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第十七章 楽園編
第百四十六話 新たなる生活
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ティアは自室の机に向かい、静かに羽ペンを走らせていた。
魔法式解析の課題。
神の知識からすれば造作もない問題ばかりだが、この世界で体系化された魔法式には、人間たちの工夫と積み重ねが詰まっている。
だからこそ、彼女はこういう勉強も少し好きだった。
そんな時──
コン、コン。
柔らかく、しかし律動の整ったノックが扉を叩いた。
「お嬢様。
少しお話がございます。」
外から聞こえたのは、バアミルの落ち着いた声だった。
「はい。
どうぞ。」
ティアが返事をすると、扉は静かに、驚くほど丁寧な所作で開いた。
立ち姿から一歩の重心まで、すべてが“正しい執事”そのものだ。
「お嬢様、学業の最中申し訳ありませんが、少しお時間を頂く事は可能でしょうか?」
バアミルは滑るように歩いて進むと、完璧な角度の会釈を添えた。
「はい、大丈夫です。」
ティアが微笑むと、ふたりはソファに向かい合って座った。
その空気は、どこかお嬢様と執事というより古い家族との再会のようにも感じられた。
「何か気になることでもありましたか?」
ティアが問いかけると、バアミルは軽く肩を揺らし、穏やかな笑みを浮かべた。
「いえいえ、先ずはティアお嬢様とお話ししたいと思いまして。
先日セリア殿が訪ねて来られた時は、懐かしい日々を思い起こさせてもらいました。
こうして再びこの屋敷で働けるとは……夢のようでございます。」
「それは良かったです。
セリアは忙しいみたいですね。
私は自由にさせてもらっているので助かっています。
セリアとは以前からのお知り合いなんですか?」
「ええ。
どこからお話すべきか……。
セリア殿との出会いは、まず旦那様との関係を語らねばなりませんね。」
バアミルは静かに昔話を紡ぎ始めた。
その語り口はまるで、長い旅の記憶を風に乗せて語る吟遊詩人のようだった。
「旦那様とセリア殿は冒険者としてパートナーを組んでおられました。
まあ……男女のことですので、いろいろありましたが。
お二人は結婚なされたのです。
そしてこの屋敷にセリア殿が来られてから、ずっとお付き合いさせていただいております。」
「セリアは結婚していたんですね……知りませんでした。
じゃあ、もしかしてセリアの素性も……?」
「はい。
セリア殿は旦那様にも私にも、自らが神ティアの使徒である事を隠しませんでした。
そして、あなた様が神ティアそのものであることも。」
ティアは、ココアを飲みかけていたら確実に噴き出していた。
だが、どうにか笑顔だけは保つ。
「そこまで知ってらっしゃるのですね。
こちらとしては楽でいいですね。」
「ええ。
未だにセリア殿にお会いすると奥様と呼んでしまいましてね。
まあ、怒られますが。」
「……ふふっ。
セリアに“奥様”は、なんだか似合わないですね。」
ティアは口元を押さえながら笑う。
バアミルもつられたように柔らかく目を細めた。
「私は、セリア殿と旦那様にお子がいなかった事が、どこかセリア殿の胸の奥に棘のように残っていないか気がかりでした。
ですが……こうして旦那様の娘としてあなた様がいる。
それは、セリア殿にとって、きっと救いなのでしょう。」
「セリアとはずっと一緒でしたから。
私も、彼女は大事な存在です。
これからもセリアと仲良くしてあげてくださいね。」
「もちろんでございます。」
バアミルは深く頷いた後、急に真面目な表情に戻った。
「そして……ひとつだけ。
私はセリア殿より、メイドたちの教育とお嬢様のご指導の両方を任されております。
これからは、少し厳しいことも申し上げるかもしれません。
どうか覚悟いただきたい。」
「そ、そうなんですね……。
は、はい……よろしくお願いします。」
ティアは思わず背筋を伸ばした。
曇りのない瞳でまっすぐ言われると、どうしても逆らえない。
——そして翌日。
バアミルの“本気の執事モード”に屋敷中が震え上がることになる。
以前からティアは夜間の睡眠を必要としない。
肉体も魔力も睡眠で回復する必要がないため、そもそも“眠気”というものが存在しなかった。
はずなのだが。
最近のティアは、すっかり睡眠の虜になっていた。
ふかふかのベッド、暖かい寝具、包まれる感覚。
眠る必要がないはずの身体が、ベッドに入ると睡魔ごっこを始めるのだ。
その結果。
朝が壊滅的に弱くなり、毎朝メイドたちが悲鳴をあげていた。
「お嬢様!
時間です、起きてください!」
マーガレットが部屋に駆け込み、ティアの体をゆさゆさ揺する。
「うぅぅ……まだ……もう少し……。」
「お嬢様ぁ!
学校に遅れますってば~!」
いつも通りの戦いの最中、ドアがコンコン、と整った音でノックされた。
「マーガレットさん。
ここは私が対応いたします。
お嬢様のお着替えの準備をお願いします。」
入ってきたのはバアミル。
優雅でありながら容赦皆無の気配をまとったプロの執事だ。
「は、はい!
では後ほど!」
マーガレットは戦場を逃げるように後退。
「お嬢様。
朝でございます。
起きてください。」
「うぅ……もうちょっと……。」
ティアは布団にくるまったまま、もそもそと拒否の意思を示す。
次の瞬間。
バサァッ!
バアミルは見事な手際で布団を剥ぎ取り、
驚くティアをそのまま抱き上げてソファーへ。
ぽすん。
ティアは一瞬、魂が抜けた表情をした。
「……ん?
な、なに……?」
「宜しいですか、お嬢様。
メイドも私も、朝は一日の中で最も忙しい時間帯でございます。
明日以降、私どもは起こしに参りません。
ご自身で起床し、準備し、登校されますように。」
そう言い残し、バアミルは颯爽と退出。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇ!?
起こしてくれないの~!?!?」
廊下に響くティアの悲鳴。
だが、時すでに遅し。
すぐにマーガレットが部屋へ飛び込んだ。
「お嬢様!!
早く着替えますよ!!
もう! バアミルさんに怒られますからっ!」
「え、あ、ちょっ……まだ頭が……」
マーガレットはティアを引っ張り起こし、
ぱぱぱっとパジャマを脱がせ、制服を着せる。
「次は朝ご飯です!
行きますよ!」
リビングに着くと、バアミルが静かにティアの前に料理を置いた。
「お嬢様、朝食をどうぞ。」
しかしティアを見るや、彼の眉がぴくり。
「マーガレットさん。
少しよろしいですか?」
「は、はい!
なんでしょう!」
「お嬢様のリボンが曲がっています。
それと……下着がスカートに収まっておらず、見えております。」
ティアはカァァァァァッと赤面。
「これはお嬢様に恥をかかせることになります。
後ほどきちんと直してください。」
「ひぃっ、はいっ!
すぐに!」
マーガレットは再び走って退場。
「ねぇ……制服くらい自分で着れるわよ……」
ティアはほっぺを膨らませつつ、パンをかじりながらぼそり。
「お嬢様。
口にものを入れたままお話しするのは行儀が悪うございます。
そして、明日以降。
制服はご自身でお着替えください。
今日はマーガレットさんが着せましたので、彼女が直すのが筋なのです。」
「……はい……。」
ティアはしょんぼりしながら食事を続けた。
食後、マーガレットに全力で制服を整えられ、
ティアはようやく屋敷を出て学園へ向かうのであった。
魔法式解析の課題。
神の知識からすれば造作もない問題ばかりだが、この世界で体系化された魔法式には、人間たちの工夫と積み重ねが詰まっている。
だからこそ、彼女はこういう勉強も少し好きだった。
そんな時──
コン、コン。
柔らかく、しかし律動の整ったノックが扉を叩いた。
「お嬢様。
少しお話がございます。」
外から聞こえたのは、バアミルの落ち着いた声だった。
「はい。
どうぞ。」
ティアが返事をすると、扉は静かに、驚くほど丁寧な所作で開いた。
立ち姿から一歩の重心まで、すべてが“正しい執事”そのものだ。
「お嬢様、学業の最中申し訳ありませんが、少しお時間を頂く事は可能でしょうか?」
バアミルは滑るように歩いて進むと、完璧な角度の会釈を添えた。
「はい、大丈夫です。」
ティアが微笑むと、ふたりはソファに向かい合って座った。
その空気は、どこかお嬢様と執事というより古い家族との再会のようにも感じられた。
「何か気になることでもありましたか?」
ティアが問いかけると、バアミルは軽く肩を揺らし、穏やかな笑みを浮かべた。
「いえいえ、先ずはティアお嬢様とお話ししたいと思いまして。
先日セリア殿が訪ねて来られた時は、懐かしい日々を思い起こさせてもらいました。
こうして再びこの屋敷で働けるとは……夢のようでございます。」
「それは良かったです。
セリアは忙しいみたいですね。
私は自由にさせてもらっているので助かっています。
セリアとは以前からのお知り合いなんですか?」
「ええ。
どこからお話すべきか……。
セリア殿との出会いは、まず旦那様との関係を語らねばなりませんね。」
バアミルは静かに昔話を紡ぎ始めた。
その語り口はまるで、長い旅の記憶を風に乗せて語る吟遊詩人のようだった。
「旦那様とセリア殿は冒険者としてパートナーを組んでおられました。
まあ……男女のことですので、いろいろありましたが。
お二人は結婚なされたのです。
そしてこの屋敷にセリア殿が来られてから、ずっとお付き合いさせていただいております。」
「セリアは結婚していたんですね……知りませんでした。
じゃあ、もしかしてセリアの素性も……?」
「はい。
セリア殿は旦那様にも私にも、自らが神ティアの使徒である事を隠しませんでした。
そして、あなた様が神ティアそのものであることも。」
ティアは、ココアを飲みかけていたら確実に噴き出していた。
だが、どうにか笑顔だけは保つ。
「そこまで知ってらっしゃるのですね。
こちらとしては楽でいいですね。」
「ええ。
未だにセリア殿にお会いすると奥様と呼んでしまいましてね。
まあ、怒られますが。」
「……ふふっ。
セリアに“奥様”は、なんだか似合わないですね。」
ティアは口元を押さえながら笑う。
バアミルもつられたように柔らかく目を細めた。
「私は、セリア殿と旦那様にお子がいなかった事が、どこかセリア殿の胸の奥に棘のように残っていないか気がかりでした。
ですが……こうして旦那様の娘としてあなた様がいる。
それは、セリア殿にとって、きっと救いなのでしょう。」
「セリアとはずっと一緒でしたから。
私も、彼女は大事な存在です。
これからもセリアと仲良くしてあげてくださいね。」
「もちろんでございます。」
バアミルは深く頷いた後、急に真面目な表情に戻った。
「そして……ひとつだけ。
私はセリア殿より、メイドたちの教育とお嬢様のご指導の両方を任されております。
これからは、少し厳しいことも申し上げるかもしれません。
どうか覚悟いただきたい。」
「そ、そうなんですね……。
は、はい……よろしくお願いします。」
ティアは思わず背筋を伸ばした。
曇りのない瞳でまっすぐ言われると、どうしても逆らえない。
——そして翌日。
バアミルの“本気の執事モード”に屋敷中が震え上がることになる。
以前からティアは夜間の睡眠を必要としない。
肉体も魔力も睡眠で回復する必要がないため、そもそも“眠気”というものが存在しなかった。
はずなのだが。
最近のティアは、すっかり睡眠の虜になっていた。
ふかふかのベッド、暖かい寝具、包まれる感覚。
眠る必要がないはずの身体が、ベッドに入ると睡魔ごっこを始めるのだ。
その結果。
朝が壊滅的に弱くなり、毎朝メイドたちが悲鳴をあげていた。
「お嬢様!
時間です、起きてください!」
マーガレットが部屋に駆け込み、ティアの体をゆさゆさ揺する。
「うぅぅ……まだ……もう少し……。」
「お嬢様ぁ!
学校に遅れますってば~!」
いつも通りの戦いの最中、ドアがコンコン、と整った音でノックされた。
「マーガレットさん。
ここは私が対応いたします。
お嬢様のお着替えの準備をお願いします。」
入ってきたのはバアミル。
優雅でありながら容赦皆無の気配をまとったプロの執事だ。
「は、はい!
では後ほど!」
マーガレットは戦場を逃げるように後退。
「お嬢様。
朝でございます。
起きてください。」
「うぅ……もうちょっと……。」
ティアは布団にくるまったまま、もそもそと拒否の意思を示す。
次の瞬間。
バサァッ!
バアミルは見事な手際で布団を剥ぎ取り、
驚くティアをそのまま抱き上げてソファーへ。
ぽすん。
ティアは一瞬、魂が抜けた表情をした。
「……ん?
な、なに……?」
「宜しいですか、お嬢様。
メイドも私も、朝は一日の中で最も忙しい時間帯でございます。
明日以降、私どもは起こしに参りません。
ご自身で起床し、準備し、登校されますように。」
そう言い残し、バアミルは颯爽と退出。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇ!?
起こしてくれないの~!?!?」
廊下に響くティアの悲鳴。
だが、時すでに遅し。
すぐにマーガレットが部屋へ飛び込んだ。
「お嬢様!!
早く着替えますよ!!
もう! バアミルさんに怒られますからっ!」
「え、あ、ちょっ……まだ頭が……」
マーガレットはティアを引っ張り起こし、
ぱぱぱっとパジャマを脱がせ、制服を着せる。
「次は朝ご飯です!
行きますよ!」
リビングに着くと、バアミルが静かにティアの前に料理を置いた。
「お嬢様、朝食をどうぞ。」
しかしティアを見るや、彼の眉がぴくり。
「マーガレットさん。
少しよろしいですか?」
「は、はい!
なんでしょう!」
「お嬢様のリボンが曲がっています。
それと……下着がスカートに収まっておらず、見えております。」
ティアはカァァァァァッと赤面。
「これはお嬢様に恥をかかせることになります。
後ほどきちんと直してください。」
「ひぃっ、はいっ!
すぐに!」
マーガレットは再び走って退場。
「ねぇ……制服くらい自分で着れるわよ……」
ティアはほっぺを膨らませつつ、パンをかじりながらぼそり。
「お嬢様。
口にものを入れたままお話しするのは行儀が悪うございます。
そして、明日以降。
制服はご自身でお着替えください。
今日はマーガレットさんが着せましたので、彼女が直すのが筋なのです。」
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