5 / 41
5 100年前からずっと
しおりを挟む
「一緒に逃げよう」
100年前のあの日、アスラン様は私に手を差し伸べた。
紺碧の瞳が私に向けられ、返事を待っている。
彼の手を取りたかった。
でも、できない。
そんなことは許されない。
アスラン様は全てを捨てて、私を選んでくれたのに。
その気持ちが泣きたいほどに嬉しかったけれど。
「逃げられないわ。だって、私は王女だから」
私の返事を分かっていただろうに、アスラン様の瞳は絶望の色を浮かべた。
だって、私は王の娘。自分勝手に生きることはできない。
「国民を見捨てることはできないわ。精霊の結界がなくなれば、この国に魔物が押し寄せてきて、滅んでしまうもの」
「だからって、君が犠牲になることはない! そもそも、精霊教会が、あんな女を聖女になどするから! 君の方がふさわしかったのに!」
あんな女。すべては妹の愚かさだった。
「でも、精霊王様が選んだのは妹だったのよ」
「だからって、あんな。男好きの淫乱王女など!」
アスラン様の口から、下品な悪口が出てきてびっくりする。
それくらい余裕をなくしているのね。
彼女についての評価は、全くその通りだと思うけれど。
精霊王様に求愛したのに、他の男性と通じるなんて……。
生涯でたった一人を愛する精霊王様は、伴侶を失うと狂ってしまう。
かろうじて、私の結界の力で被害は最小限に抑えられたけれど、妹と浮気相手は消滅した。精霊王様が妹と心中しようとした自滅の炎とともに。
「なぜ君が精霊界に行かなければならない。そんなの間違っている。君を選ばずに、あんなやつを聖女にしたくせに」
「私が一番強い神聖力を持っているから。新しい精霊王を誕生させるため、この国を守るために、私が聖女になるしかないの」
精霊王を失った精霊たちの怒りはすさまじく、この国はすぐに滅ぼされても仕方なかった。でも、新しい精霊王の誕生に聖女の力は不可欠。聖女を生贄として精霊界に送ることと引き換えに、結界を維持すると約束させたのは、国王に即位したばかりの兄だった。
「結界などなくても人は生きていける。精霊の守護がない外国人は、魔物を倒し、作物を育てながら暮らしている」
「それでも、今すぐになくなれば、大勢の国民が死んでしまうわ。この国は精霊の力に頼りすぎているから。精霊の助けがないと滅びてしまうの」
「頼む。行かないでくれ。君がいない世界で一人で生きるなんて、僕には耐えられない」
「アスラン様……」
大好きなアスラン様。子供の時からずっと好きだった。私ではなく、妹が聖女に選ばれた時は、本当は嬉しかったのよ。だって、あなたと婚約できたから。
愛してる。大好き。ずっと一緒。
来る日も来る日もお互いに繰り返した言葉。
それでも……。
私はこの国の王女だから。
「永遠に愛しています。だから、お願い。あなたもこの国の民を、私の愛する国民のために……」
「いやだ! 君のいない国なんて!」
激しく口づけされて。私達は涙を流して、お別れした。
精霊界に行くために。精霊界で新しい精霊王を誕生させるため。私は100年の間一人で卵を温め続けた。
◇◇◇◇◇
「空っぽじゃない!」
神聖力で開いた秘密通路を進んで、宝物庫に入った。
がらんとした部屋を見渡して、唖然とした。
先祖の代からため込んでいた金貨も宝石も全てなくなっている。
「まあ、仕方ないか」
私が精霊界に行った後、国はめちゃくちゃになった。結界は維持してもらえたけれど、精霊の加護がなくなったために、作物が育たなくなったのだ。
人形姫として出席した会議で、大臣たちが言っていた。
今では、国民の口にする食物は、ほとんど帝国から輸入しているって。
精霊の結界も、ずいぶん弱まってるみたいね。弱い魔物は結界をすり抜けて入ってくるし、外国人の犯罪者も入国し放題だ。
戦う力のないこの国は、それらの対処を全て帝国に頼っている。帝国から武器を輸入したり、傭兵を雇って魔物や盗賊を退治してもらう。
そして、どんどん借金が膨らんでいく。
困ったわ。
これじゃあ、何もできないじゃない。
どうやって借金を返せばいいの?
このままだと、国民がみんな奴隷にされてしまうわ。
空っぽの宝箱を見渡して、もう一度ため息をつく。
部屋の片隅に、ほこりの積もった大きな木の箱が積み重ねられている。あまり期待せずに開けると、中には小さな黒い石がたくさん入っていた。
「空っぽになった魔石。神聖力は込められてないわね」
私の後に、聖女は生まれなかったようだ。
父親ってことになっている今の国王の瞳の色を思い出す。
青……かろうじて青紫って言えるかもしれない。
私の瞳の色とはまるで違う。
建国女王の血を引く者は紫の瞳を持つ。
今の国王は、きっと神聖力は使えない。
聖女が就任する時に国民に配られるはずだった石は、ここに置かれたまま忘れられている。
手のひらに石を一つ置いて、力を注ぐ。
ぱあっと光って、黒い石が銀色に輝く。
「治癒石のできあがり」
つぶやいて立ち上がる。
「こんな物でも、帝国では売れるかしら?」
100年前は、病気や怪我は、教会で祈れば精霊が治してくれた。だから、この治癒石はお守りとして配られた。一度だけ、怪我や病気を治してくれる便利なアイテムとして。
精霊がいなくなった今なら、もしかしたら少しはお金になるんじゃない?
それを期待して、私は持てるだけの石をハンカチに包んで部屋を出た。
100年前のあの日、アスラン様は私に手を差し伸べた。
紺碧の瞳が私に向けられ、返事を待っている。
彼の手を取りたかった。
でも、できない。
そんなことは許されない。
アスラン様は全てを捨てて、私を選んでくれたのに。
その気持ちが泣きたいほどに嬉しかったけれど。
「逃げられないわ。だって、私は王女だから」
私の返事を分かっていただろうに、アスラン様の瞳は絶望の色を浮かべた。
だって、私は王の娘。自分勝手に生きることはできない。
「国民を見捨てることはできないわ。精霊の結界がなくなれば、この国に魔物が押し寄せてきて、滅んでしまうもの」
「だからって、君が犠牲になることはない! そもそも、精霊教会が、あんな女を聖女になどするから! 君の方がふさわしかったのに!」
あんな女。すべては妹の愚かさだった。
「でも、精霊王様が選んだのは妹だったのよ」
「だからって、あんな。男好きの淫乱王女など!」
アスラン様の口から、下品な悪口が出てきてびっくりする。
それくらい余裕をなくしているのね。
彼女についての評価は、全くその通りだと思うけれど。
精霊王様に求愛したのに、他の男性と通じるなんて……。
生涯でたった一人を愛する精霊王様は、伴侶を失うと狂ってしまう。
かろうじて、私の結界の力で被害は最小限に抑えられたけれど、妹と浮気相手は消滅した。精霊王様が妹と心中しようとした自滅の炎とともに。
「なぜ君が精霊界に行かなければならない。そんなの間違っている。君を選ばずに、あんなやつを聖女にしたくせに」
「私が一番強い神聖力を持っているから。新しい精霊王を誕生させるため、この国を守るために、私が聖女になるしかないの」
精霊王を失った精霊たちの怒りはすさまじく、この国はすぐに滅ぼされても仕方なかった。でも、新しい精霊王の誕生に聖女の力は不可欠。聖女を生贄として精霊界に送ることと引き換えに、結界を維持すると約束させたのは、国王に即位したばかりの兄だった。
「結界などなくても人は生きていける。精霊の守護がない外国人は、魔物を倒し、作物を育てながら暮らしている」
「それでも、今すぐになくなれば、大勢の国民が死んでしまうわ。この国は精霊の力に頼りすぎているから。精霊の助けがないと滅びてしまうの」
「頼む。行かないでくれ。君がいない世界で一人で生きるなんて、僕には耐えられない」
「アスラン様……」
大好きなアスラン様。子供の時からずっと好きだった。私ではなく、妹が聖女に選ばれた時は、本当は嬉しかったのよ。だって、あなたと婚約できたから。
愛してる。大好き。ずっと一緒。
来る日も来る日もお互いに繰り返した言葉。
それでも……。
私はこの国の王女だから。
「永遠に愛しています。だから、お願い。あなたもこの国の民を、私の愛する国民のために……」
「いやだ! 君のいない国なんて!」
激しく口づけされて。私達は涙を流して、お別れした。
精霊界に行くために。精霊界で新しい精霊王を誕生させるため。私は100年の間一人で卵を温め続けた。
◇◇◇◇◇
「空っぽじゃない!」
神聖力で開いた秘密通路を進んで、宝物庫に入った。
がらんとした部屋を見渡して、唖然とした。
先祖の代からため込んでいた金貨も宝石も全てなくなっている。
「まあ、仕方ないか」
私が精霊界に行った後、国はめちゃくちゃになった。結界は維持してもらえたけれど、精霊の加護がなくなったために、作物が育たなくなったのだ。
人形姫として出席した会議で、大臣たちが言っていた。
今では、国民の口にする食物は、ほとんど帝国から輸入しているって。
精霊の結界も、ずいぶん弱まってるみたいね。弱い魔物は結界をすり抜けて入ってくるし、外国人の犯罪者も入国し放題だ。
戦う力のないこの国は、それらの対処を全て帝国に頼っている。帝国から武器を輸入したり、傭兵を雇って魔物や盗賊を退治してもらう。
そして、どんどん借金が膨らんでいく。
困ったわ。
これじゃあ、何もできないじゃない。
どうやって借金を返せばいいの?
このままだと、国民がみんな奴隷にされてしまうわ。
空っぽの宝箱を見渡して、もう一度ため息をつく。
部屋の片隅に、ほこりの積もった大きな木の箱が積み重ねられている。あまり期待せずに開けると、中には小さな黒い石がたくさん入っていた。
「空っぽになった魔石。神聖力は込められてないわね」
私の後に、聖女は生まれなかったようだ。
父親ってことになっている今の国王の瞳の色を思い出す。
青……かろうじて青紫って言えるかもしれない。
私の瞳の色とはまるで違う。
建国女王の血を引く者は紫の瞳を持つ。
今の国王は、きっと神聖力は使えない。
聖女が就任する時に国民に配られるはずだった石は、ここに置かれたまま忘れられている。
手のひらに石を一つ置いて、力を注ぐ。
ぱあっと光って、黒い石が銀色に輝く。
「治癒石のできあがり」
つぶやいて立ち上がる。
「こんな物でも、帝国では売れるかしら?」
100年前は、病気や怪我は、教会で祈れば精霊が治してくれた。だから、この治癒石はお守りとして配られた。一度だけ、怪我や病気を治してくれる便利なアイテムとして。
精霊がいなくなった今なら、もしかしたら少しはお金になるんじゃない?
それを期待して、私は持てるだけの石をハンカチに包んで部屋を出た。
47
あなたにおすすめの小説
姫君の憂鬱と七人の自称聖女達
チャイムン
恋愛
神殿の勝手な暴走で異界より七人の女性を召喚されたエルダン王国の世継ぎの姫君の物語。
聖女候補として召喚された七人には聖女の資格は皆無だった。
異界転移した七人にとってこの世界は、乙女ゲームの世界そっくりだった。
やがて、この世界の人々は七人との齟齬に気づき…
七人の処遇に困ると同時に、エルダン王国が抱える女王反対派問題の解決の糸口になることに気づく。
※こちらは2022年11月に書いた『姫君の憂鬱と11人の(自称)聖女』の改訂版です。ざっくり削ぎました。
聖女になる道を選んだので 自分で幸せを見つけますね[完]
風龍佳乃
恋愛
公爵令嬢リディアは政略結婚で
ハワードと一緒になったのだが
恋人であるケイティを優先させて
リディアに屈辱的な態度を取っていた
ハワードの子を宿したリディアだったが
彼の態度は相変わらずだ
そして苦しんだリディアは決意する
リディアは自ら薬を飲み
黄泉の世界で女神に出会った
神力を持っていた母そして
アーリの神力を受け取り
リディアは現聖女サーシャの助けを
借りながら新聖女として生きていく
のだった
完【恋愛】婚約破棄をされた瞬間聖女として顕現した令嬢は竜の伴侶となりました。
梅花
恋愛
侯爵令嬢であるフェンリエッタはこの国の第2王子であるフェルディナンドの婚約者であった。
16歳の春、王立学院を卒業後に正式に結婚をして王室に入る事となっていたが、それをぶち壊したのは誰でもないフェルディナンド彼の人だった。
卒業前の舞踏会で、惨事は起こった。
破り捨てられた婚約証書。
破られたことで切れてしまった絆。
それと同時に手の甲に浮かび上がった痣は、聖痕と呼ばれるもの。
痣が浮き出る直前に告白をしてきたのは隣国からの留学生であるベルナルド。
フェンリエッタの行方は…
王道ざまぁ予定です
異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)
深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。
そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。
この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。
聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。
ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。
聖女じゃないと追い出されたので、敵対国で錬金術師として生きていきます!
ぽっちゃりおっさん
恋愛
『お前は聖女ではない』と家族共々追い出された私達一家。
ほうほうの体で追い出され、逃げるようにして敵対していた国家に辿り着いた。
そこで私は重要な事に気が付いた。
私は聖女ではなく、錬金術師であった。
悔しさにまみれた、私は敵対国で力をつけ、私を追い出した国家に復讐を誓う!
【長編版】この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ
・めぐめぐ・
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。
アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。
『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。神聖魔法を使うことしか取り柄のない役立たずのくせに』
そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。
傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。
アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。
捨てられた主人公がパーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー長編版。
--注意--
こちらは、以前アップした同タイトル短編作品の長編版です。
一部設定が変更になっていますが、短編版の文章を流用してる部分が多分にあります。
二人の関わりを短編版よりも増しましたので(当社比)、ご興味あれば是非♪
※色々とガバガバです。頭空っぽにしてお読みください。
※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。
悪役令嬢と呼ばれて追放されましたが、先祖返りの精霊種だったので、神殿で崇められる立場になりました。母国は加護を失いましたが仕方ないですね。
蒼衣翼
恋愛
古くから続く名家の娘、アレリは、古い盟約に従って、王太子の妻となるさだめだった。
しかし、古臭い伝統に反発した王太子によって、ありもしない罪をでっち上げられた挙げ句、国外追放となってしまう。
自分の意思とは関係ないところで、運命を翻弄されたアレリは、憧れだった精霊信仰がさかんな国を目指すことに。
そこで、自然のエネルギーそのものである精霊と語り合うことの出来るアレリは、神殿で聖女と崇められ、優しい青年と巡り合った。
一方、古い盟約を破った故国は、精霊の加護を失い、衰退していくのだった。
※カクヨムさまにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる