たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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金策

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 ラフナディールの離宮の一室。
 カーテンを透かして、やわらかな陽が差している。
 爽やかな空気の中、イヴァはテーブルの前に正座しながら、何やら難しい顔で唸っていた。

「うむむむむ……」

 その声に、窓辺に立っていたアストリッドが肩越しに振り返る。

「また唸ってる。さっきから三度目よ」
「だって、妙案が浮かばないんです……」

 イヴァの手元には一枚の紙。書いてはいるが、線を引いて消しての繰り返しで、文章としてまとまってはいない。
 アストリッドはゆったりとした衣に身を包み、よく冷えた茶を片手にイヴァの元へ戻ると、彼女の後ろにあるソファーに腰を下ろした。

「私にもっとスキルがあればよかったんだけど、風はラフナディールでは迷惑になることが多いから」
「それはアストリッド様のせいではありませんよ。土地柄というものです」

 風の国であるエルヴァングでは、アストリッドが吹かせる風が国民に評判だった。
 爽やかで気持ちいい。心まで穏やかになると多くの民が笑ってくれたのだが、砂地が多いラフナディールでは風を吹かせれば砂塵が舞い上がり、市場の人間に迷惑がかかる。
 朝はイヴァと共に考えていたのだが、役に立たないと自覚し、考えるのをやめた。
 悩むイヴァと申し訳なさを表に出すアストリッドを見ていたアミーラが不思議そうな顔で片手を小さく上げる。 

「お二人に必要な物はすぐに届けるようにとザファル様から言われていますので、必要であればそれで香水を買うことができると思うのですが……」

 問題を抱えるまでもないと言いたげに首を傾げるアミーラを見て、二人は同時にかぶりを振った。

「それはそうなんですけど、そうじゃないんですよ」

 イヴァが指先で紙をつつく。あちこちに滲んだインク跡は、彼女なりの葛藤の証だ。

「陛下にお願いをすれば今は助かるでしょうけど、私たちは自立するっていう目標のために道を探しているんです。自分たちにできることは何か、って」
「命を助けていただいて、こんなに立派な離宮を手配してくださった陛下にこれ以上甘えるわけにはいきません」

 ザファルは良い人だ。話も、贈り物も、とても気を遣ってくれている。だからこそ余計にこれ以上の気を使わせたくない。
 彼に言えばきっと目を疑うほどの大金を持ってくるだろうことが容易に想像がついてしまうため言いたくないのもあった。

「ですが、今はまだそういった現実に目を向けるより、お心を癒す時間に使われたほうがよろしいかと。ザファル様もそれをお望みです」

 アストリッドは少しだけ視線を伏せて、言葉を選びながら口を開いた。

「私の人生は、これまでずっと守られているばかりでした。族長の娘であり、風の精霊の加護を授かった存在として守られ、十年前からは一国の王妃として夫に守られる日々。自らの足で何かをするということがなかったのです」

 甘やかされてきた人生を歩んできたことは自覚している。
 とても甘くて、優しくて、居心地の良い人生が一転した今、アストリッドはラフナディールに到着するまでの船の中で色々と考えていた。

「誰かに守られるだけではいけない。自分の足で生きていくということに向き合わなければならない転換期にいる気がするのです」

 その声音には、王妃としてではなく、ひとりの人間としての静かな覚悟がにじんでいた。
 
「私もアストリッド様のお考えに賛成なんです。縛られるものがない世界で自由に生きることを目標にしたいんですよ」

 二人の中には既にビジョンはあるのだろう。美しく、楽しい未来が。

「ラフナディールでは、女性が働いて稼ぐことは一般的ではありません。家の中で家族を支えるのが美徳とされていますから」

 働く女がいないわけではない。市場の店にも女店主がいた。だが、多くはなかった。
 エルヴァングは自由だった。それは王であるフィルングが、性別で行動や認識を固定すべきではないと考えていたから、あの国には多くの女性店主がいた。
 しかし、国が変われば常識も変わる。
 甘い考えなのかもしれないと、アミーラの言葉で二人は黙った。

「ですが、お二人の理想はとても素敵だと思います」

 そう続けるアミーラの声に、イヴァの顔が明るくなる。

「イヴァさんは長年、宮廷で侍女として働いてこられた。その経験はとても素晴らしいことです。ですが──」
「でも?」
「それは、あくまでも“王宮”という特別な場でのこと。一般市民として、生活の中で求められるスキルにはなり得ません。ましてや、お金を稼ぐとなると尚更……」

 イヴァは口を開きかけて、そして──閉じた。役に立つと豪語することができなかったのだ。
 学校には通わず、メイドとして働き始めたイヴァにとっても、一般の世間というものは身近ではなくなってしまったから。
 女が家族を支えるのが美徳とされているのであれば使用人の募集は少ないだろう。あったとしても住み込み。アストリッドと生きると決めた以上、それは選べない。

「街でご覧になって多少のご理解はいただけたでしょうが、店を持つのは競争の中に飛び込んでいくのと同じです。そのためには勝ち残れるほどのスキルが必要。お二人には、あの中で戦えるだけのスキルがおありですか?」

 しばしの沈黙。
 アストリッドは、目の前のグラスに視線を落とす。
 透き通る黄金色の茶が揺れ、映すのは輝かしい未来ではなく、覇気のない見慣れた顔。
 ──風を操ることは、確かに特別な力だ。だが、それだけ。風の力で商売はできない。いや、してはならない。アストリッドの力は魔力による魔法ではなく、精霊の力だ。精霊を酷使することになってしまう。

「私にできることは使用人としての仕事だけです!」

 唐突、イヴァが声を上げたことでアミーラが少し驚いたように目を見開く。

「ですが、それには絶対の自信があります! 私は毎日アストリッド様のお部屋を完璧に整えて、シーツもピンッと張れて、窓もピカピカに磨いて、髪のセットも毎朝していました! メイド長にも怒られなくなっていたんです! だから──」

 誰にも負けないと言えるほどではないが、ミスはしない自信があると意を決したように声を大きくして放つイヴァにアミーラは静かにかぶりを振った。

「ラフナディールの女は皆、洗濯も掃除も出来て当たり前なのです。幼い頃から染み付くように教育を受け、嫁に行くまでには誰もが当たり前に出来るようになっています。よほどの金持ちでもない限り、わざわざ人を雇うことはしません」
「う……」
「店を構えて掃除洗濯を売りにしたところで誰も足を止めることはないと思いますよ」

 アミーラのハッキリとした発言にイヴァの肩と眉があからさまなほど落ちる。
 目に見えない風が、彼女の心の火を消したようだった。

「あうう~……髪のセットも、でしょうか?」
「多くの女性は、外出時は髪を覆っています。貴族の婦人でも、公で髪型を見せる機会はほとんどありません」
「確かに……」

 イヴァの脳裏に、誇らしげにアストリッドの髪を編んだ朝の記憶がよぎる。
 満足げな微笑みを浮かべるフィルングに向けたアストリッドの「似合う?」の声。朝から笑い合う二人の光景はイヴァの宝物だった。
 ここではそういう幸せの欠片を作ることもできない。

「毎日言われたことをしていればお給金をもらえてましたけど、雇われていたから当たり前なんですよね。女性が働くのが難しい国があるなんて想像したこともなかったですし」

 自分で何かを始めることの難しさを二人は噛み締めていた。

「急ぐことはないと思いますよ。何度も街を見て、自分が出来そうなことを探すことから始めませんか?」

 アミーラは二人を焦らせたくなかった。引き止めろとは言われていないが、きっとそれは暗黙の了解として受けなければならないことなのだろうとなんとなくだが感じている。

「スキルがないとお金は稼げない。でも、何もせずにいても何も生まれない。お二人のように考える方はこの国では珍しく、異国の人間であることも理由となって雇われること自体が難しいかもしれませんが、可能性がないとは限りません。方法さえ見つかれば、きっと──」

 アストリッドの視界に映るのは、カーテンの向こう、風の止んだ空に一羽の鳥が影を落とした光景。
 小さな命が、羽を広げて高く舞い上がっていく。

「……そうね。考えるより探すことのほうが大事なのかもしれない。フィルングも足を止めて答えが出るまで考え続けるよりも、手探りでいいから探すことが大事だと言っていたわ」

 鮮明に思い出せる記憶にに目を閉じる。

『ただ考えていても見つかるのは、自分の中にある小さな限界での範囲に過ぎない。だが、私たちの力を必要としている世界に足を踏み出して、目で見て、肌で触れると必要なことは自然と見えてくるんじゃないかな。それは自分の世界にはなかったものばかりかもしれないよ。君が見ている世界はとても狭くて、それは私が君を鳥籠に閉じ込めてしまっているせいだが……いつか、その目で広い世界を見る日が来たら──どうか、恐れずに前に進んで、その美しい目で見てほしい』

 優しい声が頭の中で再生される。まるですぐそこにいるかのように。

「イヴァ、何も持っていない情けない女の発見の旅に、付き合ってくれる?」

 イヴァは満面の笑みと大きな声で「もちろんです!」と返事をし、アミーラは穏やかな笑顔で安堵とともに頷いた。
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