37 / 64
憂鬱な転生【カノンの場合】
18.雨上がりの空 4
しおりを挟む
――その時、風が吹いた。
地上の重く湿った空気をざっと一掃するような、強い風。
「きゃっ……」
咄嗟に、手元の楽譜を飛ばされないように抱きしめた。
風がカノンの頬をすべり、眦に残っていた涙の最後の一粒をさらって消えていく。
「――すごい風だ、大丈夫かい?」城野院の声を、どこか遠くに響く音のように聞いた。そうして数瞬経って、目を開けたその時。
「……あ……!」
――世界、が……。
そうしてまず目にはいったのは、空の蒼の鮮やかさ。
キラキラと降り注ぐ光、それを歓ぶ昨日までの雨で葉を湿らせた木々の緑。
吸い込んだ空気は芳しく、まつ毛にかかる涙の粒ですらそれらを彩るように輝いていた。
カノンにとってそれは、それまで見ていた世界とは、まるで違うように感じて思わずその目を瞠った。
長くいた光の届かない深い水の底から、ようやく水面に浮かび上がってきたかのように、見慣れた景色が色を変えて、キラキラと眩しかった。
したいことをしていい、望みを持ってもいいと、そう言ってもらえただけで。
それまでに感じたことのない、鮮やかさをもって、世界に迎え入れられたかのようだった。
本来、誰に許可を必要とするものではないということは、十分わかっている。それでも、カノン自身が、それを自分に許したことがなかった。
胸の奥底から、なにか温かい思いがこみ上げてくる。
「ふふ、そっかぁ……」
自然と、笑みがこぼれた。
「……私、恥ずかしい話なんですけど、これまで全然何かを望むってしたことなかったんです。望む前に諦めてばっかりで……。こんな風にやり直しの機会が得られたのに、自分で自分を雁字搦めにして、やらなきゃを探してばかりいました。 したいことをしていいって、自分に許せずにいたんです」
「……ふぅん?」
「でもさっき先輩が言ってくれたこと、すごく、嬉しかったです。誰かに、そんな風に言ってもらえたこと、なかったんで」
笑い方を思い出したかのように、カノンはまた微笑んだ。いつもと変わらないはずの空気が、甘く感じる。久方ぶりに呼吸の仕方を思い出したような気分だった。
――あぁ、城野院先輩は本当に綺麗なひとだなぁ……。
城野院はカノンの鮮やかな世界の1人目の住人だった。そうして改めて見る城野院の姿は、あの日見た演奏をしている姿のように輝いて見える。
眩しく感じて、城野院を見る目を細めた。
「……うーん」
「せんぱい?」
「君のそれは、性質が悪いね……。もしかして、これからそんな顔をどこででも振りまく気かな……?」
「え? そんなにひどい顔してます?」
泣いてばかりだったから、それはひどい顔をしているということだろうか。そう思ったカノンは両手で顔を覆った。
「そういう意味じゃないんだけどね……。うーん……ねぇ、僕にも、君のしたいこと探しを手伝わせてくれないかい?」
「えぇ? そんなっ、申し訳ないです! 私なんかに――ッ」
城野院の言葉に、覆っていた手を離すと、すぐ鼻先に城野院の顔があった。
思わずカノンは真っ赤になって、身をのけぞった。すると、すぐ後ろにあったコンクリートの壁に頭を打ち付けそうになる。それを城野院の手が優しく受け止めた。
――顔が……!近い……ッ!!
攻略対象と親密度を上げるというのはゲームのなかの行為だったので、ヒロインの仮面を被り、それ相応にふるまうことでなんとかできていた。
城野院とのいまの状態は絶対ゲームのなかにはない展開な気がする。だってゲームは全年齢対象だったから。恋人エンドじゃなければ、キスもしない。
城野院から立ち上る、触れたことのない類のオーラを感じて、後ずさった。
背中に大輪の薔薇を背負っているかのような、ものすごい色気を感じた。
「おや? どうしたの? 僕のこと、ようやく意識してくれるようになった?」
「えぇ……?」
「ふふっ、それが君の素なのかい?可愛いね」
「か・かわ……っ!?」
「とって食いやしないよ?」
つめられていた城野院との隙間が開けられて、慌ててもう少し後ずさった。ドキドキとする胸を押さえた。
――ん?あれ?なんでだろ?こんなこと言われるようなことしたっけ???
そういって混乱するカノンには、城野院が「まだね」と呟いていたのは、耳には入らない。
「ねぇ、僕に教えてくれないかい? 君はどんなものが好き? 色は? 曲は? 食べ物は?」
「好きな、もの……?」
「君って子は……。人の好きなものには興味があったのに、自分のはわからないのかい?」
呆れたようにそう言われて、カノンはしばし黙り込んだ。
――何かあったっけ……。好きなもの……、乙女ゲーム? でもこれは初めてプレイしたばかりだし、好きなものって言っていいのかな…、まして私いまヒロインだし。それで乙女ゲームが好き! って図々しくない?
好きな色……、いつも無難な色しか着てなかったからな……、グレーとかベージュ? いや、好きな訳じゃないか。持っている服の色のなかで多いだけで。色、いろ……。
食べ物は………、太るから控えてたけど、たまーに参加した部署の飲み会の後のラーメンは美味しかったなぁ…。帰ったら、お母さんが仁王立ちしてたっけ……。
これといったものがまるで思いつかず、うんうんと口元に手を当てて考え込んでいると、城野院がカノンの左の胸元を指さして言った。
「それは? そのブローチ。いつも付けているよね? そういうのが好き?」
「――あぁ、これは特別なんです。父からのプレゼントで……。父は私が10歳の時に病気で亡くなったんですけど、16歳になったら渡してって母に言ってあったんですって。このブローチのおかげで、私は今音楽をすることができているんです」
そういうとカノンは、ブローチをそっと撫でた。
「それの、おかげ?」
「そうなんです。……元々私のヴァイオリンは父に少し教えてもらっただけの独学ですし、とても人様に聞かせたものじゃないんですけど……。でも、このブローチをつけてヴァイオリンを弾くと、魔法にかかったように不思議と、上手に弾けるんです」
――実はこれ、魔法のブローチなんです。
ついうっかりと秘密を話してしまいそうになった。城野院相手だと、話すぎてしまう気がする。
「そうなんだね……。ありがとう、教えてくれて」
「い、え……、なんだかすみません……」
「なんで謝るの?」
「え!? ……気を遣ってもらって、すみません?」
「ははっ」
城野院はまたカノンの頭をふわりと撫でた。いつもそうしてくれるから、もうなんだかそういうものだというように、自然とその手に身を委ねる。
「えっと……、今度会う時までに、好きなもの考えておきます、ね。それでもいいですか……?」
「うん、楽しみにしているよ」
その時、授業終了を告げる鐘の音が鳴った。「そろそろ行こうか?」立ち上がった城野院が、カノンを促すように、手を差し出した。
その手を取りながら、カノンはこれまでにない胸の高鳴りを感じたような気がした。
地上の重く湿った空気をざっと一掃するような、強い風。
「きゃっ……」
咄嗟に、手元の楽譜を飛ばされないように抱きしめた。
風がカノンの頬をすべり、眦に残っていた涙の最後の一粒をさらって消えていく。
「――すごい風だ、大丈夫かい?」城野院の声を、どこか遠くに響く音のように聞いた。そうして数瞬経って、目を開けたその時。
「……あ……!」
――世界、が……。
そうしてまず目にはいったのは、空の蒼の鮮やかさ。
キラキラと降り注ぐ光、それを歓ぶ昨日までの雨で葉を湿らせた木々の緑。
吸い込んだ空気は芳しく、まつ毛にかかる涙の粒ですらそれらを彩るように輝いていた。
カノンにとってそれは、それまで見ていた世界とは、まるで違うように感じて思わずその目を瞠った。
長くいた光の届かない深い水の底から、ようやく水面に浮かび上がってきたかのように、見慣れた景色が色を変えて、キラキラと眩しかった。
したいことをしていい、望みを持ってもいいと、そう言ってもらえただけで。
それまでに感じたことのない、鮮やかさをもって、世界に迎え入れられたかのようだった。
本来、誰に許可を必要とするものではないということは、十分わかっている。それでも、カノン自身が、それを自分に許したことがなかった。
胸の奥底から、なにか温かい思いがこみ上げてくる。
「ふふ、そっかぁ……」
自然と、笑みがこぼれた。
「……私、恥ずかしい話なんですけど、これまで全然何かを望むってしたことなかったんです。望む前に諦めてばっかりで……。こんな風にやり直しの機会が得られたのに、自分で自分を雁字搦めにして、やらなきゃを探してばかりいました。 したいことをしていいって、自分に許せずにいたんです」
「……ふぅん?」
「でもさっき先輩が言ってくれたこと、すごく、嬉しかったです。誰かに、そんな風に言ってもらえたこと、なかったんで」
笑い方を思い出したかのように、カノンはまた微笑んだ。いつもと変わらないはずの空気が、甘く感じる。久方ぶりに呼吸の仕方を思い出したような気分だった。
――あぁ、城野院先輩は本当に綺麗なひとだなぁ……。
城野院はカノンの鮮やかな世界の1人目の住人だった。そうして改めて見る城野院の姿は、あの日見た演奏をしている姿のように輝いて見える。
眩しく感じて、城野院を見る目を細めた。
「……うーん」
「せんぱい?」
「君のそれは、性質が悪いね……。もしかして、これからそんな顔をどこででも振りまく気かな……?」
「え? そんなにひどい顔してます?」
泣いてばかりだったから、それはひどい顔をしているということだろうか。そう思ったカノンは両手で顔を覆った。
「そういう意味じゃないんだけどね……。うーん……ねぇ、僕にも、君のしたいこと探しを手伝わせてくれないかい?」
「えぇ? そんなっ、申し訳ないです! 私なんかに――ッ」
城野院の言葉に、覆っていた手を離すと、すぐ鼻先に城野院の顔があった。
思わずカノンは真っ赤になって、身をのけぞった。すると、すぐ後ろにあったコンクリートの壁に頭を打ち付けそうになる。それを城野院の手が優しく受け止めた。
――顔が……!近い……ッ!!
攻略対象と親密度を上げるというのはゲームのなかの行為だったので、ヒロインの仮面を被り、それ相応にふるまうことでなんとかできていた。
城野院とのいまの状態は絶対ゲームのなかにはない展開な気がする。だってゲームは全年齢対象だったから。恋人エンドじゃなければ、キスもしない。
城野院から立ち上る、触れたことのない類のオーラを感じて、後ずさった。
背中に大輪の薔薇を背負っているかのような、ものすごい色気を感じた。
「おや? どうしたの? 僕のこと、ようやく意識してくれるようになった?」
「えぇ……?」
「ふふっ、それが君の素なのかい?可愛いね」
「か・かわ……っ!?」
「とって食いやしないよ?」
つめられていた城野院との隙間が開けられて、慌ててもう少し後ずさった。ドキドキとする胸を押さえた。
――ん?あれ?なんでだろ?こんなこと言われるようなことしたっけ???
そういって混乱するカノンには、城野院が「まだね」と呟いていたのは、耳には入らない。
「ねぇ、僕に教えてくれないかい? 君はどんなものが好き? 色は? 曲は? 食べ物は?」
「好きな、もの……?」
「君って子は……。人の好きなものには興味があったのに、自分のはわからないのかい?」
呆れたようにそう言われて、カノンはしばし黙り込んだ。
――何かあったっけ……。好きなもの……、乙女ゲーム? でもこれは初めてプレイしたばかりだし、好きなものって言っていいのかな…、まして私いまヒロインだし。それで乙女ゲームが好き! って図々しくない?
好きな色……、いつも無難な色しか着てなかったからな……、グレーとかベージュ? いや、好きな訳じゃないか。持っている服の色のなかで多いだけで。色、いろ……。
食べ物は………、太るから控えてたけど、たまーに参加した部署の飲み会の後のラーメンは美味しかったなぁ…。帰ったら、お母さんが仁王立ちしてたっけ……。
これといったものがまるで思いつかず、うんうんと口元に手を当てて考え込んでいると、城野院がカノンの左の胸元を指さして言った。
「それは? そのブローチ。いつも付けているよね? そういうのが好き?」
「――あぁ、これは特別なんです。父からのプレゼントで……。父は私が10歳の時に病気で亡くなったんですけど、16歳になったら渡してって母に言ってあったんですって。このブローチのおかげで、私は今音楽をすることができているんです」
そういうとカノンは、ブローチをそっと撫でた。
「それの、おかげ?」
「そうなんです。……元々私のヴァイオリンは父に少し教えてもらっただけの独学ですし、とても人様に聞かせたものじゃないんですけど……。でも、このブローチをつけてヴァイオリンを弾くと、魔法にかかったように不思議と、上手に弾けるんです」
――実はこれ、魔法のブローチなんです。
ついうっかりと秘密を話してしまいそうになった。城野院相手だと、話すぎてしまう気がする。
「そうなんだね……。ありがとう、教えてくれて」
「い、え……、なんだかすみません……」
「なんで謝るの?」
「え!? ……気を遣ってもらって、すみません?」
「ははっ」
城野院はまたカノンの頭をふわりと撫でた。いつもそうしてくれるから、もうなんだかそういうものだというように、自然とその手に身を委ねる。
「えっと……、今度会う時までに、好きなもの考えておきます、ね。それでもいいですか……?」
「うん、楽しみにしているよ」
その時、授業終了を告げる鐘の音が鳴った。「そろそろ行こうか?」立ち上がった城野院が、カノンを促すように、手を差し出した。
その手を取りながら、カノンはこれまでにない胸の高鳴りを感じたような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
最強魔術師の歪んだ初恋
黒瀬るい
恋愛
伯爵家の養子であるアリスは親戚のおじさまが大好きだ。
けれどアリスに妹が産まれ、アリスは虐げれるようになる。そのまま成長したアリスは、男爵家のおじさんの元に嫁ぐことになるが、初夜で破瓜の血が流れず……?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる