たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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想い

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「──と、いうわけでございます」

 アミーラからの報告を聞いている間、ザファルは一言も発さず、表情も変えずにいた。
 ファルージュ皇宮は常に賑やかだが、ザファルの部屋は何故かいつもそこだけ別次元に存在するかのように静かで、立っているだけで緊張する。
 アストリッドがここに来てから必ず報告するよう命じられているため、毎日この部屋を訪れているのだが、未だ緊張が解けることはない。

「……お前はどう考える?」

 最悪の問いかけだとアミーラは思った。
 自立は悪いことではない。夫人候補ではないといえど、ザファルが国を放り出して救いに行った女であることに変わりはない。むしろ、そのことが夫人たちの中で引っ掛かりを強めているだろう。
 皇帝という立場に強い責任感を持っているザファルが自ら向かったのだ。そして気にかけている。夫人たちに『近付くな』と強く釘を刺すほどに。
 そんなザファルにアストリッドの決意を良いものだと言えばどんな目を向けられるかわからない。いや、彼は私情を挟む性格ではない。だが、聞いてきたということはそれなりに考えていることがあるからで──アミーラの頭上で天秤が大きく揺れ続けている。

「私は──」
「彼女が俺の傍にいることはフィルングの願いだ。守ってくれと頼まれた。俺はその約束を守りたい。そうしなければ彼の魂は報われない。だが、彼女は自立しようとしている。自らの足で巨大な世界へ踏み出そうと……それを支援すべきだと思うか?」

 聞いておきながら何故遮ったんだと白目を剥きたくなった。

「……私には、何が正しいのかはわかりません。ラフナディールでは、女性の自立は素晴らしいこととは言えませんが、エルヴァングでは女性の自立は当然のことだったようです。谷という孤立した世界で生まれ育った彼女の次の人生は女性の自立に違和感を抱かない国で王妃として生きていくことでした。新たに始まった人生の岐路がここで彼女は今、理想と現実の間にいるのは確かです」

 文化の違いは理解すべきだが、自立とは簡単に言えるほど楽なことではない。
 実際、この国であの二人が金を稼ぐというのは困難だと断言できる。
 それでも迷惑をかけたなくいと願うアストリッドを支えたいと心酔しているように付き従うイヴァは前を見続けている。

「フィルングの願いを聞いて尚、彼女は自立を選ぶのか……」

 珍しく複雑な表情を見せるザファルを見たアミーラはアストリッドの宮がある方角に顔を向ける。

「彼女は、守ってくれる人間がいなくなった今、今度は自分が守る側にならなければと思っているように感じます。自分を慕い、付き従ってくれているイヴァさんを守らなければと」
「自立は誰かを守ることにはならん。女子供は守られて生きるべきだ。そのために力を持つ男がいる」

 ザファルの考えは正しくも極端でもあった。
 彼は生まれながらにして皇子という権力を持ち、今や皇帝としてこの国の象徴となった。
 兄のザイードと違い、正しく力を使おうとする姿は立派だと思うが、その反面、真面目すぎるが故に融通が利かないことも多い。
 この国で生まれ育った男であるザファルにとって、アストリッドをここに置き続けることはフィルングとの約束でもあり、個人の願いでもあることはアミーラも気付いている。
 ただ、それを実行していいものかどうか、迷っていることも。

「……馴染めそうか?」
「気に入ってはいるようです。新しい世界を見るのは楽しいとおっしゃっていました」
「そうか」

 アミーラは表情には出さないが、内心、驚きに満ちていた。
 ザファルは幼い頃から親ですら読めないと言われるほど感情を表に出さない人間だった。今もそれはあまり変わらず、声を荒げることも机を叩くこともなければ、誰かを挑発することもない。
 笑うなどもってのほかだが、アストリッドを救いに行ってからの彼は、小さくだが笑顔を見せることがある。
 今もそうだ。小さな安堵に笑みを乗せている。

「……自立などすべきではないと考えるのは、身勝手か?」

 肯定できない問いを皇帝が投げかけてくるなと心の中で投げ返しながらもアミーラはかぶりを振った。

「あなたはこの国の皇帝です」
「彼女を引き止める権力など持っていない」
「人生は常に二択です。やるか、やらないか。それだけなのです」

 それはこれまでの人生の中でザファルが学んできた一番大きなことでもある。
 だから迷うことはない。やるべきことをやり、必要のないことはやらないというだけ。常に自分を信じるザファルにとって、それはとてもシンプルでわかりやすいことではあった。
 しかし、今はその“簡単”なはずの決断に迷っている。

「彼女から直接お話を聞かれてはいかがでしょうか?」
「何を聞けと言うのだ」
「彼女の想いや考えを、です」
「お前から聞いているのにか?」
「彼女もラフナディールの民として生きていくのですから、彼女が知らないことや陛下がお伝えしたいことを話す時間を作られてもよろしいのではないですか?」

 ふむ、と考え込むザファルの整った顔を見つめるアミーラの内心は「面倒くさい」だった。
 常日頃、夫人相手に切り捨てるように終始ハッキリ伝える男が、他国の王妃相手となると悩みが生じる。まるで思春期の少年だ。

「フィルング王の頼みだと縛りつけるようなことを伝えるのではなく、彼女の悩みや考えに耳を貸し、そして陛下のお気持ちもお伝えする──というのはいかがでしょうか?」
「……俺と話せば彼女は緊張するかもしれない。いや、遠慮して心の内を話さない可能性もある。だからこうしてお前に報告させているんだ」

 アミーラは心の中で数を数えていた。
 時計の針が指すのは日付が変わっていることを知らせる午前一時。
 ここに来てかれこれ二時間が経つ。
 これから部屋に戻って、風呂に入って、剣を磨いて、精神の儀を行ってから眠る。これでは眠るのは明け方に近い。
 ザファルはもともと睡眠時間がとても短く、眠りも非常に浅いため、睡眠というものに重きを置いていないが、アミーラはそうではない。

「フィルング陛下とのこともお話をされてはいかがでしょう? 陛下は彼女が知らないフィルング王の一面をご存知だと思いますし」
「思い出させて悲しませるかもしれん」
「……では、彼女が自立するのを指を咥えて見ていることをおすすめします」

 顔を上げたザファルにアミーラは「しまった」と焦る。
 溜まりに溜まった苛立ちから思わず溢れた嫌味に慌てて口を押さえるもザファルは「確かにな」と小さな声を漏らした。

「……接点はある」
「え?」
「いや、なんでもない。お前はもう下がっていい」
「失礼します」

 お咎めなしに安堵しながら頭を下げてそそくさと部屋を出た。

「お肌が荒れちゃうね、アミーラ」
「放っておいて」
「ガサガサ肌は君の可愛い顔には似合わないよ」

 常にどこかに身を隠してザファルの傍で待機しているイフラーシュの顔は見えないが、声だけでニヤついているのがわかる。
 忌々しい。
 声に出さない感情を心の中で吐き捨て、足早にアストリッドたちが眠る宮へと戻っていった。

「ようやく眠れる……」

 全てを済ませ、ベッドに入ったとき、部屋の時計は既に午前三時を指していた。
 今から八時間眠ったところで誰も起こしはしないだろう。むしろ彼女たちは気を使って静かに過ごすかもしれない。身勝手に自分たちだけで市場を歩くということもしない。
 良い人たちだとアミーラは思う。
 互いに思いやり、心から信頼を寄せ合う二人を守ろうと自然とそう思わせる。
 だからこそ、寝不足ではいたくない。一瞬の隙への言い訳になるようなものは作りたくないのだが、こればかりは仕方ない。慣れたものだ。
 これはただの願望なのだ。日付が変わる前にベッドに入って、朝までぐっすり眠りたいと。
 目を閉じ、宮の周囲に気配がないか気を張り巡らせ、異常なしと判断した直後、すぐ眠りについた。
 そして朝、アミーラは誰よりも早く目を覚ました。
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