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前編
しおりを挟む「俺ならば、君の願いを叶えてあげられる」
その言葉が、たとえ許されざる毒なのだとしても、私にとってはあまりにも甘美な毒で。
* * *
「すまない、ルリアナ……君との婚約を破棄したいんだ」
「お姉様、ごめんなさい。いけないってわかっていても、私はゼファー様を愛してしまったの!」
「違う、カリスタのせいじゃない。真実の愛を貫こうとする俺が全て悪いんだ」
「そんな、ゼファー様っ……」
応接室のソファに座して、謝罪なのか惚気なのか悲劇なのか喜劇なのかわからない演目を繰り広げているのは、私の婚約者と妹だ。
私の婚約者を奪ってしまったことに涙をこぼす妹、それを自分の責任だと悲嘆にくれる婚約者。お互いがお互いをかばい合い、愛してしまったことが悲劇の元凶だと。そうして、互いの罪悪感を、無意識に私へ押し付ける。
(ああ、やっぱり奪うのね)
学園を卒業した直後のトラブルでよかったと思うべきなのか。
目の前で繰り広げられるそんな茶番を無感動な気持ちで眺めながら、私は内心でため息を落とした。
侯爵家の次男であるゼファー様と婚約を結んだのは、まだ1年と少し前。
ひょんなことで貴族学校で出会い、意気投合し、互いに婚約者もいなかったので婚約を申し込まれた。妹が病弱だからと両親がかかりっきりで、なかなか私の婚約を纏めてくれず、ようやく決まった婚約だった。
その後の顔合わせを経て、少しづつ婚約者としての距離を縮めていったのだけれども。
予感は最初からあったのだ。
ゼファー様は、私の妹と初めて対面した時に、まるで雷に打たれたかのように微動だにせず、目を見開いていたから。
――半年ほど前だろうか。
私は見てしまった。病弱であまり表に出られない妹と、茶会に遅れると連絡をくださったはずのゼファー様が、ひっそりと庭で親密にしている様を。
私の妹は幼い頃から病に伏せることが多く、ベッド生活を余儀なくされている。両親も頻繁に寝込んでしまう妹にかかりっきりで、嫡女である私の存在は二の次だった。
なかなか外に出られない妹は、私を羨ましがった。
「お姉様、いいなあ。私もそのリボンが欲しいわ……」
最初は些細なものから。両親と一緒に出掛けた先で、買ってもらったばかりのさほど高価でもないリボン。普段妹にかかりきりの両親と久しぶりに一緒にでかけて買ってもらって、私は内心で凄く喜んでいたのに。
しょんぼりと肩を落として涙ながらに零した妹の一言で、両親は妹が可哀想だからと、私にリボンを差し出すよう命じた。私の言い分も抵抗も、無意味だった。
この家では、妹が女王様なのだ。
両親の愛情も、お気に入りのぬいぐるみも、愛らしいドレスや靴も、おばあ様からいただいたアクセサリーも、仲良くしていた侍女も、友達からもらった大事なオルゴールも。
すべてすべて、妹に奪われてきた。
もちろん、病を得て、なかなか健康になれない妹には同情する。何度も熱を出したり咳込んで苦しんでいる妹の姿を見るのは、私も辛かった。
だから、私のこの胸のモヤモヤは、きっといけないものなのだと、幼心に無理やり押し込めた。だって、妹は『可哀想』なのだから。
たとえ私が熱を出しても、それ以上に寝込んでいる妹が優先される。
いつしか私は、家族に期待しなくなった。
「カリスタは病弱なのよ。ルリアナはお姉ちゃんなんだから、我慢できるわね?」
そうして、ずっとずっと我慢を押し付けられてきた。
けれども、今の私は知っている。
成長するにつれ、妹がもうさほど病弱とまではいえないくらいには、心身が健やかになっていることを。
でも、今まで甘やかされちやほやされてきたから、今更病弱を手放せなくなっていることにも。
私はこの伯爵家の嫡女として厳しい教育やマナーを受け、妹は甘やかされ続けた。ずっとこの家にいればいいなんて、両親は妹を溺愛をしている。いずれ私と私の配偶者が継ぐはずの家なのに?
勉強ばかりで面白味のない姉、病がちだが素直で天使のような妹。体調のよい時に妹と母がたまに参加する茶会から、そのような噂が蔓延して、私は何度も唇を噛んだ。
そんな中、救いのように差し伸べられた婚約だったのだが。
我が家に訪問する際、ゼファー様はか弱い妹にも過分な配慮をしてくれていた。よく寝込んでいる妹を見舞ってもくれたし、頻繁に茶の席を囲んだりもしたし、妹にもプレゼントを欠かさなかった。家族になるのだしというのが、彼の言い分だった。
それが、ご覧のありさまだ。
私は、震える身体を落ち着かせるように息を吸い、気持ちを奮い立たせる。俯きがちになっていた顔を上げて背筋を伸ばし、2人をしっかりと見据えた。
「……こうなっては仕方ありません。婚約破棄、いえ、両家にとっては変更ですね、謹んで承りますわ。この子ったら、何でも私のものを欲しがるんですよ。よほどお古が好きなのね」
くすくすと笑えば、妹が「お古だなんて酷いわ!」とか弱い声を上げてゼファー様に抱き着きながら、ぎんっと睨みつけてくる。
このくらいの嫌味、受け取ってもらわねば。私にこうも堂々と不貞を打ち明けたということは、既に両家には話が通っているのだろう。根回しは万全ということか。
「で、貴方は私の家に婿入りするはずでしたが、どうするんですの?」
「うふふ、お姉様の代わりに、私がこの家を継ぐのはどうかしら! ゼファー様と一緒だったら頑張れるし、素敵なアイデアだと思うの!」
「そう……」
妹は無邪気な顔をして、ぽんと手を打つ。私の後継者という権限を、さも当然の如く奪う気でいる。
領地経営の勉強すらもまともにしておらず、伯爵家当主としてのマナーも兼ねそろえていないのに、厚顔無恥なことだ。
けれども、妹の言葉に異を唱えたのは、ゼファー様だった。
「いや、カリスタは『病弱』だし、この家の当主が務まるかどうか……俺が多少代行するにしても、そもそも当主は激務で大変だからね。君に負荷がかかりすぎる」
「ええー、そうなの!? お姉様でもできるのに!?」
「ルリアナは優秀だよ。……ただ、俺は何よりも、か弱いカリスタの身体が心配なんだ。できれば、君には静かな土地で静養して欲しいと思っている。幸いにして、家で余っている爵位と領地をもらえることになったんだ。子爵と、爵位は落ちてしまうけれども、俺は愛する人がそばにいてくれるなら、いくらでも頑張れるから。領地は少し田舎にはなるものの、王都にも比較的近いし、領地は風光明媚な良いところなんだ。君はそこで子爵夫人として、ゆったり自由に過ごせばいい。どうだろう?」
「……うーん、ゼファー様がそういうのなら。私も、ゼファー様と幸せに暮らしたいもの」
「ありがとう、カリスタ!」
私そっちのけで、二人の将来の話が勝手に進んでいく。私は白けた顔でそれを聞いていた。まあ、伯爵位の継承がそうそう簡単に覆っては困るので、ゼファー様が妙なことを言い出すつもりであれば、私もやり返すつもりでいたけれども、そこまでは杞憂だった。
ゼファー様の胸に顔を寄せた妹は、ちらりと私のほうへと、哀れみすら混じる優越感を滲ませた視線をよこした。
こうして、ゼファー様と私の婚約は、あっさりと妹に鞍替えされた。
もう二度とこんな騒ぎになったら困るとばかりに、両家の手で慌ただしく結婚式が執り行われ、ゼファー様と妹は王都から2日かほどかかる子爵領へとあっという間に旅立っていった。
社交界では、姉の婚約者と病弱な妹が育んだ真実の愛と、妹のために婚約者を譲った姉の図式で、たいそうロマンスの噂が賑わって、当事者の一人である私の肩身は大変狭かった。
妹たちはゆっくり領地で静養しながらつつましく暮らしているらしく、社交界に顔を出さず大人しくしている。私からすると、静養だなんて、ちゃんちゃら可笑しいけれども。話題の提供もないから、次第に私たち姉妹における因縁は、他の噂に埋もれて薄れていった。
ゼファー様は妹を溺愛しているようで、領地から出したがらないのだとか。時折、体調も崩すこともあるが元気にやっていると、幸せそうな便りが届く。
両親も心配の種だった病弱な妹が嫁に行き、しっかり子爵夫人としてやれていることに安心したのか、ようやく私にあれこれ世話を焼いてくれるようになった。
婚約者交代という憂き目にあったものの、息子がトラブルを起こした申し訳なさからか(我が家ももちろん悪いのだけれども)侯爵家主導で、私は無事優秀な入り婿を迎えられた。これは家同士の蟠りは、一切ないという示唆にもなった。
我が伯爵領は、子爵領からも王都からも少々遠方の片田舎にある。婿が来てくれて家も安泰だから領地経営に専念してほしいと、両親を言いくるめて領地に送り出し、若くして後を継ぎ私は女伯爵となった。
――あれから2年。
ストレスの多かった私の周囲はすっかり静かになり、穏やかな日々がしばらく続いたある日。
ひっそりと子を孕んでいた妹が、出産の折り、出血が酷く命を落としてしまった。
そして、命と引き換えに、妹の髪色をした、ゼファー様の瞳の色を持つ男児をこの世に残した。
やはり『病弱』な妹では、妊娠出産に耐えられなかったのだろう。社交界で一時に噂が広がったようだが、あっという間に話題は次へと流れて行き。
――私は、妹の訃報にひっそりと微笑んだ。
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