烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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二章

ふたりの距離

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「足下に気をつけて」

 縁樹が手を差し出してくれたので、月夜はおずおずとその手を取った。
 彼はまったく愛想もなく真顔だ。想像していた手紙の人物とはあまりにかけ離れていたが、それでも月夜はどことなく安心していた。

 彼は月夜に怒鳴ったり殴ったり妙な目で見たり気軽に身体に触れようとしない。
 今まで出会った男性とは違い、稀有な人物だなと思った。


 屋敷の外に出ると、目の前の景色の鮮やかさに月夜は思わず息を呑んだ。

 梅の花が咲く季節である。雪は溶け、地面から緑の芽が顔を出している。空気はまだひんやりとしているが、確かに春の足音が近づいている。
 飾り気のない風景に、青と緑に梅の赤が溶け合った色合いが、月夜の目には格別に美しく映った。

 ぼんやりとその風景に見惚れていると、縁樹が声をかけてきた。

「大丈夫?」
「ごめんなさい。景色に感動して」
「これからはいつでも見られるよ」

 縁樹の言葉に月夜は震えるくらい嬉しかった。これからはきっと雪も桜も見ることができるのだろう。ただそれだけで胸を焦がすほどの喜びに満ちた。


 屋敷の外には人力車が待機していた。
 俥夫がにっこりと笑いかけてきたので、月夜は慌てて彼に向かってお辞儀をした。
 どうやら月夜の体力がないことに配慮した縁樹が用意したようだ。どこへ行くのか月夜が疑問に思っていると、縁樹は察したように答えた。

「君が一番行きたいと思う場所へこれから行く」

 彼はそう言って月夜の手を引き、人力車に乗り込む。
 月夜は縁樹とぴったりくっついて座った。肩や腕が触れ合うと羞恥と緊張で月夜はがちがちに固まった。

 ぎしっと音を立てて人力車の車輪が回ると、月夜の目の前の景色が一気に変わった。歩くよりも速く過ぎていく風景は、月夜の目に新鮮に映る。
頬に触れる心地よい風を感じながら、思わず感嘆の声が漏れた。

「すごく綺麗」


 森林のそばを通ると日の光が木々のあいだからこぼれ、細やかな星屑のようにちらちらと輝いている。こんな景色を見ることはほとんどなかったので、月夜は瞬きを忘れるほど見入ってしまった。

 月夜はそれから人力車を引く俥夫に目をやった。どうして人をふたりも乗せて引っ張って走ることができるのだろうと疑問に思った。


「あの人は私たちを乗せて重くないのかしら?」
「ああ。鍛えてるから」

 縁樹が短く返答すると俥夫は顔だけ振り向いてにこっと笑い、月夜はびくっと驚いた。

「彼は明るい人だ」

 と縁樹が抑揚のない声で言うので、月夜は不思議な気分になったが、それでもふふっと笑ってしまった。

「縁樹さんは、とても落ち着いた人なのね。手紙の印象ではもっと明るい人だと思っていたのに」
「君は監禁されて誰とも会わずに育てられたと聞いていたのに、よくしゃべる」

 遠慮のない発言に月夜が固まると、縁樹は自分の発言に思うところがあるのか眉をひそめて訂正した。

「言い方が悪かった。君はおしゃべりが上手だ」
「ふふっ、縁樹さんは面白い人ね」

 それに対し彼は真顔で無言を貫いた。
 それでも月夜は悪い気分にはならなかった。


 月夜は連れていかれた場所は墓地だった。それも媛地家の先祖が代々眠る墓である。媛地家の墓は広い敷地内にあり、その中で一番新しい墓石が祖母のものだった。

 縁樹は月夜の境遇を知り、見送りをさせてもらえなかったことを思って、わざわざ連れてきてくれたのだろう。
 月夜は息を引きとる寸前の祖母の顔を思い浮かべながら、あらためて現実を突きつけられたことで目頭が熱くなった。


「ごめんね、おばあちゃん」

 月夜の声に呼応するように風がひゅっと吹き抜ける。
 縁樹は黙ってとなりで月夜に日傘を差してくれていた。

 月夜は涙ぐみながら微笑んで一番言いたかったことを口にした。

「おばあちゃん、縁樹さんに会わせてくれてありがとう」

 月夜は目を閉じて手を合わせ、心から祖母に感謝の気持ちを送る。
 やわらかい風が月夜の髪をさらりと撫でた。

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