8 / 11
8話 甘やかな朝
しおりを挟む
温かい。
ほわほわとした柔らかい空気がまどろむ頭に気持ちいい。
まるで繭の中に守られているようだ。
少し窮屈な気がするけれど、それすら何だか居心地よく感じる。
こんなのんびりした空気のなか目覚めるのはどれくらいぶりだろうと思いながら、烈はうとうとと小さくまばたきを繰り返しながら、目を覚ました。
目の前がいつもの白いシーツではなく、深い青色に埋め尽くされている。
ぼんやりとそれを視界に入れて、霧が晴れるように徐々に頭がクリアになっていく。
「あれ?」
パチリと大きく一度まばたけば、すっかり目が覚めた。
本来寝起きは悪くない。
目が覚めたそのままに起き上がれるくらいには、寝覚めはいい方だ。
けれど今日は起き上がることが出来なかった。
なんだかしっかりと何かが体に巻き付いていて、身動きがとれない。
何でだろうと疑問に思いながら顔を上げて、烈は大きく悲鳴を上げそうになった。
なんとか喉の奥に悲鳴を堪えられたのを褒めたい。
思わずぎゅっとつむってしまった目をおそるおそる開くと、すぐ近くに綺麗に整った寝顔がある。
もう一度悲鳴を上げかけて、何とかうぐうとうめき声で落ち着かせる。
(そうだった。知臣さんの家に泊ったんだった)
昨夜のことを思い出して、同じベッドに入ったのだったと腑に落ちる。
けれど何故こんなことになっているのか。
広めのベッドだったから並んでそれなりに距離をあけて寝たはずなのに、今現在烈は知臣にすっぽりと抱き込まれている。
知臣はぐっすりと眠っていて、長い睫毛が寝息に合わせてかすかに揺れていた。
目を閉じているせいか、普段より少し幼く感じるのは新鮮だ。
結ばれていない髪が頬にかかっているのが、朝なのに色気を感じてしまいいたたまれなかった。
しかも知臣は夜着のボタンを第二まで開けているから、綺麗にラインを描く鎖骨はもちろん、昨日意外としっかりしていると感じた胸板までチラ見えしている。
色気の暴力だ。
ひええっと内心で悲鳴を上げながらも、烈は何度か深呼吸を繰り返した。
朝から心臓に悪い。
烈の息が当たってくすぐったかったのか、知臣がわずかに身じろいだ。
なんとか知臣越しに見える時計は七時を指している。
ちょうどいい時間に起きれたらしい。
とりあえず先に起きてしまおうと知臣の腕の中から抜け出そうとするけれど、思いのほかガッチリと抱きしめられていて抜け出せない。
寝てるはずなのにと思いながらも、抜け出すことは諦めて知臣を起こすことにした。
どのみち知臣を起こさなければ勝手には帰れない。
「知臣さん」
「んん……」
ぺちぺちと自分を抱き込んでいる腕を叩くと、知臣が小さく身じろいだ。
離れようと烈が体を動かしたところで、それを阻止するように腰をぐっと引き寄せられる。
その時、太ももにゴリと固いものが押し付けられた。
一瞬頭のなかが真っ白になって、それが朝の生理現象だと気づき顔に一気に火がつく。
(た、大変だー!)
ひええと内心悲鳴を上げながら腰をひけるけれど、離れたらそのぶんだけ逃げるなと言わんばかりに引き寄せられる。
これは早々に起きてもらわなければいけない事案だ。
「知臣さん起きて!」
先ほど腕を叩いたときより強く、胸を叩く。
知臣が何度か呻くと、うっすらと瞼がもち上がった。
青い瞳がとろんとまどろんだ柔らかさで、烈を視界に入れる。
「ん……おはよう烈君」
「お、おはようございます」
何だか気だるげで色っぽさが全開だ。
昨夜の風呂上りも困ったけれど、寝起きもこんなに目に毒だとは思わなかった。
少しでも距離をとりたくて、烈はなんとか胸に手をついて離れようとした。
「あ、の、離してください」
「……もう少し」
寝起きの掠れた声が甘やかに囁いて、もう一度胸に抱き込まれた。
途端、知臣の匂いがふわりと香りいたたまれない。
「待って、待ってください。今日は鍵を探しに行かなきゃだし、朝ごはんも買いに行かなきゃだし!」
一人焦って早口にまくしたてると、密着している体が小さく揺れた。
「……ふっ」
吐息で笑ったかと思うと、そのまま肩が揺れている。
くつくつと笑っているのが、すぐ近くにある喉仏の動きでわかった。
「仕方ない、起きよう」
笑いながら抱きしめられていた腕をとかれて、何とか烈はよろよろと起き上がる。
(やっと解放された)
朝から刺激が強すぎて、何だかぐったりしてしまう。
知臣も隣でゆっくりと起き上がり、腕を上げて伸びをした。
はだけている胸元から肌が見えて、思わず視線を外してしまう。
朝のさわやかな空気のはずなのに、何だか知臣だけ色気過多だ。
「烈君抱きしめて寝たせいか、ぐっすり眠れたな」
「いや俺は関係ないんじゃないかと」
何を言っているんだ。
ついでに言えば、何故抱きしめていたんだと突っ込みどころが満載にも程がある。
知臣は寝乱れた髪を指先で耳にかけて、微笑んだ。
「関係あるよ。抱き心地よかったから」
「だきっ!」
とんでもない剛速球に、烈は声を詰まらせた。
頬がじわじわと知臣の言葉を反芻して赤くなっていく。
赤くなった頬に右手を当てて、烈はジトリと知臣を見やった。
「知臣さん抱き着いて寝る癖でもあるんですか」
言ったあとで、あっと思った。
抱き着いて寝る相手なんて、恋人しかいないだろう。
そう思い至ると、苦いものがこみ上げてくる。
なんでそんな気持ちになるんだと思いながらも、体に隠れて見えていない手を握りしめた。
烈が一人で気まずい気分に陥っていると、知臣はカラリと何でもないことのように笑った。
寝起きはいいらしく、先ほどまであった気だるげな空気はすでに霧散している。
「まさか、そんな癖ないよ。何かを抱きしめて寝るなんて、烈君がはじめて」
「う、嘘だあ。恋人の代わりとかでしょ」
自分で口から出した言葉に、自分で落ち込んだ。
なにも自分の気分を落ち込ませるようなことをわざわざ言わなくても、と思いつつ何故落ち込むんだとまた堂々巡りだ。
思わず目線を伏せると、きゅっと突然男にしては優美な指先に鼻をつままれた。
「ふが」
「残念ながら恋人はいないし、過去にもそんな事をした覚えはないよ」
「え……じゃあ何で?」
知臣のあっさりした答えに、烈はぽかんと口を小さく開けた。
こういった抱きしめたりするのは、恋人にするものではないのだろうか。
「烈君だからかな」
にっこりと微笑まれる。
青い瞳がしんなりと細められた。
何だ何だと頭のなかで混乱と焦りが出てくる。
今知臣は何を言った。
(これは……どう反応したらいいんだ)
何が正解かわからない。
けれど、さっきまであった苦い気持ちはすっかり晴れていた。
あまりにもころころ変わる自分の機嫌の機微がわからなくて、思わず左胸に手を当てて首を傾げてしまう。
そんなことをしても自分にもわからない自分の謎を理解できるわけがない。
「着替えてコンビニ行こうか。すぐ近くにあるから」
烈のよくわからない心情など知るはずもない知臣が、ベッドから出て窓際のカーテンを開ける。
窓辺から差し込んでくる日の光りに、昨日の雨がなんだったんだというくらい晴れているのがわかった。
振り返った知臣の黒く長い髪が艶々と光をはじき、青い瞳が鮮やかに朝日を浴びる。
一瞬それに見惚れたあと、ハッと我に返って烈は慌てて頷いた。
家主が立っているのに、いつまでもベッドにいるわけにはいかない。
ベッドから出てそれぞれ着替えると、二人は連れだって知臣の言うとおり近くにあったコンビニへと入った。
「好きなものカゴに入れて。お金は僕が払うから」
カゴを手に取った知臣が太っ腹な事を言う。
けれどそんなわけにはいかない。
「いえ!ちゃんと自分の分は払います。というか、むしろ泊めてもらったお礼に俺が全部出しますよ」
「夕食質素になっちゃったからね。お客さんをもてなさせて」
「えぇ……」
そんな言われ方をされたら断りにくい。
眉を下げて知臣を見上げると、機嫌よさげに口角を上げて店内のサンドイッチのコーナーに行ってしまった。
なんとか代金を自分持ちにできないかなと思いながら追いかけると、サンドイッチコーナーの前に立った知臣が生クリームとフルーツの挟まれたサンドイッチを手に取っている。
ここでも甘味に興味が行くらしい。
「知臣さん、それはデザートでご飯じゃないですからね」
「残念」
知臣が悪戯の見つかった子供のような顔をしてサンドイッチを棚に戻す。
知臣の甘味好きは理解しているけれど、血糖値が心配になるのだ。
まさか家では甘味しか食べてないなんてことになっていなければいいけれど。
さて自分はどうしようかなと近くの棚をぐるりと見回して、卵があることに気づいた。
これは泊まらせてもらったお礼が出来るのではないだろうか。
「あの、卵とパン買って帰りませんか?焼くだけですけど、俺作りますよ」
「いいの?烈君の手料理食べられるのは嬉しいけど」
棚を物色していた知臣が、烈の手に取った卵を見やる。
嬉しいと思ってくれるのなら、その方がいい。
「卵焼くだけだから手料理というほどじゃないですよ。よかったら」
「じゃあ甘えようかな」
嬉しそうに笑ってくれるものだから、こちらまで笑顔になってしまう。
卵と食パンとミニサラダ。
ついでに話を聞いてみると調味料も根こそぎないというから、バターの小分けがあったのでそれも買った。
今までの食生活が本当に心配になってくる。
マンションに帰ると、烈は張り切るほどの料理ではないけれどと思いながらも、祖母以外に食べさせたことなど店以外ではほとんどないので、心なし緊張しながら朝食を準備した。
「出来ましたよ」
「ありがとう」
ダイニングテーブルに知臣がやってきたので、席へうながして自分も座る。
テーブルには半熟の目玉焼きと買ったサラダ。
トースターなんてないので買ったままの食パンとバターのみというシンプルすぎるメニューだ。
「目玉焼き、味付けしてないですけど大丈夫ですか?」
調味料がないので味のつけようがなかったのだ。
「僕は特に何もかけなくてもいいよ。烈君は?」
「俺も特にこだわりないんで」
「じゃあ食べよう」
知臣の言葉に頷いて、烈は手を合わせた。
いただきますと言えば、知臣も同じようにする。
その仕草や言い方がぎこちなくて、慣れない様子がなんだか可愛かった。
「朝から豪華だな」
烈的にはシンプルすぎる朝食なのに、知臣は感心した様子だった。
出来ればみそ汁も欲しかったくらいなのに。
「もしかして朝食は普段食べませんか?」
「自炊まったくしないからね。準備するのが面倒でいつも適当にすませてるよ。とりあえず空腹がしのげればいいかなって」
なんというアバウトさだ。
烈が思わず柳眉を寄せる。
「体に悪いですよ」
ただでさえ甘味を大量に摂取しているのだから、普段の食事は気にかけてほしい。
「朝は長い睡眠のあとだから、何かが欠けている状態なんですよ。それを埋めるのが朝食です。あと水分も不足してるからレモン水とかしっかり飲むのが理想ですね」
「朝食はわかるけど、レモン水?」
「味が少しはあった方が飲みやすいでしょ?俺はレモン水とかオレンジ水を作り置きしてますよ。冬ならゆず白湯とか」
「一人暮らしなのにちゃんとした生活してて凄いな」
烈の朝支度の話に知臣は目玉焼きを食べながら、感心したように目を丸くした。
まあそうだろう。
同年代で烈と同じようなことをしている人間は学生時代にはいなかった。
そのときに多分珍しい部類の人間なのだろうと自覚したのだ。
けれどそれは祖母の受け売りだ。
烈は自慢するように胸を張った。
「婆ちゃんの教育の賜物です」
「なるほど」
知臣がくすくすと笑う。
綺麗な顔が笑うと、朝から縁起のいいものを見た気になる。
「烈君が作るおやつ以外のものも、美味しいんだろうな」
「それは……どうでしょう?前も言ったけどお洒落なのは作れないから、簡単なものばかりですよ」
「それでも烈君の手が作った物なら、きっとおいしい」
とろりと知臣が蜂蜜のような表情で笑う。
その顔を直視してしまって、烈は頬が熱くなった。
思わず手に持っていた食パンを意味もなく見つめてしまう。
座っている体がぎこちなく、もじりと揺れた。
「……そう、ですか」
小さく答えるのが精一杯だった。
嬉しいと思う。
それと同時に、いつか知臣に食事を作る機会があればいいのにと口元をむず痒くさせる。
(こんなふうに一緒にご飯をまた食べられたらいいな)
そんなことを誰かに思うなんて、はじめてだ。
でも、向かい合って食事をするのが今日だけではなく、また機会が巡ってきてほしい。
出来たらその時は烈の作った料理を沢山並べたい。
ほわほわとした柔らかい空気がまどろむ頭に気持ちいい。
まるで繭の中に守られているようだ。
少し窮屈な気がするけれど、それすら何だか居心地よく感じる。
こんなのんびりした空気のなか目覚めるのはどれくらいぶりだろうと思いながら、烈はうとうとと小さくまばたきを繰り返しながら、目を覚ました。
目の前がいつもの白いシーツではなく、深い青色に埋め尽くされている。
ぼんやりとそれを視界に入れて、霧が晴れるように徐々に頭がクリアになっていく。
「あれ?」
パチリと大きく一度まばたけば、すっかり目が覚めた。
本来寝起きは悪くない。
目が覚めたそのままに起き上がれるくらいには、寝覚めはいい方だ。
けれど今日は起き上がることが出来なかった。
なんだかしっかりと何かが体に巻き付いていて、身動きがとれない。
何でだろうと疑問に思いながら顔を上げて、烈は大きく悲鳴を上げそうになった。
なんとか喉の奥に悲鳴を堪えられたのを褒めたい。
思わずぎゅっとつむってしまった目をおそるおそる開くと、すぐ近くに綺麗に整った寝顔がある。
もう一度悲鳴を上げかけて、何とかうぐうとうめき声で落ち着かせる。
(そうだった。知臣さんの家に泊ったんだった)
昨夜のことを思い出して、同じベッドに入ったのだったと腑に落ちる。
けれど何故こんなことになっているのか。
広めのベッドだったから並んでそれなりに距離をあけて寝たはずなのに、今現在烈は知臣にすっぽりと抱き込まれている。
知臣はぐっすりと眠っていて、長い睫毛が寝息に合わせてかすかに揺れていた。
目を閉じているせいか、普段より少し幼く感じるのは新鮮だ。
結ばれていない髪が頬にかかっているのが、朝なのに色気を感じてしまいいたたまれなかった。
しかも知臣は夜着のボタンを第二まで開けているから、綺麗にラインを描く鎖骨はもちろん、昨日意外としっかりしていると感じた胸板までチラ見えしている。
色気の暴力だ。
ひええっと内心で悲鳴を上げながらも、烈は何度か深呼吸を繰り返した。
朝から心臓に悪い。
烈の息が当たってくすぐったかったのか、知臣がわずかに身じろいだ。
なんとか知臣越しに見える時計は七時を指している。
ちょうどいい時間に起きれたらしい。
とりあえず先に起きてしまおうと知臣の腕の中から抜け出そうとするけれど、思いのほかガッチリと抱きしめられていて抜け出せない。
寝てるはずなのにと思いながらも、抜け出すことは諦めて知臣を起こすことにした。
どのみち知臣を起こさなければ勝手には帰れない。
「知臣さん」
「んん……」
ぺちぺちと自分を抱き込んでいる腕を叩くと、知臣が小さく身じろいだ。
離れようと烈が体を動かしたところで、それを阻止するように腰をぐっと引き寄せられる。
その時、太ももにゴリと固いものが押し付けられた。
一瞬頭のなかが真っ白になって、それが朝の生理現象だと気づき顔に一気に火がつく。
(た、大変だー!)
ひええと内心悲鳴を上げながら腰をひけるけれど、離れたらそのぶんだけ逃げるなと言わんばかりに引き寄せられる。
これは早々に起きてもらわなければいけない事案だ。
「知臣さん起きて!」
先ほど腕を叩いたときより強く、胸を叩く。
知臣が何度か呻くと、うっすらと瞼がもち上がった。
青い瞳がとろんとまどろんだ柔らかさで、烈を視界に入れる。
「ん……おはよう烈君」
「お、おはようございます」
何だか気だるげで色っぽさが全開だ。
昨夜の風呂上りも困ったけれど、寝起きもこんなに目に毒だとは思わなかった。
少しでも距離をとりたくて、烈はなんとか胸に手をついて離れようとした。
「あ、の、離してください」
「……もう少し」
寝起きの掠れた声が甘やかに囁いて、もう一度胸に抱き込まれた。
途端、知臣の匂いがふわりと香りいたたまれない。
「待って、待ってください。今日は鍵を探しに行かなきゃだし、朝ごはんも買いに行かなきゃだし!」
一人焦って早口にまくしたてると、密着している体が小さく揺れた。
「……ふっ」
吐息で笑ったかと思うと、そのまま肩が揺れている。
くつくつと笑っているのが、すぐ近くにある喉仏の動きでわかった。
「仕方ない、起きよう」
笑いながら抱きしめられていた腕をとかれて、何とか烈はよろよろと起き上がる。
(やっと解放された)
朝から刺激が強すぎて、何だかぐったりしてしまう。
知臣も隣でゆっくりと起き上がり、腕を上げて伸びをした。
はだけている胸元から肌が見えて、思わず視線を外してしまう。
朝のさわやかな空気のはずなのに、何だか知臣だけ色気過多だ。
「烈君抱きしめて寝たせいか、ぐっすり眠れたな」
「いや俺は関係ないんじゃないかと」
何を言っているんだ。
ついでに言えば、何故抱きしめていたんだと突っ込みどころが満載にも程がある。
知臣は寝乱れた髪を指先で耳にかけて、微笑んだ。
「関係あるよ。抱き心地よかったから」
「だきっ!」
とんでもない剛速球に、烈は声を詰まらせた。
頬がじわじわと知臣の言葉を反芻して赤くなっていく。
赤くなった頬に右手を当てて、烈はジトリと知臣を見やった。
「知臣さん抱き着いて寝る癖でもあるんですか」
言ったあとで、あっと思った。
抱き着いて寝る相手なんて、恋人しかいないだろう。
そう思い至ると、苦いものがこみ上げてくる。
なんでそんな気持ちになるんだと思いながらも、体に隠れて見えていない手を握りしめた。
烈が一人で気まずい気分に陥っていると、知臣はカラリと何でもないことのように笑った。
寝起きはいいらしく、先ほどまであった気だるげな空気はすでに霧散している。
「まさか、そんな癖ないよ。何かを抱きしめて寝るなんて、烈君がはじめて」
「う、嘘だあ。恋人の代わりとかでしょ」
自分で口から出した言葉に、自分で落ち込んだ。
なにも自分の気分を落ち込ませるようなことをわざわざ言わなくても、と思いつつ何故落ち込むんだとまた堂々巡りだ。
思わず目線を伏せると、きゅっと突然男にしては優美な指先に鼻をつままれた。
「ふが」
「残念ながら恋人はいないし、過去にもそんな事をした覚えはないよ」
「え……じゃあ何で?」
知臣のあっさりした答えに、烈はぽかんと口を小さく開けた。
こういった抱きしめたりするのは、恋人にするものではないのだろうか。
「烈君だからかな」
にっこりと微笑まれる。
青い瞳がしんなりと細められた。
何だ何だと頭のなかで混乱と焦りが出てくる。
今知臣は何を言った。
(これは……どう反応したらいいんだ)
何が正解かわからない。
けれど、さっきまであった苦い気持ちはすっかり晴れていた。
あまりにもころころ変わる自分の機嫌の機微がわからなくて、思わず左胸に手を当てて首を傾げてしまう。
そんなことをしても自分にもわからない自分の謎を理解できるわけがない。
「着替えてコンビニ行こうか。すぐ近くにあるから」
烈のよくわからない心情など知るはずもない知臣が、ベッドから出て窓際のカーテンを開ける。
窓辺から差し込んでくる日の光りに、昨日の雨がなんだったんだというくらい晴れているのがわかった。
振り返った知臣の黒く長い髪が艶々と光をはじき、青い瞳が鮮やかに朝日を浴びる。
一瞬それに見惚れたあと、ハッと我に返って烈は慌てて頷いた。
家主が立っているのに、いつまでもベッドにいるわけにはいかない。
ベッドから出てそれぞれ着替えると、二人は連れだって知臣の言うとおり近くにあったコンビニへと入った。
「好きなものカゴに入れて。お金は僕が払うから」
カゴを手に取った知臣が太っ腹な事を言う。
けれどそんなわけにはいかない。
「いえ!ちゃんと自分の分は払います。というか、むしろ泊めてもらったお礼に俺が全部出しますよ」
「夕食質素になっちゃったからね。お客さんをもてなさせて」
「えぇ……」
そんな言われ方をされたら断りにくい。
眉を下げて知臣を見上げると、機嫌よさげに口角を上げて店内のサンドイッチのコーナーに行ってしまった。
なんとか代金を自分持ちにできないかなと思いながら追いかけると、サンドイッチコーナーの前に立った知臣が生クリームとフルーツの挟まれたサンドイッチを手に取っている。
ここでも甘味に興味が行くらしい。
「知臣さん、それはデザートでご飯じゃないですからね」
「残念」
知臣が悪戯の見つかった子供のような顔をしてサンドイッチを棚に戻す。
知臣の甘味好きは理解しているけれど、血糖値が心配になるのだ。
まさか家では甘味しか食べてないなんてことになっていなければいいけれど。
さて自分はどうしようかなと近くの棚をぐるりと見回して、卵があることに気づいた。
これは泊まらせてもらったお礼が出来るのではないだろうか。
「あの、卵とパン買って帰りませんか?焼くだけですけど、俺作りますよ」
「いいの?烈君の手料理食べられるのは嬉しいけど」
棚を物色していた知臣が、烈の手に取った卵を見やる。
嬉しいと思ってくれるのなら、その方がいい。
「卵焼くだけだから手料理というほどじゃないですよ。よかったら」
「じゃあ甘えようかな」
嬉しそうに笑ってくれるものだから、こちらまで笑顔になってしまう。
卵と食パンとミニサラダ。
ついでに話を聞いてみると調味料も根こそぎないというから、バターの小分けがあったのでそれも買った。
今までの食生活が本当に心配になってくる。
マンションに帰ると、烈は張り切るほどの料理ではないけれどと思いながらも、祖母以外に食べさせたことなど店以外ではほとんどないので、心なし緊張しながら朝食を準備した。
「出来ましたよ」
「ありがとう」
ダイニングテーブルに知臣がやってきたので、席へうながして自分も座る。
テーブルには半熟の目玉焼きと買ったサラダ。
トースターなんてないので買ったままの食パンとバターのみというシンプルすぎるメニューだ。
「目玉焼き、味付けしてないですけど大丈夫ですか?」
調味料がないので味のつけようがなかったのだ。
「僕は特に何もかけなくてもいいよ。烈君は?」
「俺も特にこだわりないんで」
「じゃあ食べよう」
知臣の言葉に頷いて、烈は手を合わせた。
いただきますと言えば、知臣も同じようにする。
その仕草や言い方がぎこちなくて、慣れない様子がなんだか可愛かった。
「朝から豪華だな」
烈的にはシンプルすぎる朝食なのに、知臣は感心した様子だった。
出来ればみそ汁も欲しかったくらいなのに。
「もしかして朝食は普段食べませんか?」
「自炊まったくしないからね。準備するのが面倒でいつも適当にすませてるよ。とりあえず空腹がしのげればいいかなって」
なんというアバウトさだ。
烈が思わず柳眉を寄せる。
「体に悪いですよ」
ただでさえ甘味を大量に摂取しているのだから、普段の食事は気にかけてほしい。
「朝は長い睡眠のあとだから、何かが欠けている状態なんですよ。それを埋めるのが朝食です。あと水分も不足してるからレモン水とかしっかり飲むのが理想ですね」
「朝食はわかるけど、レモン水?」
「味が少しはあった方が飲みやすいでしょ?俺はレモン水とかオレンジ水を作り置きしてますよ。冬ならゆず白湯とか」
「一人暮らしなのにちゃんとした生活してて凄いな」
烈の朝支度の話に知臣は目玉焼きを食べながら、感心したように目を丸くした。
まあそうだろう。
同年代で烈と同じようなことをしている人間は学生時代にはいなかった。
そのときに多分珍しい部類の人間なのだろうと自覚したのだ。
けれどそれは祖母の受け売りだ。
烈は自慢するように胸を張った。
「婆ちゃんの教育の賜物です」
「なるほど」
知臣がくすくすと笑う。
綺麗な顔が笑うと、朝から縁起のいいものを見た気になる。
「烈君が作るおやつ以外のものも、美味しいんだろうな」
「それは……どうでしょう?前も言ったけどお洒落なのは作れないから、簡単なものばかりですよ」
「それでも烈君の手が作った物なら、きっとおいしい」
とろりと知臣が蜂蜜のような表情で笑う。
その顔を直視してしまって、烈は頬が熱くなった。
思わず手に持っていた食パンを意味もなく見つめてしまう。
座っている体がぎこちなく、もじりと揺れた。
「……そう、ですか」
小さく答えるのが精一杯だった。
嬉しいと思う。
それと同時に、いつか知臣に食事を作る機会があればいいのにと口元をむず痒くさせる。
(こんなふうに一緒にご飯をまた食べられたらいいな)
そんなことを誰かに思うなんて、はじめてだ。
でも、向かい合って食事をするのが今日だけではなく、また機会が巡ってきてほしい。
出来たらその時は烈の作った料理を沢山並べたい。
80
あなたにおすすめの小説
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ふたなり治験棟 企画12月31公開
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
双子のスパダリ旦那が今日も甘い
ユーリ
BL
「いつになったらお前は学校を辞めるんだ?」「いつになったら俺らの仕事の邪魔をする仕事をするんだ?」ーー高校二年生の柚月は幼馴染の双子と一緒に暮らしているが、毎日のように甘やかされるも意味のわからないことを言ってきて…「仕事の邪魔をする仕事って何!?」ーー双子のスパダリ旦那は今日も甘いのです。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる