烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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一章

とんでもない求婚

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 とある寒い日のこと。その日は曇って雪がちらついていた。
 月夜はこの日両親に呼び出され、久しぶりに地下から出ることになった。理由は使用人の手が足りないからそれを補うためだった。

 庭は一面の雪景色。あの雪の中で遊んだ記憶が今でも頭の隅にある。

「今日は暁未の婚約者がうちへいらして食事をします。あなたは裏で食材の準備と皿洗いをするのよ」

 母に言われて月夜は「はい」と返事をした。

「干野川家の方々には絶対に姿を見られないようにしろ。いいな?」

 父に睨まれて、月夜は小さく「はい」とうなずいた。


 雲っているとはいえ、いつ太陽が出るかわからない。
 月夜は家の裏手にある薄暗い蔵にこもり、不安げな面持ちでじゃがいもの皮を剥いていた。

 はあーっと息を吐くと空気が白く濁る。
 冷たい手をこすりながら作業を続けた。

 ずっと地下にいたせいか、空気が澄んでいるような気がして少しばかり気分がいい。
 使用人として使われてもいいから、たまには外に出たいという気持ちが沸々とわいてくる。

 父に提案してみようかという気になったが、そんなことを言えば激怒されるだけだろう。


 黙々とじゃがいもの皮を剥いていると、すらっと小刀で指先を切ってしまった。
 じわりと血が滲み、月夜は傷口を咥えて止血しようとする。
 そういえば、こんなことをしたから人間ではなくなったのだ。その苦い記憶を思いだし、胸の奥がちりっと痛んだ。

 ざくっと積もった雪に食い込む足音がした。
 月夜はびくりと肩を震わせ、音のしたほうを振り向いた。

 そこに立っていたのは、白い洋装をまとった若い青年だった。朽葉色の髪に透きとおるような青い瞳をしている。
 すらりと背が高く整った顔立ちをしたその男に、月夜は思わず見惚れてしまった。

 男がゆっくりと近づいてくるので、月夜は慌てて立ち上がり、一歩下がる。



「あ、あの……ここは使用人の場所なので」
 客人の来るところではないと説明しようとしたが、男はまったく動じることなく月夜に迫ってきた。
 そして、彼は月夜の目の前に立ち、じっくりと舐めるように見つめた。

「あなたは、なんと美しい」
「え?」
「お名前は?」
「……月夜です」

 男はいきなり月夜の手を握ってさらに接近してきた。

「月夜さん、僕はあなたともっと話がしたい。場所を変えませんか?」
「え? えっと、私は今、仕事中なので」
「そんな仕事は他の使用人がすればいいことでしょう。あなたを使用人にしておくのはもったいない。僕の愛人になりなさい」
「ど、どういうことですか? あなたはどなたですか?」

 男はにんまりと笑みを浮かべると丁寧に腰を折って名乗った。

「僕は干野川ほしのがわ俊彦としひこと言います」

 月夜はひやりとした。

「干野川、さん……?」
「はい、そうです」

 満面の笑みを向ける男に対し、月夜は狼狽える。

 だって、彼は姉の婚約者だから。
 こんなところを見られてしまったら、どんな目に遭うかわからない。


「ごめんなさい。私はあなたの愛人にはなれません」

 断ると、彼はまるで月夜の言葉が理解できないかのように首を傾げた。

「僕はこの家よりも財のある干野川家の長男ですよ。僕の愛人になれば何でも買い与えてあげますよ」
「困ります。だって、あなたは姉の婚約者ではありませんか!」
「姉? あなたは暁未さんの妹さんですか。それはちょうどいい。暁未さんを妻に迎えるのであなたを愛人にします。それでいいでしょう」
「意味がわかりません!」

 必死に抵抗するも、この男は意外としぶといので月夜は困惑した。

 こんなところを両親たちに見られてしまえば殺されかねないと思い、何とかして逃げようと試みる。
 しかし、抵抗すればするほど男は必死に月夜を囲みこもうとする。


「月夜さん、はっきり言ってあなたは暁未さんよりも美しい」
「やめてください! 放して!」

 月夜がとっさに手を振り上げると、爪が男の頬を鋭く裂いた。がりっという生々しい音とともに、男の頬から一筋だらりと鮮やかな血が伝い落ちる。
 ぎょろりと目を見開いた男がそれを自分の指先でぬぐうと、彼は突然甲高い悲鳴を上げた。


「あああああっ! 僕の美しい顔に傷が! 血が! 誰かあああっ!」

 まずいことになったと思った。月夜は身体が弱いのに力が強い。特にとっさに抵抗するときの力は近年異常なほど強くなっている。
 こんなつもりはなかったのに。

「ごめんなさい。干野川さん、ごめんなさい!」

 必死に謝る月夜の声は男に届くことはなく、騒ぎを聞きつけた両親と暁未がこの場の状況を見て驚愕した。

「月夜、何をやっているんだ!」

 父の怒声に月夜の心臓がひときわ強く打った。全身から血の気が引いていく中、月夜は恐怖と諦めの感情を抱いていた。

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