一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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嬉しい転生【彩音の場合】

10.ヒロインの影

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「ん…」

 カーテンの隙間から差し込む太陽の光を感じ、瞼をゆっくりと開いた。
 まだ早い時間なはずなのに、随分と明るい光が夏を感じさせる。
 まだ戸惑いのある部屋の雰囲気を確かめるように、ぐるりと室内を見回し、一人暮らしの私の簡素な部屋には貼られるはずのないダマスク柄の壁紙を、ぼんやりと眺めた。

 ベッドに明るい線を作るように差し込む光に、ゆっくりと手を掲げる。
 爪の先までキラキラと美しい、朝の光に照らされた、輝くような瑞々しい白い肌。
 どうやら私は、今日も神崎彩音のままのようだった。

(まだ…この夢から覚めない…)

 ゲームには登場しなかった女の子。よーく思い出すと奏君のルートで姉の存在が匂わされることがあったような気がするけど、本編に関わってくることはなかった。
 この世界での記憶は私のゲームの記憶だけかと思っていたけれど、こうして過ごしていると、ゲームでは知り得なかったことも私は理解していることを知った。

 ――ただの夢のはずだ。それなのに、私は自分自身の記憶を持ちながら、神崎彩音になっていた。

 彩音の記憶に耳を澄ますと、彩音は、才能あふれる学園の生徒たちへの羨望、自分自身の未来に対する閉塞感を抱えて、心を閉ざしていたことを知った。

『若いから』『何にだってなれるよ』それって何に? 何になれるの?
『今しかできないことがある』という。でも、それが何かはわからない。
 『どこにでも行ける』という。でも、このまま進んでもどこにも行けないんじゃないかって不安に駆られている。
 ピアノも好きだけど、このまま続けていけるかどうかは不安で、自分自身を信じられない。

 そして彩音は、今は自分自身なのだから自分でいうのもなんだけど、私から見るとすごい美少女なのだ。
 美人で元気なお母さんはイギリス人とのハーフで、彩音はクォーター。それもあって透き通るような白い肌、長いまつ毛に縁どられた大きな瞳、カールを描くキラキラと艶のある髪、そして線の細いしなやかで華奢な肢体。まるでお人形のように可愛らしくて、どこか気品すら感じさせる。

 それなのに、こんなに可愛いのに、彩音は自分自身もあまり好きではなかった。
 喘息や病気がちで身体が弱かったのもあって、外で走り回れない代わりに、始めたのがピアノだった。
 どうしてもと望んだものではなかった。ただ、いつの間にかこれしかなくなっていただけ。
 毛先がカールしていく癖のある髪も嫌いだったし、日にあたるとすぐ赤くなってしまう白い肌も嫌いだった。
 幼い頃は入院することが多くて、学校の行事に出席できないことが多かった。久しぶりに学校に行っても、こちらから話しかけることもうまくできなくて。
 結局友達という友達は作ることが出来なかった。たまに学校に行っても遠くからヒソヒソとこちらを噂されているようで、益々他人との関わりが恐かった。
 誰にも心を開くことが出来ず、学園を卒業したらお祖父さんがいるイギリスに渡ってしまおうかと思うくらいには、現状から逃げ出したくなっていた。

 …私自身にはどう彩音を、現状を変えていけばいいか、わからなかった。
 私自身も昔同じように感じていた焦燥感や、閉塞感。
 大人になったからって、それを自分でどうこう出来た訳ではなく、ただ流されて時間を重ねて、日常に取り紛れて見ないようにしている内に、忘れてしまっていただけだったのだ。
 ――こんな予期せぬ追体験に、現状を打破する術は持っていなかった。

 彩音は本来の私とは正反対のタイプだった。彩音のタイプはむしろ深窓のお嬢様って感じで、憧れの存在だったんだけど、体験してみると、想像とは随分違うなぁというのが正直な感想だった。

 彩音に注がれていた視線は好奇だけでなく、好意も多分にあったって今なら分かる。
 でも私自身モテたこともないし、話しかけてもこない、知らない人に好意を持たれたからって、どうしたらいいかなんて分からない。
 以前は美人に生まれたら、それだけで人生ハッピーだろうなぁなんて無神経にも思っていた。
 けれど、不躾に向けられる無遠慮な視線は、好意も好奇も同じく私を委縮させるだけだった。

 こんな風に縮こまって、自分の殻に閉じこもってるなんてもったいない!!とも思うけど、いざ自分になってみると、なかなか一歩が難しい。

 ルイ先輩とのことだって、”これは夢だ!”っていう突っ走りがなかったら、本当に自分自身が彩音になったって思っていたならば、絶対に無理だった。

 いつかはこの身体を、この意識を彩音に返すのかもしれないし、このまま私自身として生きていくのかもしれない。

 いきなりこの生活が終わりを告げるのではないかと、眠る前はいつも覚悟を決めて目を閉じる。
 そしてこの姿で目が覚める度に、諦めと安堵が入り混じった息を吐いた。
 そんな毎日が、もう一週間続いている。

「…学校行かなくちゃ…」

 寝返りを打ったところで、枕元に置いたスマホが光った。
 瞬間、頬がゆるむ。毎日送られてくる短いメッセージ。
 開くと「おはよう。今日もがんばろう」ルイ先輩からのいつものメッセージ。
 なんて返していいか分からないから、定型文のようだけど「おはようございます。頑張りましょうね」ってだけ返した。

 スマホをぎゅっと抱きしめるように、胸に押し当てた。
 とにかく、毎日を大事に過ごそう。
 大好きな人がいる、大好きな人が私を見つめ返してくれる、この世界を。


 ◇◇◇◇◇


「すみません、田村くんいますかぁ?」
「ん…、舞宮じゃねぇか」

 まだ午前中の休み時間、騒々しい教室内で隣の席の田村君が立ち上がるのを、視界の端で見送る。
 舞宮カノン…!
 隣のクラスの、このゲームのヒロインだ。ふわふわのオレンジの髪を揺らめかせて、楽しそうに教室の戸口で田村君と話をしている。
 このゲームは2年生になって、この学園に編入してくるところから始まる。自分のパラメーター上げをしつつ、攻略対象と親密度を高めていくスタイルの乙女ゲームだ。
 結構パラメーター上げがシビアだし、攻略対象が最初はかなりツンでなかなかデレてくれない。必死に贈り物や会話イベント、季節のイベントをこなして、1年間を過ごしてエンディングを迎える。

 さっき席を立った田村時雨たむらしぐれ君も攻略対象だ。

 緑色の髪、長身の鋭い目つきのぶっきらぼうなオレ様キャラ。でも歳の離れた小さな妹のことをとっても可愛がっていて、本当は優しい。緑がテーマカラーのトランペット奏者だ。

(乙女ゲーム仲間の朝美先輩が大好きだったんだよなー。朝美先輩がここに転生なんてしてたら、時雨君を見た瞬間に悶絶して倒れてるか号泣してるだろうなぁ。ふふふ。)

 私も実際教室で会った時は、息が止まるかと思った。けど、それもすぐに慣れた。
 だって彼はただの同級生だもの。
 男性経験ほぼなし、男の人に対してはマジコミュ障だった私が、堅牢なガードを誇る攻略対象のツンになんて立ち向かえるはずがない。
 彼は格好いいけど特段お話することもない、眺めているだけのただの同級生、なのだ。

 ミラクルと勢いでルイ先輩とお付き合いするに至ったけども、他の攻略対象は見ているだけでお腹いっぱい、胸いっぱい。
 お家に奏くんもいるから十分だし!うぅ、奏くん尊い…。


「ふふ…じうったら」

「!」

 ふいに、そこだけ切り取ったように、舞宮さんの声が耳に入った。
 親密度が上がってからじゃないと呼ぶことを許してくれない、時雨君の愛称。音読みで“じう”。

(もうそこまで親密度上がってるんだ…!)

 え、今何月? 今月夏休みだから、7月? え? ずいぶん早くない…?
 しかも舞宮さんは、思い返すと他の攻略対象とも一緒にいるところをよく目にしていた。
 時雨君狙いって訳でもなさそうなのに…。手当たり次第に攻略対象の親密度をマックスまで上げてくのは私もやってたけど…、え? まさか…現実でもそれやっちゃう?
 逆ハーレム狙い? でもエンディングは一人としか迎えられないよね? え? 誰を射止める気…?

 気が付けば、私は舞宮さんを見つめてしまっていた。

 すると、ふいに目があう。

「!!」

 瞬間、ニヤリと時雨君には分からない角度で、口角をあげ睨まれた。

(え…)

 どうすることもできず、反射的に目をそらす。
 私は、ドキドキと激しく音を立てる心臓を抑えながら、嫌な予感に汗がにじむのを感じた。
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