烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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一章

うしなったもの

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 あれから三日後、ようやく食事が与えられるようになったが、月夜はまったく食欲がわかなかった。
 祖母のくれた新しい書物を読む気にもなれない。ずっと楽しみにしていたのに、文字を目にすることも億劫だった。

 こんな思いまでして、どうして生きているのだろうか。
 その疑問がずっと頭の中にあったけれど、これまではそれを振り払うことができた。けれど今はもう、どうでもよくなっている。

 鬱々とした気分で寝床に横たわっていると、母が月夜の部屋を訪れた。
 月夜は慌てて身体を起こし、正座する。

 寝転んでいたせいで髪が整っておらず、それを見た母は「ああ、醜い」とぼやいた。
 怒鳴りつけられるのではないかと月夜は怯えていたが、母は意外と落ち着いた様子で声をかけてきたのだった。


「お義母かあさまがあなたをお呼びになっているわよ」

 月夜が虚ろな目で母を見ると、彼女はうんざりした顔を向けた。

「こんな子がわたくしの娘だなんて、ほとほと嫌になるわ」
「お母さま……」
「あなたを産むのではなかったわ」

 母はそれだけ言って立ち去っていく。
 何も感じなかった。というよりも、もう慣れた。昔から散々言われてきたことだったから。


 媛地家の広い敷地内にある離れの別邸に祖母の暮らす部屋がある。
 手入れの行き届いた美しい庭園には堂々とした松が空に向かってそびえ、静かな池の中では赤い鯉が悠然と泳ぐ姿が見られる。

 いつもは静観なその場所が、今日はやけに騒がしい。
 そこには家の者だけではなく親戚たちも集まっているのだ。

 月夜の姿を目にした彼らはひそひそと話し始めた。

「あの子は次女ではないかしら?」
「まだ生きていたのか。てっきり……」
「あまり見てはいけないわ。呪われるかもしれないわよ」

 辛辣な言葉の数々も、月夜は慣れている。


「月夜です」

 そう言って部屋に入ると、思いもよらない祖母の姿に月夜は愕然とした。
 祖母は横たわっていて、その表情は青白く生気がない。

「おばあちゃん!」

 月夜が駆け寄ると祖母は薄く目を開き、しわだらけの手を伸ばした。
 月夜はその手をしっかりと握る。あまりにも痩せていて骨と皮だけになっているのを肌で感じ、無性に泣きたくなった。

 祖母の香月はとても健康的で年老いても背筋がぴんと伸びていた。媛地家の中心としてさまざまな行事にも出席し、はつらつとしていた。
 ところが、一年前から病に伏せってしまい、月夜はほとんど会えないでいた。
 まさかこれほど変貌しているとは思わなかったので、月夜はその衝撃を受けとめられず涙をぼろぼろ流した。


「おばあちゃん、おばあちゃん……」
「つ、きよ……」

 祖母は虫の鳴くような声を絞りだした。

「うん。ごめんね、会いにこられなくてごめんね」

 本当は会いたくても両親に会わせてもらえなかった。しかし、こんなことになるなら強引にでも会いにくればよかったと後悔した。

「月夜……よく、聞きなさい」
「はい」
「お前のことを……守ってくれる、者がいる……信じて、必ず、生きのびなさい」
「おばあちゃん?」

 祖母はわずかに笑みを浮かべ、月夜に何かを言った。声は聞こえなかったが、その口の動きで月夜は悟る。

『幸せになって』


 祖母は笑ったままゆっくりと目を閉じて眠るように動かなくなった。握っていた手は力を失い、月夜の膝にぱたりと落ちる。

「おばあちゃん、嫌よ。私をひとりにしないで!」

 月夜の呼び声はもう祖母には届かなかった。
 家族の中で唯一、月夜の味方だった祖母が帰らぬ者となったのである。

「おばあちゃん、おばあちゃん!」

 泣き叫ぶ月夜の腕を使用人たちが強引に掴んで祖母の部屋から引きずり出す。

 部屋の外には久しぶりに見る父の姿があった。
 父は月夜を冷たく見下ろし、言い放つ。


「お前は今日から媛地家の人間ではない」

 どくんっと月夜の鼓動が鳴った。

 月夜のまわりには父と母、それに親戚たちの冷ややかな目があった。
 それだけで月夜は悟る。もうこの家には敵しかいないのだと。

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