烏の王と宵の花嫁

水川サキ

文字の大きさ
9 / 69
一章

生きたいきもち

しおりを挟む
 いったいどれほど叩かれたのだろうか。
 月夜の頬は赤く腫れ、口が切れて血の味がし、腕も足も傷だらけになった。見えないところにも傷がある。

 しかしながらこの傷は時間が経つと塞がっていく。一日も経たないうちに怪我は綺麗に治るのだ。それを知っているせいか、父は容赦なく月夜に暴力を振るう。

 化け物だと罵りながら。


 地下室に放り込まれた月夜は両親から罵倒された。

「お前のせいで干野川さまとの縁談がなくなってしまったわよ! なんということをしてくれたの?」

 母は涙ながらに叫ぶ。

 媛地家の財政がひっ迫していることは使用人たちの噂で月夜も知っていた。母はこの縁談に賭けていたのだろう。それが破談になり、衝撃と怒りで感情を制御できないようで、すべてを月夜にぶつけてくる。

「どうしてあたしの大事な結婚を邪魔するのよ!」

 ふらつきながら起き上がろうとする月夜の身体を、暁未が泣きながら突き飛ばした。冷えた石畳に腰を打ち、月夜は横たわったまま自問する。


 どうすればよかったのだろうか。
 あのとき、どうすればこんなことにならなかっただろう。
 何度考えてみても答えは見つからない。


「もういい。お前は遊郭に売り飛ばしてやる」

 父は冷ややかな口調でそう告げた。
 月夜は驚き、父を見上げる。だが、彼は汚いものを見るような目で月夜を見下ろした。

 となりで暁未が涙ながらに嘲笑し、皮肉めいて言い放つ。

「そうよね。その無駄な美貌を男のために役立てられるんだもの。よかったじゃない?」

 月夜は絶望のあまり、無理だとわかっていても母にすがりついた。


「お母さま、お助けください。私は……」
「お前を娘だと思ったことなど一度もないわ」

 母は冷たくそう言って、月夜に背中を向けた。

「時を見計らって月夜は病死したと世間に公表する」

 父の冷徹な決定に月夜は目の前が真っ白になった。必死に助けを懇願するも、父も母も姉もすでに月夜を見ることさえしなかった。


 彼らが無言で去ったあと、月夜は泣きじゃくりながら亡き祖母に訴えた。

「おばあちゃん、どうしたらいい? 私はどうしたらいいの?」

 小さな灯りの炎がゆらりと揺れる。だが、答えなどあるわけもなく、月夜は次第に声を上げる気力さえ失った。

 ぼんやりしていると、くしゃくしゃになった紙きれが落ちていることに気づいた。近づいて拾ってみると、それはいつかの誕生日に届いた手紙だった。


『君の明日が幸福であることを祈っています』


 美麗な字で丁寧に書かれた〈からす〉の文字だ。きちんと大切にしまっておいたはずなのに、父か誰かに見つかってくしゃくしゃにされてしまったのだろう。破られていないだけよかったと思う。

 月夜は手紙のしわを伸ばしながら、堪えきれずに涙を流した。


「うっ……からすさん、私は……どうしたらいいの?」

 もう生きていたくない。できればすぐにでも祖母のところへいきたい。
 口には出さないものの、月夜はもう生きたいと思う気持ちを失っていた。

 その日は疲れ果てたせいかどっぷりと気絶したように眠った。けれど、翌朝になって目覚めると、また絶望感に打ちひしがれる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

課長のケーキは甘い包囲網

花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。            えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。 × 沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。             実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。 大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。 面接官だった彼が上司となった。 しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。 彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。 心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...