たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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ラフナディール

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「やっと着いたー!」

 大きな声で歓喜を表すイヴァがドアの前で思いきり伸びをする。
 巨大なガレオン船の中では一切の不自由がなかった。しかし、何もなかった。見渡す限りの海に目新しさはあっという間に消え、イヴァは三日目にして「退屈」を口にし始めた。
 それが二十日目にしてようやく終わりを迎え、開放感に飛び跳ねたのだが、すぐに顔色が変わった。
 途中、海を泳ぐ白いクジラやイルカに出会ったこともあり、何度も船を停めて眺めていたせいで予定より時間がかかった。

「あっつ!!」

 ドアが開き、甲板の上に出ると鍋の上にいるのかと思うような暑さにイヴァが思わず声を上げた。
 年中そよ風が吹く涼しい国エルヴァングで育ったイヴァにとって灼熱のラフナディールは異常気象を思わせるほどで、慌ててアストリッドの腕を引いて船内の奥へと下がる。

「アストリッド様、ここで暮らしていくのは無理です!」
「ラフナディールが灼熱の国であることは陛下に説明を受けたでしょう?」
「こんなに暑いとは思わなくて……持っているだけで魚が焼けそうです」

 指先を突き合わせながら口籠もるイヴァはアストリッドの後ろに立ったザファルを見上げる。

「街は暑いが、宮殿は涼しい」
「宮殿までどうやって?」
「馬で向かう。そのほうが早い」
「それまでは?」
「そう長くはかからん。我慢してくれ」
「どのぐらいですか?」
「イヴァ、いい加減にしなさい」

 自分たちは客人ではないのだと叱ると枯れたようにしおしおと小さくなっていくイヴァに眉を下げながらそっと髪を撫でる。

「イヴァ、私たちはこれから皇帝陛下のご厚意でお世話になるの。ラフナディールで暮らそうと言った以上は暑さに慣れなきゃいけないし、従うこともたくさん出てくるわ。弱音吐いてる場合じゃないの」
「だってぇ……」

 エルヴァング育ちのイヴァにとってこの灼熱の暑さは堪えるだろう。風の谷で育ったアストリッドにはよくわかる。だが、文句を言ってはいられないし、嘆いてもいられない。

「陛下はお忙しいのよ。長い間、留守にされたことでラフナディールの人々は不安になっていたはず。これ以上、時間を取らせてはダメ」
「はい」

 眉を下げながらも頷くイヴァに小さく微笑みながらしっかりとストールを巻いて甲板に出た。

「ザファル様だ!」
「七星の方々もいらっしゃるぞ!」

 民の出迎えを受ける彼らがこの国の象徴であり慕われているのが笑顔から伝わってくる。

「誰だ?」
「さあ? 新しい夫人じゃないか?」
「白い肌だ」

 港にかけられたタラップの上を歩いて降りると民は訓練されたように道を開ける。
 民からの視線を受けるアストリッドはほんの少し前に浴びた、エルヴァングの民からの強烈な憎悪を思い出していた。
 手首を結ぶ縄を馬のように引かれながら処刑台まで自らの足で歩いていくあの日のことを。
 彼らに憎悪はないが、見せ物のように見られているのは間違いない。
 無意識に全身に緊張が走る。あの日感じた憎悪を含んだ視線は、この灼熱の太陽よりも痛かったのだから。

「王妃、大丈夫か?」

 ザファルの声にハッとし、顔を上げるといつの間にか馬が並んでいた。

「乗れるか?」
「はい」

 先に乗ったザファルが差し出す手を掴むと軽々と引き上げられる。その勢いで馬に乗るとあっという間に駆け出した。

「風は使わなくていい。彼らは暑さに強く、慣れている」

 砂塵を巻き上げるほうが問題だと言うザファルの意見に頷き、アストリッドは風装具を馬に与えないことにした。
 船の中でゆっくりと休めたのだろう馬たちの走りは軽快で、ここからでも見える立派な宮殿に向かって勢いよく走り出した。
 石畳ではない砂の道。木々はあまり多いとは言えず、花壇もない。まるで緑が枯れてしまった世界のように砂ばかり。
 かといって何もないわけではない。大きな水路も通っており、透き通る水の上はフルーツや布を乗せたゴンドラが走っている。
 広場らしき場所には大きな噴水もある。
 木々よりも水のほうが豊かにあるように見える光景はイメージとはかけ離れたものだが、美しい国ではあった。

「ラフナディールを紹介したいが、ここの気温に慣れるまでは時間がかかるだろう。夜から明け方にかけて温度が下がり、日中はこの暑さに変わる。慣れるまでは宮殿で……」

 途中で口を閉じたのは、自分が言った「慣れる」という言葉に違和感を覚えたから。
 宮殿は涼しいと言った。朝と夜の気温差を感じないほど快適な生活が宮殿では送れる。だからラフナディール特有の激しい気温差にいつ「慣れる」のか、と。

「とりあえず、暫くは休んでおくといい。船旅の疲れもあるだろう。それに、あなたには考えることが山のようにある。イヴァと同じ部屋にしておくから疲れと緊張を取る時間にしてくれ」
「皆様にご挨拶をさせていただきたいのですが……」
「私のほうからある程度はしてある。これからどうしていくのかはまた説明しておく」

 もてなされるゲストではない以上、その待遇は許されるのだろうかと多少の不安を感じながらも頷いた。
 アストリッドは心身共に自覚できるほど疲れている。船の中でもイヴァのようにぐっすりと朝まで眠れたことはない。フィルングが毒に倒れてからずっとだ。
 彼が傍にいない。彼の温もりがない。それがアストリッドの心に開けた穴を広げていく。
 それこそ、“慣れ”が必要だ。
 どれほど横になったところで心まで休めることはないのではないかと思いながらも頭を下げた。

「ひあっ!」

 突風が吹いたことにより砂塵が巻き上がり、視界を覆うほどの強さに声を上げたイヴァの後ろからイフラーシュが彼女が外していた布をスッと上げた。

「皇宮に着くまでは外さないように」

 優しい声だが、イヴァはどうにも苦手だった。子猫の顎下を撫でながら出すような声は変に優しい感じが気持ち悪い。

「どうも」

 そそくさとアミーラの後ろに乗って皇宮へと向かう。

「美しい街ですね」
「砂一色だと思っていたか?」
「実のところ……」
「間違いではない。ラフナディールは八割が砂地だ」
「ですが、想像以上に水脈が多いです」
「ああ。水は命だ。豊かさには欠かせないものだからな」

 砂の国、と聞いて想像していた色は淡い黄土一色だった。
 降り立った瞬間、視界は思いがけない青と翡翠を映した。
 港に沿って張り巡らされた石造りの水路には、精霊の加護による澄んだ淡水が静かに流れている。

「川の下に何か沈んでいるのですか?」
「砂金だ」

 さすがは富の象徴と呼ばれる帝国。
 水底に沈んだ砂金の粒が太陽を跳ね返し、川面を溶けた金箔のように煌めかせていた。
 民が暮らす家の漆喰壁には青のタイルが散りばめられ、エルヴァングとは全く違う様式がとても興味深かった。

「キレイ……」

 皇宮へ向かう街路は、真珠色の石畳の中央に水脈が一本通され、両脇には大きなヤシの実が成った木が規則正しく植えられている。

「あの水色の花はなんというのですか?」

 どこかスパイシーな香りが漂うあちこちで見かける金色の花芯を持つ赤い花が目立つ中、目についた水色の花。
 この熱砂の空気を一瞬だけ冷やしたように感じ、目を細めたのだが、ザファルが馬を止めたことで意識はそちらへ。

「どうかしましたか?」
「水色の花……? どこに咲いていた?」

 怪訝な表情を向けるザファルに花の方向を指すもアストリッドは「あら?」と声を漏らした。

「……そこに確かに……」

 確かに見たはずだが、今はもう見えなかった。初めからそこにはなかったかのように消えてしまっている。

「すみません。見間違いだったのかもしれません」

 皇宮までの道へと戻り、再び走り始めるが、ザファルは何も言わない。
 余計な時間を取らせてしまったかと申し訳なさに静かにしていることにした。
 通り沿いの茶屋では開いた天幕の陰で色鮮やかな果実が乗った皿が並び、遠くの噴水周りでは人々が暑さに茹だることなく談笑している。

 ――水は命であり富の証でもある。

 その象徴が至る所で惜しげもなく広がっていた。

 皇宮門に近づくほど建材の白は純度を増し、窓の枠には金線細工が絡む。正面階段へ続く大運河には小さな翡翠のゴンドラが行き交い、乗り込んだ男たちの軽やかな歌声が流れていく。
 翡翠・金・白・赤――そして永遠に渇かない水の青。
 緑深いエルヴァングで育ったアストリッドには、眩しすぎるほどの異国の色彩だった。
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