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五章 二人で沈みながらも
協力してくれる理由
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「……っ。ありがとうございます」
「ようオレの手を見とる。ここまで天才やと、妬みを通り越して逆にどこまでやれるか見たくなるわ」
小声で水仲さんは一笑した後、より低くかすれた声で呟く。
「幸正の親父も天才やったんやけどなあ。認めるにはオレは若過ぎた」
「水仲さん……」
「今から三十年くらい前やったか。世ン中が不景気になって、山ノ中の職人が食べていくのが難しいなってな。オレも苦しかった――」
あの時の世間の暗さを、俺も子供心ながら覚えている。
景気が極端に悪化して最初に削られるものは、嗜好品や高級品。当時は伝統工芸全般にかかわる者が窮地に陥った。職人はもちろん、漆芸の材料を売る店も、卸問屋も、皆が苦労した。
俺の所も打撃はあったが――。
「――だが幸正の親父は仕事があり続けた。誰も作れん変わり物ばかり。伝統を壊すもんやと、みんな文句言っとった。俺もそうやって愚痴っとった」
そう。俺の家は前より売り上げが少し下がっただけで済んだ。母が財布の紐を軽く締める程度で良かった。
当時の俺はまだ子供で、状況はよく分かっていなかった。ただ、時間が経過していく内に、ちらほらと不穏な話を学校で聞くことが増えた。
親が職人を辞めてトラック運転手になった。一家で夜逃げ。命を断った。次第に珍しい話ではなくなった。俺が高校を卒業して漆芸の道を進み出した頃も、多少景気が回復したとはいえ、以前の勢いはなく、悲観の色が強かった。
そんな中でも親父は変わらず漆で食っていけた。親父の凄さを、同じ道に進んで初めて実感した。
昔を思い出していると――ぽん、と水仲さんの小さな手が、俺の腕を軽く叩いていた。
「悪かったんな。オレもなりふり構わず、幸正の親父に相談すりゃあ良かった。意地張って、馬鹿なことした」
「もしかして、その罪滅ぼしでライナスに教えてくれているんですか?」
「少し、な。それよか、頼られて、まあ、なんだ……分かってくれ」
横目で隣を見たら、水仲さんの顔が赤い。この人、本当に必要とされて嬉しかったんだな。俺も今まで苦手意識が強くて水仲さんを避けていたが、これからは漆芸の先人として関わりたい。
懐に入ってみないと分からないもんだ。軽く息をつきながら口元を綻ばせていると、水仲さんから小さく吹き出す音がした。
「それにしても、師匠の顔を蒔絵にするとはなあ」
「ああ、はい。なんか複雑です」
「こんだけ弟子に好かれとる師匠、ようおらんわ。家族になりたいって言っとったのも本気なんやな」
俺とライナスの関係を知ったら、水仲さんはどう思うだろうか? もう気づいているかもしれないが、俺たちが明言しなければ疑惑のままだ。確定したら理解できんと拒絶されないだろうか?
周囲と最低限の繋がりがあればいいと思っていたのに、ライナスと繋がってから、人付き合いを同じように考えられない。今は人との繋がりがありがたい。できればもっと――。
「なあ幸正の。五月の連休の漆器まつり、ライナスの作ったやつ出さんか? オレが口利いてやっから」
「良いんですか?」
「そのほうが精が出るやろ。あと町のもんと顔合わせられる。他のこと知りとうなった時、話がはよ済むやろ」
欲しかった人脈のきっかけ。俺は思わずバッと水仲さんへ振り向く。
目が合うと水仲さんは、少し寂しげに笑った。
「一応昔は何人も弟子取っとったから、少しは幸正のせがれの気持ちは分かる。どうしていきたいかも、なんとなく見えとる……協力しちゃる。オレんことは良いように使えや」
多分、水仲さんは俺たちの事情を半分も分かっていない。しかし俺の望みには確信を持っている――これが年の功というやつなのか。
俺は湧き上がりそうになった眼の熱を抑え込んだ後、ゆっくりと浅い会釈をした。
これで心置きなくライナスという弟子を育てられる。ローレンさんと約束した時までの間、俺のすべてを注いでやれる。
ライナスのほうへ目を戻せば、真剣な顔で薄美濃紙に焼き漆で線をなぞっている最中だった。
深く入り込んでいる。こうなっている時は、音は何も入ってきていない。ライナスは今、集中して己の感性の底へ沈んでいる。
絵を描いている時のライナスの顔がやけに凛々しく見えて、直視できず視線をずらす。
ボソリ、と。水仲さんが呟いた。
「あとな、もうお前らがただならぬ仲やろうと、みんな噂しとるわ。からかわれること言われると思うけんど、堂々とすりゃあいい」
「そ、そう、でしたか……」
「二人とも分かりやすいわ。ライナスは隠す気ないんし」
「俺も、分かりやすいですか?」
「ずっと堅物やったクセに、色んなもんが柔らこうなった。前とは別人や」
そんなに変わってしまったのか……周りにもう気づかれているなんて。頭が痛くなってきたが、話が広がってしまったのならもうどうしようもできない。俺は否が応でも開き直るしかなかった。
「ようオレの手を見とる。ここまで天才やと、妬みを通り越して逆にどこまでやれるか見たくなるわ」
小声で水仲さんは一笑した後、より低くかすれた声で呟く。
「幸正の親父も天才やったんやけどなあ。認めるにはオレは若過ぎた」
「水仲さん……」
「今から三十年くらい前やったか。世ン中が不景気になって、山ノ中の職人が食べていくのが難しいなってな。オレも苦しかった――」
あの時の世間の暗さを、俺も子供心ながら覚えている。
景気が極端に悪化して最初に削られるものは、嗜好品や高級品。当時は伝統工芸全般にかかわる者が窮地に陥った。職人はもちろん、漆芸の材料を売る店も、卸問屋も、皆が苦労した。
俺の所も打撃はあったが――。
「――だが幸正の親父は仕事があり続けた。誰も作れん変わり物ばかり。伝統を壊すもんやと、みんな文句言っとった。俺もそうやって愚痴っとった」
そう。俺の家は前より売り上げが少し下がっただけで済んだ。母が財布の紐を軽く締める程度で良かった。
当時の俺はまだ子供で、状況はよく分かっていなかった。ただ、時間が経過していく内に、ちらほらと不穏な話を学校で聞くことが増えた。
親が職人を辞めてトラック運転手になった。一家で夜逃げ。命を断った。次第に珍しい話ではなくなった。俺が高校を卒業して漆芸の道を進み出した頃も、多少景気が回復したとはいえ、以前の勢いはなく、悲観の色が強かった。
そんな中でも親父は変わらず漆で食っていけた。親父の凄さを、同じ道に進んで初めて実感した。
昔を思い出していると――ぽん、と水仲さんの小さな手が、俺の腕を軽く叩いていた。
「悪かったんな。オレもなりふり構わず、幸正の親父に相談すりゃあ良かった。意地張って、馬鹿なことした」
「もしかして、その罪滅ぼしでライナスに教えてくれているんですか?」
「少し、な。それよか、頼られて、まあ、なんだ……分かってくれ」
横目で隣を見たら、水仲さんの顔が赤い。この人、本当に必要とされて嬉しかったんだな。俺も今まで苦手意識が強くて水仲さんを避けていたが、これからは漆芸の先人として関わりたい。
懐に入ってみないと分からないもんだ。軽く息をつきながら口元を綻ばせていると、水仲さんから小さく吹き出す音がした。
「それにしても、師匠の顔を蒔絵にするとはなあ」
「ああ、はい。なんか複雑です」
「こんだけ弟子に好かれとる師匠、ようおらんわ。家族になりたいって言っとったのも本気なんやな」
俺とライナスの関係を知ったら、水仲さんはどう思うだろうか? もう気づいているかもしれないが、俺たちが明言しなければ疑惑のままだ。確定したら理解できんと拒絶されないだろうか?
周囲と最低限の繋がりがあればいいと思っていたのに、ライナスと繋がってから、人付き合いを同じように考えられない。今は人との繋がりがありがたい。できればもっと――。
「なあ幸正の。五月の連休の漆器まつり、ライナスの作ったやつ出さんか? オレが口利いてやっから」
「良いんですか?」
「そのほうが精が出るやろ。あと町のもんと顔合わせられる。他のこと知りとうなった時、話がはよ済むやろ」
欲しかった人脈のきっかけ。俺は思わずバッと水仲さんへ振り向く。
目が合うと水仲さんは、少し寂しげに笑った。
「一応昔は何人も弟子取っとったから、少しは幸正のせがれの気持ちは分かる。どうしていきたいかも、なんとなく見えとる……協力しちゃる。オレんことは良いように使えや」
多分、水仲さんは俺たちの事情を半分も分かっていない。しかし俺の望みには確信を持っている――これが年の功というやつなのか。
俺は湧き上がりそうになった眼の熱を抑え込んだ後、ゆっくりと浅い会釈をした。
これで心置きなくライナスという弟子を育てられる。ローレンさんと約束した時までの間、俺のすべてを注いでやれる。
ライナスのほうへ目を戻せば、真剣な顔で薄美濃紙に焼き漆で線をなぞっている最中だった。
深く入り込んでいる。こうなっている時は、音は何も入ってきていない。ライナスは今、集中して己の感性の底へ沈んでいる。
絵を描いている時のライナスの顔がやけに凛々しく見えて、直視できず視線をずらす。
ボソリ、と。水仲さんが呟いた。
「あとな、もうお前らがただならぬ仲やろうと、みんな噂しとるわ。からかわれること言われると思うけんど、堂々とすりゃあいい」
「そ、そう、でしたか……」
「二人とも分かりやすいわ。ライナスは隠す気ないんし」
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