顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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大人と子供

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 振り返ってみるとユズリハはいつも大人だった。何を言っても受け止めてくれて、いつだって自分のために嘘をついてくれる。都合のいい嘘をつけと言い、それに協力するとまで言った。想い人がいることだって理解して応援までしてくれたのだ。
 何もわがままを言うことはなく、いつもあの囲いの中で大人しく過ごしている。
 いつ訪ねても、何を言っても拒絶もせず受け入れて笑顔で接してくれた相手に自分はなぜ和女というだけで嫌悪感を露わにしていたのだろう。それこそシキの言うとおりあまりにも幼稚で恥ずかしいことだったと今ならわかる。
 考えれば簡単に至る結論も考えようとさえしなかったせいで気付きもしなかった。
 自分は優秀な人間だからそれに見合った相手が婚約者であるべきだと無駄に高いプライドのせいで何も見えていなかった。
 ぶつけた言葉を取り消すことはできない。本音だとユズリハもわかっている。だから反省して謝って許してもらえたとしても引かれた一線まで消されることはない。

「はー……何が優秀だよ」

 どこがだとシートにもたれかかりながら天井を見上げては再度溜息を吐く。
 ユズリハを受け入れてしまえば祖父も大喜びする。もう二度と責められるようなことはなくなるだろう。
 自分がユズリハを受け入れることが全ての解決に繋がるのだとようやくわかったのに、今度はユズリハが引いた一線がそれを許さない。
 和の国という世界的に見て小さな国の商人が貴族である自分たちよりも資産を持っていると祖父は言った。もしそれが友人として誇張して言ったことではなく事実なのだとしたら、本当に和人は自分たちよりも劣っているのだろうか。見下す対象などではないのかもしれない。
 乗ってきた船の大きさ、運び入れた家具の量、庭と屋敷の広さから考えてもユズリハは間違いなく資産家の娘。
 しかもあの性格だ。甘やかされて育ったわけではないだろう。
 自分たちが和人を見下している理由はなんだろう。今ようやく原点のような問題にぶつかった。
 
『和の国は良い国だ。お前も和の国のことを知ればきっと好きになるぞ』

 そう笑顔で語っていた祖父の言葉には嫌悪しかなかったが、今のハロルドはその言葉に興味を持ち始めていた。

「今日も和女とおはようのキスしてきたのか?」

 教室に入って席に着くとあっという間に囲まれてからかわれる。
 顔も成績も家柄もハロルドより下の者ばかり。大勢で言えば自分だけが罰せられることはないとでも思っているのだろう。
 ニヤつきながら問いかけるその幼稚さに数日前まで自分もユズリハやシキからはこう見えていたのかと思うとゾッとする。
 理由もなく和人を見下し、嫌悪し、からかわれて恥をかいたのは和女のせいだと怒りに震えていた。でも今は不思議と怒りは湧かない。
 ユズリハの言うとおり、こういう人間は自分より優っていた人間の欠点を見つけてからかうことでしか優位に立てないのだと思うと同情してしまう。これで自分が和女の婚約者を受け入れたと笑顔を見せて言い返しでもしたらどんな顔をするだろうと少し楽しみでさえあった。
 でも一方的に受け入れたと言ったところでユズリハにその気がないのであれば惨めになるような気もすると自分を囲む人間のことは無視して頬杖をつきながら考える。

「おい、無視してんじゃねぇよ。和女とどうやって過ごしてんだよ」

 何を言い返してもからかうのだ。それならムキになる必要はない。幼稚な人間の相手は疲れる。ユズリハもきっと自分が帰ったあと、疲れを感じていたはずだ。
 嫌いだと伝えに行って嫌われていただけなのになぜそれに傷つくのか。いつだって大人な相手と子供な自分。夫婦としての釣り合いなど取れるはずがない。

「和女の名前教えろよ」
「俺もそれ知りたかった!」

 なぜお前らにそんなことを言わなければならないんだと心の中で反論するも「無視すんな」と肩を押されるとカッとなって手を強く払った。

「な、なんだよ!」
「和女が婚約者のくせに! ヘインズ家も終わりだな!!」

 強く払っただけでビクつきを見せる様に嘲笑が浮かぶ。
 集団でなければからかうこともできない弱者。こんな相手にからかわれて恥を感じていたことこそ恥だったと思い直したハロルドが笑顔で言い放つ。
 
「僕の耳は二つしかないんだ。かといって両方から話されても理解できない。脳は一つだからね。だから一対一で話そうじゃないか。疑問に全部答えてあげよう。さ、座って」
「は? 答えるぐらいできるだろ」
「でもギャアギャア言われると耳が痛いし、それは対話じゃない。知りたいことがたくさんあるようだから話そう。一対一でね」
「なに真面目に受け取ってんだよ。別に和女に興味なんかねぇし!」
「でも毎日聞いてくるじゃないか。知りたいんだろう? ああ、君も和女に興味があるのか」
「はあ!? ねぇよ! ふざけんな!」

 一対一と言われると急に勢いがなくなる。ニヤつきをやめてムキになり、周りを囲んでいる男たち一人一人に座るよう手で促すも座る者は誰一人としていなかった。
 一人が座ったまま周りを取り囲んでいればいい話なのに、そうしないのはハロルドが余裕を見せつけたから。怒りに震える姿を見ているのが楽しかったのに、今日のハロルドは人が変わったように笑顔で和女を語ると言った。
 つまらない。もっと悔しがれと睨みつける男たちに笑顔で指先を揺らすハロルドの周りから人が消えた。

(怒鳴らずに済んだ)

 頭の中で怒鳴りつける自分を想像した。ダイゴロウの大声を思い出して、ユズリハが言った言葉を叫ぼうと。だが、そうする必要はなかった。
 ユズリハは言った。『我慢できなかったら』と。我慢する必要もないほど弱虫を相手にしていたのだから笑顔を見せつけてやればこんなにも楽だった。
 でもからかわれていたことは悔しいので少し言い返すことにした。

「ああ、そうだ。君たちがしてることって五歳児もしないよね。一人で大勢を取り囲んで笑い者にするなんて恥ずかしくないの? 僕だったらそんな幼稚なこと天地がひっくり返ってもしないけどね」
「なんだと!?」
「言いたいことがあるならどうぞ。なんでも聞くよ。ま、幼稚な人間が吐き出す言葉なんて知れてるだろうけど」

 ハロルドの嘲笑に顔を真っ赤にしながらも掴みかかってくることはなかった。ヘインズ家の人間をからかうことはできても手を上げることはできない。自分の怒りを拳に変えてぶつけることは親から拳をぶつけられるということ。その覚悟を持ってまでからかうほど命知らずではないらしいと鼻で笑ってやった。

「ハロルドさん」
「やあ、アーリーン」

 今日は授業内容がちゃんと頭に入ってきたし、言い返せたし、アーリーンが話かけてきた。良い日だと微笑むハロルドの爽やかさに見惚れる女子生徒がちらほら。
 そんなハロルドの隣の席に腰掛けたアーリーンは少し不安げな顔を見せた。

「大丈夫ですか?」
「朝のこと? それなら全然。気にもしてないよ。人をからかうなんて幼稚なことで腹を立てるほど僕は幼稚じゃないからね」
「それもですけど……婚約者の方のこと……」
「ん?」

 どういう意味だと首を傾げるハロルドの前で両手を合わせて下唇に当てるアーリーンが上目遣いで見てくる。
 ユズリハなら絶対にしないことで、アーリーンはまたそれがよく似合っていた。愛らしいと男子生徒の視線を釘付けにする。

「心労になってるんじゃないかって心配です。お祖父様が決められた結婚に拒否権がないことはわかっていますが、それでもあんまりですよね」
「あ、ああ、そう、だね」
「ハロルド様はとてもお優しい方ですから、邪険に扱うこともできずストレスになっているのではと思って……」
「心配ありがとう。でも平気だよ。ストレスも溜まってないしね。ああいう人たちを相手にするほうがストレスになるかな」
 
 振り返って男たちを見るもかかってはこない。睨みつけるだけ。

「もし困り事があればいつでも言ってくださいね。私、お父様に掛け合ってみますから」
「え、何をだい?」
「お父様はハロルドさんのお祖父様と少し交流があるそうなんです。なので、少しお話したところ……憤慨しておりました。未来ある若者の将来を潰すようなことをするべきではない、と。だからお父様に言えばハロルドさんのお祖父様に進言していただけると思います」

 その進言になんの意味があるのだろうと目を瞬かせるハロルドはそっと握られた手に視線を落とす。小さな手が重なり、細い指が添えられている。
 アーリーンはこんなに大胆だったのかと驚いた。

「髪飾りのことを話したらお母様がすごく喜んでいました。ダンスも完璧で、センスも良いし、素敵な男性だったと」
「光栄だね」
「それで、ハロルドさんが迎えに来てくださるのならパーティーに行ってもいいと許可を貰えたんです」
「コールマン伯爵は許可を出したのかい?」
「お母様が説得してくださるそうなんです。だからもし、ハロルドさんさえよろしければ……エスコートしていただけますか?」
「あー……もちろんだよ」

 なぜ即答できなかったのか自分でもわからなかった。
 アーリーンがパーティーに行けるということは一緒に踊れるチャンスが増えるということ。自分が迎えに行くことが条件なのであればダンスの予約は確実。また違う装いのアーリーンが見られるのだから喜ばしいことのはずなのに、一瞬、戸惑ってしまった。
 アーリーンとの将来を考えていた。妄想だって何十回と繰り返した。将来を考えていたのならコールマン夫妻に気に入られることは絶対で、期待してもらえることはこれもチャンスであるはずが、なぜかとても重荷に感じた。
 ハロルドの頭の中にはなぜかユズリハはダンスを踊れるのか、ユズリハの手も小さかったと今朝見た感じを思い出してはそれが頭を占めている。

「ハロルドさん?」
「ん? あ、ああ、楽しみだね」

 ユズリハはダンスなど踊れはしないだろう。きっと「趣味ではない」と切り捨てる。手を握るのだってそんな関係ではないからきっかけもない。
 今朝の言い方では「夫婦なんだから」と口にするのもおかしい感じになってしまった。だから夫婦を理由に手を繋いで庭を歩くのもできない。
 もっと謝ったほうがいいのだろうか。もっと誠意を見せるべきだろうか。
 アーリーンに手を握られていることよりもずっと気になることだった。
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