一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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憂鬱な転生【カノンの場合】

22.解けた魔法

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「あ、あった! ――ッ!?」

 すれ違う生徒に怪訝な目を向けられながら、駆け込むように入った女子トイレ。
 洗面台の上できらりと反射した何かに、カノンは駆け寄った。

「え!?」

 チャリ……と音を立てて持ち上げたそれは、留め具のところが歪んでぷらりと垂れ下がった。シルバーの星屑の意匠の部分も痛々しく欠けている。

「なんで……」

 どうして、どうして、脳が理解を拒む。
 修理すればいい、留め具を取り換えればいい。でも、肝心の星屑が欠けてしまった。
 ゲームのなかでは、ヴァイオリンに関して素人に過ぎないカノンでも、ブローチをつけることで素晴らしい音を奏でることができていた。演奏すると、星屑からキラキラと星の光が溢れ、周囲は感嘆の吐息をこぼす。これまで、この魔法の力のおかげで、演奏することができていたのに。
 こんな風に欠けてしまって、それじゃあ、このブローチに込められた魔法はどうなるのだろうか。
 今の、このコンサート、は。

『調子にのってるからよ』

 確かに聞こえたさっきのあの言葉は、どういう意味だったのだろう。何故彼女は、自分に向かってあんなことを呟いたのだろう。
 震える指先がブローチを揺らし、チラチラと光を反射させると、ひとつの欠片がカシャンと小さく音を立てて床に落ちた。
 その音はカノンを闇の中に突き落とす音だった。
 クスクスと微かな笑い声がぐるぐるとカノンの周囲を、背後を通り過ぎて、遠ざかっては近づいて、頭の中を浸食していく。

 ――私にもできるだなんて、思ってしまったから――。

 調子に乗っている、確かにそうだ。できるはずがないのに、自分を信じようとしてしまった。
 その報いがこれなのだろうか。こうしてせっかく手に入れたやり直しを、ヴァイオリンを、好きなものを手放すしかないのか。自分が望んだばっかりに、手に入れようとしたばかりに。
 答えはでない。
 ただ後悔が、誰にともつかない懺悔が脳内を巡った。

「……コンサート、出られないって、言わ、なきゃ……」

 大勢の前に立つことなんてできない。時雨にそう言わなければならない。カノンの母親も見に来ると言っていた。嬉しそうに、そう言っていた。
 でも、出られない。出られるはずがない。
 だって、魔法は解けてしまったのだから。
 さっきの瑠依の態度でわかったじゃないか、ゲームのなかのように、誰からも愛されるカノンはいなかったのだから。
 努力をすればするだけ上がるパラメーターも存在しない。
 今日の為に、毎日何時間も練習した。たくさん勉強をした。でも、それでも、ここまでだった。
 今日この日は、己の思い上がりを、私がヒロインなんかではないという勘違いを私に知らしめるためにあったんだ。

 罰があたった。

 ふらふらと廊下に出た。だが、ふらつく身体を壁にあずけてどうにか堪えたが、それ以上は足が進むことはなかった。

「どうしよう………」

 視界がぼやけた。視界が、思考が水の中に閉じ込められる。そしてまた、ぐわんぐわんと揺さぶられるように眩暈がはじまる。
 頭の中で、諦めてしまおう、逃げてしまおうという気持ちと、そんなことはしたくないという気持ちが渦を巻いていた。自分の鼓動が、呼吸が耳を塞いでしまうかのように大きな音となって響く。
 もたれた壁に手をついて、浅い呼吸のなかで、なんとか思考を繋ぐ。

 ――出てみようか、自分の実力で。
 ――そんなのは無理に決まっているわ。これまではブローチの力があったからできただけよ。

 ――でも、あんなに一生懸命練習したから。
 ――大勢の前で恥をかくだけよ。
 ――でも、でも、

 『あなたになんて、できるはずがないわよ』

 定まらない視線が足元のパンプスをとらえた時、とうとうぼやける視界が涙となってこぼれ落ちた。カノンは、その雫を一つ二つとただ見送ることしかできなかった。

「私になんて、できるはずが、ない……」

 廊下に次の演者の曲が響き始めたのは、諦めるようにそう呟いた時だった。

「あ……」

 響き始めたピアノと、ヴァイオリンの音色。
 揺蕩う思考のなかで、その音を追う。
 それはいつかアトリウムで城野院が奏でていた曲と同じ、フォーレの『夢のあとに』だった。
 あの時の音色のあまりの美しさに、家に帰ってからその曲を探した。そしてその曲についた詩を読んで、あの曲調のもの悲しさの理由を知った。
 それは夢の中で出会った美しい女性との素晴らしい逢瀬を思い、夢から覚めた後、もう会うことのできないことを嘆き悲しんでいるというものだった。

 ――今、ここが私の夢のなかだとしたら

 舞宮カノンになんて転生していなくて、ただのリアルな長い夢を見ているだけで。目が覚めた時に、以前の自分の日常が戻ってくるのだとしたら。
 そして、もうこの夢のなかに戻ってこれないのだとしたら。

「じょうのいん先輩」

 もうあの人に会うことも、触れることもできないのだとしたら。

『君のしたいことを、すればいいんだよ』

 彼が奏でていたものとは違う、でもこの切ないメロディーにのって、いつかの彼の声が頭の中に響く。
 そしてカノンは無意識に、手の中の壊れたブローチを、固く握りしめた。
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