が下りた」と胸を撫で下ろした。
兄は苦笑まじりに「もう心配は要らないな」と言ってくれ、家族の笑顔に胸がじんと熱くなる。

「ええ……私は婚約破棄されました。でも、今は心から幸せです」

自分の口からそう告げた瞬間、かつての痛みがすべて報われた気がした。
過去は消えない。だが、その経験すら、今の幸福へと繋がる道だったのだ。

夜、私たちは新たに与えられた伯爵邸へと足を運んだ。
まだ調度品は最小限で、壁や床にも新しさが漂っている。
だが、どこか凛とした静けさが満ち、未来を迎えるための舞台としてふさわしく思えた。
この邸こそが、これから二人で築いていく新たな生活の象徴なのだと、胸が熱くなる。

窓辺に立つクリストファー様が、月明かりを背に振り返る。
柔らかな光に照らされた横顔は、宮廷で冷徹な笑みを浮かべる副官のそれではなく、一人の男の姿だった。
静かに歩み寄ると、その腕が私を包み込む。

「セラフィーナ。……君は私の最愛だ」

低く落とされた声が胸に響き、全身が震える。
その言葉に込められた決意と愛情が、惜しみなく伝わってきた。

「私も……クリストファー様と共にいられることが、何よりの幸せです」

涙をこらえながらそう答えると、彼の瞳が細められ、抱擁はさらに深くなる。
広い邸を包む静かな夜に、互いの鼓動が重なり、甘やかな温度が満ちていった。

政治の思惑がどう絡もうと、この瞬間だけは関係ない。
この人の腕の中にある限り、私は確かに幸せなのだ――そう、心から思えた。
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