おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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一章 押しかけ弟子は金髪キラキラ英国青年

仲良くさせようとする理由

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「おはようさん、克己。話はライナスのことか? 言っとくが他の職人には回さん――」

「俺がここで仕事してる間、研修室にライナスを置かせてくれ」

 ん? と辻口が俺に対して目を見張る。

「それは構わんが……弟子にしたのか」

「不本意ながらな。現実の厳しさを直に分からせたほうが、早く諦めると思っただけだ」

 渋々でも口に出して認めると、肌がむず痒くなる。前言撤回と言いたくなるのを堪えていると、辻口の目が細まった。

「そっかそっか。どんな意図があれ、克己が受け入れてくれて良かった。大切に育ててくれよ」

 なぜ辻口は俺の弟子取りを喜ぶんだ? お前には関係ないことだろうが。ライナスも辻口も、俺には考えが分からない。

 頭を抱えたくなっていると――コンコン。誰かがドアをノックした。

「克己を説得する援軍を呼んだんだが、要らなかったな。まあライナスを預けるから丁度いい。入ってくれ、濱中」

 辻口が呼びかけると、ゆっくりとドアが開く。
 ぼんやりした顔の、作業エプロンを着けた青年。常に眠そうにしている彼はライナスを見ても特に驚かず、辻口に視線を向ける。

「失礼します。彼が話していた幸正さんのお弟子さんですか?」

 ライナスよりも背は低いが、それでも大柄な濱中が外見と同じように淡々と話す。
 俺とよく似た愛想皆無な青年だが、、悟りでも開いたような脱力顔で威圧感はゼロだ。まだ二十六だが漆芸館の研修生の中では腕利きの職人だ。

 辻口は濱中に向かって大きく頷く。

「そうだ。克己の仕事が終わるまで、研修室で面倒を見てやってくれ」

「分かりましたけど大丈夫っすか? 顔、かぶれてますけど」

「大丈夫、慣れてくるから。本人のやる気も十分だし。な?」

 辻口に話を振られ、ライナスは首が取れそうなほど大きく頷いた。

「はい! シショーが終わるまで、刃物、いっぱい研いで練習します」

「あー……まだそこなのか。うん分かった。じゃあ俺について来て。案内するから」

 濱中に言われてライナスが立ち上がる。俺から離れる間際、ちらりと俺を見やる目が少し寂しげに見えたのは気のせいだろうか?

 バタン、とドアが完全に閉じて、二人の足音が遠ざかったのを聞いていから、俺は辻口を睨んだ。

「辻口……お前がライナスを押し付けたせいで、一緒に暮らすことになったんだぞ。どう責任を取ってくれるんだ?」

「いやー昔ながらのスタイルでいいんじゃないか?」

「俺は他人と暮らせる男じゃない」

「そんなこと言って、親父さんが亡くなってから寂しかったんじゃないか? あそこに住んでいるの、克己だけだしさ」

 親父のことを言われると、どうしても意識が思い出に向かってしまう。

 俺の親父も、祖父も、漆芸に携わってきた。
 黙々と漆と向き合い、腕を磨き続けてきた家系。特に親父は他とは違う物を手掛けていた。同じ道を歩くようにやって、あまり口を開かない親父の異質さを痛感する。

 奇才の父。だが身内なのに、親父の頭の中がよく分からなかった。
 結婚して長年夫婦をやってきた母も分からなかっただろう。だから俺が成人した時に離婚したのだと思っている。

 子供を育て上げて役目を果たしたのだから、残りの人生を理解できない者の世話で終わりたくない――実際は何も言われていないが、たぶんそういうことなのだろう。

 それから十六年、俺と親父は二人で住み続けた。
 親しくもなければ喧嘩もしない、必要最低限のやり取りのみの他人よりも遠い距離の身内。ずっとそんな中で暮らしてきたのだ。独りの寂しさなど今さらなんとも思わもない。

 それでも親父が亡くなった日の夜は、いつになく部屋を冷たく感じたが。

 ぶるり、と背筋が震える。しかし鈍いフリをして話をする。

「寂しくなんかない。できれば雪が降る前に諦めて出て行って欲しいものだ」

「お前の住んでいる所、毎年めっちゃ積もるよな。下手すれば家が雪に埋もれて外出られないし」

 苦笑する辻口に、俺は笑えない可能性を口にする。

「閉じ込められて、春までアイツと二人きりなんて勘弁だ」

「そうなったら師弟水入らずで仲良くな」

「できん。無理だ」

「麻雀でもやればいいだろ」

「ルール知らなさそうだぞ? 俺が一から教えるなんて無理だ」

「じゃあ今度俺の家で雀卓囲むか? 平和に冬を乗り越えられるように」

「仲を深めて居られやすくするな。諦めるように持っていきたいんだ」

 しばらく往生際悪く俺は抵抗するが、辻口は俺たちを仲良くさせようとすることばかり言ってくる。いい加減うんざりしてきて、俺は腕を組みながら苛立ちを辻口にぶつける。

「どうしてそんなに俺とライナスの距離を詰めたがるんだ?」

「だってなあ……このまま独りでいたら、カツミがいつか孤独死しそうだから。身近に弟子がいれば俺が心配せずに済む」

「孤独死の何が悪い? 死んだらそれまでだ」

「……もう少し俺のことを考えてくれよ。腐れ縁のダチが孤独死なんて、俺、一生引きずるぞ?」

 急に辻口の声のトーンが静かになり、本音が覗く。
 相変わらず気の良い男だ。この世を生き抜きにくい性格の俺を見捨てないのだから。

 俺は息をつき、ソファから立ち上がった。

「それは気をつけるとしか言えん。まあ簡単に死ぬ気はない。やりたいことがあるからな」

「せめて年一回の健康診断は受けておけよ」

「分かっている。じゃあな」

 手を振りながら俺は部屋を出ていく。チラリと見やった辻口の顔は、苦笑に混じって酷く安堵した色が混ざっていた。
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