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四章 試練と不調と裸の付き合い
彼女の怒りを理解しながら
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俺の返事を待たずにライナスが辻口とともに事務所を出ていく。まるで戦いにでも行くかのような気迫に、俺も濱中も息を呑む。
「濱中、ライナスから何か聞いているか?」
「いえ。幸正さんのことでしか相談を受けてなかったので……彼の事情は俺もさっぱり知らないです」
互いに顔を見合わせ、どうしたものかと目で相談し合う。
俺を置いて向かったということは、できれば俺と件の来客を会わせたくないのだろう。ライナスの意図を汲むなら、このまま待つべきなのかもしれない。
しかし俺はライナスの師匠で、一緒に住んで面倒を見ている。トラブルは放置できない。
俺の中では答えが出た。濱中はどうだろうと伺えば、覚悟を決めた目つきをしていた。
「行くか、濱中」
「はい。何かあったら困りますから」
各々に椅子から立ち上がり事務所を出ると、ハスキーな声で女性が英語でまくしたてるのがここまで聞こえてくる。
意味は分からないが興奮した様子。女性の怒気を感じながら騒がしさを頼りに近づいていけば、館内のエントランスホールで一方的に会話を続ける金髪の女性と、ライナスと辻口の姿があった。
三人は俺たちに気づいて一斉に目を向ける。
俺と似たような背丈の中年女性は、顔に深いシワを刻みながらも覇気を漂わせ、鋭い目で俺を睨む。どこか俺を非難している目。少なくとも友好的な目ではない。
ライナスと同じ毛質の金髪は背中の中ほどまであり、軽やかに波打っている。服はこの雪に合わせたのか、白いパンツルックに黒のダウンジャケットだ。
俺を殴りたそうに早歩きで近づきかけたが、ライナスに腕を掴まれて彼女は足を止めた。
険しい目がライナスへ移る時、彼女の眼差しから敵意が一切消える。そして悲しげな色を称えながら何かを訴える。状況がまったく分からず棒立ちする俺たちの横に、ススッと辻口が並んだ。
「克己、お前は逃げたほうがいい。話がこじれそうだ」
「そう言われてもな……せめて状況を教えてくれ」
「彼女はローレンスさん。ライナスの叔母さんで画商だ。ライナスの絵を売り込んで、名声を高めてくれた人らしいぞ」
彼女の正体が分かった瞬間、揉めている理由がなんとなく見えてくる。
突然ライナスが絵を描かなくなった上に、こんな異邦の田舎で漆芸を学び始め、永住する気でいる。ローレンさんからすれば青天の霹靂だっただろう。絵を売り込んでいたぐらいだから、彼女もライナスの才能に惚れ込んだ一人だと思う。ならば筆を置くきっかけを作った俺に、怒りを向けるのは当然だろう。
英語で言い合い続ける二人を見ながら、俺はわずかに息をつく。
「辻口、翻訳を頼む」
「え? 急にどうした……って、おい、行くな克己。彼女を刺激したら――」
辻口の忠告に構わず、俺はライナスとローレンスさんの元へ歩いていく。
「ライナス、彼女から手を離すんだ」
俺の声にライナスが目を丸くし、勢いよく首を横に振る。
「ダメですっ、叔母さんが――」
「構わんから」
眼差しを強めてライナスに念を押せば、戸惑いながらゆっくりとローレンさんから手を離す。
日本語が分かるのか、彼女は激情を抑えて俺を見つめた。
「初めまして。ローレン・ケイト・コンウェイです」
荒い息のまま日本語で名乗り、ローレンさんが雑に手を差し出す。
「幸正克己です。初めまして」
俺も手を差し出して握手を交わせば、ローレンさんが男顔負けに力を込めてくる。彼女から苛立ちと怒りがひしひしと伝わってくる。しかし俺は顔をしかめず、負けない程度に力を込めた。
「濱中、ライナスから何か聞いているか?」
「いえ。幸正さんのことでしか相談を受けてなかったので……彼の事情は俺もさっぱり知らないです」
互いに顔を見合わせ、どうしたものかと目で相談し合う。
俺を置いて向かったということは、できれば俺と件の来客を会わせたくないのだろう。ライナスの意図を汲むなら、このまま待つべきなのかもしれない。
しかし俺はライナスの師匠で、一緒に住んで面倒を見ている。トラブルは放置できない。
俺の中では答えが出た。濱中はどうだろうと伺えば、覚悟を決めた目つきをしていた。
「行くか、濱中」
「はい。何かあったら困りますから」
各々に椅子から立ち上がり事務所を出ると、ハスキーな声で女性が英語でまくしたてるのがここまで聞こえてくる。
意味は分からないが興奮した様子。女性の怒気を感じながら騒がしさを頼りに近づいていけば、館内のエントランスホールで一方的に会話を続ける金髪の女性と、ライナスと辻口の姿があった。
三人は俺たちに気づいて一斉に目を向ける。
俺と似たような背丈の中年女性は、顔に深いシワを刻みながらも覇気を漂わせ、鋭い目で俺を睨む。どこか俺を非難している目。少なくとも友好的な目ではない。
ライナスと同じ毛質の金髪は背中の中ほどまであり、軽やかに波打っている。服はこの雪に合わせたのか、白いパンツルックに黒のダウンジャケットだ。
俺を殴りたそうに早歩きで近づきかけたが、ライナスに腕を掴まれて彼女は足を止めた。
険しい目がライナスへ移る時、彼女の眼差しから敵意が一切消える。そして悲しげな色を称えながら何かを訴える。状況がまったく分からず棒立ちする俺たちの横に、ススッと辻口が並んだ。
「克己、お前は逃げたほうがいい。話がこじれそうだ」
「そう言われてもな……せめて状況を教えてくれ」
「彼女はローレンスさん。ライナスの叔母さんで画商だ。ライナスの絵を売り込んで、名声を高めてくれた人らしいぞ」
彼女の正体が分かった瞬間、揉めている理由がなんとなく見えてくる。
突然ライナスが絵を描かなくなった上に、こんな異邦の田舎で漆芸を学び始め、永住する気でいる。ローレンさんからすれば青天の霹靂だっただろう。絵を売り込んでいたぐらいだから、彼女もライナスの才能に惚れ込んだ一人だと思う。ならば筆を置くきっかけを作った俺に、怒りを向けるのは当然だろう。
英語で言い合い続ける二人を見ながら、俺はわずかに息をつく。
「辻口、翻訳を頼む」
「え? 急にどうした……って、おい、行くな克己。彼女を刺激したら――」
辻口の忠告に構わず、俺はライナスとローレンスさんの元へ歩いていく。
「ライナス、彼女から手を離すんだ」
俺の声にライナスが目を丸くし、勢いよく首を横に振る。
「ダメですっ、叔母さんが――」
「構わんから」
眼差しを強めてライナスに念を押せば、戸惑いながらゆっくりとローレンさんから手を離す。
日本語が分かるのか、彼女は激情を抑えて俺を見つめた。
「初めまして。ローレン・ケイト・コンウェイです」
荒い息のまま日本語で名乗り、ローレンさんが雑に手を差し出す。
「幸正克己です。初めまして」
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