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四章 試練と不調と裸の付き合い
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揺らがない俺に軽く目を見開いた後、ローレンさんは小さく笑った。
「ワタシの大切な甥を愛して下さる方と、お会いできて光栄です」
俺たちの関係をどこまで知っているのか分からないが、ローレンさんは『愛』をやけに強調して言ってくる。そして丁寧な応対で好意的に見えるが、目の奥は笑っていない。ライナス同様、本心を隠せないタイプに見えた。
「ミスター幸正、手短に用件を言います。ライナスをアナタから解放してもらえませんか?」
「解放、とは?」
「若くて将来有望なツバメを囲っているようで、アナタは幸せでしょう。しかしライナスは絵画の神に選ばれた寵児。こんな単調な色合いの世界に収まる者ではありません」
ピク、と俺のこめかみが引きつる。
俺はただこの地で黙々と漆に向き合ってきただけなのに。漆に興味を持って、俺の塗りに一目惚れして、勝手に押しかけてなし崩しで弟子になって――全部ライナスが望んでやったことだ。
少しでも穏便に、と思っているのに自分の目が据わっていくのが分かる。さぞ目つきが悪くなっていることだろうと思いながら、俺は取り繕わずに口を開く。
「ライナスは自ら進んで俺の所へ来ました。色々ありましたが、今は弟子として漆芸の技術を教えています。彼は子供ではないのですから、彼の意思を尊重してはいかがですか?」
「え、ええ、そうですね。しかし――」
ローレンさんがチラリとライナスを見やる。
「彼には大勢のファンがいます。多くの人が彼の絵を求めています。それなのに一方的に絵をやめると言われ、逃げるように国を出て……これを見て下さい」
不意にジャケットの内ポケットからスマホを出すと、ローレンさんは素早く操作し、画面を見せてくる。
海外のニュースサイトの記事だ。ちゃんと俺に分かるように、わざわざ日本語訳に直してくれている。
見出しは『若き絵画の寵児、日本に囚われる』。
一瞬翻訳に違和感を覚えるが、すぐに翻訳のズレに気づく。漆は英語でJapanと言われることもある。だから『日本』と訳されたのだろう。わざわざ創作のジャンル替えをしただけでニュースになるほど、ライナスの存在があちらのほうでは有名らしい。
ライナスの絵は確かに凄い。このニュースに驚きはするが、同時に納得もしてしまう。
これだけ影響力のある芸術家なのだ、ライナスは。それなのに今まで手にしてきたものを放り出して――。
俺は一度息をついてからローレンさんに告げる。
「ライナスの絵が素晴らしいことは知っていましたが、ニュースになるほどだったことは初耳です」
「まあ、彼の絵を知っていましたの? 日本にはまだ卸したことはありませんのに」
「彼がこの町の博物館に最後の絵を寄贈したので、それを見ました」
特に隠すことではないと思って口にしたが、ローレンスさんの唇が次第に戦慄き、ただ事ではない気配を強めていく。
そしてライナスに向けて英語で何かを叫び出す。何を言っているのかと首を傾げていると、隣から辻口が教えてくれた。
「えっとな、『最後の絵を売らずに譲るなんて! 貴方がそんな愚か者だったなんて! どれだけの高値をつけられるか分かってるの?』だと。俺、知らずに受け取っちゃったよ」
遠い目をする辻口へ俺は耳打ちする。
「気を付けんとお前もローレンさんの標的になるぞ」
「だろうなあ……」
憂鬱そうに辻口が息をつくと、いつの間にか駆け付けていた濱中と目が合った。
「濱中、俺のことは構わなくていいから、辻口を守ってくれ」
「それは構いませんが、幸正さんは?」
「俺は大丈夫だ」
短く伝えて、俺はローレンさんへ顔を向き直す。
「ローレンさん、俺の話を聞いてくれ」
一方的にライナスに言葉で迫っていたローレンさんが、険しい顔つきのまま俺を見る。
「すみません、ミスター幸正。今、話ができる状態では――」
「今年の秋まで、ライナスが好きに活動できる時間を下さい。絵画のように漆でも認められる腕になるよう、俺が教えます」
「ワタシの大切な甥を愛して下さる方と、お会いできて光栄です」
俺たちの関係をどこまで知っているのか分からないが、ローレンさんは『愛』をやけに強調して言ってくる。そして丁寧な応対で好意的に見えるが、目の奥は笑っていない。ライナス同様、本心を隠せないタイプに見えた。
「ミスター幸正、手短に用件を言います。ライナスをアナタから解放してもらえませんか?」
「解放、とは?」
「若くて将来有望なツバメを囲っているようで、アナタは幸せでしょう。しかしライナスは絵画の神に選ばれた寵児。こんな単調な色合いの世界に収まる者ではありません」
ピク、と俺のこめかみが引きつる。
俺はただこの地で黙々と漆に向き合ってきただけなのに。漆に興味を持って、俺の塗りに一目惚れして、勝手に押しかけてなし崩しで弟子になって――全部ライナスが望んでやったことだ。
少しでも穏便に、と思っているのに自分の目が据わっていくのが分かる。さぞ目つきが悪くなっていることだろうと思いながら、俺は取り繕わずに口を開く。
「ライナスは自ら進んで俺の所へ来ました。色々ありましたが、今は弟子として漆芸の技術を教えています。彼は子供ではないのですから、彼の意思を尊重してはいかがですか?」
「え、ええ、そうですね。しかし――」
ローレンさんがチラリとライナスを見やる。
「彼には大勢のファンがいます。多くの人が彼の絵を求めています。それなのに一方的に絵をやめると言われ、逃げるように国を出て……これを見て下さい」
不意にジャケットの内ポケットからスマホを出すと、ローレンさんは素早く操作し、画面を見せてくる。
海外のニュースサイトの記事だ。ちゃんと俺に分かるように、わざわざ日本語訳に直してくれている。
見出しは『若き絵画の寵児、日本に囚われる』。
一瞬翻訳に違和感を覚えるが、すぐに翻訳のズレに気づく。漆は英語でJapanと言われることもある。だから『日本』と訳されたのだろう。わざわざ創作のジャンル替えをしただけでニュースになるほど、ライナスの存在があちらのほうでは有名らしい。
ライナスの絵は確かに凄い。このニュースに驚きはするが、同時に納得もしてしまう。
これだけ影響力のある芸術家なのだ、ライナスは。それなのに今まで手にしてきたものを放り出して――。
俺は一度息をついてからローレンさんに告げる。
「ライナスの絵が素晴らしいことは知っていましたが、ニュースになるほどだったことは初耳です」
「まあ、彼の絵を知っていましたの? 日本にはまだ卸したことはありませんのに」
「彼がこの町の博物館に最後の絵を寄贈したので、それを見ました」
特に隠すことではないと思って口にしたが、ローレンスさんの唇が次第に戦慄き、ただ事ではない気配を強めていく。
そしてライナスに向けて英語で何かを叫び出す。何を言っているのかと首を傾げていると、隣から辻口が教えてくれた。
「えっとな、『最後の絵を売らずに譲るなんて! 貴方がそんな愚か者だったなんて! どれだけの高値をつけられるか分かってるの?』だと。俺、知らずに受け取っちゃったよ」
遠い目をする辻口へ俺は耳打ちする。
「気を付けんとお前もローレンさんの標的になるぞ」
「だろうなあ……」
憂鬱そうに辻口が息をつくと、いつの間にか駆け付けていた濱中と目が合った。
「濱中、俺のことは構わなくていいから、辻口を守ってくれ」
「それは構いませんが、幸正さんは?」
「俺は大丈夫だ」
短く伝えて、俺はローレンさんへ顔を向き直す。
「ローレンさん、俺の話を聞いてくれ」
一方的にライナスに言葉で迫っていたローレンさんが、険しい顔つきのまま俺を見る。
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