顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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そんなことより

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 朝から元気なユズリハは夕刻を指す時計を見ながら今か今かとハロルドの帰りを待ち侘びていた。

「時間になりゃ帰ってくる」
「わかっておるが、はよう見せたいのじゃ!」
「時間になりゃ帰るし、時間にならなきゃ帰ってこねぇよ」
「迎えに行きたいのを我慢しておるのじゃぞ!」

 学校まで迎えに行けば喜ぶだろうが、驚くし怒りもするだろう。それは迷惑という意味ではなくユズリハが見せ物になってしまうから。それを避けるためにもユズリハは家の中を歩き回るだけで我慢している。
 門まで迎えに行きたいが、門はハロルドだけが使うわけではなく父も兄も使う。ユズリハが会うだけなら黙っておくが、それをルーシィが目撃していようものならハロルドの耳に入るのは一瞬だ。これはユズリハが言わないでくれとお願いしたところで変わることはない。
 だからここで待っているのが一番正しいと判断して玄関先まで行っては戻ってくるを一時間ほど繰り返している。
 上機嫌な人間は同じことを何時間していようと疲れることはない。ユズリハは昔からそういうタイプだった。

「ハロルド!?」

 玄関付近で音がしたことに慌てて駆けていく。いつもの帰宅時間より早いが、急いで帰ってきたのだろうかと笑顔だったユズリハが玄関先でその笑顔を失う。

「息子じゃなくてごめんなさいね」
「ああ……えっと……」

 ハロルドの母親が来ていた。今まで一度だって足を運んだことはないのになぜ急にやってきたのか。
 良い知らせではない。顔には嫌悪が、声には怒気が。何を言いに来たのだろうと緊張が走る。

「何か用かい?」

 聞き慣れない声に確認に向かったシキがユズリハの隣で声をかける。

「ここで立ち話させるつもり?」
「お客ならもちろん中に通すが、そうじゃないなら聖域には上げたくないもんでね」
「お客以外のなんだって言うの?」
「さあ? クレーマーとか?」

 ハッキリ口にしたシキの言葉からは自分はそう思っていると伝わってくるもので、母親の顔が真っ赤になる。
 シキとは挨拶さえ交わしていない。和人であることからユズリハの世話係だと想像はつくが、それにしても無礼な言い方に母親の荒い口調がユズリハの耳を貫く。

「私の名前も覚えてないの? あなたの義母である私の名前を! それでヘインズ家の嫁だなんてよく言えるわね!」
「す、すまぬ。名前を教えてもらっていない」
「知らなかったらハロルドに聞けばいいでしょう! それさえも聞こうとしないなんて失礼じゃないの!」
「す、すまぬ」

 彼女がなぜ怒っているのかわからないユズリハは相手の凄みに気押されて一応謝るが、頭上には疑問符が三つ浮かんでいる。

「私の名前はイヴェナよ!」
「で? ハロルドの母親がなんの用だい?」

 名前を教え、名前で呼ばれたら「馴れ馴れしく呼ばないで」と怒鳴るつもりだったが、シキは名前を呼ばなかった。
 舌打ちを隠しながらその場で仁王立ちしてユズリハを睨む。

「あなたのせいでうちの息子は変わってしまったの。昔は反抗なんてする子じゃなかったのに、あなたと結婚してからのあの子は私たちに反抗ばかり。結婚する相手を間違えたようね!」

 ユズリハは迷っていた。このまま笑顔でやり過ごすべきか、それともある程度は言い返すべきか。ここはイヴェナの言葉を受け止めて、あとでハロルドにそれなりに伝えたほうがいいのだろうが、そうするとハロルドが怒り心頭で怒鳴りに行くのは目に見えている。
 結婚して家庭を持てば変わってしまうのは当然だが、それを母親が受け入れていないのでは息子が苦労するのも当然の話。
 見つめるだけで言葉を返そうとしないユズリハを見下しながら嫌味な笑みを浮かべる。

「アーリーン・コールマンのほうが良かったわね。あの子は礼儀正しくて家柄も良い。夫の両親を敬い、尽くしたでしょうけど、和人にはそういう教育信念がないのよね。結婚したら夫の家族はどうでもいいと思ってる」
「そういうわけではないが……」
「あなたの夫になってもあの子が私の息子であることに変わりないの。独り占めはしないでくれる? ハロルドの誕生日を祝いたいのはあなただけじゃないから。きっとアーリーンだって祝いたいと思ってるわ。でもあなたがそれを邪魔するのよね。自分が妻だからって。横柄ね」

 言い返さないほうが得策かとユズリハは諦めたが、シキが口を開いた。

「祝いたきゃ学校で祝えばいいんじゃないかい? お前さんの息子の誕生日は平日で学校がある。そこで渡して祝うことができる」
「学校にプレゼントなんて持っていくべきじゃないでしょう。誕生日を祝うのは正装こそ相応しいの。和人にはわからないでしょうけどね」
「わからんねぇ。正装だろうと制服だろうと気持ちを込めた贈り物をする心は変わらんだろう。それを理由をこじつけた捻くればあさんの嫌味で責められるってのは納得いかんさね」
「捻くれ……!」

 暴言にも近い発言に驚くイヴェナにシキが続ける。

「夫を独占するのは妻の権利だ。お前さんはヨソの女が祝いたがってるからってウォルターのじいさんがその女のために一席設けるのを許すのかい?」
「お、夫だ妻だと言うけれど、結婚式はしていないのよ! 指輪だってないじゃない!」
「指輪は二人で相談して買うと決めた。急いではない」
「じゃあ結婚してないも同然ね」

 なぜそうなると喉元まで出かけて飲み込んだ。
 自分の存在全てが気に入らないのなら何を言い返しても相手は納得しない。受け入れてくれる人間だけでいい。偏見や嫌悪を持った人間を変えるなど不可能だ。なら夫の両親であろうとムリにわかってもらおうとする必要はない。
 ハロルドが仲良くしてくれと言ったのなら話は別だが、そう言われていないのだからユズリハは言い返さず黙っているを決めた。

「ウォルターのじいさんが決めた結婚に文句があるってのかい?」
「文句しかないわよ! ハロルドにはね、良いお嫁さんをって考えていたの! 美人で賢くて常識があって正常な判断ができる女性をってね! でも勝手に決められてハロルドも本心では迷惑してるはず! それを言えないだけなの! なのにあなたったら自分が愛されてるなんて勘違いしちゃって恥ずかしいったらないわ!」
「アーリーン・コールマンは相応しいと?」
「ええ、そうよ!」
「似た者同士だからか?」

 奥から聞こえた声にイヴェナがヒュッと喉を鳴らす。
 
「え……?」

 そんなはずがないと異常な速さで脈を打つ心臓を押さえながらユズリハから奥へと視線を移すと足音と共に姿を見せた人物に思わず一歩後ずさった。

「お、お義父様……ど、どうしてこちらに……?」
「お前に理由を言う必要があるのか?」
「で、でも、ハ、ハロルドがまだ帰っていないのに……」
「ここは俺が建てた家だ。いつ立ち寄ろうが勝手だろうが。お前こそ何しに来た」
「わ、私は……」

 ウォルターがいるなど知らなかった。視線を下に下ろすと玄関には確かに男物の靴がある。ハロルドの物ではない上質な靴が。見ていなかったと青ざめるイヴェナの前に前にウォルターが立った。
 シキとユズリハが二歩下がって顔を見合わせ肩を竦める。

「息子が変わったのはお前のせいだとくだらんことを言いに来たのか?」
「そ、それは……ハ、ハロルドが誕生日をここで二人で過ごすなんて言うから、あの子がそう望んだからかと思って……」
「望んだらなんだと言うんだ?」
「た、誕生日を祝いたいのは皆同じなんですよ!?」
「だからどうした? 誰と過ごすか決めるのはハロルドだ。お前じゃない」
「で、でも、誕生日パーティーをすれば祝いたいと思っている人全員が集まれるんです!」

 ウォルターがハーッと大きな溜息をつくだけで空気が一瞬で重くなる。慣れているイヴェナでさえ身体を硬くするほどの緊張感にユズリハとシキの呼吸も小さくなる。

「決めるのはハロルドだと言ったのが聞こえなかったのか?」
「で、でも……!」
「俺はもう歳だ。面倒事は極力避けて終わりを迎えたい。楽しかったと笑って終える人生を送りたいと思ってるんだが、聞き分けのない人間が近くにいるとそれも難しい」

 何を言いたいのか考えずともわかる。
 ユズリハにとってウォルターは優しい人間だ。だが、優しいだけではない。そういうところが父親とよく似ているのだ。

「ち、違います! 私は何も強制しようなんて思ってるわけじゃないんです! 私はただ、あの子のためにパーティーを開きたいと思っているだけです!」
「ハロルドが母親である自分ではなく妻を選んだことへの怒りをユズリハにぶつけに来たわけか」
「そ、それは……」

 口ごもるイヴェナにウォルターが言い放つ。

「領地に引っ越すか?」

 これは最初で最後の警告だとイヴェナは受け取った。
 ここで判断を間違えば夫の意見は関係なく引っ越しを強制されるだろう。ドッドッドッと耳の横で鳴っているのかと思うほどの心臓の音を聞きながらユズリハに視線を移す。
 目が合ったことで一瞬、ビクッと肩を跳ねさせたユズリハを見る目に怒気はあれど、イヴェナは抱える感情とは反対に頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 言い方は深刻そうではあるが、心は入っていないのだろう。
 それでもウォルターによって恥をかかされながらも謝罪する姿勢にウォルターは何も言わなかった。
 警告はした。それがイヴェナにとって最も有効的な抑止力になると確信がある。

「何してるんだ?」

 ふいに後ろから聞こえた声にイヴェナが顔を上げた。帰ってきたばかりのハロルドの登場に四面楚歌状態であることを自覚し、玄関を出ようとするもハロルドが一歩進んでそれを阻止する。

「ユズリハに文句言ったんじゃないだろうな……」

 声にも表情にも怒りが込められている。
 脅されているのではない。本気で妻を愛しているのだ──嫌でもそう実感させられる。
 泣きたいほど悲しい事実を受け止める覚悟まだがない。

「いい加減にしろよ!」
「ッ!?」
「僕は誕生日はユズリハと過ごすって言っただろ! パーティーなんかしたくない! そんなの母さんたちの自己満足だろ! 僕はユズリハと過ごす! それが僕の望みだ! 僕がそうしたいんだ! 何度言えばわかるんだよ!!」

 親に声を荒げるような子ではなかった。やはり変わってしまった。でもここでそれを吐き出す相手はいない。
 涙を浮かべ、口を押さえる母親に息子は言いすぎたと思っていない。
 
「二度と顔を出さないでくれ」
「ッ!? どうしてそんなこと言うの!?」
「なんのために来たんだ? ユズリハに文句言うためだろ! そのためだけに来たんだろ!? それならもう二度と来ないでくれ!」

 突き放されたイヴェナが泣きながら出て行った。
 親を泣かせたことは一度もない。泣かせてしまったことは悪いと思うが、言ったことに後悔はない。
 ハロルドは玄関で祖父に頭を下げて中に入り、ユズリハを抱きしめた。

「嫌な目にあわせてごめん」

 やれやれと首を振って笑うウォルターが靴を履いて出ていく。シキもそれに合わせて奥へと戻っていき、二人になるとユズリハの手が背中へと回る。

「気にしておらぬよ。シキとジジ様がわらわの代弁者となってくれたのじゃ」
「でもお前を不快な気持ちにさせただろ? 僕は──」
「そんなことよりこれを見てくりゃれ!」

 誠心誠意謝ろうとしたハロルドから身を離し、ユズリハは手に握りっぱなしだった紙を顔の前で広げる。
 そんなこと?と思いな柄も紙に書かれている和の国の文字に目を通すとそのまま目を見開いた。

「来るのか!? しかもリンタロウさんも!?」
「そうじゃ! そうなのじゃ!」

 楽しみにしているのだろうユズリハの笑顔がとびきり明るい。その笑顔を見れたことが嬉しいが、またドンチャン騒ぎになるのかと思うと少し頭が痛い。

「楽しみじゃのう」

 もう既に出発しているかもしれない二人が到着するまで何日だとカレンダーを確認しながら計算する。
 鞄から取り出したペンで割り出した日に丸を付けた。下手すればちょうどハロルドの誕生日にぶち当たる可能性がある。嫌な予感はあるものの、浮かれているユズリハは珍しく、見ていて悪くない気分だ。

 だが、浮かれているのはユズリハだけではなかった。
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