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五章 二人で沈みながらも
恋人の時間
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◇ ◇ ◇
「漆器まつり、ですか?」
「ああ。水仲さんがお前の作った物を売ったら良いと言ってくれてな。俺も良いと思うが――」
夜、寝室でくつろぎ始めた時に俺が切り出すと、隣で寝そべっていたライナスはくるりとこちらに体を向け、目を輝かせた。
「お祭り、大好きです! 楽しみです!」
「ライナスならそう言うと思った。蒔絵だけじゃなく、お前が塗ったシンプルな椀や箸も出そう」
「あ……でも、カツミさんの蒔絵は売りたくないです。ワタシの宝物です」
「さすがにそれは誰も買わんし、並べても客が困るだけだ。家に置いておけばいい」
「いえ。見て欲しいので飾ります」
「飾るな……っ。俺が恥ずかしいから!」
「似顔絵を飾るのはおかしくないです。それが蒔絵なだけです。ダメですか?」
上体を起こし、ずいっ、と俺に顔を近づけてライナスが目で訴えてくる。熱い眼差しに流されそうになるが、人で賑わう中に俺の蒔絵があるのを想像したら羞恥が膨らんだ。
「やめろ、頼むから。展示用に映える蒔絵を作ってくれ」
「でも――」
「諦めてくれたら、今日は気が済むまで付き合うから」
羞恥任せに俺が小声で取り引きを口にすると、ライナスが一瞬体を硬直させる。そして次の瞬間、
「カツミさんっ!」
ライナスが勢いよく俺に飛び付き、俺を押し倒す。大型犬がじゃれつくような無邪気な戯れ――本当に飽きないよなあ、と思わず遠い目をしてしまう。
俺の頭へスリスリと頬ずりした後、ライナスはキスの雨をゆっくりと降らし始める。
「カツミさんが嫌なら、ガマンします……でも、せめて一緒にいて下さい。隣でアナタを誇らせて下さい」
「……っ、そ、れぐらいは……元々、一緒にいるつもりだったから」
「嬉しいです……あの、カツミさんも、何か並べないのですか?」
「俺のは辻口の所に並ぶ。アイツの所に卸してるからな」
「カツミさんのお皿に、ワタシが蒔絵したものを並べたいです」
キスの雨がやみ、俺はライナスを覗き込む。
「合作か。それはいいな。俺たちの普段使いにしたいから、余分に作ろう」
ライナスの絵を見ながら食事する――なんて贅沢だ。年甲斐もなく胸を弾ませていると、ライナスは満面の笑みを浮かべ、俺に歓喜のオーラを浴びせてくる。
「ありがとうございます! カツミさんと合作、夢みたいです」
顔が近づいてくるなと思っていたら、言い終わる頃にライナスの唇が俺の口に戯れてくる。もう慣れてしまった行為だが、やり始めはいつも心臓に悪い。動悸が酷くてめまいを覚えてしまう。
夢みたいだなんて、それは俺の台詞だ、と心の中で呟く。こういった時間を重ねるほど、余計に現実味が薄くなる。
ライナスの長いキスに、身も心も抗えなくなっていく。大きく年の離れた男に求められることを受け入れてしまっている自分に、頭の片隅に追いやられた理性が騒ぐ。
目的を忘れるな。俺は恋人である前に、ライナスの師だということを。
ようやく唇を離したライナスが、軽くキスで放心したような俺を見つめ、目を細める。
「カツミさんに捧げられるよう、いっぱい作ります。少しでもアナタの心を得られるように……」
「これだけ俺から奪って、まだ足りないのか?」
「足りないです。だって――」
ライナスが俺の頬に両手を添える。甘い空気を漂わせながら、絶対に逃がすまいという執念が滲んでいる気がして、俺の背筋がぞくりとなった。
「――好きだと言ってくれますが、ずっと一緒に居たいとは口にしてくれませんから」
「恥ずかしくて、言えないだけだ」
「本当にですか?」
「年下の男に縋るようで、情けなく感じる」
嘘は言っていない。そもそも俺は、誰かに「好きだ」なんて気軽にポンポンと言えるような人間じゃない。ライナスが何度も俺に真っ直ぐな想いをぶつけて、囁いて、注いで詰め込んで、そうやって俺の中を溢れさせて、ようやく一言捻り出せるというのに。
しっかりと視線に捕らわれ、目すら逸らせない。俺の心を丸裸にひん剥いて、隠しているものはないかと隈なく探すように、ライナスは俺を見つめ続ける。
何か言わないと許してくれなさそうで、俺は小さく苦笑した。
「なあライナス。もし俺が今よりも女々しくなって、お前に夢中になって俺から離れるなって縋ったらどう思う?」
「喜んで紐で体を縛り合って、絶対に離れないようにします」
「物理的に離れないようにするのか!? それは勘弁してくれ。生活できんだろ」
「どうにかします。だから安心して下さい」
「安心できんわ。そうじゃなくて、今までの俺と違い過ぎて嫌にならないか?」
「なぜですか? 何かが変わっても、カツミさんはカツミさんです」
心底理解できないと言わんばかりに、ライナスが首を傾げる。
「しかもワタシが好き過ぎて変わるなら、嬉し過ぎて倒れます」
「そ、そんなに、なのか……」
少しは躊躇するかと思ったが、ライナスに一瞬の揺らぎも生まれなかった。
ライナスの『好き』があまりに深い。そうでなければ俺みたいなおっさんに固執し続けないかと、俺はわずかにため息をつく。
「まったく、少しは引いてくれ。ライナスの前で格好つけるのが馬鹿らしくなってくるだろ」
おもむろにライナスの頭をくしゃりと撫で、俺は頬へ口付ける。
「あまり俺を弱くさせる言葉を言わせようとしないでくれ。俺はお前が思っているほど、強くもなんともないんだ」
言葉にすればするほど、ずっと作り続けていたものが崩れていく。だから嘘でも、ライナスが欲しがっている言葉は言わない。言えば俺は――。
「カツミさん……」
ライナスの唇が俺の口を塞ぐ。まるで俺の抱えているものを許すように。
言葉にしなくて済んだことに俺は胸を撫で下ろす。だが、
「ん……っ……ン……」
これからどんな風に愛したいかを知らしめるように、頬から俺の背や腰に移った手が俺を昂らせていく。
冬は何も知らない者同士、互いに探り合う行為の繰り返しだったが、今は勝手を掴まれてしまった。
教え込まれた感覚に体が流されていく。間もなく自分のすべてを奪われる時間を迎えることを悟り、俺は抗わずにライナスの背にしがみついた。
「漆器まつり、ですか?」
「ああ。水仲さんがお前の作った物を売ったら良いと言ってくれてな。俺も良いと思うが――」
夜、寝室でくつろぎ始めた時に俺が切り出すと、隣で寝そべっていたライナスはくるりとこちらに体を向け、目を輝かせた。
「お祭り、大好きです! 楽しみです!」
「ライナスならそう言うと思った。蒔絵だけじゃなく、お前が塗ったシンプルな椀や箸も出そう」
「あ……でも、カツミさんの蒔絵は売りたくないです。ワタシの宝物です」
「さすがにそれは誰も買わんし、並べても客が困るだけだ。家に置いておけばいい」
「いえ。見て欲しいので飾ります」
「飾るな……っ。俺が恥ずかしいから!」
「似顔絵を飾るのはおかしくないです。それが蒔絵なだけです。ダメですか?」
上体を起こし、ずいっ、と俺に顔を近づけてライナスが目で訴えてくる。熱い眼差しに流されそうになるが、人で賑わう中に俺の蒔絵があるのを想像したら羞恥が膨らんだ。
「やめろ、頼むから。展示用に映える蒔絵を作ってくれ」
「でも――」
「諦めてくれたら、今日は気が済むまで付き合うから」
羞恥任せに俺が小声で取り引きを口にすると、ライナスが一瞬体を硬直させる。そして次の瞬間、
「カツミさんっ!」
ライナスが勢いよく俺に飛び付き、俺を押し倒す。大型犬がじゃれつくような無邪気な戯れ――本当に飽きないよなあ、と思わず遠い目をしてしまう。
俺の頭へスリスリと頬ずりした後、ライナスはキスの雨をゆっくりと降らし始める。
「カツミさんが嫌なら、ガマンします……でも、せめて一緒にいて下さい。隣でアナタを誇らせて下さい」
「……っ、そ、れぐらいは……元々、一緒にいるつもりだったから」
「嬉しいです……あの、カツミさんも、何か並べないのですか?」
「俺のは辻口の所に並ぶ。アイツの所に卸してるからな」
「カツミさんのお皿に、ワタシが蒔絵したものを並べたいです」
キスの雨がやみ、俺はライナスを覗き込む。
「合作か。それはいいな。俺たちの普段使いにしたいから、余分に作ろう」
ライナスの絵を見ながら食事する――なんて贅沢だ。年甲斐もなく胸を弾ませていると、ライナスは満面の笑みを浮かべ、俺に歓喜のオーラを浴びせてくる。
「ありがとうございます! カツミさんと合作、夢みたいです」
顔が近づいてくるなと思っていたら、言い終わる頃にライナスの唇が俺の口に戯れてくる。もう慣れてしまった行為だが、やり始めはいつも心臓に悪い。動悸が酷くてめまいを覚えてしまう。
夢みたいだなんて、それは俺の台詞だ、と心の中で呟く。こういった時間を重ねるほど、余計に現実味が薄くなる。
ライナスの長いキスに、身も心も抗えなくなっていく。大きく年の離れた男に求められることを受け入れてしまっている自分に、頭の片隅に追いやられた理性が騒ぐ。
目的を忘れるな。俺は恋人である前に、ライナスの師だということを。
ようやく唇を離したライナスが、軽くキスで放心したような俺を見つめ、目を細める。
「カツミさんに捧げられるよう、いっぱい作ります。少しでもアナタの心を得られるように……」
「これだけ俺から奪って、まだ足りないのか?」
「足りないです。だって――」
ライナスが俺の頬に両手を添える。甘い空気を漂わせながら、絶対に逃がすまいという執念が滲んでいる気がして、俺の背筋がぞくりとなった。
「――好きだと言ってくれますが、ずっと一緒に居たいとは口にしてくれませんから」
「恥ずかしくて、言えないだけだ」
「本当にですか?」
「年下の男に縋るようで、情けなく感じる」
嘘は言っていない。そもそも俺は、誰かに「好きだ」なんて気軽にポンポンと言えるような人間じゃない。ライナスが何度も俺に真っ直ぐな想いをぶつけて、囁いて、注いで詰め込んで、そうやって俺の中を溢れさせて、ようやく一言捻り出せるというのに。
しっかりと視線に捕らわれ、目すら逸らせない。俺の心を丸裸にひん剥いて、隠しているものはないかと隈なく探すように、ライナスは俺を見つめ続ける。
何か言わないと許してくれなさそうで、俺は小さく苦笑した。
「なあライナス。もし俺が今よりも女々しくなって、お前に夢中になって俺から離れるなって縋ったらどう思う?」
「喜んで紐で体を縛り合って、絶対に離れないようにします」
「物理的に離れないようにするのか!? それは勘弁してくれ。生活できんだろ」
「どうにかします。だから安心して下さい」
「安心できんわ。そうじゃなくて、今までの俺と違い過ぎて嫌にならないか?」
「なぜですか? 何かが変わっても、カツミさんはカツミさんです」
心底理解できないと言わんばかりに、ライナスが首を傾げる。
「しかもワタシが好き過ぎて変わるなら、嬉し過ぎて倒れます」
「そ、そんなに、なのか……」
少しは躊躇するかと思ったが、ライナスに一瞬の揺らぎも生まれなかった。
ライナスの『好き』があまりに深い。そうでなければ俺みたいなおっさんに固執し続けないかと、俺はわずかにため息をつく。
「まったく、少しは引いてくれ。ライナスの前で格好つけるのが馬鹿らしくなってくるだろ」
おもむろにライナスの頭をくしゃりと撫で、俺は頬へ口付ける。
「あまり俺を弱くさせる言葉を言わせようとしないでくれ。俺はお前が思っているほど、強くもなんともないんだ」
言葉にすればするほど、ずっと作り続けていたものが崩れていく。だから嘘でも、ライナスが欲しがっている言葉は言わない。言えば俺は――。
「カツミさん……」
ライナスの唇が俺の口を塞ぐ。まるで俺の抱えているものを許すように。
言葉にしなくて済んだことに俺は胸を撫で下ろす。だが、
「ん……っ……ン……」
これからどんな風に愛したいかを知らしめるように、頬から俺の背や腰に移った手が俺を昂らせていく。
冬は何も知らない者同士、互いに探り合う行為の繰り返しだったが、今は勝手を掴まれてしまった。
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