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95 婚約5(光矢視点)
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碧人様から姉さまに婚約を申し込まれた日から、話は怒涛の勢いで進んだ。
そしてあの日から一週間後の今日、両家の顔合わせが行われることになった。
上大位と上中位の家格の婚約にしては、異例のスピードだ。
しかも上位の家格同士の婚約には、天璽家への報告と精査が必要になるのだが、清瀧家当主によれば、その許可はとっくに下りているらしい。
もっとも、清瀧家と水無瀬家の婚約に、今さら精査も何もないのだろうが。
──なんという用意周到さ。
一家そろって、絶対に姉さまを逃すまいとしているのがひしひしと伝わってくる。
顔合わせの場所は、婚籍院の中にある一室だった。
顔合わせと同時に婚約届を提出したい神守は意外と多く、そのためにこうした部屋が用意されているらしい。
僕たちは相手の家より先に入室すべく、一時間前に到着していた。
この社会では、待ち合わせの場合、家格の低いほうが先に待つのがマナーだ。今回なら、三十分前に到着しているのが常識だろう。
──だが、その常識は通用しなかった。
受付で案内を頼むと、あっさりとこう告げられる。
「お連れ様は、すでにお待ちです」
「ええっ!?」
姉さまが目を白黒させたかと思うと、みるみる顔色を失った。
「あなた……!」
「ああ、少し急ごうか」
品位を損なわぬよう、わずかに歩調を早めて向かう。
父は母をエスコートし、姉さまは僕が腕を貸していた。
「光矢、どうしよう。お待たせしてしまったわ……」 姉さまが弱々しい声で言う。
「大丈夫だよ、姉さま。僕たちは一時間も早く来てる。清瀧家の方々が、早く来すぎただけだ」
それでも姉さまは、馬車の中からずっと緊張していた。
碧人様のご両親と話すのは、今日が初めてなのだ。宴席でも御三家は基本的に天璽家のそばに控えているため、直接交流する機会はほとんどない。せいぜい当主夫妻同士が顔を合わせる程度だった。
部屋に到着し、受付の方が取り次ぐ。
「水無瀬家の皆様が到着されました」
中は一見すると簡素だが、落ち着きと品格のある部屋だった。調度品も上質なものが揃えられている。
そこに、清瀧家の当主夫妻と碧人様が立ち上がり、出迎えてくれた。
「失礼いたします。清瀧家の皆様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
父さまがそう詫びると、清瀧家当主は朗らかに笑った。
「いやいや、我々が早く来すぎただけだ。こちらこそすまない。今日は婚約を受け入れてくれて、本当にありがとう。さあ、座ってくれ」
それぞれ席に着く。
姉さまをちらりと見ると、まだ緊張は残っているものの、碧人様と目が合い、ほっとしたように微笑んでいた。
碧人様もまた、顔を赤らめながら嬉しそうだ。
今日はお互い、認識阻害眼鏡はかけていない。
しかも碧人様は、いつもの野暮ったい格好ではなく、髪も服装もきちんと整えられていた。正直、男の僕から見ても感心するほど格好いい。
だが姉さまは見惚れることはなく、ただ「会えて嬉しい」という表情をしている。
「では早速だが、婚約届を提出したい。その前に、婚約にあたっての契約書を用意した。目を通し、問題なければサインしてほしい」
「契約書……ですか? わかりました」
父さまが目を通し、眉をひそめる。
「……瑞葉、読みなさい」
「はい」
姉さまは緊張した面持ちで受け取り、読み進めるうちに目を見開いた。
「これって……!」
「私にも見せていただけるかしら」
母さまは受け取ると、ふふっと上品に笑い、 「光矢も気になるでしょう? 読んでみる?」 と差し出してくれた。
「もちろん」
──唖然とした。
要するに、姉さまに他に想う人ができた場合、慰謝料など一切発生せず、速やかに婚約を解消できるという内容だった。
「瑞葉は、どう思う?」 母さまが面白そうに尋ねる。
姉さまは、先ほどまでの緊張が嘘のように、強い目をして答えた。
「この契約書は、破棄していただくか、書き換えてください。私ではなく、碧人様に別の好きな方ができた場合に、解消できるように」
「俺は、そんな人、絶対に現れない!」
「私もです。私は自分の意思で、碧人様のそばにいたいと思い、婚約をお受けしました。ですから、この契約書にはサインできません」
「瑞葉の意思を尊重したい。この契約は不要です」
清瀧家当主は、少し驚いたように目を瞬かせた後、静かに頷いた。
「……わかった。これは碧人に頼まれて用意したものだ。碧人、瑞葉さんがこう言ってくれている。この契約は結ばない」
「瑞葉……ありがとう。俺、少し臆病になっていたみたいだ……。父上、すぐに婚約届を書きましょう」
「まったく……お前は…こんなやつだったか?」
「瑞葉さんと出会ってからですよ。それまでは、本当に子どもらしくない子どもでしたから」
「母上!」
「はいはい、余計なことは言わないわ。瑞葉さん、これからよろしくね」
「はい」
この一連のやり取りで、姉さまの緊張はすっかり解けたようだった。
その後、婚籍院の長が立ち会う中、両家が婚約届に署名し、その場で受理された。
「これにて、清瀧家と水無瀬家の婚約が正式に整いました。私どもは、これで失礼いたします」
「ああ、ご苦労」
そして婚籍院の方々が出ていき、部屋には清瀧家、水無瀬家のみとなった。
そしてあの日から一週間後の今日、両家の顔合わせが行われることになった。
上大位と上中位の家格の婚約にしては、異例のスピードだ。
しかも上位の家格同士の婚約には、天璽家への報告と精査が必要になるのだが、清瀧家当主によれば、その許可はとっくに下りているらしい。
もっとも、清瀧家と水無瀬家の婚約に、今さら精査も何もないのだろうが。
──なんという用意周到さ。
一家そろって、絶対に姉さまを逃すまいとしているのがひしひしと伝わってくる。
顔合わせの場所は、婚籍院の中にある一室だった。
顔合わせと同時に婚約届を提出したい神守は意外と多く、そのためにこうした部屋が用意されているらしい。
僕たちは相手の家より先に入室すべく、一時間前に到着していた。
この社会では、待ち合わせの場合、家格の低いほうが先に待つのがマナーだ。今回なら、三十分前に到着しているのが常識だろう。
──だが、その常識は通用しなかった。
受付で案内を頼むと、あっさりとこう告げられる。
「お連れ様は、すでにお待ちです」
「ええっ!?」
姉さまが目を白黒させたかと思うと、みるみる顔色を失った。
「あなた……!」
「ああ、少し急ごうか」
品位を損なわぬよう、わずかに歩調を早めて向かう。
父は母をエスコートし、姉さまは僕が腕を貸していた。
「光矢、どうしよう。お待たせしてしまったわ……」 姉さまが弱々しい声で言う。
「大丈夫だよ、姉さま。僕たちは一時間も早く来てる。清瀧家の方々が、早く来すぎただけだ」
それでも姉さまは、馬車の中からずっと緊張していた。
碧人様のご両親と話すのは、今日が初めてなのだ。宴席でも御三家は基本的に天璽家のそばに控えているため、直接交流する機会はほとんどない。せいぜい当主夫妻同士が顔を合わせる程度だった。
部屋に到着し、受付の方が取り次ぐ。
「水無瀬家の皆様が到着されました」
中は一見すると簡素だが、落ち着きと品格のある部屋だった。調度品も上質なものが揃えられている。
そこに、清瀧家の当主夫妻と碧人様が立ち上がり、出迎えてくれた。
「失礼いたします。清瀧家の皆様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
父さまがそう詫びると、清瀧家当主は朗らかに笑った。
「いやいや、我々が早く来すぎただけだ。こちらこそすまない。今日は婚約を受け入れてくれて、本当にありがとう。さあ、座ってくれ」
それぞれ席に着く。
姉さまをちらりと見ると、まだ緊張は残っているものの、碧人様と目が合い、ほっとしたように微笑んでいた。
碧人様もまた、顔を赤らめながら嬉しそうだ。
今日はお互い、認識阻害眼鏡はかけていない。
しかも碧人様は、いつもの野暮ったい格好ではなく、髪も服装もきちんと整えられていた。正直、男の僕から見ても感心するほど格好いい。
だが姉さまは見惚れることはなく、ただ「会えて嬉しい」という表情をしている。
「では早速だが、婚約届を提出したい。その前に、婚約にあたっての契約書を用意した。目を通し、問題なければサインしてほしい」
「契約書……ですか? わかりました」
父さまが目を通し、眉をひそめる。
「……瑞葉、読みなさい」
「はい」
姉さまは緊張した面持ちで受け取り、読み進めるうちに目を見開いた。
「これって……!」
「私にも見せていただけるかしら」
母さまは受け取ると、ふふっと上品に笑い、 「光矢も気になるでしょう? 読んでみる?」 と差し出してくれた。
「もちろん」
──唖然とした。
要するに、姉さまに他に想う人ができた場合、慰謝料など一切発生せず、速やかに婚約を解消できるという内容だった。
「瑞葉は、どう思う?」 母さまが面白そうに尋ねる。
姉さまは、先ほどまでの緊張が嘘のように、強い目をして答えた。
「この契約書は、破棄していただくか、書き換えてください。私ではなく、碧人様に別の好きな方ができた場合に、解消できるように」
「俺は、そんな人、絶対に現れない!」
「私もです。私は自分の意思で、碧人様のそばにいたいと思い、婚約をお受けしました。ですから、この契約書にはサインできません」
「瑞葉の意思を尊重したい。この契約は不要です」
清瀧家当主は、少し驚いたように目を瞬かせた後、静かに頷いた。
「……わかった。これは碧人に頼まれて用意したものだ。碧人、瑞葉さんがこう言ってくれている。この契約は結ばない」
「瑞葉……ありがとう。俺、少し臆病になっていたみたいだ……。父上、すぐに婚約届を書きましょう」
「まったく……お前は…こんなやつだったか?」
「瑞葉さんと出会ってからですよ。それまでは、本当に子どもらしくない子どもでしたから」
「母上!」
「はいはい、余計なことは言わないわ。瑞葉さん、これからよろしくね」
「はい」
この一連のやり取りで、姉さまの緊張はすっかり解けたようだった。
その後、婚籍院の長が立ち会う中、両家が婚約届に署名し、その場で受理された。
「これにて、清瀧家と水無瀬家の婚約が正式に整いました。私どもは、これで失礼いたします」
「ああ、ご苦労」
そして婚籍院の方々が出ていき、部屋には清瀧家、水無瀬家のみとなった。
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