のんびり知臣さんとしっかり烈くんの日日是好日

やらぎはら響

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9話 挙動不審になってしまう

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朝食後はマンションを出て、鍵を落としたと思われる商店街の方へと向かった。
昨日は何だったんだというくらい、空は晴れ渡っている。
太陽が出来上がっている水たまりを照らしていた。

「雨上がってよかった」

ほうと烈が息を吐く。
たとえ朝でも、雨の中で鍵を探すなんて難儀するだろうし、そんなことに知臣を付き合わせるわけにはいかない。
でも彼の性格上、雨が降っているからこれで、とはならないのは目に見えているので本当によかった。

「この辺りで転んだの?」

立ち止まった烈に、知臣がきょろりと視線を軽くまわす。
頷くと、烈も少し腰をかがめて地面に視線を這わせた。

「側溝に落ちたりしてなきゃいいけど」
「それは……」

知臣の言葉に、思わず眉根が寄る。
そんなことになったら面倒なこと、この上ない。
ざっと見た限り鍵は落ちていない。
二人で植え込みなんかを覗き込んでいると、「あ」と知臣がしゃがんで植え込みの奥へと手を伸ばした。

「これかな?」

手を上げた知臣の指には薄汚れたイルカのついた鍵が握られている。
イルカが泥で酷い有様だけれど、間違いなく烈のアパートの鍵だった。

「それです!よかったあ」

パッとかがんでいた体勢を戻して知臣へと駆け寄ると、鍵を差し出された。
それを手のひらで受け取ると、安堵の息を吐く。
思ったより簡単に見つかったのは何よりだ。

「可愛いキーホルダーだね」
「中学で行った水族館のお土産です」
「物持ちいいんだね」

好意的な意見に、おもはゆくて烈はいやあと後ろ頭をかいた。

「こだわりがないから新しいものわざわざ買わないだけで、そんないいものじゃないですよ」
「僕は好ましいと思うよ」

柔らかい眼差しは、優しい。
好ましいなんて言われたことはなくて、烈は意味もなくキーホルダーのイルカを指先でいじって落ち着こうとした。

「ど、どうも」

思わず声が上ずってしまう。

「でも少し残念だな」
「何がです?」
「このまま今日も泊ってもらえるか、ちょっと期待した」

悪戯げに知臣が笑う。
その表情は蠱惑的で、何だかとても目に毒だ。
じわりと烈は頬が熱くなるのを感じた。
何だか昨日から知臣に一喜一憂して振り回されている気がする。

「それ、は」

何だ、どう答えればいいんだと、あうあうと口をわななかせることしか出来ない。
何も言えない烈に、知臣はすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべた。
そのことにほっと胸を撫でおろす。

「一度帰るの?それとも、このまま店に?」
「あ、着替えに帰ります。急がないと開店時間になりますし、これで。昨日は本当にお世話になりました」

ぺこりと丁寧に頭を下げると、知臣は気にしないでとひらりと手を振った。
促されて顔を上げると、朝日のなかで綺麗な顔が微笑んでいて眩しい。

「役得だったから。またあとで店に行くよ」
「はい、お待ちしてます」

役得とは?と思いながらも、それじゃあと知臣と別れて烈は急ぎ足でアパートへと戻った。
鍵を差し込みドアを開けると、ほっと息をつく。

「昨日は本当、どうなるかと思った。知臣さんがいて、よかったな」

靴を脱いで足を踏み出したところで、ポンと脳裏に浮かんだのは寝起きの知臣だった。
寝乱れた髪に、ちらりと覗く素肌。
色気を含んだ表情は、煽情的とさえ言えた。

「わああ!思い出さなくていい!思い出さなくていい!」

浮かんだ映像を消そうと、慌てて首を振りまくる。
なんとか記憶を彼方へと押しやりながら、服をなおしているタンスへと縋りついた。
ぜえぜえと騒いで乱れた呼吸をなんとか収めながら服を引っ張り出し、手早く着替える。
動揺している場合ではないのだ。

「にしても、知臣さんてば、食生活が心配になるものだったな」

空腹がしのげればそれでいい、なんて言っていた。
もしかしたら烈の店のスイーツが唯一まともな食事ではないだろうなと、疑心暗鬼になってしまうくらい、ぞんざいだった。
心配しかない。

「むー……いや、一人だと面倒な気持ちはわかる。わかるけど、限度があるだろ」

思わずその場で思案するように腕を組んで、唸りだす。
何か手軽に作れるものを教えるのはどうだろうかと考えるけれど、料理が嫌いだったら迷惑だろう。
それ以前にピアニストなんだから、料理自体が厳禁であんな食生活かもしれない。

「そうだ……お弁当渡すとか」

ポツリと呟いて、烈は我に返った。
それこそ迷惑の可能性が高い。
何を思いついているんだと、思わずぺちりと右頬を手で小さく叩く。
でも、と思う。
知臣は作ったのを食べたいと言ってくれた。
建前かもしれないけれど、知臣は誠実な人だとわかっている。

「作ったら、喜んでくれるかな……」

思わず意図しない言葉がこぼれ出た。
ハッと我に返り動揺する前に時計が視界に入る。
すでに時計の針は開店三十分前をさしていた。

「時間!急がないと!」

思考を瞬時に切り替えると、烈は慌てて家を飛び出し店へと向かった。
掃除が開店時間が始まっても終わらなかったけれど、客が来る前ならセーフだろう。
なんとか開店して九時半には体裁を整えると、入口の扉が開いた。
サンキャッチャーが揺れて、日の光を強く弾いている。

「いらっしゃいませ」

入ってきたのは知臣だった。
笑ってカウンターに腰を下ろし注文を口にする。

「さっきぶり」
「そ、そうですね」

手元を動かしながら返事をすると、ぎこちなくなってしまった。
先ほど知臣にお弁当なんて考えてしまったので、挙動不審になってしまう。

(さりげなく好きな料理とか聞いてみるか?)

チラチラと盗み見ると、知臣はいつも通り楽し気に烈の手際を眺めている。
コーヒーを注いだカップをお待たせしましたと差し出すと、ありがとうと知臣は素朴な作りのカップを両手で包んだ。
さりげなく、と心の内で繰り返しながら形のいい唇がカップにつけられるのを盗み見る。
知臣がソーサーにカップを戻したタイミングで、烈は口を開いた。

「ええと、知臣さんは食事も甘口のものが好きなんですか?」
「あんまり考えたことないかな。あるものを食べるって感じだったから。そのせいか好き嫌いはないよ」
「そうなんですね」

何のリサーチにもならない。
けれどそんなことはおくびにも出さず、烈は知臣の言葉に眉根を寄せた。
好みはわからなかったけれど、苦言を呈したくなる内容だ。

「でも、もう少し食生活に気を使った方がいいですよ。心配になります」
「ずっとこの生活だから大丈夫だよ。でも、烈君に心配してもらえるのは嬉しいな」
「なんですそれ」

思わずムッとしてしまう。
こちらとしては心の底から心配しているのに、サラリと流されてしまった。

「本心だよ」

ちらりと流し目を送られて、それ以上言えなくなる。
むむ、と不満に思ったけれどその話はそこまでだった。
一日に二回来るようになって、知臣は朝のコーヒータイムはあまり長居しない。
コーヒーを飲み干し少し喋ると、また午後にと帰って行ってしまった。
入口まで見送って扉を閉めると肩が落ちる。
帰ってしまったことに残念だなと思ったところで、ハタと我に返った。

「いやいや、お客さんが一人帰っただけで残念とか!何か変だぞ俺!」

思いがけない自分の思考回路に動揺して、烈はわあと髪をぐしゃぐしゃにかみ乱した。
何だか知臣と親しくなるにつれて、恥ずかしい考えに陥っている気がする。
ううーとその場にしゃがみ込んで膝に顔を埋めると、何とか羞恥心を逃がそうとぐりぐりと頬を押しつけた。
でも、と思う。

「気のせいでないなら、知臣さんもちょっとは俺に好感持ってそうなんだよな」

昨夜も何だか思わせぶりだったしと思い出すと、顔が熱くなった。
こんな顔では客が来た時に不信がられてしまう。
何とか落ち着かなくてはと赤味を消すように、さらに頬を膝へと擦りつけた。

「自惚れかなあ」

ぽつりと呟いた言葉は静かな店内に落ちていくだけだった。
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