おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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一章 押しかけ弟子は金髪キラキラ英国青年

始めは研ぎから

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   ◇ ◇ ◇

 取り敢えずライナスを居間に連れてきて、こたつテーブルを挟み、向かい合って座る。

 ソワソワと辺りを見渡すライナスに俺がゴホンと咳き込めば、ピタリと動きを止めて俺を見た。

「カツミさん、質問いいですか?」

「なんだ?」

「シショーと呼んだほうがいいですか?」

「絶対やめろ。今まで通りでいい」

「分かりました。では最初、何をすればいいですか?」

「ライナスはどこまで漆芸のことを知っている? 道具は持っているのか?」

「自分で調べて、道具、少し、買いました」

 言いながらライナスは背中のリュックを下ろし、テーブル上に荷物を並べる。
 新品のヘラ数本に、刷毛が大小二本。未開封の漆チューブ。そして塗師刀。どれも見覚えのある物ばかりだ。

「これ、ウチの漆芸館から購入したな?」

「本国にいた時、チューモンしました。最初は動画見てマネするつもり、でした。でも、よく分からなくて……」

 見るだけで真似できたら天才だ。
 言葉を探すライナスを待っていると、青い目が泳ぎ出す。そんなに慌てるな……いや、まさか怖がっている? 少しでも話しやすいよう視線を逸らしていると、ようやくライナスが言葉を続ける。

「ツジグチさん、メールで教えてもらったけど、分からなくて……そうしたら、ナマで見るといいって」

「それでわざわざこっちに来たのか」

「上手くできるようになるのに、時間かかる……本でもネットでも書かれてました。だからビザを取って、こっち来ました。そしてカツミさんの塗りにホレました」

 ああ……はにかみながら誤解を招く言葉を選ぶな。背中がムズムズする。こめかみをヒクつかせながらも、俺は平静を装いながら口を開いた。

「事情は分かった。一応知識だけはあるようだから、教えやすくはある。じゃあまず最初は――」

 俺はゆっくりと厚みのある小刀――塗師刀を指さす。

「こいつの研ぎ方を教える。上手く研げるまで次には進まんからな」

「は、はい! ガンバります!」

 やる気があるのはいいが、果たして長く保つのか?

 一抹の不安を覚えながら俺は「少し待ってろ」とライナスを居間に置き、作業場から予備の中砥石と仕上げ砥石を手にし、台所へ向かう。それらをシンクのたらいに水を張って浸け込んでいると、待ち切れずに台所に来たライナスが覗き込む。

「今からソレで、塗師刀を研ぐのですか?」

「いや。そこのくたびれた包丁を研いでもらう」

 俺は水切り桶に立てかけていた万能包丁を手に取り、指で刃先を触ってみる。指の腹に何も引っかからない、丸くなった刃。切れ味はなくなって久しい。

「刃物を研いだ経験はないだろ? いきなり本番は無謀だ」

「ムズカしい、ですか?」

「塗師刀は変な研ぎをすると、ずっとそれを引きずる。せっかく買った道具を無駄にしたくない」

 話ながら俺は中砥石を手にし、近くにあった雑巾を作業台へ敷き、その上に置く。そして包丁に水をつけてから砥石に刃をつけ、両手を添えた。

 シュッ、シャッ、と刃を大きく前後させて研いでいく。視線を包丁に定めながら、俺は口を開く。

「研ぐ時は面を広く使え。小さく真ん中の所だけでやると、砥石が窪んで上手く研げなくなる。ほら、やってみろ」

「は、はいっ」

 恐々とした手つきでライナスが刃に手を添える。俺が手を離し、横にズレて正面を譲ってやれば、ライナスが入れ替わりに立ち、包丁を研いでいく。

 おっかなびっくりで力が入っていない。そして前に押し出す時に刃が反り、軽く砥石を掘るような動きになっている。これでは駄目だ。

「ライナス、ちょっと手に触るぞ」

 俺は横から手を伸ばし、ライナスの手に俺の手を被せる。

「しっかり刃を均等に当てろ。満遍なく力を入れて、浮かないようにするんだ」

「えっ、あ、指に、刃先が……」

「ああ。指は砥石に擦れるは、刃先で傷つくはで痛むぞ。慣れない内は血が滲む」

 ライナスから小さく息を引く音がする。
 軽くドン引いている気配に俺は思わず吹き出した。

「道具ひとつでこんな調子だ。大変だろ? やめるなら今の内だ」

「や、やめません! ガンバります」

 グッと手に力を入れる気配が伝わり、俺は手を離してライナスの様子をうかがう。

 大きな体を屈ませ、必死に砥石と刃に葛藤する姿はなんとも窮屈そうだ。中腰の体勢を続けるのは腰にくる。近い内に補助できるものを購入しようと考えてから、密かに首を横に振る。

 早く諦めて欲しいんじゃないのか、俺は。続くように俺からサポートしてどうする。苦労は多いし、結果が出るまで時間はかかるし、油断しなくても駄目になる時も――理不尽な世界なんだ。

 黙々と包丁を研ぎ続けていたライナスが、腰を上げ、真っ直ぐに刃を見つめる。
 そっと指の腹で刃先に触れた瞬間、ライナスの瞳が輝き、口元が緩む。どうやら変化があったらしい。

「カツミさん! これでいいですか?」

「どれ……まずまずだな。だが、もっと研いでくれ。先から根元まで満遍なくな」

 俺が親指の腹で刃の状態を確かめながら告げると、「はい!」とライナスが良い返事をして研ぎを再開する。
 顔はかぶれて腫れ上がり、指先は砥石に擦れて痛み初めているだろうに。やる気がいつまで経っても消えないライナスを見つめながら、俺は頭を掻く。

 本気なのは分かった。ならば厳しくやろう。
 できれば雪が降る前に、この世界の厳しさを教えてやりたい。

 分厚い雪に閉ざされて、帰ろうにも帰れない……なんてことにならない内に――。
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