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憂鬱な転生【カノンの場合】
32.修正されていく軌道
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「本当にすみませんでした」
「ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
「え……っと……?」
『今日は凛子さんとたくさんお話できて良かったわ。これでもう大丈夫』
彩音がそう言って不敵に微笑んでいたあの不思議な昼食は、月曜日のことだった。
そして今日は水曜日。
教室に入り鞄を置こうとしたカノンの前で今、何故か女生徒たちが頭を下げている。
まだ登校している生徒も少ない時間帯だけれど、突然の出来事に教室内の注目を一身に集めていることを肌身に感じる。
とりあえず、持っていた鞄を机の上に乗せ、顔を上げることのない三人を見つめた。
彼女たちに謝られる心当たりと言えば……。
「何のこと?」
「……ブローチの、こと……」
――あぁ、やっぱり。
どうして今になって謝罪する気になったのかはわからないけれど、こうして頭を下げてくるということは、あのブローチが壊れていたことに少なからず彼女たちの故意があったということだろう。
カノンはその部分がズキリと痛んだ気がして、いつもの胸元の部分をぎゅっと握りしめた。
突然の衝撃の裏で、少しずつ怒りが湧き上がってくる。でも、まず口をついたのは何故? という思いだった。
頭を下げた髪の合間から、ちらりとこちらに視線を向けた一人に向かって、カノンは口を開いた。
「謝らなきゃいけないことをしたっていうこと?」
「――あの、ごめんなさい、あの、そんなつもりじゃなかったんだけど……、落ちてるのを見て、つい……」
「つい?」
「……ッ……困ればいいと、思って……」
――私が、どんな思いで!
そう、叫ぼうとしたのを寸でのところで堪えて、拳を握った。あの日私がどんな思いで。あれからどれだけ心細かったか。
カノンの握りしめられた拳を見て、衝撃に備えるかのように、三人はますます肩を縮こませた。
「……」
目を伏せカノンの一挙手一投足にビクつくその姿を、じっと見つめた。
実のところあの日のことを何度も思い出している内に、当初の犯人を許せないという強い思いはカノンのなかで随分と薄まっていた。
一番やってはいけないこと……楽器に細工や傷をつけられなかっただけマシだったかもしれないとすら思うし、そういったことが起こりえるということも聞いたことがあった。
そして彼女たちが嫉妬したのは、自分自身に対してではなく、作り上げた舞宮カノン像だ。
もし自分がヒロインだって勘違いしないで、そのままの自分で皆に接していたら、この子達もそんなことをしなかったかもしれない。まぁ、鬱屈をぶつけられるなら対象なら、誰でもいいのかもしれないけれど。
だが何よりも今目の前で、怒られることに怯えて顔を伏せるその姿は、まだ庇護されるべき少女のようにも見えた。
――そういえば私が学生の時もこんなことあったっけ……。
何年経っても場所が変わっても、そんなことは変わらないなんて。
本来なら十歳以上も年の離れた女の子達。その細い肩を眺めるうちに、握りしめた拳の力が、いつの間にか抜けていた。
「馬鹿馬鹿しい……」
カノンが大きくため息をつくと、以前凛子が『葵ちゃん』と呼んでいた黒髪の少女の肩がびくりとはねた。
「……もういい。許せるわけじゃないけれど、それ以上は、ないから」
「……ごめんなさい……ッ」
そう言うと『葵ちゃん』達はバタバタと廊下へと駆けて行った。
その後ろ姿を見送って、カノンはもう一つ小さくため息をついて、自分の席へと座って頬杖をついた。
――こんな時、ヒロインのカノンならなんて言うんだろう。
『もう、いいよ。正直に言ってくれて、ありがとう』
『これからは、私たちお友達になりましょう』
そんなあたりかな? それであの子達と和解して仲良くなっちゃったりするのかな。この重たい泥のような気持ちを抱えたまま、表面上は仲良く接するのかな。
……でもまぁ、もうそういうのはいいや。
「おーカノンどうした? 難しい顔して」
「し……じう、おはよう。なんでもないよ」
事の成り行きを見守ってしんと静まり返っていた教室に、高い背を少し屈めるようにして時雨が入ってきた。自分の教室は隣だというのに、日課のようにこうしてカノンのいる教室にも顔を出していく。
時雨くんといつものように呼びかけようとして、毎度の『じうと呼べよ』というやり取りが面倒で、最初からじうと呼びかけた。今はそんなやり取りをする気力がない。
それなのに、カノンの呼びかけに一瞬で時雨の眉が吊り上がった。
「はぁ? お前がじうって呼ぶなんてどういう風の吹き回しだよ。なんかあったのか?」
「え? いだいいだいいだい! もう! 頬っぺた引っ張らないで!」
「お前なぁ、なんかあったらちゃんと俺に言えよ?」
「え……?」
いつも粗雑なふるまいをしてくる時雨が、心配げな表情でカノンを覗き込んできた。そうしてもう一度、時雨の手がカノンの頬に触れようとしたその時、ほぼ同時に大きな声がそれを遮った。
「ちょっと田村君! カノンちゃんにそんなことしないでくれる!?」
「……あー? なんだよカノン、日高と仲良くなったの?」
「私とカノンちゃんはずーっと仲良しですぅ!」
そう言って凛子は時雨から守るように、カノンの腕にぎゅうっと抱き着いてきた。田村君はあっち行ってー! なんて言って、カノンに絡んでくる時雨をシッシッと追い払う仕草をした。時雨は不満そうな表情を浮かべながら、追い立てられて自分の教室へと戻っていった。
「おはようカノンちゃん。今日もお昼アトリウムで一緒に食べようよー。私お弁当忘れてきちゃった」
にこにこと凛子はこちらに嬉しそうな笑みを向けてきた。月曜日の件があってから、凛子はカノンに堰を切ったように、積極的に接してくるようになった。
よく話してみると、凛子は交友関係が広いだけでなく、年齢の割に視野の広い聡明な子だった。じっと見つめてくるのは、彼女の昔からの癖らしい。こちらの後ろめたいことまで見透かされるようで、その瞳に見つめられると洗いざらい何もかもを打ち明けたいような気持ちになる。
「おはよう。んーと……、さっき凛子さんのお友達の『葵ちゃん』? が私に謝ってきたんだけど……。何か知ってる?」
「え? やだぁカノンちゃん」
凛子はそう言って、大仰に笑って見せた。その笑みをよそに、眼鏡の奥の瞳は冷えている。それに違和感を感じるのと同時に、その笑顔を崩さないまま、凛子はハッキリとカノンに告げた。
「あの子は友達なんかじゃないよぉ? 私ひとを陥れようとか、意地悪するひとって、だいっっっ嫌いなんだよねー。気づかなくてごめんね、カノンちゃん。だから私にそんな名前の友達はいないよ?」
「へ、へぇ……」
『今日は凛子さんとたくさんお話できて良かったわ。これでもう大丈夫』
(まさか、ね……?)
引きつった返事を返すカノンの耳に、彩音の声がこだました気がした。
「ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
「え……っと……?」
『今日は凛子さんとたくさんお話できて良かったわ。これでもう大丈夫』
彩音がそう言って不敵に微笑んでいたあの不思議な昼食は、月曜日のことだった。
そして今日は水曜日。
教室に入り鞄を置こうとしたカノンの前で今、何故か女生徒たちが頭を下げている。
まだ登校している生徒も少ない時間帯だけれど、突然の出来事に教室内の注目を一身に集めていることを肌身に感じる。
とりあえず、持っていた鞄を机の上に乗せ、顔を上げることのない三人を見つめた。
彼女たちに謝られる心当たりと言えば……。
「何のこと?」
「……ブローチの、こと……」
――あぁ、やっぱり。
どうして今になって謝罪する気になったのかはわからないけれど、こうして頭を下げてくるということは、あのブローチが壊れていたことに少なからず彼女たちの故意があったということだろう。
カノンはその部分がズキリと痛んだ気がして、いつもの胸元の部分をぎゅっと握りしめた。
突然の衝撃の裏で、少しずつ怒りが湧き上がってくる。でも、まず口をついたのは何故? という思いだった。
頭を下げた髪の合間から、ちらりとこちらに視線を向けた一人に向かって、カノンは口を開いた。
「謝らなきゃいけないことをしたっていうこと?」
「――あの、ごめんなさい、あの、そんなつもりじゃなかったんだけど……、落ちてるのを見て、つい……」
「つい?」
「……ッ……困ればいいと、思って……」
――私が、どんな思いで!
そう、叫ぼうとしたのを寸でのところで堪えて、拳を握った。あの日私がどんな思いで。あれからどれだけ心細かったか。
カノンの握りしめられた拳を見て、衝撃に備えるかのように、三人はますます肩を縮こませた。
「……」
目を伏せカノンの一挙手一投足にビクつくその姿を、じっと見つめた。
実のところあの日のことを何度も思い出している内に、当初の犯人を許せないという強い思いはカノンのなかで随分と薄まっていた。
一番やってはいけないこと……楽器に細工や傷をつけられなかっただけマシだったかもしれないとすら思うし、そういったことが起こりえるということも聞いたことがあった。
そして彼女たちが嫉妬したのは、自分自身に対してではなく、作り上げた舞宮カノン像だ。
もし自分がヒロインだって勘違いしないで、そのままの自分で皆に接していたら、この子達もそんなことをしなかったかもしれない。まぁ、鬱屈をぶつけられるなら対象なら、誰でもいいのかもしれないけれど。
だが何よりも今目の前で、怒られることに怯えて顔を伏せるその姿は、まだ庇護されるべき少女のようにも見えた。
――そういえば私が学生の時もこんなことあったっけ……。
何年経っても場所が変わっても、そんなことは変わらないなんて。
本来なら十歳以上も年の離れた女の子達。その細い肩を眺めるうちに、握りしめた拳の力が、いつの間にか抜けていた。
「馬鹿馬鹿しい……」
カノンが大きくため息をつくと、以前凛子が『葵ちゃん』と呼んでいた黒髪の少女の肩がびくりとはねた。
「……もういい。許せるわけじゃないけれど、それ以上は、ないから」
「……ごめんなさい……ッ」
そう言うと『葵ちゃん』達はバタバタと廊下へと駆けて行った。
その後ろ姿を見送って、カノンはもう一つ小さくため息をついて、自分の席へと座って頬杖をついた。
――こんな時、ヒロインのカノンならなんて言うんだろう。
『もう、いいよ。正直に言ってくれて、ありがとう』
『これからは、私たちお友達になりましょう』
そんなあたりかな? それであの子達と和解して仲良くなっちゃったりするのかな。この重たい泥のような気持ちを抱えたまま、表面上は仲良く接するのかな。
……でもまぁ、もうそういうのはいいや。
「おーカノンどうした? 難しい顔して」
「し……じう、おはよう。なんでもないよ」
事の成り行きを見守ってしんと静まり返っていた教室に、高い背を少し屈めるようにして時雨が入ってきた。自分の教室は隣だというのに、日課のようにこうしてカノンのいる教室にも顔を出していく。
時雨くんといつものように呼びかけようとして、毎度の『じうと呼べよ』というやり取りが面倒で、最初からじうと呼びかけた。今はそんなやり取りをする気力がない。
それなのに、カノンの呼びかけに一瞬で時雨の眉が吊り上がった。
「はぁ? お前がじうって呼ぶなんてどういう風の吹き回しだよ。なんかあったのか?」
「え? いだいいだいいだい! もう! 頬っぺた引っ張らないで!」
「お前なぁ、なんかあったらちゃんと俺に言えよ?」
「え……?」
いつも粗雑なふるまいをしてくる時雨が、心配げな表情でカノンを覗き込んできた。そうしてもう一度、時雨の手がカノンの頬に触れようとしたその時、ほぼ同時に大きな声がそれを遮った。
「ちょっと田村君! カノンちゃんにそんなことしないでくれる!?」
「……あー? なんだよカノン、日高と仲良くなったの?」
「私とカノンちゃんはずーっと仲良しですぅ!」
そう言って凛子は時雨から守るように、カノンの腕にぎゅうっと抱き着いてきた。田村君はあっち行ってー! なんて言って、カノンに絡んでくる時雨をシッシッと追い払う仕草をした。時雨は不満そうな表情を浮かべながら、追い立てられて自分の教室へと戻っていった。
「おはようカノンちゃん。今日もお昼アトリウムで一緒に食べようよー。私お弁当忘れてきちゃった」
にこにこと凛子はこちらに嬉しそうな笑みを向けてきた。月曜日の件があってから、凛子はカノンに堰を切ったように、積極的に接してくるようになった。
よく話してみると、凛子は交友関係が広いだけでなく、年齢の割に視野の広い聡明な子だった。じっと見つめてくるのは、彼女の昔からの癖らしい。こちらの後ろめたいことまで見透かされるようで、その瞳に見つめられると洗いざらい何もかもを打ち明けたいような気持ちになる。
「おはよう。んーと……、さっき凛子さんのお友達の『葵ちゃん』? が私に謝ってきたんだけど……。何か知ってる?」
「え? やだぁカノンちゃん」
凛子はそう言って、大仰に笑って見せた。その笑みをよそに、眼鏡の奥の瞳は冷えている。それに違和感を感じるのと同時に、その笑顔を崩さないまま、凛子はハッキリとカノンに告げた。
「あの子は友達なんかじゃないよぉ? 私ひとを陥れようとか、意地悪するひとって、だいっっっ嫌いなんだよねー。気づかなくてごめんね、カノンちゃん。だから私にそんな名前の友達はいないよ?」
「へ、へぇ……」
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